"My Pure Lady" Junko Sakurada
  桜田淳子資料館

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百恵さん及び『スタ誕』関連のログ


■■No.121■■
  管理人 - 03/07/16 23:57:24
  コメントのタイトル: 大衆性と娯楽性
 
 コメント:
  私が淳子さんを高く買っている理由の一つとして、その素晴らしいキャリアがあげられます。
  淳子さんはブロマイド売上日本一になったことのある文字通りのトップ・アイドルにして、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞しレコード売上日本一にもなったトップ歌手でもあります。
  更に映画で5本も主演をした映画スターであり、テレビで数多くのドラマに主演をしたテレビスターであり、ミュージカルで主演したミュージカルスターでもあります。
  更に更に時代劇も出来る役者であり、シェークスピアも出来る女優であり、各種映画祭で多くの賞を獲得し、芸術祭で優秀賞を受賞し、芸術選奨で文部大臣新人賞を受賞しているという、大衆性と芸術性を兼ね備えた芸能界では稀有な存在といえましょう。
 
  キャリアの面で比肩し得るのは、女性で大竹しのぶさんと山口百恵さんだけですが、大竹さんは大衆性(歌の世界での実績やブロマイドの売上)では淳子さんに及びませんし、百恵さんは芸術性(受賞歴)では淳子さんに及びません。
  これは私の独断や偏見ではなく、れっきとした記録が物語る史的な事実です。
  勿論前に書きましたとおり、記録がすべてではなく、記録に現れない要素があることを否定しているわけではなく、百恵さんを持ち上げるとき、数字や記録を持ち出しているマスコミに対する反論の根拠の一つとして出しているだけです。
  そして、その大衆性を表わしているのがブロマイド売上日本一、レコード売上日本一という称号と日本レコード大賞大衆賞ではないかと思います。
 
  長老格さんの書いておられる通り、昭和50年日本で最もレコードを売った歌手となった淳子さんは、レコード大賞となるには若すぎるということで、準大賞ともいうべき大衆賞を受賞したのでした。
  その他大勢の大衆賞ではなかったということも、長老格さんの書いておられる通りの事実です。
 
  NTさんや長老格さんが書いておられる通り、CDボックスを予約しないからといって淳子さんファンではないという立場を管理人はとっておりません。
  みんながそれぞれその立場で、それぞれに出来ることをして、淳子さんを応援して下されればいいのです。
  もし予約のことについて沢山書き込みしたことで傷ついておられる方がいらしたら、この場を借りてお詫びします。
 
  資料館を訪問すること、掲示板に書き込みすること、色々なアンケートに淳子さんに投票すること、テレビや新聞社、雑誌社に投書すること、有線でリクエストすること、淳子さんに関する話を何気なく友人知人に話すこと、すべてが淳子さんに対する応援メッセージです。
 
  友人知人に話すとき、淳子さんのことを直接話し辛いという方がおられると思います。
  そんな時に理解してもらいやすいのが、マスコミに対する批判であり、その根拠となるのが弱者を保護すべき強者の弱い者イジメであり、その例がブッシュのイラク攻撃であり、マスコミの芸能人バッシングであるという私がこれまで話してきたことであり、それについでの形で淳子さんの名を出せばいいのです。
  資料館とマスコミ批判とは何の関係もないではないかとこれまで思っておられた方も多かったと思いますが、そのための布石、準備の意味あいもあったことを、たいへんまわりくどいやり方ですが、そういう攻め方もあるということを、どうぞご理解戴きたいと思います。
 
  私の書くことは、それを賛成して下さる方、支持して下さる方へのメッセージであり、それに対して心が動かなければ、これは自分へのメッセージではないと思って下さい。
  お願いします。
 
  今日の「爆笑おすピー問題」の昭和52年9月のコーナーで、淳子さんの「もう戻れない」の記事が少しだけ取り上げられていましたが、これからも注目していきたい番組の一つであることは確かです。
 
■■No.117■■
  管理人 - 03/07/06 17:25:57
  コメントのタイトル: 我々の相沢社長は相沢社長だけです
 
 コメント:
  NTさん、大変素晴らしい情報ありがとうございました。
  私も相沢社長の本を持っているのですが、それとは違う本が出ていたのですね。
  知りませんでした。
  でも嬉しい言葉ですね。
  あの騒動から以降の、相沢社長の淳子さんに対する意向が初めて聞けた気がします。
  我々も頑張って行こうという気になりますし、サンミュージックの姿勢も少しずつ移行しているようで、みんなも憩うひと時ですね。
  失礼しました。
 
  淳子さんの霊感商法°^惑を払拭出来るのは、相沢社長の「淳子は霊感商法に関わっていなかった」という言葉だけです。
  なんとかマスコミの誤解を解く努力をお願いしたいですね。
  サンミュージックは淳子さんと共に成長してきた事務所であり、淳子さんの霊感商法°^惑で汚名を着せられたということは、事務所自体に汚名を着せられているのと同じであるという認識を持って頂けたらと思いますね。
  そのための記者会見をいつか開いて戴きたいし、その前に質疑応答をしっかり練習してから、会見に臨んで頂きたいですね。
  人情社長≠ナ有名な相沢社長の花道であり、最後の大勝負の場という気がするのは私だけでしょうか。
 
  長老格さん、欽ちゃんが「昌子ちゃんにイジワルされなかったか」と聞いたのは、『スタ誕』の十周年記念番組かなんかで、ゲームコーナーで一緒に出ていたクロベーやしんちゃん、西山くんたちにだったと思います。
  彼らはみんな、淳子さんが大好きで、「淳子さんに声をかけてもらったのが一番うれしかった」と声をそろえて言っていました。
  淳子さんは、スタッフは勿論、彼らもみんな仲間であり、ファミリーという意識をもっていましたが、彼らは会場からゲームコーナーに参加して、面白いキャラクターであったことからレギュラーになった素人(?)で、タレントのようなそうでないような、中途半端な立場でしたので、淳子さんのそうしたフレンドリーな態度に人一倍感激していたのだと思います。
  昌子さんが彼らに対してどのような態度であったかは知りません。
  極めて微妙な質問であり、答えられるものではありません。
  それが私の答えです。
 
  昌子さんと淳子さんは淳子さんが昌子さんを立てていたから、仲は悪くなかったと思います。
  それよりも微妙だったのは、昌子さんと百恵さんの仲の方だったと思います。
  二人の仲が良かったとも、悪かったとも、どちらにしてもそのような話は一切出たことがなかったように思います。
  このことは、年齢からいってもキャリアから言っても先輩の昌子さんが、一方的な態度で百恵さんに対していた、決して対等な関係ではなかったということを示しているような気がします。
  仲がいいとか悪いとかいうのは対等な関係で成立することだからです。
  これは私の推測にすぎないことをお断りしておきます。
 
  どちらにしても、そうした記事を出すことを許さなかったホリプロという事務所のマスコミ操縦術のうまさには舌を巻いてしまいます。
  サンミュージックは、その点でホリプロに足元にも及ばなかったように思いますが、それも相沢社長の人柄から来ているので仕方がありません。
  相沢社長の人柄があってこそ、淳子さんは百恵さんのように仕掛けをさせられることなく、のびのびと成長できたのですから。
  他の事務所であったら、淳子さんの性格なら、さっさと秋田に帰っていたことでしょう。
  あまり話をすると『百恵さんと淳子さん』で語る材料がなくなりますので、百恵さんや三人娘の話を私にふらないようにして戴きたいと思います。
  お願いします。
 
■■No.116■■
  管理人 - 03/07/05 22:32:05
  コメントのタイトル: sonoさん、htさん、長老格さん、アイドル好きさん、ありがとうございます
 
 コメント:
  sonoさん、言葉遊びも、大河小説も絶好調ですね。
  『男はつらいよ』の寅さんとリリイー顔負けのドラマで、そこに淳子さんが介在しているのが、また素晴らしいですね。
  またと言っても、を素晴らしいと言っている訳ではありませんが、息子さんにもよろしく(下ネタかよ、松尾嘉代さんは西田健夫人)。
 
  htさん、仲間という言葉、嬉しかったです。
  違いに目を向けても何も産まないと思います。
  淳子さんのために出来ることは何か、それを考えながら、共に歩んでいきましょう。
  私に出来ることはたかが知れています。
  皆さんからの情報提供もよろしくお願いします。
  色々なサイトで見た情報、聞いた情報なども、お知らせ願えれば嬉しいです。
  よろしくお願いします。
  最後に蛇足ですが、もし私が、百恵さんファンから、「魅力のかけらもなければ、百恵の足元にも及ばない」というようなことを言われたとしたらとても悲しいです。
  同様に、百恵さんファンも、そうした発言を見たら悲しまれるとと思いますので、表現には気をつけて下さいますようお願いします。
  淳子さんにとって、百恵さんは、自分のことを一番理解してくれた芸能人の一人だと思いますので、決して喜ばないと思います。
  なぜかということについては、アイドル好きさんへの回答にもなりますが、『長谷川一夫さんと淳子さん』のように、『百恵さんと淳子』をただ今準備中で、そこで詳しく書かせて戴くことにして、今日は、二人のコメントのみを紹介したいと思います。
 
  昭和48年、日本歌謡大賞で、淳子さん放送音楽新人賞受賞、百恵さん放送音楽新人賞受賞。
  百恵さんのコメント。
  「ありがとうございます。
 これも私を応援してくださったフンの皆様のおかげです。
 一番嬉しいのは、淳子ちゃんと一緒に賞を戴くことが出来たことです」
  淳子さんのコメント。
  「百恵ちゃんと賞を受けられたことが嬉しくてならないんです」
 
  昭和49年、日本歌謡大賞で、百恵さん放送音楽賞受賞、大衆賞も受賞、淳子さん放送音楽賞落選。
  百恵さんのコメント。
  「淳子ちゃんと一緒に賞を受けたかった」
  淳子さんのコメント。
  「百恵ちゃんが賞を取ってくれて本当に良かったと思っているんです。
 だってね、去年は私が良い思いをしたんですもの。
 だから今年は百恵ちゃんの年にならなければ嘘だわ。
 嘘なんだわ」
 
  昭和50年、日本歌謡大賞で、淳子さん放送音楽賞受賞、百恵さん放送音楽賞落選。
  淳子さんのコメント。
  「ありがとうございます。
 (うっとうつむいて泣き出す)百恵ちゃんと……百恵ちゃんと一緒に歌いたかったんです……」
 
  百恵さんが言った言葉と同じ言葉を、一年後に淳子さんは言っただけでした。
  それをわざとらしいといった人たちは、かつての私と同じひねくれた人たちだと思います。
  私もそうでしたが、ひねくれた人間にとって、淳子さんのような真っ直ぐでひたむきな女性はまぶしすぎて、まともに見ることが出来ない存在でした。
  まさしく太陽そのものと言ってもいいかもしれません。
  大人になった多くの人間にとって、淳子さんを見ると、自分の汚れた部分を見せつけられた気がして、その存在を信じたくなかったのでしょう。
  それだけインパクトがあったのだと考えられます。
 
  でも、今なら違った見方をするのではないでしょうか。
  それを期待して私はHPをやっているのですし、そこに私の存在理由もあるのだと思います。
  淳子さんファンに、淳子さんの魅力を語っても仕方ないと思っています。
  私は、淳子さんのことを知っているようで、よく知らない人たち、まるで知らない若い人たちに、淳子さんの事をよく知ってもらい、淳子さんのことをよく理解してもらうために語りかけているので、同じことを言うなとか、わかりきったことを言うなと言われても、私は何度でも、同じことを言わせて戴きます。
 
  過去ログをみんな読み、知っているとは思っていないからです。
  そうしたことをどうぞご理解して戴きたいと思います。
 
  長老格さんへ。
  いつも、ありがとうございます。
  掲示板の長老格さんとして、これからもよろしくお願いします。
 
 
■■No.114■■
  管理人 - 03/06/30 23:13:44
  コメントのタイトル: 長老格さん、そして皆様へ
 
 コメント:
  長老格さん、しょっちゅうは当然焼酎と懸けています。
  普段は鈍感なのですが、言葉だけには敏感で、すぐピンと感じます。
  敏感ではなく、ビン感の方が正しいような気がしますが…。
  看板の中に、ボンカレーの松山容子さんも入れて「看板トリオ」結成?
  相沢社長は、池田さんが若くして亡くなられたので、「体だけは大事にして下さい。
 ホントなんですから。」という林家三平さんの気持ちになっての発言でした。
 
