"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

桜田淳子資料館 新館オープンのご挨拶



 昨年の9月17日にオープンした「”My Pure Lady” 桜田淳子資料館」もこのたびめでたく(?)オープン1周年を迎えることが出来ました。
 これもひとえに訪問された皆様の温かいご支援の賜物と厚く御礼を申し上げます。
 その1周年を記念してというわけではなかったのですが、このたび新館をオープンさせることに致しました。
 これからも、よろしくお願いいたします。

このHPの目的と主旨
 淳子さんをめぐる状況は相変わらず厳しいものがありますが、このHPは、統一協会≠めぐる騒動以後、淳子さんのアイドルとしての価値、芸能人としての価値が不当に評価され、あるいは全く評価されていない現状であり、その歴史を不当に歪曲し、改竄して、報道しようとするマスコミの動きに歯止めをかけ、淳子さんをリアルタイムで知っている人たちには、改めて淳子さんの価値を正しく知っていただき、よく知らない人たちには、かつてこういう本物のアイドル≠ェいたことをよく知っていただくことを目的とし、スタートさせました。
 それ以外に、このHPの存在理由がないことを、改めて自分に言い聞かせると共に、皆様にもどうぞご理解をいただきますようお願いいたします。

淳子さんを応援する理由
 淳子さんはファンのために、一生懸命自分を律し、自分の人生をかけて、アイドル≠ニして、女優≠ニして、われわれがこうあって欲しいと望む女性像を演じ続けてくれました。
 彼女は、プロダクションの言いなりに動く操り人形のようなアイドル≠ナはなく、自分で自分をプロデュースし、自分で書いた脚本を、自分で演出し、自分で演じることのできた、すなわち優等生アイドル≠ニして生きることの出来た最初で最後、そして唯一のアイドル≠ナした。
 まさしく、ファンが理想とする正真正銘のアイドル≠ナあり、アイドルの王道≠行く正統派アイドル≠ナあり、プロ中のプロのアイドル≠ナあり、アイドルの典型≠ニなった人でした。
 彼女以後、様々なアイドルが生まれ、彼女の真似をしてアイドルになろうとしましたが、みんな途中でボロを出し、馬脚を現していき、彼女のようなアイドル≠ェもう生まれないことを、業界の人間だけでなく、ファンも知ってしまったときから、芸能界からパロディとしてのアイドル∴ネ外、本物のアイドル≠ヘ生まれなくなりました。
 彼女は、素人がオーディション番組からデビューし、レコードシングル売上日本一、ブロマイド売上日本一の文字通りのトップアイドルとなっただけでなく、映画・テレビ・舞台のすべてに主演し、それぞれの分野で名誉ある賞を獲得した実力派の美人女優へと変身していく過程をリアルタイムに見せてくれたジャパニーズドリーム≠ニもいうべき超新星≠ナした。
 現代でたとえるならば、甲子園で活躍し、鳴り物入りで、野球界に入り、期待通りの活躍をしている西武の松坂大輔投手の「芸能版」のような存在でした。
 そして、その実力が開花しようとした、まさにそのときに、例の統一協会¢專ョが持ち上がったのでした。
 いわば、舞台半ばにして急遽降板せざるを得なくなった役者さんと同じであり、不完全燃焼のまま、ファンに挨拶するまもなく姿を消さざるを得なかった、淳子さんの無念さは、察してあまりあるものがあります。
 このまま淳子さんを放置しておくことは、日本の芸能界にとって大きな損失であり、これは罪悪以外のなにものでもないと思います。
 淳子さんがしたいことが出来るような環境を作っていくために支援することが、これまで淳子さんによって慰められ励まされた者の努めだと私は固く信じています。

淳子さんの仕事復帰を妨げる権利が誰にあるのか
 識者と称する人たちは、「桜田淳子は、スターであり社会的な責任があるから、反社会的な活動を組織的に行う統一協会の信者であり、広告塔であり、協会を弁護した道義的責任は重い」と主張し、淳子さんに仕事復帰の話が出ると、それに反対して抗議を行うグループがいますが、はたしてそうでしょうか。
 私は、長年信じてきた「統一協会」を弁護したい淳子さんの気持ちもわかりますが、彼らがしてきたと言われる「霊感商法」が事実ならば、やはり良くないことだし、「統一協会」はそう言われないように努力する必要があると思っています。
 そのことを認めた上で、だからといって、反統一協会派の人たちが、淳子さんの仕事復帰を邪魔する権利はないと考えます。
 淳子さんがしたことなら、淳子さんに責任がありますが、淳子さんが直接関係したことのないことにまで、どうして責任を負わなければならないのでしょう。
 日本では、信仰の自由が認められていて、信仰を理由に、不当な差別があってはなりませんし、したことではなく、考えていることや信じていることが危険だという理由で罰せられることは、法治国家においてあってはならないことだと思います。
 「思っただけで罪」というのはキリスト教における概念であって、現実社会では、したことが法に触れるかどうかだけが問題にされるべきだと思います。
 日本では、信仰だけでなく、職業の選択の自由が保障されており、淳子さんの仕事復帰を邪魔する人たちは、その権利も、生活権をも侵害しているといわねばなりません。
 もし淳子さんが違法行為をしていたら、訴えればすむ話なのに、うやむやな疑惑のままにして、淳子さんの名前を利用して、マスコミを集めては騒ぐやり方は、とても卑怯だと思います。
 もし本当に「統一協会」が悪いのなら、マスコミも、「統一協会」のトップに対して、サッチーを追い続ける情熱で、責任追及すればいいのであって、一信者に過ぎない淳子さんを追求するのは、「弱い者いじめ」以外のなにものでもありあません。
 淳子さんが歌った曲の著作権料1300円を支払えと裁判を起こしたり、「統一協会の広告塔」というより「反統一協会の広告塔」として利用し、おもちゃのように弄ぶやり方に、「していることさえ正しければ、どんな方法をとろうと許される」といわんばかりの傲慢さを感じてしまうのは私だけでしょうか。
 マスコミも、統一協会≠フネタに、必ず「桜田淳子」の名をくつっけて報道する習慣は、もう辞めて欲しいと思います。
   
