"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

基本方針

 我が家には、我が家の家風があり、我が家の方針があります。

 我が家に来られた方々には、自分の家ではないという意識を常にもち、行儀よく、過ごして戴かなければなりませんし、我が家の中では我が家の流儀に従って戴きたいと思います。

 我が家では、芸能界で稀有なアイドルであり、歌手であり、女優であり、役者であり、映画スターであり、ミュージカルスターであり、作詞家であった桜田淳子さんを支援し、応援するという基本方針をとっています。

 犯罪を犯した芸能人が、実刑をくらっても、いつの間にか何事もなかったかのようにテレビに出ているというのに、「なんの犯罪も犯していない」淳子さんが一部の反対の声を気にするTV局からその出演を自粛され、事実上の引退状況に追い込まれて10年以上の歳月が流れています。

 殺人以外の罪であれば、ほとんどの人間が社会に復帰する歳月が過ぎながら、冤罪を着せられた淳子さんがいまだに復帰出来ないのは、異常としか言いようがありません。

 そうした状況をなんとか打破したいと、このHPを立ち上げました。

 そのためには、淳子さんに対する理解者、賛同者を、一人でも増やしていかなければなりませんし、マスコミに意識改革も迫らなければなりませんし、彼らを変える為にも読者であり視聴者である皆様の意識改革も必要と考えております。

 特にマスコミは、「弱者を守り、強い力を持つ立場の権力者を批判し、彼らが不正を犯さないように、チェック機能を果たしていくことに存在理由がある」メディアであるにも関わらず、弱者である淳子さんを迫害してきました。

 そうした歴史を検証しながら、マスコミに本来の役目を果たしていくよう導くために、警鐘をならしていくことも、この資料館の重要な役割の一つだと考えています。

 「ジャーナリストとはとても呼べない」テレビ芸能レポーター、女性週刊誌の記者、写真雑誌のカメラマンを撲滅し真のジャーナリストを増やしていくことが、淳子さんの名誉回復の早道であり、そうした彼らを変えることが出来るのは、読者であり、視聴者である皆様以外にいませんので、何卒ご協力下さいますようお願いします。

 なお、このことは、「真のジャーナリスト」を自負しているテレビの芸能レポーター、女性週刊誌の記者、写真雑誌のカメラマンの皆さんには、何ら関係ない話であり、私の意見にむしろ賛成して下さるものと信じています。


「ジャーナリスト失格」の芸能レポーター
 芸能レポーターの中には「ジャーナリストと呼べない」人が数多く存在し、1992年の統一協会騒動の時には犯罪と道義的問題の区別もつかず、それらを同列に論じ視聴者に誤った情報を伝えた結果、多くの方から、「芸能界で最も真面目で努力家」、「将来、最低でも有馬稲子、浜木綿子クラスは間違いない」と言われた逸材の、芸能人としての生命を奪ったのです。

 その責任は重いと言わざるを得ません。

 彼らの間違いは、反統一協会側の言い分を検証なしに、無批判で受け入れたことです。

 彼らは、当初から、統一協会側が加害者で悪い側と、決め付けていましたが、実際の裁判では、被害者といわれている側が負けることもたびたびありました。

 裁判で勝ったり負けたりしているということは、被害者の言い分が必ずしも裁判所に通るとは限らなかったということで、一件一件検証してみる必要があったにも関わらず、反統一協会側の話をすべて鵜呑みにしてしまったところに問題がありました。

  裁判が起きている以上、裁判所の手に委ねるべき問題に口をはさみ、自分たちがさも検事になったかのごとく、裁判官になったかのごとく、淳子さんを裁いたのでした。

 本当の裁判をこそ報道すべきであったのにも関わらず彼らは淳子さんを裁いたことで満足し、以後の報道を全くしなくなりました。

 彼らが社会正義など二の次にしていた証拠であり、それこそが大きな問題でした。

  
反統一協会側の口車に乗せられ利用された芸能レポーター
 もともと統一協会被害者連絡協議会など反統一協会側の人々は、統一協会をただ批判しても、マスコミが取り上げないことから、淳子さんが統一協会信者であることを告白して以来、記者会見を開くたびに、淳子さんとは関係のない話にまで、淳子さんの名を出して利用し、注目を浴びようとしました。