  長谷川一夫さんといえば、私の大好きな宝塚歌劇団「ベルサイユのばら」を演出したことでも有名です。
  その中で、男装の麗人オスカルが、自分の部下で幼なじみのアンドレと結ばれるシーンがあるのですが、そのときアンドレは海老のようにそって、オスカルを抱き、オスカルもまた海老のようにそって、アンドレに顔を向け、二人はキスをします。
  これがとても綺麗に見えるのですけれども、やる方の二人はとても体が痛いそうなんですね。
  その時、長谷川さんが、お客様から美しく見えるようにするためには、演ずる側は痛い思いをする程ほどにしなければ美しく見えないと言われたそうです。
  二枚目として、どうしたら美しく見えるか研究を重ねた結果、それだけ不自然なポーズになったということなのですね。
  人間が自然であるということは動物に近くなるだけで、決して美しいことではないということを、長谷川さんは頭ではなく、体で理解して、淳子さんに教えたのでした。
 
  淳子さんはいつも不自然と言われましたが、言われてみれば淳子さんは姿勢の美しいことで有名でした。
  NHKのアナウンサーだった鈴木健二さんが、後輩のアナウンサーたちから、「どのように立っていればいいのかわかりません。
 教えてください」と言われたときにはいつも、「淳子さんと百恵さんの歌っている時の立ち姿を見習いなさい」と教えたそうです。
  人とは違っているということは悪いことではないのに、淳子さんだけ、それがさも悪いことのように、「不自然」、「わざとらしい」と、マスコミは書き立てました。
  それだけ淳子さんは、人とは違い目立つ存在、稀有な存在だったと今なら言えますが、当時言う人はほとんどいませんでした。
  発明・発見は常に少数派から始まりました。
  私が多数派に少数派に寛容であるべきだと説き、少数派を弁護し、応援する理由もそこにあります。
  人と違っていることは、少数派であることが、必ずしも悪いということではないということをどうか忘れないで下さい。
  よろしくお願いします。
 
■■No111.■■
 
 コメント:
  東宝の3人娘は田村奈巳さんですね。
  清楚なお嬢さんタイプの女優さんでした。
  NHKの3人娘磯村さんは、現在の磯村みどりさんですね。
  残りのスケ番刑事は浅香唯さんで、風間三姉妹となると、大西結花さん、中村由真さんが加わりますね。
  松竹は、岩下志麻さん、倍賞千恵子さん、桑野みゆきさんが同世代ということで、トリオとして売り出そうとしていたような気がします。
 
  松田聖子さんは、ポスト百恵として当初、三原順子さんと岩崎良美さんとトリオのように扱われていましたが、そのうち、河合奈保子さん、柏原芳恵さんとトリオのように扱われるようになったような気がします。
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  しかし、聖子さんがビッグになると、誰もそんな扱いをしなくなったように思います。
 
  中尾ミエさん世代のグループに、弘田三枝子さんは渡辺プロではありませんので入れませんし、梓みちよさんは渡辺プロでしたが、当時犬猿の中の人が三人娘の中にいたので、仲間にはいることを拒んだと思われます。
  でも、確かに同格で、いい人選ですね。
 
  NTさんから、淳子さん以外の人でどんな曲が好きか、質問がありましたので、ご披露したいと思います。
  先日、アイドルの歌が下手だと批判的に思っていると誤解されるような文章を書いたので、だいぶ顰蹙を買ったのではないかと思われますが、私がいかに彼女たちの歌を好きだったか、分ってもらうためにも書きたいと思います。
 
  百恵さんの曲で好きなのは、「さよならの向こう側」、「ラストソング」、「一恵」、「歌い継がれていく歌のように」、「夢先案内人」などです。
  先日少しひどいことを書いた聖子さんの曲の中では、「制服」、「未来の花嫁」、「ロックンロールグッドバイ」、「セイシェルの夕陽」、「スィートメモリーズ」が好きですし、CDも持っています。
  テレビでやったコンサートは何本も録画してあり、私が聖子さんのことを嫌いなどと誤解することのありませんように。
  松田聖子の歌を歌わせたら日本一です。
 
  少し前の世代で言うと、中尾ミエさんの「片思い」、「芝居は終わった」、「ひとり芝居」、伊東ゆかりさんの「青空のゆくえ」、「あなたしか見えない」(共に淳子さんがステージで歌っていました)、弘田三枝子さんの「砂に消えた涙」、「渚のうわさ」、「枯葉のうわさ」、奥村チヨさんの「ひき潮」、「アイ・ノウ」、「私だけを愛して」、いしだあゆみさんの「太陽は泣いている」、「渚にて」、黛ジュンさんの「霧のかなたに」、「恋のハレルヤ」、平山三紀さんの「真夏の出来事」、西島三重子さんの「池上線」なとが好きで、淳子さんに歌ってもらいたい曲として、このうちの何曲かを推薦したことがあります。
 
  それ以降では、キャンディーズの「午前零時の湘南道路」、ピンクレディのアメリカで録音したアルバムはすべて名曲でしたし、宏美さんの「聖母たちのララバイ」、伊藤咲子さんの「乙女のワルツ」、木之内みどりさんの「横浜イレブン」、良美さんの「情熱物語」、河合奈保子さんの「けんかをやめて」、柏原芳恵さんの「ハロー・グッバイ」なども好きで、決してアイドルを馬鹿にしていないことがよく理解してもらえたことと思います。
 
  私が20年前に送った企画書にも、「うまい歌手なんかにならないで下さい。
 いい歌手になって下さい」と書きました。
  「歌のうまいとされている歌手は、自分の歌のうまさを聞かそうとばかりしていて、その歌のよさを出そうとしていないし、余裕を持って歌いすぎて、こちらに気持ちが全然届かない」と歌のうまいとされている歌手たちを批判しました。
  「淳子さんは、恋に臆病な女性の歌を歌わせたら日本一なのだから、都はるみさんだろうが、八代亜紀さんだろうが、誰にもコンプレックスをもつ必要なんかない。
 桜田淳子の世界というものをを追求していって下さい」という意味のことを書いてエールを送りました。
  「そして、シャンソンとミュージカルの2本柱で、ステージを構成していき、越路吹雪さんのように長期間リサイタルを開ける歌手になって下さい」と目標を越路吹雪さんに設定したのでした。
  色々な先人がいて我々があるように、淳子さんの目に映った先輩たちによって淳子さんも成長できたわけですから皆さんに感謝です。
 
  名古屋章さんとは、「タマねぎむいたら」以外にも、「気になる季節」、「はらぺこ同志」、ラジオで井上ひさしさんの「仇討」などでも共演していますので、心よりお悔やみを申し上げます。
 合掌。
  ごきげんよう。
 
■■No.110■■
  管理人 - 03/06/23 21:54:36
  コメントのタイトル: NTさん、長老格さんへ
 
 コメント:
  NTさんの住む札幌といえばワヤですね。
  札幌ワヤやと言いますからね。
  札幌じゃなくて、サッパリだろう?
  ヤッパリ!
 
  sonoさんの住む「九州」で作った私の諺もあります。
  「九死に一生を得る」をもじって作ったものです。
  九州でOLをしていた女性が初めて東京で就職しようと家を出ようとした直前に、その会社が倒産したという連絡が来て、それでも見物だけでもしようと、空港へ行こうとしたら交通渋滞で遅れ、その乗り損った飛行機が海へ墜落したと聞き、そのOLは九州で一生働くことを決めたというエピソードから出来た諺です。
  「九州に一生OL」
 
  失礼しました。
 
  しかし、sonoさんが九州で、NTさんが札幌、まさに北は九州から南は札幌まで、日本中の人が見ておられるわけですね。
  何、てんで違う?逆?
  これが本当の「逆゛」(ギャグ)というのはいかがでしょう。
 
  このままで終われば何の掲示板か分らなくなりますので、以前長老格さんが淳子さんの原点となる歌手は誰かと質問されていましたので、その話をしたいと思います。
  司会の玉置宏さんが戦後の芸能界の3人娘の系図というものを発表したことがあります。
 
  A.美空ひばり→園まり→小柳ルミ子→森昌子。
  B.江利チエミ→伊東ゆかり→南沙織→桜田淳子
  C.雪村いずみ→中尾ミエ→天地真理→山口百恵
 
  玉置さんは、3人娘を、一生懸命型の淳子さん、淡々と仕事を消化していく百恵さん、素直で天才型の昌子さんというふうに見ていたようです。
 
  私が、この4組で系図を作るとしたら、次のようになります。
 
  A.美空ひばり→園まり→小柳ルミ子→森昌子。
  B.江利チエミ→中尾ミエ→天地真理→桜田淳子
  C.雪村いずみ→伊東ゆかり→南沙織→山口百恵
 
  先日、「スワニー河」を歌っていた江利チエミさんの映像が流れたのですが、口のあけ方が淳子さんととても似ているように思いました。
  淳子さんの代表作「アニーよ銃を取れ」の初演は江利さんでしたし、淳子さんがやりたいと願っていた「マイフェアレディ」の初演も江利さんで、私がやって欲しいと願っていた「サザエさん」を代表作にしていたのも江利さんでした。
  江利さんとは声も顔もスタイルもすべて違うのですけれども、明るくて元気なイメージがオーバーラップします。
  百恵さんと淳子さんはデビュー当時とても似ていると言われましたが、二人のその後の芸能界の役柄の変化などで、控え目だった百恵さんがツッパッて前に出てきたのと対照的に、前に出るタイプだった淳子さんが控え目で上品な感じに変っていった分、玉置さんの伊東ゆかり、南沙織ラインもありかなという気がしますが、本来はやはり明るく行動的な「天性のアイドル」だと思って、こうしました。
 
  皆さんはどう感じられましたか。
 
  ということで、お後がよろしいようで、ジャンジャン。
 (やっぱり、ソレで終わるんかい)
 
■■No.104■■
  管理人 - 03/06/17 12:36:55
  コメントのタイトル: NTさん、ありがとうございます
 
 コメント:
  NTさん、大作ありがとうございます。
 
  淳子さんが、「芸能界って、建前ばかりで、心がない」と批判していたように、本当の意味での、心の交流がなかったのだと思います。
  百恵さんの引退のときに、「夜のヒットスタジオ」に沢山の歌手が来ていましたが、どれだけの人間が百恵さんのことを考えていたか、疑わしいと思っています。
  損得で付き合っていた面もあったと思いますし、それは人間誰にもいえることで一概に否定できないことですが、芸能界は特にそんな面が強かったように思います。
  あれほど沢山の歌手の人が来ていたのに、私の目には、百恵さんは淳子さん以外目に入っていないように見えました。
  ですから、帰ってからビデオテープを見た人は、「私がほとんど映っていない、行った意味がないじゃない」と腹を立てていただろうなと思います。
 
  芸能界に派閥があったことは事実でしょうが、淳子さんは「一匹狼」を自認していました。
  実力派(?)のアイドルたちが、正統派カワイコちゃん(?)アイドルたちを楽屋でよくいびっていたらしいのですが、淳子さんがいるときだけはいびられなかったので、郁恵さん、大場さん、真子さんたちは淳子さんを頼りにしていたという記事は読んだことがあります。
  正義感があって、優等生タイプの厄介な人と見られていたこと、そして、誰も歯向かうことの出来ない貫禄と威厳を持った一目置く存在であったことは間違いないようです。
 
  いしだあゆみさんの名は、浅丘ルリ子さん、小百合さんと共に、淳子さんの発言の中によく出てきていましたね。
  あの和田アキ子さんですら昔はよくいびられたそうですが、「いしださんがよくかばってくれた」と発言していました。
  いしだあゆみさんと言えば、「ブルーライトヨコハマ」ですが、私は「太陽は泣いている」の方が好きでしたし、「渚にて」という名曲も忘れ難いですね。
  そういえば、いしださんが、ドリフターズとコントをやったときも、淳子さんと同様、吹かずに演技していて、面白かったです。
  胸に水のたっぷり入った氷嚢を二つ入れ、豊かなバストをゆらしながら登場したマリンモンローのようないしださんがニコッと笑ったら歯が欠けていたという衝撃的なコントはいまだに忘れられません。
  いしださんに限らず、小川知子さん、淳子さん、伊藤蘭さん、田中好子さん、女優さんになる人はコントもうまかったし、最初から笑いながらやっている他のアイドルたちとは心構えからして違っていたと思います。
  いしださんの役を元スピードの上原多香子さんがやるそうですが、期待して見ることにしましょう。
 
  素晴らしい投稿ありがとうございました。
 
■■No.103■■
  管理人 - 03/06/17 12:19:42
  コメントのタイトル: htさん、ありがとうございます
 
 コメント:
  htさん、私は百恵さんに好感を持っていたと書きましたが、ファンではありませんでしたし、歌がうまい、歌唱力があると思ったことも、今日に至るまで一度もありません。
  百恵さんも、ピンクレディも、聖子さんも、明菜さんも、小泉今日子さんも、私の耳にはよく音を外しているように聞こえましたが、アイドルとして、十分魅力的で、そんなことは瑣末的なことで、傷にはならないということです。
  ステージで聖子さんがよく泣きますが、それは決まって音程を大きく外したときで、「私が音を外したのは泣いているせいなのよ。決して私が歌が下手だからではないのよ」というメッセージと受け取り、温かい目で見ていますが、彼女は気がついていないだけで、それ以外でも音を外しまくっています。(それでも私はCD持ってます)
  歌唱力があるとされているMMさん、HIさん、男性のHIさんらの歌を聞いても、私は感動したことがありませんし、歌謡界の人より声量があり、音域の広いと思われているクラシック歌手の歌にも感動したことがない人間です。
  だからこそ、下記の文章にも、「歌のうまいとされている」と書いて、世間一般の評価を私は認めていないことを宣言しています。
  私が感動したことのある歌手は10人足らずで、その中で淳子さんはダントツの最年少です。
 
