"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館
淳子日記 ダイアリー






 日記は一人の人間が生きていく軌跡です。
 そして日記は人に見せないという前提で、自分の心の秘密を語れる唯ひとりの友です。
 でも、時がたつと、日記には必ず、もう一人の読者があらわれます。
 何年か先の自分です。
 現在の自分を、若かった、きれいだったといいながら……
 あなたにも私の日記を、どうかそんな優しい目で読んでいただけたらと思うのです。
                              桜 田 淳 子 
 

★  昭和47年(1972年)の日記  ★

★  昭和48年(1973年)の日記  ★

★  昭和49年(1974年)の日記  ★

★  昭和50年(1976年)の日記  ★

★  昭和51年(1976年)の日記  ★



 明星の編集長だった方が、これを読み、いまどきこんな清純な子がいたのかというショックを受けたという日記です。
 そして、「こんな清純な人はいなかったし、もう二度と現れないだろうと思います」と数年前のNHKの衛星放送の番組でコメントしていたのが忘れられません。
 芸能マスコミの最前線に生きてきた人の言葉として、これ以上ないほどの重い言葉だと私は思います。

 当時シラケという言葉が流行し始めた時代の風に逆行するかのごとく現れ、その風に抵い続け、そして最後まで吹き飛ばされることなく、己を貫き通し、トップアイドルから一流の女優となった淳子さん。
 そんな一流になる芽が感じられる淳子さんの頑張り屋さんぶりもさることながら、清純さ、自分の感情を偽らず吐露する正直さ、随所にユーモアセンスが光っていて、天性の明るさとサービス精神を持ちあわせた本物のスター≠セと思いました。
 文中にも出てきた詩人で作家で演出家の故・寺山修司さんが「うまい役者は所詮二流で、華のあるスターこそが一流」という名言を残していますが、まさしく淳子さんはスター≠ナした。
 そして、普通のスター≠ナはあきたらず、努力を惜しまず精進し、花(華)も実(力)もあるスター≠ニなり、普通40代、50代にならなければ貰えない芸術選奨の文部大臣新人賞を、20代の若さで受賞した桜田淳子≠ニいう名前の花をこのまま散らすことは、日本の芸能界にとって、大きな損失以外の何者でもないことを改めて痛感した次第です。

 文中に場所や時間がとてもよく出てきますが、例の裁判の際に、検察庁にスケジュール帳とともに持って行ったという話もなるほどと思える話です。
 そして何よりも驚くのは、故郷や家族や友人たちを愛するその姿勢であり、そこにとても感動を覚えました。
 あの統一協会騒動のさなかも、「彼女が帰ってくる場所はここしかないし、我々はどんなことがあっても彼女を信じ、守り抜きます」と揺るぐことなく言い切った素敵な故郷の友人たちとの交流の一端が、この日記の中で息づいています。

 当時の自分の目で見るか、今の自分の目で見るか、それぞれの目で何度もお確かめ下さい。
 その時その時で、受け取り方が違ってくると思います。
 そして、その感想を掲示板までお寄せ下さいますよう、お願いします。

                                          管理人







Home
inserted by FC2 system