 そうしたやり方を冷静に判断し、「この問題で、桜田淳子さんは関係ないのでは」と釘を刺す、まともなジャーナリストは、それらの会見場内にはいませんでした。

 そして、テレビのワイドショーも、淳子さんとはほとんど無関係の内容であっても、統一協会関係であれば必ずタイトルやテロップに「桜田淳子」の名を入れ、番組宣伝、視聴率向上に利用しようとしていました。

 マスコミは、反統一協会側の口車に乗せられ、淳子さんが、統一協会関係者の会社の着物お見立て会に参加したなどの疑惑を報道しましたが、反統一協会側は裁判で決着をつける気はさらさらなく、マスコミはただの使い走りと化し、利用されただけでした。

 芸能界で着物のお見立て会に出たことのない大物芸能人を捜す方が難しいでしょうし、統一協会の信者といえども、経済活動をする自由は与えられており、そのことを知っている反統一協会側は、裁判になって無罪が証明されるよりも、疑惑のままに留めておき、ことあるごとに淳子さんの名を利用する方が自分たちにとって得策という実に身勝手で卑怯な戦法をとったのでした。

 そのかわり、明らかに罪が問えると判断したときには、淳子さんがカラオケで歌ったわずか1,300円の著作権料が未払いということで、堂々と全く恥ずかしげもなく訴訟を起こし、大々的に宣伝し、天下に恥を晒しました。

 反統一協会側のある人が、「罪はあったけれど温情で見逃してあげた」というようなコメントをしていましたが、もしその言葉通りであったなら、どうして僅か1,300円の著作権料未払いを訴えたのでしょう。

 全くの時間の無駄使いとも言える訴訟をするほど、反統一協会側の人々は、徹底的に淳子さんを攻撃し、統一協会側にダメージを与えたかったけれども、全く罪状を見出すことが出来ず、それでようやく見つけた罪状が、1,300円の著作権料未払いであったと考える方が、よほど自然であり、妥当だと思います。

 しかし、1,300円著作権料未払い訴訟を報道した際に、そうしたことに疑問を呈したマスコミが皆無であったのはなぜでしょう。

 気がついたけれども、今更引き返せないと判断したのでしょうか。

 それとも最初からわかっていて、彼らに騙されたふりをし、反統一協会側の広告塔として、自分たちの広告塔として、利用していたのでしょうか。

 同じ穴のムジナとは、このような関係を言うのでしょう。


反統一協会側の卑怯で姑息な戦法
 私は、統一協会も信用していませんが、反統一協会側の人々も信用していません。

 あの卑怯で、姑息なやり方をして、よく統一協会を批判できるなと思っています。

 どっちもどっちという印象です。

 彼らは、淳子さんの仕事場へやって来ては、抗議(嫌がらせ)のシュプレヒコールやデモ等を行いましたが、常にマスコミにそれらを撮影させ、徹底的に利用しました。

 芸能界がトラブルを嫌うことを知って、こういうことをされたくなかった桜田淳子に仕事を与えるなとばかりに芸能関係者を脅し、淳子さんに対しては仕事をしたかったら統一協会から脱会しろ、という脅しをかけたのでした。