  私は淳子さんのことを、「日本レコード大賞」の新人賞受賞のときに、誤解して、アンチ淳子派になってしまったのです。
  その経緯については過去ログにありますので、興味があれば読んで下さい。
  ですから疑り深かった私にその評価を変えさせ、「私が間違っていました。ゴメンなさい」と反省させ、このHPを開かせることまでさせたのですから、淳子さんという人はたいした人なのです。
 
  一般に、アイドルに歌のうまさを求めること自体が間違っていると思います。
  そのようなものを望むことは、八百屋に行って、魚を求めるようなものだと思います。
  アイドルは、可愛いとか、元気があるとか、初々しいとか、若々しいとか、清純とか、可憐とか、一生懸命頑張っている姿が、我々の胸を打つのだと思いますし、そういうものがアイドルには求められているのだと思います。
  だからこそ歌がさほどうまくなくても、私は、百恵さん、森昌子さん(アイドル?)、岩崎宏美さん、石川さゆりさん(デビュー時はアイドルでしたよね)、ピンクレディ、キャンディーズ、高田みずえさん、麻丘めぐみさん、アグネスチャンさん、聖子さん、明菜さん、小泉さんらのアルバムやCDを買ったり、テープにとったりして、聞いていました。
  今淳子さんのアルバムは全部持っていますが、HPを始める前は、3枚しかなく、アイドルの中では一番多いにしても、昔からのファンから見れば、「なんだそれ」ということになる数字でした。
  ですから、私の場合、「アイドル好きさん」と立場が似ています。
 
  たぶん私の言う「歌のうまさ」の概念が、他の人たちとはだいぶ違うのだと思いますが、このHPをやるようになって、昔の淳子さんの歌っているビデオを見て、私の知らなかった淳子さんを見て、昔からのファンの方がなぜあそこまで魅せられたのかが追認できました。
  とにかく光り輝いています。
  私は淳子さんを、「でしゃばっている」、「わざとらしい」と思ったのですが、今から思えば、目が自然と淳子さんに行くからであり、要するに「目立つ存在であり、天性のスターであり、普通の人ではなかった」のですから、単なる誤解をしていただけでした。
  淳子さんは、「天性のスター」だったということが今では定説になっていますが、そのことを当時はわからなかったということですね。
  百恵さんは、努力して、世間的な評価では勝ったということになっていますが、百恵さんの心の中では、敗北していたのだと思います。
  「板(舞台)の上にたったとき、淳子ちゃんがトップ」は、百恵さんの偽らざる気持ちでした。
  時がたたなければ分らない真実が存在するのだと思います。
  世間の評価とは、その程度のもので、およそ真実を表わしていないということを言いたかったのですが、理解して戴けたでしょうか。
  淳子さんは、素晴らしいアイドルであると同時に、素晴らしい歌手であると私は断言できますし、それを伝えるためにHPをしているのです。
  htさんは、昔からのファンの立場で、堂々と意見を言ってください。
  同じものでも、立つ位置によってこれだけ違って見えるということを皆さんに知って戴く事も、このHPの重要や役割の一つだと思います。
  これからも、よろしくお願いします。
 
  ということで、ごきげんよう。
 
■■No.102■■
  管理人 - 03/06/15 20:25:57
  コメントのタイトル: 麗華さん、NTさん、ありがとうございます。
 
 コメント:
  麗華さん、初めまして、管理人です。
  あんまり丁寧な挨拶をすると差別だと言われますので、このへんにしておきますが、あなたのような若い方にきて頂いて、大変嬉しく思います。
 
  いい年齢をした大人がなぜこんなことに熱くなるのかと思われるかもしれませんが、それだけ魅力的であったと思ってください。
  我々に限らず、池田文雄さんをはじめ、タレントを商品としてしか見ない筈のプロの人たちをも本気にさせた人でした。
 
  ご存知のように、仕事に対してひたむきな彼女を中心にして、現場で色々な揉め事が起きましたが、ただのトラブルメーカーならそのまま芸能界から姿を消していたはずです。
  しかし、彼女の主張を是とする人たちもいました。
  彼女のような年齢の子をもつ幹部の人たち、このままではいけないと危機感をもつ若手スタッフたちに助けられ、励まされながら、仕事を続けることが出来たのです。
  百恵さんなんかも、心ならずも離れていったことを、百恵さん自身が発言しておられました。
  淳子さんに好きな人がいたことを百恵さんは知っていて、「彼とはどうなったの」と最後の対談で聞いていました。
  それに対して、淳子さんは、「私から別れた」と答えた後に、「このままでは本当に好きになってしまい、そうなったら私は人の言うことなんか聞かないから、私は結婚へと突っ走ってしまうかも知れないじゃない。
 それを決めるには私はまだ早すぎると思うの。
 だから、今のうちならと思い、別れることにして、手紙を書いた」と述べ、百恵さんを呆れさせました。
  下記にある映画『翔んだカップル』の石原真理子さんのやった役そのままの出来事があったのでした。
 
  今は、なんでも自分のしたいことをするのが流行ですが、自分はまだ若く未熟だからと自分を謙虚に見つめた淳子さんを私たちは素敵だと思っています。
  自分を、たかが芸能人という醒めた意識で見つめながら、されど芸能人という誇りを持って仕事をした淳子さんを、マスコミが寄ってたかって揶揄し、攻撃したことをリアルタイムで見ていた我々は知っています。
  十年たって見えてきた真実を、これまでの経緯を知っているつもりの皆さんは勿論、麗華さんのような知らない若い人たちにも知って戴き、淳子さんの名誉を復権するために、そして、マスコミの中から、これを反省する動きを作るために、このHPをやっています。
 
  強いものが弱いものを苛めることにブレーキをかけなければいけないということを知っていただくことが、淳子さんの名誉復権につながると信じています。
  どうぞ、麗華さんもマスコミの言うことを鵜呑みにするのではなく、何が情報で、何が記者の個人的意見なのかを見極めながら、報道を見つめてください。
  これからも、分らないことや聞きたいことがあれば遠慮なく聞いてください。
  それが、今更聞けないと思っている人たちの代表選手となれますし、17歳のあなただからこそできることかもしれません。
  これからも、よろしくお願いします。
 
  NTさん、印象か、直感か、霊感か、妄想か、紙一重です。
  与えられた情報の中で、これはそうだろうなと思ったことを書いてください。
  信ずることを書けばいいのです。
  と思いましたと書けば、だれもそれを否定出来ません。
  その人の中の真実なのですから。
 
  ということで、ごきげんよう。
 
■■No.100■■
  管理人 - 03/06/15 09:49:43
  コメントのタイトル: 歴史を改竄するマスコミ
 
 コメント:
  NTさん、ありがとうございます。
 
  百恵さんが注目されることによって、淳子さんも注目されているようですが、デビュー当時、淳子さんのお陰で百恵さんが注目されたという面もありましたし、これで貸し借りはなしということで、お互いよかったよかったということにしたいですね。
 
  アイドル好きさんの言われているように、今ピンクレディとキャンディーズが全くのライバルであったが如く扱われているのは納得できません。
  それは若い人たちに間違った歴史を教えるようなもので納得できません。
  キャンディーズも、プロダクションの意志から離れ、自分たちとファンとでムーブメントを作ったという点で評価されていいとは思いますが、ピンクレディのライバルではなかったことだけは伝えなければならないと思い書きましたが、私はキャンディーズの解散コンサートを録音し、それを長い間聞いていました。
  キャンディーズのテープだけで4〜5本持ってますし、決して貶めようとしているわけではありませんので、お間違えのありませんように。
 
  レコード売り上げや人気投票、ブロマイド売上は人気のバロメータの一つではありますが、それだけでは若者以外の意志を反映していないことは明らかで、アイドル好きさんの言われる通りです。
  淳子さんはアイドルではじめて全国縦断リサイタルを開くなど、ステージが好きでしたが、それも観客がいての話でした。
  その意味で、淳子さんは、舞台で力を発揮できるタイプの人でしたし、ファンもそのことをよく知っていたと思います。
  インタビューで、不特定多数の人が見るテレビよりも、自分のファンの人だけが来てくれるステージや、聞いてくれるラジオが安心して自分を出せると言っていました。
 
  淳子さんは完全主義者で、出来るはずもないのにみんなに愛されたいと願っていたのだと思います。
  だからこそ少ない批判の声にも耳を傾けようとし、その為によけいに傷ついていったような気がします。
  私などは、淳子さんとは比べものにならない規模ですが、それでも毎日毎日、一月にすると百通をはるかに越える批判というか、書いてくれた人には申し訳ありませんが、ある意味とても無神経なクレームや要求のオンパレードのメールが来ます。
  勿論、励ましや応援のメールの方が多いのですが、数が少なくても、そういう批判の声の方が強烈に響くものなのです。
  そうしたことが重なってくると、メールを見ること自体がとても苦痛なものになっていき、ある日突然爆発してしまったわけで、若い淳子さんの苦痛はもっともっと大きいものだったと思います。
  でもステージに上がったとき、応援してくれる人の顔が見え、勇気を貰ったのだと思います。
  今、舞台に立てない淳子さんに、今はCD&DVDボックスを予約するという行為が、応援するファン、仲間がいるのですよという何よりのメッセージになると思います。
  まだの方は、ぜひお近くのCDショップに予約しに行ってください。
  私が予約しに行ったお店では、まだ機械に入っていないようですと言われ、用紙に書き込んで来たので、集計には入れてもらえていないと思いますが、タワーコードの予約ランキングでは7位に入っていました。
  これを見ているかもしれない淳子さんに、あなたからの熱いメッセージ、お待ちしています。
 
■■No.099■■
  管理人 - 03/06/14 16:59:23
  コメントのタイトル: ポスト百恵淳子さんだった説
 
 コメント:
  アイドル好きさんへ。
  ここはファンによるサイトで、淳子さんに関心をもつ方に淳子さんをよく知って戴き、淳子さんの名誉を回復するためのHPです。
  以前は淳子さんファンだけに絞って運営していましたが、メンバーが固定され、このままでは先細りが目に見えていましたので、いわば門戸開放路線をとりました。
  ですから、百恵さんファンにも、聖子さんファンにも来ていただきたいと思っていますので、どうぞ気になさらないで下さい。
 
  以前、門戸開放の結果、以前の倍以上の人が訪問していると書きましたが、淳子さんのCD&DVDボックス発売のニュースが伝えられて以来、私が閉鎖宣言する以前の最高訪問者数の倍以上の数字が連日続いています。
  日曜日にしか挙げられなかった数字の倍以上の数字が、日曜日でもないのに、この数日続いています。
  皆様の関心の高さが窺われ、ボックスの予約一万枚は簡単に達してしまうのではないかと思いますので、お早めに注文した方がいいと思われます。
 
  さて、百恵さんは、家庭的に恵まれなかっただけに、家庭への憧れが強く、三浦友和さんという誠実な人と、まだ少女のときにめぐり逢い、恋に落ち、引退を決意しました。
  前にも書いたとおり、お母さんに家を建てて上げるために芸能界に入った百恵さんとしては、望みを達して、後はどうやってフィナーレを飾るかだけが問題となっていたわけです。
  そこでホリプロとのせめぎあいがあったわけで、そのとき初めて自分の意見を通すことがいかに難しいことかを百恵さんは知りました。
  それと同時に、「この重圧と淳子ちゃんは今まで戦ってきたのか」と、淳子さんの苦労を身をもって知ることが出来たわけです。
  「そこで淳子ちゃんと語らいのときを持ちたいと思い、接触しようとしたけれども、淳子ちゃんは既に自分の世界に閉じこもっていて、それが出来なかった」と、淳子さんとの最後の対談で百恵さんは言っていました。
 
  マスコミは、「プロダクションの言いなりにならない本音の女」山口百恵と、「プロダクションの言いなりの人形、建前の女」桜田淳子と報道してきましたが、全く逆でした。
  そのことを一番知っていたのは百恵さんであり、百恵さんは淳子さんを尊敬していたのだと思います。
 