淳子さんに社会的責任、道義的責任はあるのか
 マスコミは、「淳子さんはスターだから、社会的責任がある」と言いますが、そんなものがあるのでしょうか。
 それならは、スターが「人を殺せ」と言えば、人を殺すのでしょうか。
 たとえスターが何を言おうと、それを受け入れる判断したのは自分であり、その結果の責任は自分で負うのが当然なのではないでしょうか。
 スターが、自分の責任と感ずるのならいいいけれども、人が「お前が悪い」などと言う権利はないと思います。
 モラルや同義などというものは、自分に課すものであって、他人に課すものではないと思います。
 昔なら、「人の責任にするな」と叱る大人がいたのに、いまは弁護士やマスコミが、少しでも自分の罪を軽くするために苦し紛れに言った責任転嫁の言葉を鵜呑みにして、社会が悪い、学校が悪い、先生が悪い、親が悪いと、よってたかって、本人に責任をとらさないようにしたのが、今日の社会のモラルの低下の原因の一つだと私は思っています。
 私は、相手の意見に従ったとしても、それは相手の意見の中にある自分の意見に従ったのだと思っていますし、信じて騙されたのならば、自分が愚かであったためと反省すればいいし、もし相手が許せず、それが違法ならば、淳子さんではありませんが、訴えればいいだけの話だと思います。
 「役者バカ」という言葉があるとおり、ある意味では非常識でなければ、いい「役者」は生まれませんし、そんな彼ら彼女たちをバカだなといいつつも、でも可愛いヤツだと許し、愛したのが、本来の「客」であり、「ファン」だった筈です。
 世間知らずのたわごとと笑ってすますべき問題に、やっきになって「そんなことが許されて良いのでしょうか」と寄ってたかって叩くくせに、「近頃の芸能人は常識的で小粒になった」とけなすマスコミ、そんなマスコミを批判することもなく、非常識な芸能人を文化人と同一視して、講演会を聞きに行ってしまう愚かな人々が多いことの方が、よほど憂慮すべき事柄だと私は思っています。
 このことは、淳子さんが何も反省すべき点がないと言っているわけではありませんので、念のため。