 正義感の塊で、頑固な淳子さんが、そんな脅しをかけられて言う事を聞くはずもなく、信仰の道を選びました。

 その結果、抗議を恐れるTV局は淳子さんの出演を自粛するようになり、淳子さんの仕事はなくなり、11年経った今も、事実上の引退を余儀なくされています。

 彼らは、憲法に保障されている国民の自由、信教の自由、職業選択の自由を無視し、淳子さんからそれらを奪う活動を堂々としたのでした。

 彼らには、彼らなりの正義や言い分があるのかもしれません。

 しかし、そのために一人の弱い女性の人生を弄びようなことが許されるのでしょうか。

 淳子さんは、信仰をもっていたので、そのような結論は出しませんでしたが、普通の芸能人ならば、自殺してもなんら不思議ではない状況に追い込まれていました。

 もし、淳子さんが、自殺していたら、マスコミはどう報道したのでしょう。

 動機が正しければ何をしても許されるという論理は、日本を戦争へと導くテロを決行した5.15や2.26の軍人たち、そしてある意味では統一協会とも同じで、極めて危険です。

 そんなことをしていては、もともとの崇高な動機から始めたことが、一般の人々からも誤解されることとなり、これからの活動の妨げになってくるのではないでしょうか。

 反統一協会側で尊敬できる人物は、東北学院大学の浅見定雄教授とジャーナリストの江川紹子女史ぐらいのもので、浅見先生や江川女史なら淳子さんを、広告塔として利用することに反対していた筈だと信じています。

 統一協会側も、反統一協会側も、一度、自分たちの活動の歴史を総括し、反省すべきところは反省し、謝罪すべきところは謝罪するということことをお勧めします。

 だれもが納得できる方法で、活動して頂くことを望んで止みません。

 
新しい感覚を持ったまともなジャーナリストに期待する
 あれから11年、当時の記者たちは、配置換えや世代交代を迎えていることでしょう。

 先輩たちの犯した過ちというべき行き過ぎた報道に疑問を持ち、それらに真正面から取り組もうとするまともなジャーナリスト、記者たちが現れることを、期待しています。

 弱い立場の人間を攻撃するマスコミであってはなりません。

 強い立場の権力者と言われる存在が、弱い立場の人の権利を奪っていないか、不正なことをしていないかチェックすることが、マスコミ本来の役目であることを思い出して欲しいと思います。

 統一協会騒動を知らない記者たちや、当時のことをよく知らない世代の人々に、11年経って見えてきた騒動の真実を知って戴きたいと思います。

  
淳子さんは特別待遇で壷など売っていない
 淳子さんが、特別待遇を受け、壷を売るなどの霊感商法に関係していなかったことは、反統一協会側の弁護士すら認めています。

 所属していた事務所の相澤社長が、淳子さんから紹介された人と出会い、話を聞き、統一協会の3日間セミナーを受け納得した上で、中尾ミエさんが「サンミュージックのビルは淳子ちゃんのおかげで建った」とテレビで公言するほどの、これまでの事務所に対する抜群の貢献と実績、淳子さんの会社を思う気持ちに応える気持ちで、淳子さんを喜ばせるという目的で、壷を買いましたが、それの一体どこが問題なのでしょう。

 淳子さんは売ってないし、相澤社長も騙されて買ったわけではありませんでした。

 人柄の良さで知られる相澤社長が淳子さんをかばおうとしてインタビューを受けた結果、逆にマスコミに利用され、淳子さんを追い詰める記事を書かれてしまったのはお気の毒としかいいようがありません。

 ファンとしては、もっとしたたかな人であってくれたらと思ったこともありましたが、相澤社長だったからこそ、淳子さんが芸能人としてやってこれたことは間違いありませんので、非難することは出来ません。