  自分が引退を決意して初めて出来たことを、淳子さんはデビューの頃から、プロデューサーやディレクターの怒声、他のタレントたちの冷たい目、マスコミのバッシングと戦いながら、少しでも完成度の高いものを作る為に、ファンの為に、戦ってきたことを見てきた百恵さんにとって、淳子さん以外に自分の夢を託す相手はないと信じていたのだと思います。
  「夜のヒットスタジオ」、「スター誕生」、「紅白歌のベストテン」なとで、「サヨナラ山口百恵特集」が組まれましたが、百恵さんは他の人にはほとんど声をかけませんでしたが、淳子さんが相手のときだけ、涙を流し、「淳ペイ、やせたけれど大丈夫」と声をかけました。
  明らかに他の歌手とは違った態度で接し、「後は淳ペイ任せたわよ」と宣言しているようにも見えました。
  彼女の書いた「蒼い時」に、友和さんも含め彼女の身内以外で、好意的にかかれているのは淳子さんだけで、後はホリプロの社長や加納典明さんから言われた言葉に傷ついたというように批判的なことしか書いてないから驚いたと言ったのは、当時NHKアナウンサーで、今エッセイシストの広瀬久美子さんで、さすがによく見てます。
  しかし、彼女以外にそのことに気付いた人を私は知りません。
  当時のビデオで確認できる人はして下さい。
  私の言っていることが理解できると思います。
 
  しかし、マスコミは、結婚し家庭に入るという、これまでもてはやしていた論理からすれは逆行した選択をした百恵さんを、芸能界をいわば捨てた百恵さんを、なぜかもてはやし、芸能界に残った淳子さんをほとんど無視しました。
  22才という、当時の最年少記録で、芸術祭の優秀賞をとった淳子さんの快挙に対して、マスコミは信じられないくらい冷淡でしたが、百恵さんにとっても誤算だったのではないでしょうか。
  そこにも、淳子さんと百恵さんの連合が完成することを喜ばない人たちの暗躍が感じられます。
  こうして、百恵さんの密かな祈りは淳子さんにも届かないまま終わったというのが、私の「百恵淳子のベストフレンド物語」の今のところの結末なのですが、はたして別な結末が用意されているのでしょうか。
 
  今回のボックス発売が、新たな動きへとつながることを信じ、ごきげんよう。
 
■■No.096■■
  管理人 - 03/06/13 19:10:26
  コメントのタイトル: アイドル好きさんへ、百恵さんと淳子さんについて
 
 コメント:
  アイドル好きさんの言われる意味、少しわかる気がします。
  昔からの百恵さんファンは、百恵さんと淳子さんの切っても切れない関係をよく存じで、淳子さんに好意を感じていて下さっていたと私も思っていました。
  品川中学に行ったのも、淳子さんがいたからというのは有名な話ですし、百恵さんが賞から落ちたときに泣いた事も、マスコミからはわざとらしいと言われました(思えば、あの頃既に、淳子さんが人気絶頂であったことを妬む人たちが存在し、淳子さん人気を落とそうと画策する邪悪な力が働いていたのでした)が、二人の関係をよく知る人たちは、当然のように受け止めていました。
  結局、理解する気がない人は、最初から理解する気がないのだと思います。
 
  好きにも色々な好きがあり、そこには温度差があります。
  「××さん命」という人もいれば、「なんとなく好感を持っている」という程度の人もいます。
  マスコミに踊らされ、その気になってファンになり、マスコミの言うがままに、ファンをやめる人もいます。
 
  その最たるものがピンクレディ・ファンだったというのは言い過ぎかもしれませんが、「ペッパー警部」を初めて見た時はキワモノ以外の何者でもないという印象で、その後子供たちに人気をはくすグループになることを予想していた人間など誰もいなかったと思います。
  しかし、「踊りが面白い。
 子供たちに大人気」とマスコミが仕掛けた記事が当り、予想外の人気グループになりましたが、マスコミの仕掛けた記事によって、あっという間に風船はしぼんでしまいました。
  しかし、9枚連続ミリオンセラーという金字塔をたて、歴史に残るグループであったことは間違いなく、引退という仕掛けによって少し人気が出たキャンディーズと比べること自体が、たいへん失礼な話であることを、ここに来られた皆様には知っておいて戴きたいと思います。
  ピンクレディがマスコミの仕掛けで人気が出たアイドルなら、百恵さんはプロダクションの仕掛けによって作られたアイドルでした。
 
  百恵さんはデビュー当時、大人しく控えめな感じで、少し地味な印象はしましたが、決して暗くはなかったと思いますし、何を隠そう私も好感を持っていました。
  しかし、同じ清純派路線では、“ダイヤモンドの原石”である百恵さんが、既に“磨かれた宝石”であり、“天性のアイドル”で、何の仕掛けもいらなかった淳子さんには及ばないことを悟った百恵さんサイドでは、「青い性」路線をとり、お色気を強調し、やがて「不良少女」路線、「ツッパリ」路線へとつながり、百恵さんとの意志とは関係なく、百恵さんの言葉によれば、無理矢理大人にされていきました。
  過去の生い立ちなども強調され、苦労とは縁のなかった淳子さんとの差別化が図られ、暗さが前面に押し出されることとなりました。
  五木寛之の作品の中にあった、「艶歌の竜」がとった作戦、ヒッキーのママ・藤圭子さんのデビュー当時の仕掛けと変わらない世界がそこにありました。
 
  そうした自分を淳子ちゃんはどう見ているのだろうと、常に淳子さんを意識しながら生きることで、百恵さんは自分を維持することが出来たのだと思います。
  淳子さんは逆に、百恵さんを意識せずに生きようとしたことで、意識していました。
  そこが二人の違いであり、共通点であり、百恵さんの方がどう見ても自然で楽な生き方のように見えます。
 「スター誕生」に出てくるときの百恵さんはとてもリラックスしていて明るく、あれが百恵さん本来の姿で、その他の番組に出てくる百恵さんは、与えられた役柄を、“割り切って”、演じていたように私は考えています。
  一方の淳子さんは、天真爛漫な個性も、目に見えない大衆や人気を意識することで不自然なものとなり、どんどん窮屈になり、どんどん自分を追い込み、それが人気とは関係のない「芸の世界、演技の世界」へと傾倒していくことになったのだと私は見ています。
 
  周囲がどんなに持ち上げようと、百恵さんは淳子さんを意識しながら、その距離を測ることによって、自分の実力がどの位置にいるか、冷静に判断していたのだと思います。
  映画で実績をあげ、レコードセールスも淳子さんを上回る成績であったとしても、決して舞い上がらなかったのも、淳子さんと自分とのタレントとしての才能の違いを醒めた目で見ていたのだと思います。
  先日、淳子さんの「はたちの青春」というステージを隠れて録音したテープを聞きましたが、2時間のステージを自分で司会し、ファンにインタビューし、ミニミュージカルを歌い踊り(踊りはみられませんでしたが)、台本を完璧に頭に入れた上で、アドリブを駆使して、しかも一度もとちらず、しっかり笑いを取り、拍手を貰い、一人で取り仕切る力はとても二十歳とは思えないもので、今でも、これほどバラエティ豊かにかつパワフルなステージをできる人はさほどいないことを確信させるステージでした。
 
  そんな淳子さんのタレントとしての能力と人柄を誰よりも理解し、高く評価していたのは百恵さんだったと思いますし、百恵さんの引退をめぐるホリプロとの孤独な戦いを誰よりも理解できたのも淳子さんだったと思います
  お互いに、芸能界における唯一の戦友だったと私は見ています。
  人を批判的に見ることは誰でも出来ますが、人を好意的に、それもライバルを高く評価できることはまれであり、百恵さんと淳子さんほどの関係を、私は、「ガラスの仮面」のマヤと亜弓以外に知りません。
  百恵さんが引退し、結婚式を挙げた当日の夜、池田文雄氏に、「淳ペイをよろしくお願いします、彼女は思い込みが激しいところがあるからなんとなく心配で」とお願いをしたというJSさんの投稿を読んだときは、本当に感動しました。
  その意味では、百恵さんも、淳子さんとよく似た女性であり、稀有な女性で、高く評価されて当然の人であることは間違いありません。
  それに比べて淳子さんの評価が低すぎるというだけで、百恵さんが高く評価されることとは別な話であると同時に、百恵さんには責任がありません。
  悪いのは、百恵さんを神格化しているのに比し、あまりに淳子さんを正しく評価しないマスコミであることだけは申し上げておきたいと思います。
 
  百恵さん一家のプライバシーも、淳子さん一家と同様、守られなくてはなりません。
  現役の三浦友和さんはともかく、引退した百恵さんが外出するところを狙って、取材を仕掛けるようなことは許されてはならないことなのです。
  百恵さんは、お母さんに家を建ててあげるという目的で芸能界に入り、その目的は達したのであり、それ以上の目標はなく、もう芸能界に復帰することは、予想外のことが起きない限り、ありません。
  そこが、芸能界で燃焼しきれていない淳子さんと違うところです。
  この二人が笑顔で話ができる、その機会が訪れることを願ってやみません。
 
  ということで、アイドル好きさんのまたのお越しをお待ちしています。
 
■■No.095.5■■
  管理人 - 03/06/12 12:50:44
  コメントのタイトル: アイドル好きさん、ありがとうございます
 
 コメント:
  アイドル好きさんの言われる通りです。
 
  最近のスマップのヒット曲の中にある通り、ナンバー1になる必要はなく、オンリー1になればいいのです。
  淳子さんもいい、百恵さんもいい、ピンクレデイもいい、聖子さんもいい、明菜さんも、Kyon2も、みんないいのであって、比べる必要などないのです。
 
  でもマスコミは、百恵さんと淳子さんを比べたがりました。
  二人がライバルと宣言したわけでもないのに、勝手にライバルにし、勝手に比較しました。
  しかし、それらは誰が勝ちか、最初から結論の出ていた比較であり、ためにする記事でした。
  いわく、{百恵の方が売上が多い。」、「百恵の方が裁判で堂々としていた。」、「百恵の方が、淳子や研ナオコより声が出てロックが歌える(百恵さんプロジェクトの一員・宇崎竜童氏の発言)。」等々。
 
  百恵さんより、売上の多い歌手は沢山います。
  百恵さんより、堂々としていた人はいます。
  百恵さんより、声の出る人、ロックのうまい人も沢山います。
  わざわざ百恵さんが淳子さんより強い、優れたと思った項目だけを選んで、判定した記事であり、公平性などまるでない記事であり、淳子さんは業界用語でいうところの「かませ犬」でした。
  私の見るところ、恐らくホリプロサイドの息のかかった記者の書いた記事と思われ、淳子さんは、森昌子さん、石川さゆりさんの「かませ犬」としても、度々登場させられました。
  宇崎さんなどは、百恵さんサイド、言わば敵方の人間の発言で、それを第三者の意見のように、そのまま垂れ流して伝える方がおかしいのです。
 
  淳子さんサイドでは、人と比べることなく、王道を歩みました。
  人によっては、ホリプロのような戦略が全くなかったと見るむきもあると思いますが、私はそれでよかったと思っています。
  そういう人柄の相澤社長の下だったからこそ、淳子さんは芸能界でやってくることが出来、先のような姑息な手段をとる人だったら、芸能界を即やめていたと思われます。
  誰も何も言いませんし書きませんが、百恵さんもホリプロを好きでなかったからこそ、アッサリと引退できたと私は思っています。
  根拠もないただの妄想であり、正しいと言い張るつもりはありませんので、反対意見はご容赦を。
 
  私は、アイドル5年限界説をとっており、それらを越えて活躍した百恵さん、聖子さん、明菜さんの3人を高く評価しています。
  しかし、数字は数字でしかなく、数字に表わせないものが存在します。
  人気投票に参加する人、レコードを買う人はほとんど十代の人に限られ、アイドル雑誌を見たこともなければ、ハガキを出したことのない私のような大人や、年配の人間の方がはるかに多かったという事実をマスコミは伝えないし、知らないふりをしています。
  今の「モー娘。」の曲がどれだけ売れていようと、年配の人はほとんど知らないでしょうが、淳子さんの歌は、漫才界の御大ともいうべき人生幸朗・生恵幸子師匠の漫才にも取り上げられるほど、世の中に浸透していたのです。
  そうしたものを数字で測ることはできません。
 
 そうした年配の人たちの間では、暗くて、「不良っぽい」イメージの(あくまでもプロダクションによって作り上げられたイメージであり、実際の百恵さんは違うと私は思っていますので、お間違えのないように)百恵さんよりも、明るくて、「娘にしたいタイプ」、「孫にしたいタイプ」の淳子さんや森昌子さんの方がはるかに好感を持たれていたことはまず間違いないと思います。
  少なくとも、私の田舎の親戚のおじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃん連中の間では完全にそのことが言えますし、もし比較する場合には、そのような情報も忘れずに伝えることがマスコミの公平な姿勢というものではないでしょうか。
 