淳子さんは既に社会的責任をとらされている   ある宗教団体の元トップが、嘘か本当かは知りませんが、「レイプ」裁判の被告人になりましたが、それを報道したテレビ局がないのはなぜでしょう。
 ある国民的大スターが愛人の家で倒れた時、そのことを知っていたのにも関わらず、隠し、みんなでよってたかって「美談」につくりあげたことから見てもわかるように、テレビ局にとっては視聴率≠ェ、マスメディアにとっては発行部数≠ェ、企業にとっては利益≠ェ命であり、社会正義≠竍公正≠ネど、便宜的に使うアクセサリー程度にしか思っていないように見える人たちに、正義≠竍道義的責任≠ニいった言葉を使って欲しくありませんが、そのことを今とやかくいうつもりはありません。
 それが、資本主義というものであり、社会というものの本質であり、建前を必要とし、強い者におもねるのが、人間社会の常だからです。
 しかし、今の社会は、何を志し、何を思ったかではなく、何をしたか、結果はどうだったかが、問われる社会の筈なのに、淳子さんは、詐欺まがいの行為をしている「統一協会」を弁護したことが許されないとして、正式な裁判を受ける前に、問答無用とばかりに、裁かれてしまったのです。
 それでは、殺人した人を弁護する人は一体どうなるのでしょう。
 それならば、彼らはもっと危険ということになってしまいますが、実際そうはならないのは、誰にも弁護を受ける権利があり、それを主張する言論の自由があることを認める良識が働いているからであり、その良識を、淳子さんにも働かせて欲しいと、私は願っているだけです。
 彼女に罪があると主張する人たちは、それが一体どういう罪名で、それが立証されたら、どれだけの罪になるかを考えてほしいと思います。
 淳子さんは、誰もが認める「誰よりも真面目で、仕事熱心で、心優しく気のつく賢い女性」であったにも関わらず、危険な信仰を持っていると判断されて、自主規制の名の下に、働く場を失っています。
 彼女は、当時1億数千万円の所得がありましたが、そのまま順調に仕事をしていたら、この数年で手にするはずだった所得は十億前後ということになります。
 しかし、彼女はそれを手にすることができない状況となりました。
  百歩譲って、淳子さんが法に触れるような行為をしていたとしても、それは裁判で裁かれるべきで、マスコミや世間が裁く筋のものではありません。
 淳子さんのしたことは、実際裁判になったとしても、実刑となり懲役となるような事犯ではなく、せいぜいが罰金程度のものであり、彼女の失ったものの大きさを思えば、あまりに過酷な社会的制裁を既に受けてしまっている状況です。
 彼女は、したこと以上の、社会的責任を既にとらされてしまったと私は思っています。
 彼女に非があるとしたら、あまりに若く芸能界に入ったが故に、社会的常識に欠けたところがあったというところと、あまりに純粋すぎたが故に、今の社会は間違っている、こんな社会に取り込まれては駄目だという、まことに反論のしようがないほど正論の、しかも、世界で最も信者の多い「キリスト教」の教義を一部取り入れた「統一協会」の幹部であったお姉さんの影響をもろに受けてしまったことですが、それを非難できる人がいるでしょうか。
 しかも、そのことで彼女は、人から物を盗ったり、人に暴力を振るったり、人の命を奪ったたわけではなく、彼女自身は、他人のために生きたいと願っていたことは、これまでの言動からもわかると思います。
 それでも、「彼女が許せない」と言えるほど、立派な生き方をしてきた人間がいるとは、私には到底思えません。
 とはいえ、もともと悪いのは、誤解か本当かは知りませんが、少なくとも疑いを受ける行為を長年続けてきた「統一協会」が一番悪いのであり、反省するなり、誤解を解く努力をして、淳子さんの仕事復帰に力を貸して欲しいと思っています。
 私は、宗教的、政治的意図があるわけではなく、ファンとして、淳子さんの仕事復帰を願っているにすぎないので、そこのところをどうぞご理解下さいますようお願いします。
   このHPは、そういう純粋な桜田淳子ファンが集い、楽しむ場所であり、私の考えに同意できない人には、お楽しみ戴けない場所であることを事前にお断りしておきます。
 従って、このHPに入って、不快な思いをしたとしても責任は負えませんし、反論も受け付けませんので、あしからずご了承下さい。
 なお新館内の掲示板で、他人への批判中傷をしたり、特定の団体への誹謗中傷をしたり、統一協会に関する話題など、楽しい雰囲気を壊すような発言は、管理人の独断で削除する場合もありますので、そのような発言は、直にメールでお送り下さいますよう、お願いいたします。

新館の変わった点
 さて、新館では、今までなかった「ドラマ」以外の「歌番組」、「トーク番組」、「バラエティー番組」、「特番」、などの「テレビけ番組情報や「ラジオ」番組情報、「音楽」における「ステージ」情報、出演した「CM」情報、淳子さんが書いた文章や詩・イラスト等が掲載された本や雑誌を紹介する「出版」情報、淳子さんが特集された本、表紙やグラビアに出た雑誌、特集記事、対談記事が掲載された本を紹介する「ライブラリー」、かつての後援会の正式な「会報」情報など、新しいコーナーを沢山用意しましたし、画像を大幅に増やしましたので、お楽しみ戴けるものと信じております。
 私は、これまで管理人として、資料館の運営に当たって参りましたが、このHPはあくまでも私の趣味であり、道楽でしているものです。
 だからこそ、純粋に、損得抜きに、一生懸命やって来ることが出来たと自負しております。
 いわば、私の楽しみでやっていた筈のHPが、いつからか、メールや掲示板で批判的な意見を言われて、楽しいものでなくなってしまい、辞めたくて仕方なくなってしまい、それが先月のある方の、全く身に覚えのない、思いもかけない批判から一気に爆発してしまい、発作的な閉鎖宣言となってしまいました。
 しかし、それ以後、あちこちから思いもかけない温かい言葉を頂戴し、私の心が癒されると同時に、反省の心がふつふつと生まれ、私を支援して下さる、その方達のためにも、これはもっといいものへと生まれ変わるステップとしなければならないという気持ちになり、新館をスタートさせることとなった次第です。
 資料館という性格上、客観的な資料が命であり、出来るだけ個人的な見解や見方が入らないように注意していますが、時間的な余裕やディスクスペースの容量の関係から、無制限というわけにはいきませんので、淳子さんの数多くの記事の中から、記事や画像を選ばなければならず、その際に私の意志が既に働いていることは否定できません。
 その点に関しましては、ご了承賜りますようお願い致します。

 以上をふまえた上で、、お楽しみ下さいますようお願いいたします。
                                            以 上

 1999年9月17日 "My Pure Lady" 桜田淳子資料館 新館

               館長代行 兼 管理人 兼 学芸員 兼 ガードマン  安出 泉

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