 あのマスコミの流れを止めることは誰にも出来なかったと思います。

 池田文雄さんが亡くなられた今、淳子さんを呼び捨てに出来る唯一の方ですし、淳子さんの名誉復権に誰よりも頼りになる方でもあります。

 淳子さんの為にも、相澤社長の健康とご活躍を心よりお祈りしたいと思います。

 そんな人のいい相澤社長を利用してまで、淳子さんを追い込んだ芸能レポーターと記者たちにこそ、反省して欲しいと思います。

 「桜田淳子が相澤社長に壷を売った」という、事実とは違う報道を、意図的に流したレポーターたちや一部の記者たちの方がよほど問題だと私は思います。

 11年経った今、淳子さんがどのような罪を犯したと、彼らは言うつもりなのでしょう。

 一番問題になるのは、統一協会を擁護した発言だと思いますが、あれはいわば失言の範疇にはいるもので、たとえそうであったとしても、法的には全く問題がありません。

 法的な問題と、道義的な問題を全く区別することが出来ないレポーターたちが報道に携わり、ミスリードしたばかりに問題が大きくなっただけの話です。

  
失言は罪か
 なにをどのように思おうが、日本のような自由主義社会の国では自由です。

 日本は、何を思ったかではなく、何をしたかが法律では対象になる法治国家です。

 法律に書いてあることに違反した場合には問題になりますが、その意味で淳子さんは法的な罪を犯していません。

 たとえ統一協会の教義がおかしなものであろうと、統一協会の人たちが実際に法律に違反した行為をしていようが、同じ団体に所属している人間として、身内の人間として、かばうのは当り前の話であり、法的に全く問題ありません。

 あのような場所で、短時間では決着のつかない話をして、つけ込まれるスキを与えてしまったことが淳子さんにとって失敗であったというだけで、本当の意味での失言ではなかったとすら、私は思っています。

 全体を通してみれば、淳子さんは「霊感商法」について、納得できない人たちは警察なり裁判所なりに訴えて決着をつければいいと、極めて妥当な話をしていました。

 その後に、淳子さんは、「霊感商法」の被害者と称する人たちの中の、ある一部の人たちに対して、疑問を呈する発言、それも極めて妥当な発言をしただけでした。

 ある部分だけを切り取り、さも淳子さんが「霊感商法」のすべてを肯定しているかのごとく意図的に編集し、繰り返して見せたワイドショー・スタッフのあざといやり方は到底ジャーナリストとは呼べないものでした。

 かつて、石原都知事が、『日本に不法に入国した第三国人を取り締まらなければならない』と発言した際に、「日本に不法に入国した」という部分を、意図的に削除して、問題を大きくしようとしたマスコミがありましたが、それと全く同じやり方でした。

 それに対して、石原さんはすぐ反論しましたが、淳子さんサイドは全く効果的な手が打てなかったばかりに致命傷となり、失言にされてしまったというのが真相です。


本当に失言だったのか
 あのとき淳子さんがいいたかったのは、統一協会員だった人たちが、一度は納得して出したお金を、辞めた途端に手のひらを返すように、「自分たちは統一協会を辞めたのだから、出したお金を返して」と主張する論理が納得できない、という話をしたかっただけなのです。

 それを、「映画や舞台を観た後に、それが面白くなかった、満足できなかったから、お金を返してと言って、返してくれるものでしょうか」というふうに例えたのです。

 被害者といわれる人たちが、統一協会から脱会した後で、「自分たちは、マインド・コントロールされていた被害者で判断能力がなかったのだから、その時に出したお金を返せ」というのは、私もおかしな話だと思っています。

  ある人がもしお金が必要になったときに、お寺に、これまで何十万、何百万円お金を出してきたことを思い出し、「クリスチャン(イスラム教徒でも構いません)になったから、これまでに出したお金を全部返せ」と裁判を起こしたからといってお寺がお金を返してくれるものでしょうか。

 どうして統一協会の元信者だけが、お金を返してと堂々と言えるのでしょうか。

 淳子さんは、そのことに関して疑問に思っただけであり、そう考えるのも無理からぬことであり、極めて妥当な発言であったように思います。

 それを、「霊感商法」を擁護というふうに報道したマスコミの方がおかしいのです。

    
マインド・コントロールで許されるのなら
 統一協会信者になったのは、強制的だったのでしょうか。

 お金も、脅されて、無理矢理出すように強制されて、仕方なく出したのでしょうか。

 彼らの多くは、大人の判断で信者になり、自分の意志で納得してお金を出したと考えるのが妥当であり、だからこそ裁判で負けるケースが多々あったのだと思います。

 淳子さんも、そうした判断を下した裁判官と同じ疑問を抱き、発言したにも関わらず、「霊感商法」を擁護したと批判されましたが、裁判官も「霊感商法」を擁護したのでしょうか。