  「桜田淳子はかくして同性に嫌われる」と女性週刊誌が書き続けたから、判断力がなくその気になってしまった女性も多かったと思います。
  正しくは、「同世代の同性の一部から嫌われている」であり、好きな人間ばかりで、嫌いな人間のいない芸能人などは存在せず、ほとんどいいがかりのような理由をつけて批判していました。
  私は、疑り深かったので納得しませんでしたが、若い人たちの中にはマスコミに踊らされる人が多いのです。
 
  ピンクレディが、「カメレオンアーミー」で百万枚を割ったとき、それでも百恵さんの平均売上げの倍以上の数字であったにも関わらず、マスコミは、「ピンクレディ、人気凋落」と書きました。
  それから、解散への道を歩み始め、完全にマスコミの手が、ピンクレディをハエを潰すように叩き潰したのでした。
  まさしく彼らの思う壺にはまったわけであり、彼らは祝杯を上げたことでしょう。
  マスコには、そういう人間が多いことを、私たちは忘れてはいけないのです。
  彼女たちが、睡眠時間2時間で働いていたとき、会社の幹部は銀座で毎日何百万円という豪遊をし、彼女たちにお金の見返りはほとんどありませんでした。
  私は、ピンクレディのHPを立ち上げることも考えていましたが、最近見直されているようなので、彼女たちが金銭的に少しでも潤うことを願ってやみません。
 
  昔からの言葉に、「籠に乗る人、乗せる人、そのまたわらじを作る人」というのがあって、色々な人がいて、社会は成立しています。
  社長ばかりの会社など存在せず、手足となって働く人、目となる人、頭脳となる人、いろいろな人がいて、会社は成立するのです。
  頭脳が、お前は必要ないと、手足や、目に向かって言ってはいけないのです。
  みんながみんなを必要とし、支えあい、尊敬しあう社会になってほしいと思っています。
  マスコミの記事に踊らされることなく、人を比べたりすることなく、正しい判断のできる人間が増えることが、淳子さんの名誉復活になると信じます。
  どうぞ、アイドル好きさん、これからも、淳子さんのファンが一人でも増えますように、応援する人が増えますように、淳子さんの素晴らしさを訴えて頂きたいと思います。
  これからも、よろしくお願いします。
 
■■No.091■■
  管理人 - 03/02/08 23:55:52
  コメントのタイトル: 天下を取ったスーパーアイドルに入った淳子さん
 
 コメント:
  本日2月8日午後7時から日本テレビ系列で放送の「テレビ生誕50年天下を取った名曲ベスト50」で、「天下を取ったスーパーアイドル」の一人として淳子さんが選ばれていました。
 
  番組がスタートしてすぐの、「スター誕生」から生れた歌手のコーナーの中では簡単に扱われていたので、もう駄目かと思って入浴タイムにしたところ、家人から淳子さんが出ていたよと告げられ、録画していたビデオで確認したところ、確かに取り上げられており、例の小鳥が飛んでいる「わたしの青い鳥」の映像が流れていました。
 
  天地真理さん、淳子さん、西城秀樹さん、近藤真彦さん、浅香唯さん、モーニング娘の6組が、「天下を取ったスーパーアイドル」として、取り上げられていました。
  恐らく、天地さんは小柳ルミ子さん・南沙織さんの新・三人娘の代表、淳子さんは森昌子さん・山口百恵さんとの中三トリオの代表、西城さんは野口五郎さん・郷ひろみさんとの新御三家の代表、近藤さんは田原俊彦さん・野村義男さんとのたのきんトリオの代表、浅香さんは斉藤由貴さん・南野陽子さんとのスケ番刑事トリオ(?)の代表、「モー娘。」は現代のアイドルの代表のつもりだったのだと思います。
  これに松田聖子、中森明菜さん、小泉今日子さん、河合奈保子さんのうちのどなたかが、80年代アイドルの代表として出ていたら、申し分なかったのですが、それは言いますまい。
 
  それよりも、一部の反対派の意向を気にせず、「芸能界にその名を残した中三トリオの一人桜田淳子さんは、世代を越えて愛された国民的アイドルでした」と紹介して下さったその勇気に対して、番組スタッフの皆さんに敬意を表したいと思います。
  ありがとうございました。
  これからもへんな自粛はしないで戴きたいと思います。
 
  今週一週間、夜の帯で放送されていたNHKの「感動プレイバックTV50年」の「紅白歌合戦特集」でも、アイドル全盛期を迎えた1970年代のコーナーの中で、「黄色いリボン」を歌っていた淳子さんの映像が、高1トリオが初めて揃い踏みした年でしたという紹介コメントともに流されており、いい風が流れているなと思いました。
 
  現在、NHKでは見たい番組のアンケートを取っており、1980年代のドラマとして「独眼流政宗」が中間発表で一位でした。
  再放送される可能性が大変高いようですので、ぜひアンケートへの投票をお願いしたいと思います。
  「澪つくし」への投票も、あわせてお願いしたいと思います。
  この2本は、NHKの大河ドラマ、朝の連続テレビ小説としては平均視聴率が高かった番組ですので、極めて再放送の可能性が高いと思います。
  皆様のご協力、よろしくお願いします。
 
 
■■No.088■■
  管理人 - 03/01/28 21:58:47
  コメントのタイトル: salaさんありがとうございます。
 
 コメント:
  salaさんのコメントにに付け加える気などさらさらありませんので、気になさらず、まっさらな気持ちで聞いて戴きたいのですが、少し言わせて戴きます。
 
  淳子さんは、言わば芸能界にとって『奇蹟』のような存在だと思います。
  ご家族、相澤社長、福田専務、長井マネージャーなどのプロダクション関係者、池田さん、阿久さんを初めとするスタッフの方に守られ、純粋培養され、育てられてきました。
  それが他に類例のない桜田淳子という個性を作り、タレントを作り上げました。
 
  その優等生的発言は、彼女の建前と思われ、プロダクションの言いなりの人形のように思われていましたが、決してそうではなく、与えられた環境の中で自分の思いを出来るだけ伝えようと、彼女は努力し続けました。
  レポーターの福岡翼さんが、百恵さんの引退フィーバーの頃に、百恵さん礼賛の記事が出ていた頃に、「百恵さんのインタビューを聞いて、頭がいいと言う人がいるけれど、その受け答えにそつがないことは認めるけれども、その発言で頭がいいと思ったことはありません。
 彼女が何を言うかはほとんど予想できます。
 それに比べて桜田淳子さんは、何をどのように発言するか予想できません。
 同じ質問をしても、朝に聞く答えと、夜に聞く答えでは違ってくる筈ですし、言っていることが同じであったとしても、表現の仕方がその場、その場で違ってくるのが彼女の特徴で、頭のいい人だから、聞く我々もとても緊張するんですよ」という意味のことを話していたことがありました。
 
  判で押したような質問に対して、判で押したように同じ答えをするのが当時のアイドルの常識でしたが、彼女はそうしなかったために、以前と違った答えでどうしてなのと思われることがよくありました。
  それが、その時の正直な答えであり、それが彼女の誠意ある回答でしたが、当時はよく理解されませんでした。
 
  インタビューの前に勉強して来ない人に対しては、そんなことはプロフィールに書いてあります、わざわざそんな質問をすることにどんな意味があるのですかと、インタビューアーに食ってかかった淳子さんを、ただ生意気≠ニいう言葉で、切り捨てた多くの記者さんたちこそ、彼女がどんな思いで発言していたか、その言葉にどんな思いが込められていたかをキャッチできなかったことを、そして対象者に対して勉強不足であった自分のプロ意識のなさを反省すべきであったと私は思っています。
 
  中には福岡さんのように、そんな思いをすくってくれる人もいましたが、ほとんどいなかったといてもいいと思います。
  いたとしても、編集方針に従わざるを得なかったのかもしれないと物分り良く思ってしまう私は、すでに汚れきってしまっているのかもしれません。
  あれほどナイーブだった福岡さんも、最近はただのレポーターに成り下がって、偉そうなコメントをしているのを見たときに、いかに芸能界で、自分を律して生きていくことが難しいのかが、よくわかります。
 
  しかし、だからこそ、そんな芸能界に咲いた桜田淳子という一輪の花に、我々は魅せられ、そこから逃れられないでいるのだと思います。
  他のタレントや記者さんを批判しても、何も反省しないし、反発を受けるだけだと思います。
  元横綱・貴乃花関が何も言わずに、行動で語ってくれたように、淳子さんも自分の発言が理解されない苦しみを経て、自分の生き方で、行動で我々に語りかけてくれるようになったのだと思います。
 
  そして、ここに集う皆さんにはそのことが理解できているのだと思います。
  そのことが私には何よりも嬉しいのです。
 
  常連の皆さんは言うに及ばず、かずとさん、TETさん、tosiさん、ありがとうございます。
  こうして、淳子さんを通じて、皆さんとお会いできたことを感謝します。
  これからも、この掲示板を通じて、多くの皆さんとの出会いが増えますように。
  これからもよろしくお願いします。
 
■■No.084■■
  管理人 - 02/06/21 03:38:20
  コメントのタイトル: 淳子さんの呼び名
 
 コメント:
  淳子さんのことを淳子と呼び捨てにする人は、お父さんとサンミュージックの相澤社長と「スタ誕」の池田文雄プロデューサーの三人だけだと淳子さん自身が、池田さんの著書の中で書いていました。
  それが昭和60年頃のことですから、昭和52年に製作された「若い人」で共演した室田さんは、淳子さんに対して呼び捨てにはしていなかったということになります。
  私は、室田さんのキャラクターからして、淳子さんのことを、「桜田くん」と呼んでいたような気がしますが、根拠があるわけではありません。
 
  高平さんが、室田さんがよなよな酔っ払っては、「ジュンコー!」と咆哮するという話を淳子さんに暴露したという話をしましたが、それを聞いて、淳子さんが高平さんに「室田さんに、呼び捨てにせず、淳子ちゃんと呼んでくださるようお伝えください」と伝言を頼んだという形で、下のRYOさんのお話につながるわけですね。
 
  あの室田さんが、「ジュンコー」と怒鳴る姿は想像できますが、「淳子ちゃーん」と叫ぶ姿を想像すると笑ってしまいますよね。
  そんなことを要求する淳子さんのインタビュー記事を読んで、ユーモアがあって、なんて頭のいいコだと感心したものでした。
 
  私は悪口を言われている人を見ると気になり、その記事が、法に違反する問題を扱っているのか、社会的・道義的問題を扱っているのか、道徳的・倫理的問題を扱っているのか、吟味して読む人間でして、淳子さんもいつからかとても気になり始めたのでした。
  淳子さんは、女性誌を中心に女性から嫌われるタレントとしてバッシングを受け続けました。
  それらを読んでいるうちに、淳子さんのどこに問題があるのかと、アンチ淳子派であった私でさえ思うようになっていったのでした。
 
  下手な演技のほうが笑えるからタレントに台本を覚えるなという指示を出すディレクターと、その指示に従おうとするタレントとそのマネージャーたちは、少しでもいいものを作るために努力すべきと考え、一生懸命台本を覚えた淳子さんを、自分だけ目立とうとするわがままタレントと言って批判しました。
  例の根拠のない噂だけを集めて報道したセックスレポート裁判で週刊誌と記者たちを訴えながら、マスコミからの反撃を恐れて、警察の取調べに非協力的だったタレントや芸能プロダクションがほとんどの中にあって、淳子さんだけは、日記やスケジュール帳を持ち込み、警察にとても協力的でした。
  そのため検事から、「これでようやく裁判ができます」と言われ、感謝されたという話を、質問されたから素直に答えただけの淳子さんを、自分だけいい子になろうとしたと他のタレントたちやプロダクションは批判しました。
  マスコミも、積極的にマスコミを糾弾しようとした淳子さんを、マスコミに歯向かうとこうなるんだとばかりに、見せしめよろしく、バッシングし続けたのでした。
 
  サンミュージックのマスコミ対策のお粗末さが実に口惜しいです。
  百恵さんのかませ犬として、とことん淳子さんのことを利用しようとしたホリプロに対して、当時の堀威夫社長の弟分という立場であったために、文句を言えなかったのでしょうが、相澤社長の人の善さが、ここでも裏目に出ているとしか言いようがありません。
  このときの涙の記者会見以来、淳子さんは心に鎧を着るようになり、涙をめったに流さなくなりました。
  信仰の道をひたすら歩むようになったのも、あの記事の頃からだと思います。
 
  売上を上げるためだけにありもしない話をもっともらしい記事にまとめ報道し、裁判を起こしたタレントをバッシングするというのは、ジャーナリストの風上にもおけない人たちだと私は思うのですが、マスコミの中に、そのことを批判する人がいないように見えるのはなぜでしょう。
  政府が出しているマスメディア規制法案には私も反対ですが、今のマスコミには自浄能力が欠如していると言われても仕方がないと私は思っています。
  でもどこかに現状を憂い、マスコミの犠牲になった淳子さんのことを理解し、芸能界に復帰できない現状をなんとかしなければいけないと思うまともなジャーナリストが現れることを私は信じています。
  殺人を犯しても、よほどの極悪犯でない限り、情状酌量があり、10年たてば社会復帰出来るというのに、淳子さんは罪らしい罪を犯していないにも関わらず、結婚から10年経ってもいまだに芸能界復帰が出来ません。
 