 裁判で負けた場合に、反統一協会側は、「それは裁判官のマインド・コントロールに対する認識が間違っている」という常套句を出して批判しますが、彼らは、裁判制度を否定するつもりなのでしょうか。

 統一協会の元信者は、自分たちを、「被害者」と称していますが、「特別待遇を受けていない、ほとんどの信者は霊感商法に関係している」という、反統一協会側弁護士の言うことが本当なら、彼らも「加害者」であったわけです。

 そうした責任を反統一協会側では、彼らがマインド・コントロールされていたために責任を免れると考えているようですが、それならば今の信者たちもマインド・コントロールされていて、その責任は免れることになります。

 それは、淳子さんにとっても、いい知らせということになります。

 その論理を、どうか淳子さんにも働かせて戴けたらと思います。

      
信者であることが罪か
 反統一協会側が言うように、統一協会の幹部の人の指示で、信者の人が、お年寄りを詐欺同然に騙してお金を巻き上げた事実は何回もあったと、私は思っています。

 そして、統一協会の教義の中に、そうした行為をするように書かれてある、と理解(誤解?)しても仕方のない一文があるであろうことも多分事実だろうと思います。

 しかし、そうであったとしても、最終的に、それをどのように理解し、決心し、実行するかは、本人の意思次第であり、本人が責任を負うべきことがらなのです。

 仏教にも、キリスト教にも、社会の常識とかけ離れた教えが沢山あります。

 愛を説くキリスト教の聖書にも、特に旧訳聖書部分には、過激な部分があり、それらを、文字通り信じたら、大変危険な個所が存在します。

 そうならないようにするために、聖書の読み方を、教会は信者に教育し、指導する責任があります。

 しかし、あの部厚い聖書のすべてを教えることは不可能ですし、教えたとしても聞く人が間違って聞く可能性もあり、結局は一人一人が自分で責任をとるしかないのです。

 「今回のイラク攻撃は、アメリカ大統領であるブッシュが、キリスト教原理主義者であったから起きた」と断言した評論家を、私は何人も見ました。

 しかし、キリスト教のどの教えがイラク攻撃につながったかまで指摘した人を、私は一人も見ていません。

 「あなたを迫害する者のために祈りなさい」、「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」と愛を説くイエス・キリストの教えを信ずる者が、フセイン一人を葬るために何人もの罪もない民間の犠牲者を出すことも仕方がないというような結論を出すことに、何の疑問をもたない評論家がいたことの方が、私には不思議でした。

 事実、大統領の所属する教会も牧師も、戦争には反対でした。

 大統領の属する教会の牧師は、教会に来なくなった大統領を説得するためにわざわざホワイトハウスに出向き、面会を要請しましたが断られ、近くで戦争反対のスピーチをして警官に逮捕されたという記事がアメリカのメディアで報道されたことを紹介して、「ブッシュが、キリスト教原理主義者であったからイラク攻撃をしたという見方は浅薄でした」と謝罪したのは、私の知る限りジャーナリストの鳥越俊太郎氏唯一人でした。

 ブッシュがキリスト教信者を標榜し、キリスト教の名を利用して、イラクを攻撃して何百人もの罪のない人たちを殺したとしても、それはブッシュ本人の判断であり責任であって、イエス・キリストの教えとは関係ないところでの決断です。

 キリスト教信者が過ちを犯すのは、キリスト教の信者だからではありません。

 逆に、教えを無視した結果であり、それをキリスト教のせいにするなどナンセンスな話です。

    
一信者に責任を負わせるな
 今回はそうではありませんでしたが、大統領が属する教会の牧師や教団がもし戦争に賛成していたと仮定した場合も、追及されるべきは大統領や牧師や教団の幹部であって、その教団の信者や、他のキリスト教信者まで、責任を追及されたら、おかしいのです。

 自爆テロをする人たちのほとんどがイスラム教徒ですが、イスラム教徒として有名なモハメド・アリ氏が、淳子さんのような非難をされたことがあるでしょうか。

 ある筈がないし、あってはならないことなのです。

 反統一協会側が言うように、統一協会が教団ぐるみで、法律に違反した行為をたとえしていたとしても、単なる一信者に過ぎない淳子さんに、その責任を負わせようとした日本のマスコミは間違っていると言わざるを得ないのです。

 「桜田淳子には、統一協会の広告塔を果たした道義的な責任がある」と、鬼の首でも取ったように言う識者がいますが、道義的責任を追及できるほど、立派な生き方をしてきた人が、今の日本にどれだけいるのでしょう。

 モラルは自分に課すもので、人に課すものではありません。

 そうした人たちには、「そんな立派な生き方をしているのですか。

それならこれから見させて戴きますので、どうぞ立派なモラルを貫いて生きて下さい」と言いましょう。

 私たち、戦後に生まれた人間が、戦前の日本人が中国や韓国で悪いことをしていたとしても、そのことを謝罪する必要がないのと同じように、淳子さんも謝る必要はないし、してもいない責任を取る必要もないのです。

 していない責任を取らそうとしたマスコミの方が明らかに間違っているのです。

    
日本における「マスコミの魔女狩り」事件
 淳子さんは、法的な罪を犯したわけではなく、失言、それも仕立て上げられた失言をしたに過ぎません。

 失言など、ワイドショーの芸能レポーターたちは、一日に何回もしています。

 あるレポーターは、「私が彼女の芸能人としての生命を奪ってみせる」と、ある女性アナウンサーに対して発言していましたが、狂気の沙汰です。

 ある女性レポーターは、テレビで淳子さんに向かって、「統一協会をやめなさい」とハッキリ命令口調で公言しました。

 どんな馬鹿なレポーターたちでも、統一協会問題のときには、「信仰は自由ですが」というフレーズをつけて批判していたのに、彼女はそのことも忘れ、憲法に保障されている、「国民の自由、信教の自由」を、平気で無視する発言をしました。

 失言など誰でもすると私は思っていますが、彼らはなぜか、異常なほど潔癖でした。

 自分には甘く、人には厳しい、というのいかがなものでしょうか。(鈴木宗男風?)

 当時、テレビのコマーシャルを5本以上していた淳子さんの収入は少なく見積っても1億数千万円を超えていたと思われます。

 淳子さんクラスになれば年収は安定していますので、それから10年で10数億円の収入がなくなったことになります。

 失言の代償としては、重すぎると思わない人は、人間として、おかしいと言わざるを得ませんが、20世紀の世紀末の日本に現実に起きたことなのです。

 日本における「マスコミの魔女狩り」事件として、長く語り伝えられることでしょう。

    
マスコミに自浄能力はあるか
  こうした一部の芸能レポーターたちが過去に犯した失敗の歴史を検証し、もう二度と起こさないように、行動を起こす若いジャーナリストが現れてくることを私は期待しています。

 弱い立場の人間を攻撃するマスコミであってはなりません。

 強い立場の権力者と言われる存在が、弱い立場の人の権利を奪っていないか、不正なことをしていないかをチェックすることこそが、マスコミ本来の役目であることを思い出して欲しいと思います。

 マスコミは、第三の権力とも言われるメディアであり、批判に対しては、寛容であるべきであり、その力を弱者である芸能人に向けることに対しては、臆病であるべきだと思っています。