  真面目で、聡明で、でもユーモアがあって明るく、上品さを失わない淳子さんの面目躍如のインタビュー記事だったと思うだけに、悔しくなってしまいました。
  日曜に発表する原稿を書いている途中、ほんのちょっと寄って、短い文章を書いて終わるつもりだったのが、いつの間にか長文になってしまった管理人でした。
  失礼しました。
 
■■No.070■■
  管理人 - 01/03/09 23:48:36
  コメントのタイトル: まだあった『幻の企画』
 
 コメント:
  『幻の企画』シリーズなどと書いている内に、『泥だらけの純情』もそうだったなと思い出しました。
  昭和52年夏の上映作品候補として、企画に上がりながら、百恵さん・東宝組に先を越されてしまい、『愛情の設計』を企画した松竹。
  サン・ミュージックが腹を立てるのも、ある意味、無理ないなと思います。
 
  百恵さんの主演映画13本の内、リメイク作品が10本、内、吉永小百合さんの作品が3本、和泉雅子さんの作品が2本、浅丘ルリ子さんの作品が2本、田中絹代さんの作品が2本、あと美空ひばりさん、京マチ子さん、山本富士子さん、岩下志麻さん、倍賞千恵子さん、久我美子さんらの作品が1本ずつあがります。
  『伊豆の踊り子』、『絶唱』、『春琴抄』などは重なって演じていますので、合計したら、10本を越えてしまいますが。
 
  百恵さんの作品リストを見てみると、「風たちぬ」や「泥だらけの純情」などは、百恵さんより淳子さんの方にふさわしい企画だと思います。
  リメイクが多く、作品的に定評のある作品の多い百恵さんに比べ、淳子さんのリメイク作品は、東宝でやった「若い人」1本きりであり、企画で既に負けてしまっています。
 
  どうして「あじさいの歌」、「陽の当たる坂道」、「光る海」、「あいつと私」、「若い川の流れ」、「花と果実」、「乳母車」、「雨の中に消えて」、「河のほとりで」、「風と樹と空と」といった石坂洋次郎作品、「愛と死を見つめて」、「帰郷」、「愛と死の記録」、といった小百合さんの名作のリメイクをしなかったのか不思議です。
  同じ小百合さんの作品なら、百恵さんより、淳子さんの方が勝っていたと思いますし、若い人だけでなく、小百合さんファンや、石坂洋次郎ファンを呼び、ファンにすることが出来たかも知れないのにと思うと、実に残念です。
  松竹に、新興の日活作品のリメイクなど出来ないという老舗のプライドがあったことが悔やまれます。
 
  となると最初に、松竹を選んだサン・ミュージックの選択ミスということであり、相沢社長は、淳子さんに大きな借りがあるということになります。
  ホリプロの堀威夫さんが兄貴分であったために、すべてに首根っこを押さえられていた感じで、まともに喧嘩できなかったことも含め、相沢社長には、せめて元気な内に、なんとか淳子さんに借りを返して戴けたらと思います。
  相沢社長、池田文雄さんが、淳子さん復帰のカギを握る人物だと思いますので、お二人の健康をお祈りしたいと思います。
 
  というわけで『幻の企画』第6弾は、『泥だらけの純情』でした。
 
 
■■No.069■■
  管理人 - 01/03/09 21:10:44
  コメントのタイトル: 『幻の企画』シリーズ(?)
 
 コメント:
  OZさん、伊勢正三さんの話は全く初めて知りました。
 
  これまで淳子さんに企画され、実現されなかった『幻の企画』ともいうべき企画がいくつかありました。
 
  『アニーよ銃をとれ』の再演に取って代わられた『グリース』。
  実現していれば、井上純一さんと戸田恵子さんはもっと早く結婚していたかもしれません(?)。
 
  山口百恵さんの引退記念企画として考えられた『風と共に去りぬ』。
 
  松竹とサン・ミュージックの喧嘩で実現しなかった『男はつらいよ』での再出演企画。
 
  アメリカのアイドル歌手だったデピー・ギブソン主演の映画で、女子留学生の役で、元ビートルズのリンゴ・スターらと共演する筈だった企画。
 
  それらにつぐ『幻の企画』第5弾として、認定したいと思います。
 
  その他、ご存知の話があれば、ご披露して戴きたいと思います。
  それが次の企画につながるかも知れません。
  投稿お待ちしています。
 
■■No.053■■
  管理人 - 01/02/20 21:42:29
  コメントのタイトル: 「ロシュフォールの恋人たち」について
 
 コメント:
  私は、男としては珍しく、宝塚歌劇団やミュージカルが好きな方だと思いますが、さすがに「シェルブールの雨傘」とかこの作品のようなミュージカル映画はちょっとという感じで距離を置いて見てしまいました。
 
 基本的にカトリーヌ・ドヌーブという女優が好きなタイプではないということもあると思います。
 
 彼女は、良い意味でも悪い意味でも、日本で言えば岩下志麻さんのように「ザ・芸能界」、いかにも「プロの女優の権化」という感じがします。
 
 これは女優として最高に評価しているという意味ですが、好き嫌いは別な話ですので、どうかご勘弁のほどを。
 
 
 私は、「レインボー・レディ計画’88」で、百恵さんが「1億人の娼婦」で『百恵伝説』を作ったのなら、淳子さんには、「永遠の聖女(マドンナ)」として『淳子神話』を作って欲しいと訴えました。
 
 「永遠の素人」として「究極のアマチュアリズム」を追求して欲しいと願いました。
 
 彼女が目指すべきは、プロ野球のスター選手のような華やかさではなく、汗にまみれて格闘する高校球児、女子高バレー選手のような爽やかさであり、そんな彼女にとっての「甲子園」とも言うべき世界が、「芸能界」だと信じていたからです。
 
 淳子さんのどんな時でも、どんな仕事でも、真摯に、不器用なまでに愚直に、真面目に、仕事に取り組む姿勢が素晴らしいし、それこそが淳子さんが、これからも輝き続ける道なのだと説きました。
 
 自分を大人になったと思い、真のプロになったと思ったとき、桜田淳子の魅力は消え失せてしまうのだとも。
 
 いつか黒沢明監督が撮影しているときのメーキングを見ていたら、俳優さんに向かって、「君は役者としてはベテランだと思っているかも知れないけれども、この役に関しては、未経験者であり、素人なんだから、そんな狎れた演技をするな」という意味のことを言っているのを見て、我が意を得たりと思いました。
 
 本物の大人や本物のプロなどどこにも存在せず、いるのはニセモノだけというのが私の持論です。
 
 ただそのニセモノの中にも、理想に向かって努力をするニセモノと、努力をしないニセモノの2種類があって、淳子さんには前者であって欲しいと願いました。
 
 星(理想)に向かって歩き続けても永遠に辿り着くことはないけれども、後ろを振り返ったときに必ず前よりは進んでいるはずです。
 
 しかし星を見失った人間は、迷走し、前進しているのか、後退しているのかまるで分からなくなってしまいますので、淳子さんには、どうぞご自分の星をしっかり見つけて下さい、という意味で、企画書を送った次第です。
 
 
 従って、その私が思っていることと対極にあるようなカトリーヌ・ドヌーブの作品ですので、しっかり見てはいないというのが本当のところで、この話し合いの一角に仁鶴さんのように司会者として参画し、コメントする資格も、皆さんと互角に話すことも出来ないことが発覚するであろうことを私の嗅覚は敏感に感じています。
 
 ただ筋書きとしては、「わたしの青い鳥」のフランス版と言った感じでしたよね。
 
 理想の恋人像を持って、どこかにいないかと探しているのだけれど、実は近くにいて、でも行き違いでなかなか出会うことが出来ない様子を爽やかに描いていた記憶があります。
 
 
 アメリカ・ミュージカル映画の代表選手とも言うべき、ジーン・ケリーと、「ウェストサイド物語」のジョージ・チャキリスを監督のジャック・ドゥミが招いた作品でした。
 
 世界一美しい姉妹と言われたフランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴの役を淳子さんが演じるとしたら、もう一人は誰という話ですが、blackkingは百恵さんでしたが、確かにこれ以上のキャストはいないと私も思いますが、プロデューサの私としては(一体いつから?、「5日から」なんて決して言いません)実現困難であろうということで(夢がなくてゴメンナサイ)、デビュー当時百恵さんに似ていると言われた麻生祐未さんを推したいと思います。
 
 声が百恵さん同様低くて少し違うのですが、近年淳子さんと似ていると思う瞬間がよくあります。
 
 淳子さん復帰の映画になる予定だった(?)根岸監督の「絆」で、淳子さんの演ずる予定の役(?)もやった麻生祐未さんで、どうですか、お客さん。
 (バタッ←倒れた音)
 こんなん出ました。
 (ドテッ)
 ほなサイナラ。
 
 
■■No.048■■
  管理人 - 01/02/18 23:51:24
  コメントのタイトル: NTさんへ
 
 コメント:
  NTさんお久しぶりです。
 
 「ヤンヤン歌うスタジオ」の最終回は私も見ました。
 
 淳子さんは「スタ誕」の時でもそうですが、自分が行けないときには、手紙を出して、その番組に対する思い出を語り、スタッフやファンの人に挨拶をしてくれます。
 
 手紙やコメントも寄せない昌子さんや百恵さんに比べて、番組に対する愛情が伝わり、好感が持てます。
 
 しかし、そのことがテレビ局の人にとって、有り難いような、有り難くないような様子が時々窺えるのが残念です。
 
 それでも、そうした雰囲気を無視して、淳子さんにメッセージを送ろうとする人が時々いて、慕われていたということがわかり嬉しくなったことがありました。
 
 
 百恵さんとの珍しい顔合わせの西部劇コントでは、南部(西部?)のレディに扮した淳子さんが、珍しく吹いていたのが可愛かったですね。
 
 これからも顔出しして下さい。
 
 お願いします。
 
■■No.044■■
  管理人 - 01/02/13 01:06:24
  コメントのタイトル: 夕樹さん、TUBUさん、洋さん、TAMAさんへ
 
 コメント:
  夕樹さん、いつもありがとうございます。
  阿久悠さんとどうしてコンビを解消したのかについては私も知りたいですが、私の知っている限り、記事として出たことはなかったように思います。
  恐らく百恵さんの評価が高くなったのに焦ったスタッフが責任を阿久悠さんに転嫁して、もっと大人びた淳子さんにイメージチェンジをしようとしたような気がしています。
  淳子さんは、阿久悠さんの教えを守った(守りすぎた)優等生でしたが、芸能界的にはスタッフの言うことを聞かない問題児的な部分があり、そのことに責任を感じていたと脚本家の倉本聡さんとの対談で阿久さんが言っておられました。
  人は、他人の意見を聞いているように見えても、他人の中にある自分の意見を聞いているにすぎないというのが私の持論なのですが、淳子さんも、阿久さんの言うことを聞いたと言うより、阿久さんが言われた意見の中にある自分と同じ意見だけを聞いていただけだと私は思っていますが、こんな見方をする私は、人が悪すぎるでしょうか。
  それが人に責任を転嫁しないように自分を律するための一つの方法だと思っているのですが……。
  でもスタッフは、大人になりきれない淳子さんに業を煮やし、仕事と個人的な面での師匠でもあった阿久さんに責任を転嫁して、阿久さんと淳子さんを引き離したのではないかと私は推測していますが、妄想かも知れないので、信用しないでください。
 
 『窓』は、私も好きですが、確かに救いがない歌であることは確かで、淳子さんやスタッフに勢いがなくなっていた証拠のような気がします。
  デビュー当時の、私はスターになるんだと信じて疑っていなかった淳子さんには勢いがありました。
 
  それが『スタ誕』のあっち向いてホイでの驚異的な強さにも出ていましたが、マスコミや芸能界での摩擦に淳子さんが傷つき、天真爛漫にテレビに出ているのを楽しんでいた淳子さんは消え失せ、自分のポジションはここでいいのだろうかと周囲に気を遣うようになり、パワーもしぼんでいったのだと思います。
  芸能界というところは、他人を押しのけてもという人が成功するというのは真理だと思っています。
  淳子さんは、幸か不幸かそういう人ではありませんでした。
  デビュー当時は、天真爛漫に自然に前に出ていたのですが、知恵がつくようになり、それが出来なくなったときから、勢いがなくなりました。
  でもそのころからとても上品な素敵な女性へと変身していったように思います。
 
  以前、山口百恵さんの引退記念映画として「風と共に去りぬ」が、百恵さんのスカーレット役、淳子さんのメラニー役で企画されたときに、映画監督の西河監督が、デビュー当時の淳子さんの方がスカーレットにぴったりだったけれども、今は残念ながら、淳子さん以上のメラニー役者はいないから、というようなことを話しておられたのが、淳子さんの変身を何より物語っていると思います。
  デビュー当時の天真爛漫な淳子さんは、暗い印象の百恵さんよりもスカーレット役にはピッタリでした。
  でも二人とも大人になったときに、百恵さんは強く生きる女性に変身し、淳子さんは人間的に成長し、マリヤ様の生まれ変わりのようなメラニーが似合う女性に変身したのでした。
  勿論、スカーレット役も出来たと思いますが、淳子さんほどメラニー役にピッタリくる女優がおらず、少し落ちる女優さんがやったとしても、百恵淳子組の格というか、パワーに負けることは否定できなかったと思います。
  その点が淳子さんにとって少し不運だったと思います。
  でも人間的にとても素敵な女性になったと私は思っていますし、そのことを淳子さんも悔やんでいないと思います。
  夕樹さんも、女性として、人間として、タレントさんとして素敵に成長されていかれることをお祈りしています。
 
  これからも淳子さんの楽曲を歌って下さいね。
 
  TUBUさん、投稿有り難うございます。
  最初チュープさんかと思ったのですが、ツブさんの方が正解なのでしょうか。
  これからも、よろしくお願いします。
 
  洋さんへ、隠し部屋の件では勝手に伏せ字をしてすみませんでした。
  隠し部屋は、一生懸命探しながら見て下さる方へのご褒美といいますか、あくまでもオマケでして、訪問した方全員にお見せするものではありませんので、ご了承願います。
  これからも投稿よろしくお願いします。
 
  TAMAさん、いつもありがとうございます。
  「黒蜥蜴」とは意外な作品名が出てきて、管理人もびっくりです。
  でも淳子さんの魅力あふれる台詞回しが聞けそうですね。
  あと、江戸川乱歩では、「陰獣」も捨てがたいですね。
  昔の作家では、井上靖さんの作品に出てくる女性像も魅力的だと思っています。
  キャスティングが出来たら(?)、紹介したいと思います。
  淳子さんにやって欲しい役、第2弾も準備中ですので、乞うご期待!!
 
  歌に関しては、ジャズとシャンソンがいいと思っています。
  前にも書いたと思いますが、淳子さんは、英語の歌が似合うと思います。
  素人が英語を歌うと、カタカナ英語になっていて、とても聞いてはいられないのですが、淳子さんの歌はとてもサマになっていると言ったら失礼ですが、本当にいいと思います。
  あと淳子さんの演技力を生かすためには、ドラマチックなシャンソンがいいと思っています。
  具体的な曲に関しては、いずれ発表したいと思います。
 
  昔淳子さんというか、サンミュージックに、こんな映画をやって欲しいとか、ドラマをやって欲しいとか、舞台をやって欲しいとか、こんな歌を唄って欲しいとか、スタッフを含めたキャスティングまでつけた企画書を送ったことを思い出しました。
  よく考えてみれば小学校の頃から、そんなことを考えるのが大好きで、タレントの序列にまで拘って作っていたのだから、成長していませんね(^^;)
  そんな私ですが、どうかお見捨てなきようお願いします。
  それでは。
 
 
■■No.036■■
  管理人 - 00/11/20 22:51:11
  コメントのタイトル: スーパーテレビ情報最前線スペシャルを見て
 
 コメント:
  MottieさんやKAZUさんから情報が寄せられていた日本テレビのスーパーテレビ情報最前線「今夜公開!山口百恵ピンクレディーの真実“スター誕生”物語」 が11月20日(月) 後9:00〜10:24放送されました。
 
  『スター誕生』を愛し、『スタ誕』出身のタレントたちを自分の妹や娘のように可愛がっていたスタッフたちの愛情がよく伝わり、見ていて涙が出そうな所があり、感動的な番組になっていました。
  もしかしたら淳子さんのことをいなかったかのごく扱い、百恵さんよりの番組作りになるのではと案じていましたが、そんな邪推をしたことを恥じたくなるほど、まさしく『スタ誕』ファミリーは今も健在でした。
  池田文雄さんはじめとする素晴らしいスタッフたちに愛されて淳子さんたちは育ったのだということをつくづく感じました。
 
  『スタ誕』秋田予選大会で、他の人が歌っている間の淳子さんの表情を長く捕らえていた珍しいシーンも中にはありましたし、3人娘が揃って物まねをしあっているいつつものシーンや、「花の高三トリオ」解散の日本武道館のシーンも放送されました。
 
  秋田予選大会での淳子さんのことを、日曜自宅でテレビで見たサンミュージックの福田専務は、飛び起きたそうです。
  「可愛いだけで天才」と福田氏に評されていた淳子さん。
  「淳子ちゃんは光り輝く宝石、百恵ちゃんは磨けば光る宝石の原石」と語った『スタ誕』プロデューサー。
  淳子ちゃんの子供らしい歌を意識したせいか、百恵さんのデビュー曲は似たような感じの曲になり、大人っぽい雰囲気の百恵さんには似合わずヒットしなかったと言っていました。
  可愛らしいビジュアルの淳子さんに対して、それを凌駕するものが百恵さんにはないと判断し、桜田淳子路線を避けて通らなければならなくなり、起死回生の手を考えなければならなくなったと堀プロの堀会長が語っていました。
  そこで、きわどい歌詞の歌を歌わせる路線に出て成功したとのことで、「山口百恵は菩薩である」の平岡氏が、太陽のように明るく清純アイドルの権化の桜田淳子にはかなわないので、路線を変更したのが成功したと語っていたのと同じ意味だと思って聞いていました。
 
  ピンクレディーや中森明菜、小泉今日子の時代になると番組スタッフからはもう離れた存在になっていき、番組の人気も低迷していき終了していった様子がよくわかり、寂しく感じました。
  『スタ誕』は古き良き時代の番組であり、その手作りのファミリー的な雰囲気が淳子さんを育て、生かしていたのであり、現代のただ視聴率さえ取れればいいというようなテレビの世界で、はたして淳子さんが生かされるのだろうか、つくづく難しいだろうなと感じてしまった管理人でした。
 
  その他詳しい情報は、他の方にお任せしたいと思います。
  皆様、よろしくお願いします。
  それでは。
 
■■No.034■■
  管理人 - 00/09/09 01:59:36
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  電子メールアドレス:andelsen***po3.nsknet.or****
 コメントのタイトル: 「ルックルック」の9/5放送の報道について
 
 コメント:
 

お久しぶりです。
 

 ただいま2周年記念で、新しいジャンルのデータを入れている最中の管理人です。
 

 Mottieさんの情報と前後しますが、9月5日(火)午前8時30分から放送の「ルックルック今日は」で淳子さんの芸能界復帰の話題を取り上げたビデオが手に入りましたのでご報告します。
 

 タイトルは、「芸能界復帰を熱望!?桜田淳子(42)の皮算用」で、その中で、メディアプロデューサーの酒井政利氏とジャーナリスト二田一比古氏の意見が披露されていましたので、テキストに起こしてみました。
 

 
 <前半省略>
 大原その子レポーター「映画『お引っ越し』では、数々の女優賞を受賞しながらその後は子育てに専念した淳子さん。芸能界復帰の情報は、これまでにも何度となくありましたが、広告塔としてのイメージが強く実現しなかったのです。あれから7年夫が会社を閉鎖したことで、 復帰の可能性が一気に高まってきました。」
 
 酒井政利プロデューサー「彼女って、アイドルというか大変人気があったし、その後も女優として桜田淳子というものを確立していますから、今いい年を重ねて、本当に良い女優としての仕事をするんじゃないかと思うんですよね。」
 
 大原その子レポーター「ブランクがあっても、それだけ魅力があるというのは」
 
 酒井政利プロデューサー「魅力というか、素質は眠らないということですね」
 
 大原その子レポーター「ファンのみならず、芸能界でもまだまだ根強い淳子さん人気。しかし、たとえ復帰したとしても、マイナスイメージが大きいと指摘する声もあるのです」
 
 ジャーナリスト二田氏桜田さんが、じゃあバラエテイーとかですね、いわゆるタレントとしてね、何かやるかっていうと、ネックになるのはやはり統一協会ですよね。統一協会でも、そこそこのね、幹部クラスという話ですから、そうするとやっぱりね、またもう一回芸能界に復帰して、誰かがひょっとするとね、また洗脳されて、なんかその中に入れられるとかですね、それこそ霊感商法云々がですね、なんかある、万が一ということ考えますから、もう復帰と言っても、もうテレビ界って言うのは、ちょっと厳しいと思うんですよね」
 
 大原その子レポーター「コマーシャルというのは」
 
 ジャーナリスト二田氏「コマーシャルはもっと厳しいでしょう」
 
 大原その子レポーター「統一協会の合同結婚式から8年、夫の失業でまたまた浮上した桜田淳子さんの芸能界への復帰の噂。本人も復帰に前向きのようですが、淳子さんが今も統一協会の広告塔であることは間違いないのです」
 
 松永二三夫アナウンサー「昨日もお伝えしましたけれども、ここにきまして突然浮上してきました桜田淳子さん芸能界復帰説なんですが、大原さん、酒井さんと二田さん、両者の考え方全く分かれていますね」
 
 大原その子レポーター「そうなんですね。
 ただですね、淳子さんが復帰するならば女優業でしかも映画であるという意見は一致しているんです。ただ内容が違いますのは、酒井さんの方はもう、とにかく淳子さんの女優としての資質をもう絶賛してましてね、最近崔洋一監督と話をしまして、女優論について戦わせたことがあるんだけれども、とにかく淳子さんを使ってみたいと、そして自分の監督仲間もそんなふうに言っていたよというふうに言っていたということなんですね。そしてあの二田さんの方なんですが、やはり映画復帰、女優業なんですけれども、でもそれはテレビドラマですとか、CMですとか、スポンサーがあるものは、やはりその統一協会のイメージか強いのでダメではないか。そうすると必然的にしばりのない映画ラインなんじゃないかというふうにおっしゃってるわけなんですね。」

 
 <中略>
 
 松永二三夫アナウンサー 「酒井さんの、素質は、才能は眠らないという言葉が胸に残りましたね」
 そして、例によって、「これから見守っていきたいと思います」で締めくくられた報道でした。
 

 
 大原レポーターの「淳子さんが今も統一協会の広告塔であることは間違いないのです」は、「何の根拠をもって間違いないというのかハッキリ言え」と思わずつっこんでいました。
  広告というのは不特定多数を対象にして宣伝活動を行うことをいうわけであり、たとえ淳子さんが統一協会で何らかの活動をしていたところで、それは単なる信仰活動であって、広告とは言えません。
  テレビや雑誌がその報道をしなければ、淳子さんの活動が世に出ることはないのですから、統一協会の広告をしているのは淳子さんではなく、テレビや雑誌などのマスコミ自身です。
  淳子さんより、はるかに責任重大なのはマスコミであることに、世間も早く気づいて欲しいと思います。
 
  ジャーナリストの二田氏については、人について評論をする前にまず日本語の勉強をして欲しいと思いました。
  自信がないのか声が小さく、言葉尻もとてもあいまいで、話が終わったのか続いているのかわからないだらだらとしたお喋りで、こんなに何回も聞き直しをして、途中で断念しようかと思ったほどテキスト化しにくかった人は本当に珍しかったです。
  どうしてこの方の意見を聞いたのかが、私には全くわかりませんでした。
  法律の専門家なのか、宗教の専門家なのか、芸能の専門家なのか、どういう経歴の方なのか、日本テレビはまず説明すべきだったと思います。
  もっともたとえ大学教授であったとしても、発言の中身がどうしようもなければ、結果は一緒ですが。
 
  そんな中で、郷ひろみさん、山口百恵さんら数多くのスターを育てた名プロデューサー・酒井さんからのコメントはたいへん嬉しいものでした。
 

 淳子さんには、是非、映画での復帰を実現させて欲しいと思います。
  その際には、反統一協会キャンペーンをする人たちがロケ地やスタジオなどにやってきて、「淳子さんを使うな」と邪魔しにかかることは目に見えていますので、そんなときは遠慮なく、威力業務妨害、名誉毀損などで彼らを訴えて欲しいと思っています。
  彼らのやっていることこそ、淳子さんの名を「反統一協会キャンペーンの広告塔」として利用しようとする卑怯で卑劣な行為であることを、世間の目に明らかにして欲しいです。
 

 
 日本テレビの松永二三夫アナも、前日の月曜日に、「早く芸能界復帰を果たして欲しいですね」と日本テレビ的にはたぶん問題発言(?)をしてから、わずか一日でトーンダウンしているとはいうものの、相変わらず淳子さんに対して、好意的な見方をしておられることは間違いないようで応援したい気になりました。
 