 そうでない限り、いつまた貴重な芸能人が、ただ視聴率が取れるから、売れるからという理由だけで、「ジャーナリストの仮面をかぶって、正義漢面した」芸能レポーターたちの餌食にならないとも限らないと案じています。

 このようにいい加減な、ジャーナリストまがいの記者たちに騙されないための記事の読み方、報道の見方などについても、資料館では触れていくつもりです。

    
少しだけ想像力を働かせてください
 人間は、みな弱いのです。

 健やかな人も病み、若い人も必ず老い、権力者が権力の座を追われて只の人になり、賢い人も惚け、一流銀行員がリストラで職を失い、知恵ある者がその知恵で墓穴を掘り、多数派が少数派に転落するのを、これまで見てきました。

 明日は我が身であり、人間は、傲慢であってはならないのです。

 どうかご自分がその立場になったらどうしようと、想像力を働かせてみて下さい。

 強い人は弱い人のために働き、その権利を保障する義務があり、その力を利用して、押し潰すようなことをしてはいけないということを我々は言い続ける必要があるのです。

 アメリカがイラクを攻撃することも、イスラエルがパレスチナ自治区を攻撃することも、フランスのアラブ系イスラム教徒がユダヤ系住民を襲うことも、北朝鮮の金正日が国民を餓死寸前まで追い込むことも、政府がマスコミの取材を規制しようとすることも、マスコミが淳子さんを追い込んだこともすべて、同じ構図です。

 大きい方が小さい方を、多数派が少数派を、強者が弱者を、権力者が国民を、政府が民間を、マスコミが芸能人を、守る気がなく、寛容でないから悪だと言えるのであり、そうしたことに対して我々は敏感に、そして頑固に反対する必要があるのです。

    
マスコミに対するチェック機能を果たそう
 アメリカ大統領の暴走を食い止めることが出来るのは、アメリカ国民だけです。

 そして、そのアメリカ国民に影響を及ぼすことが出来るのはマスコミだけなのです。

 その肝心の彼らは、保守的になった国民におもねり、その職務を放棄しています。

 多数派の保守派が、少数派のリベラル派を罵倒している映像をテレビで見ましたが、とても現代の民主主義社会とは思えない状況に陥っています。

 「言論統制している」と、中国や北朝鮮を批判する資格は今のアメリカにありません。

 ベトナム戦争を止めさせ、当時のニクソン大統領をウォーターゲート事件で追及したアメリカの言論マスコミは、今や死んだも同然です。

   マスコミが、権力者に対してノーと言わず、弱者や少数派を攻撃する社会は、とても危険であり、我々はそうならないように、マスコミをチェックする必要があるのです。

 日本の一部マスコミにも、その兆候があります。

 弱い立場にすぎない「芸能人」である淳子さんは、マスコミの手によって栄光の座に祭り上げられましたが、同じ手で引き摺り下ろされました。

 それが淳子さんのしたことなら自業自得であるかもしれませんが、そうでないことは掲示板や資料館の展示物その他をご覧になれば一目瞭然です。

 しかし自分たちの都合でその座を奪っておきながら、記事にするようなうまい標的が見つからなかったときに、いわゆるヒマネタ扱い≠ナマスコミは思い出したように、「統一協会もの」や「あの人は今」的な記事で、淳子さんのところにやって来るのです。

 決して、淳子さんの事を真剣に記事にしようとしてやって来るのではありません。

 だからこそ、淳子さんの承諾も得ないまま、勝手に周囲を取材し、遠くから隠し撮りした写真を、無断で載せて、「淳子さんは、地域に溶け込んで、元気にやっています」だの、「中三トリオは今も輝いています」などという、通り一遍のコメントをつけて、終わるのです。

 そんな彼らに、感謝しようという気になどなれる筈がないのです。

 それでは、「書いてやるだけありがたいと思え」と思っている彼らの思うツボです。

    
淳子さんの気持ちを考えて下さい
 マスコミは11年前に、淳子さんを心理的に公開集団リンチしたのです。

 した方は忘れたかもしれませんが、された方はその恐怖を一生忘れません。

 それからは彼らがチラリと姿を現しただけで、そのときの恐怖がよみがえる、それが普通の神経の持ち主だと思います。

  ましてや淳子さんは、人よりはるかに感受性の強い持ち主です。

 淳子さんが心に受けた傷は、普通の人よりも深く、大きいと見るべきです。

 女性週刊誌記者たちは、謝罪もしていませんし、なすべき手続きも踏んでいないし、淳子さんは迷惑をしたのです。

 もし彼らが淳子さんへ誠意ある対応をして申し込み、淳子さんが納得していたのなら、取材を受け、笑顔の写真が載っていたに違いありません。

 笑顔の写真が載っていないということは、淳子さんは納得していないし、盗撮したということになり、今回も淳子さんは不快な思いをしたに違いないと容易に判断できます。

 淳子さんが立ち寄りそうな場所を待ち伏せしたり、家を突然訪れピンポンと鳴らし、質問を浴びせ掛けることが「取材」だと勘違いしている記者たちに、そんなものは、「取材」でもなんでもなく、ただの「プライバシーの侵害」であり「肖像権の侵害」でしかなく、君たちは間違っているというメッセージを伝えなければならないのです。

 マスコミの心有る皆さんには、どうぞ、淳子さんに対して、これまでの姿勢を詫びる気持ちと誠意ある取材をさせて戴きますという気持ちを文書にしたため、正式に取材を申し込んで戴きたいと思います。

 断られても、断られても、お願いしていくうちに、記者さんの人間性が伝わり、この人なら取材を受けてもいいと淳子さんが思うくらいの誠意を尽して貰いたいと思います。

 かつて日本のマスコミがハッシングしマスコミ嫌いになった水泳の千葉すず選手に対して、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は何回も直筆の手紙を送り続け、ようやく彼女の肉声を我々に届けてくれました。

 そのようなジャーナリストが淳子さんの前にも現れてくることを私は期待しています。

 
お客様へお願い
 掲示板は、淳子さんに関する思い出や情報を交換する場所であり、我が家の家風、基本方針について意見を言う場ではありません。

 私の基本方針を心の中で何を思おうと自由ですが、掲示板に反対意見を書かないこと、それが入館料の代わりであり、そのため資料館に入ることが許されている、というふうに受け止めて戴きたく存じます。

 一度訪問して、やはり納得出来ない、自分は管理人の方針に反対だというのであれば、二度と訪問せず、付き合うことをしない、それがお互いにとって最も納得できる意見の交換の仕方だということです。

 わざわざ嫌なものを、我慢してまで見る必要はありません。

 マスコミに対しても、イヤなら見ないし買わないという行動が、相手に直接響く言葉であり、それがマスコミを変えることの出来る、唯一の方法とも言えます。

 視聴率や売上を気にする人たちには、見ない、買わないことが、最も効果がある言葉なのですので、どうか行動で、雄弁にご自分の意見を主張してください。

 こうした管理人の考えていることに対して同意や納得ができなくても理解された方は、たとえ淳子ファンでなくとも、入館を許可しますし、理解されない方は、淳子ファンであっても入館を固くお断りいたします。

    
自分の理想の資料館作りに励みます
 これからは掲示板においては出来るだけ皆様との語らいの時間を増やすよう心がけ、不当に貶められている淳子さんの名誉と評価を回復させ、淳子さんがその気になった時に、いつでも復帰できるような環境を作る為にも、自分の理想とする、資料館作りに励みたいと思っています。

 なおメールは、あまりに沢山の方々から来るようになり、返事をすることが事実上出来ない状態になりました。

 大変申し訳ありませんが、メールや手紙はがき等は、ご遠慮下さいまして、掲示板でご登場下さいますよう、改めてお願い申し上げます。

 こんな管理人であり、資料館で、よろしければ、どうぞよろしくお願い致します。

  

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