 
 二田氏の他に、統一協会と言えばこの人と自他共に認める有田芳生氏、あとレポーターの井上公造氏、山形美房氏、みといせいこ女史といったところが、過去に淳子さんの復帰に対して批判的なコメントを言っていた人たちです。
 

 みといせいこ女史などは、淳子さんに対して「宗教をやめろ」と発言し、憲法20条において国民に認められている「信教の自由」を認めない発言をテレビという公器の中で堂々としていました。
 

 自分は失言しても他人の失言は絶対許さないというみとい女史の態度を、私は許したいと思いますが、それは私もそうなる可能性があるからです。
  淳子さんが言われているように、それが法的に違反することならば裁判所に訴えればいいことですし、それが道義的な問題ならば、実際にはどうしようもないことであり、その人のために祈るしか手だてはありません。
  自分が出来ないことを、他人に要求するのは止めるべきですし、自分のしていることが、思いやりのある行動か、そこに愛があるかどうか、自分の胸に問いかけてみれば、そう簡単に人を裁くことが出来ないことに気づくはずです。
 
  日本全国、マスコミも含めて、すべての皆さんが、もっと寛容になりますように。
 


■■No.029■■
  管理人 - 99/05/27 01:38:33
  電子メールアドレス:e_mailto:********geocities.co****
 コメントのタイトル: 今も復帰を望む者さん、ありがとう
 
 コメント:
  今も復帰を望む者さん、投稿ありがとうございます。
 
 私も、ここに来られる皆さんも、淳子さんのことを忘れることができない、ある意味では青春を卒業できないでいる人間なのかも知れません。
 
 
 百恵さんのように、完全燃焼した上で、本人も納得し、ファンも快く見送るというハッピーエンドの結末を見ることなく、舞台途中で降板した形の淳子さんの無念さ(今は、信仰がおありになるからさほどでないかも知れませんが、当時は不本意であったことは確かだと思います)が、われわれによけい不憫さを催させるのだと思います。
 
 
 これが、いい加減なアイドルだったら、とっくの昔に忘れて、過去の栄光でテレビに出てくる元アイドルを見るように、あんなのを好きだったのかと、昔の自分を恥じていたのかも知れませんが、誰よりも仕事を大事にし、自分の気持ちを無理にねじ曲げても、ファンをけっして裏切るようなまねをしない人だとわれわれを信じさせてくれた、今は絶滅してしまったといえるアイドルの中のアイドル、史上最高の優等生アイドルだった淳子さんだったからこそ、いまだにひきずっているのだと思います。
 
 淳子さんを忘れることは、青春が終わり、ただの不純な大人になってしまったことを自覚させられるような恐怖感を感じさせてしまうほど、われわれの心に深く刻みこまれた純粋なアイドルだったと言えましょう。
 
 その純粋さ故に、自分を傷つけ、ファンを始め、周囲の人を巻き込み、迷惑をかけつつも、決してその人たちから怨まれたり、憎まれることなく、心配され、愛され、かばわれる淳子さんは、その意味では、たいへん幸福といえるでしょう。
 
 
 しかし、淳子さん本来の幸福は、今のような家族や近所の人たちとうまくいっているというような小さな幸福ではなく、もっともっと多くの人に笑いや涙の感動を与える、従来の日本にいなかった女性エンターテイナーとしての成功だったはずです。
 
 良家の子女として生まれ、そのままいけば幸福な普通の奥さんになれる資質を持った女の子が、その純粋さ、普通さを失わないまま、芸能人として成功するおとぎ話を、われわれに見せてくれた淳子さんでしたが、そのおとぎ話を信じようとしなかった人たちに対して、淳子さんは今その幸福な普通の主婦として生活することで、改めて、その資質を証明し、そのおとぎ話の完成度を高めたといえるでしょうが、完成はしていないように思います。
 
 
 淳子さんの人生を、小説で例えれば、現在三部まで来ていると思います。
 
 一部が「アイドル編」、二部が「女優編」、三部が「結婚編」、ということになり、このままで終わっても、おかしくありませんが、もし四部があり、「復活編」という形で芸能人として復活すれば、もっと劇的で、もっとスケールが大きい話となり、もっと感動的になると思います。
 
 
 ましてや、淳子さんには、信仰があります。
 その信仰を貫いた生き方をしていただきたいと思います。
 
 淳子さんの純粋さからすれば、現在の統一協会のやり方に満足しているはずがありませんので、もっともっと幹部たちに要求していけばいいと思います。
 
 自分の信仰の告白会見や婚約発表の会見を、統一協会の主導ではなく、自分の主導で行った淳子さんは、合同結婚式でも、文鮮明から直接祝福を受けられる壇上に上がらせ特別扱いしようとした協会の言うことを拒否して、スタンドから動かず、山崎さんや徳田さんたちから恨まれたそうです。
 
 そんな淳子さんが、統一協会の広告塔として利用されたのは、山崎浩子さんが失踪騒ぎになったときだけであり、その時山崎さんが自分の意志で失踪したことを知らされてなかった淳子さんは、自分が幹部たちに利用されたことに不信感を持ち、それ以降、公式会見の場には顔出ししていません。
 
 
 仕事がなくなり、ローンで買った川崎の家を手放してしまった淳子さんには、統一協会に借りがあって(淳子さん自身が統一教会につぎ込んだお金はもっと多いはずで、淳子さんがそう思いこんでいるだけの話)、思い通りにはいかな いかも知れませんが、淳子さんには、正しいことは正しい、間違っていることは間違っているという姿勢を、貫き通して戴きたいと思います。
 
 幹部の人たちより、信仰心が厚いと宗教評論家から折り紙をつけられた淳子さんの影響力は、統一協会でも無視できないと思いますので、法律に違反するような行為や、社会的ルールを逸脱したような行為をすべきではないと主張し、社会から受け入れられるような統一協会にするよう努力していただきたいと思います。
 
 それで言うことを聞いてくれないようなら、脱会し、自分の信仰を貫き通すことこそ淳子さんらしい生き方となり、芸能人としての復活も見えてくる気がします。
 
 
 どうぞ、そうなるよう、「百恵伝説」に対する「淳子神話」が完成するよう、皆様もお祈り下さい。
 
 皆様の投稿、ご意見をお寄せ下さいますよう、お願いいたします。
 
■■No.022■■
  管理人 - 99/02/22 01:47:12
  コメントのタイトル: Re.淳子さんの20代
 
 コメント:
  JSさん、お久しぶりです。
 いつも投稿ありがとうございます。
 
  お話のインタビューは、バッシング当時ではなく、リアルタイムで見ていたと思います。
  その後、淳子さんがアメリカから充電旅行をして帰ってきたとき、高校時代淳子さんのファンを公言していた原辰徳選手がジャイアンツに入団したてで、キャンプ入りするために羽田に来ていたため、原選手とのツーショットを撮りたいとのテレビ局からの要請で、原選手の所に連れて行かれて、無理矢理という感じで会わされた場面も見ていました。
  その時、全然話に乗ってこない原選手にプライドを痛く傷つけられたのか、淳子さんは、当時パーソナリティをしていた「セイヤング」というラジオ番組で、社会人としては私の方が先輩だし、どうして私の方から会いに行かなければいけないのとか思いながらも行ったのに、サービス精神が全然なくて、やっぱり社会人1年生は世間というものがまるでわかっていないという感じで、少し腹を立てていた様子でしたが、その話し方がとても可愛くてチャーミングだったのを今でも覚えています。
 
  淳子さんは、もともと女優志望で、世に出る手段として、歌手になったと発言していたと思いますし、それは嘘ではないと私は思っていますが、それも歌の仕事がうまくいかなかったから出てきた発言であり、負け惜しみと見られても仕方のないことなのかも知れません。
  しかし、淳子さんという人は、信仰を持っている為なのか、そういう人だから信仰を持ったのか、どちらが正しいのかはわかりませんが、自分が苦境にあることを割と楽しめる人ではないかと私は思っています。
  苦しむ必要のないことに、自分で問題意識を持ち、百恵さんの文章にもあったように、自分で自分を苦しめ、追いつめる人であり、そういう自分を結構好きな人だったのではないでしょうか。
  ですから、大スターであった淳子さんが、全く仕事する場を奪われている現状は、我々から見れば、悲惨であり、お気の毒としか言いようのない状況ですが、淳子さん本人は、案外こんな状況にも心が平安なのかも知れませんし、そんな自分に誇りを持っていらっしゃるのかも知れません。
 
  しかし、そんな淳子さんの精神性の高さ、謙虚さが、淳子さんをスターの座から引き下ろしたのかも知れないと私は思っています。
  客観的に見たときに淳子さんは、百恵さんには人気の面では負けていたのかも知れませんが、コンプレックスを持ったり、卑下する必要のない大スターでした。
  当時淳子さんは、芸能人というより、日本の20代の女性の中で一番所得の多かった女性になったことがある筈ですし、年末年始の1週間で51本の番組に出演した記録を岡崎友紀さんとともに持っていて、この記録は未だに破られていないとのことですから、全くコンプレックスを持つ必要などありませんでした。
  なんら悩むことなくスターらしく振る舞っていればいいものを、むしろ謙虚に悩んだり卑下したがゆえに、他のタレントたちの妬み嫉み憎悪の対象になっていったものと思われます。
  淳子さんがいくら謙虚な気持ちで言ったとしても、聞く人はそれを勝者の自慢話としか聞かなかったことでしょう。
  それでは、脇役として出ている私はどうなるの、歌手の後ろで踊っている私はどうなるの、セリフのない私はどうなるの、仕事のない私はどうなるのといった具合に。
 
  しかし、淳子さんはそこらに転がっているようなチンケな薄汚い芸能人になりたいとは思っていなかったでしょうし、もっと志を高く持っていた筈です。
  横綱貴の花は、立ち会い逃げないことで知られていますが、貴花田時代にも、小錦に真正面からぶつかって行っては、見事に負けていました。
  そんな彼をバカじゃないのと言う人もありましたが、彼にとっては真正面からぶつかって勝つことが本当の勝利であって、ただ勝ちさえすればいいのではないと当時から考えていたのだと思います。
  そして、淳子さんもまた、ただ芸能界でスターになることだけが夢ではなく、普通の感覚を持ったまま、芸能界の毒に染まることなく、スターになるという夢を描いていたのだと思います。
  そんな精神性の高さ、純粋さこそが、淳子さんの魅力であり、今日もわれわれの心を離そうとしない理由でもあると思います。
 
  自分にとっての勝利は何か、夢は何かを教えてくれた淳子さんに感謝したいと思います。
  皆さんの投稿をお待ちしております。
 
■■No.021■■
  管理人 - 99/02/20 02:11:36
  コメントのタイトル: トップアイドルの孤独
 
 コメント:
  JOXさん、投稿ありがとうございます。
 
 お話の通り、淳子さんのことを一番理解してくれたアイドルはやはり百恵さんだと思います。
 
 今はどうか分かりませんが、二人が二十歳前後の頃の知名度は98%ぐらいあったという記事を呼んだ記憶があります。
 
 幼稚園児からおじいちゃんおばあちゃんまで知らぬ人のほとんどいない存在であったことのない人間にはわからないプレッシャーや孤独感があったことは間違いありませんし、そんな自分の気持ちをわかってくれるとしたら彼女しかいないと二人とも思っていたことも間違いないと思います。
 
 
 淳子さんは、幼いながら芸能界に就職したという意識を持っていましたし、この掲示板で名の出た阿久悠氏や相沢社長などがこうあってほしいという芸能人像を淳子さんに提示し、淳子さんもそれを素直に受け入れたものと思われますが、淳子さんは家を一歩出たときから「芸能人・桜田淳子」という意識を強く持ち続けたアイドルでしたので、素の時間よりアイドルである時間がはるかに長かった淳子さんにとっては、あるべき芸能人像というよりあるべき人間(自分)像としてとらえられたに違いありません。
 
 ここまでは素の自分ここからは芸能人の私という境界線を設けて使い分けをする生き方より、アイドルとしての自分を本当の自分とする生き方の方が14歳の少女にとっては楽であり自然だったと思われるからです。
 
 そして、相沢社長から、男性タレントを用心するよう教育され、マネージャーとお姉さんとに公私をがっちりガードされた淳子さんは周囲の期待通りというより、期待以上の堅物となってしまい、「25歳たち」で共演した萬田久子さんから、「赤ちゃん」と呼ばれ、岩崎宏美さんからも、「ネンネ」扱いをされるようになってしまいました。
 
 そんな淳子さんの清潔なところや純粋なところをファンは好きだった筈ですが、それはある意味では女性として人間として成長する事を望まなかったということであり、淳子さんがある意味で世間知らずだった責任は、家族やプロダクション関係者だけでなくファンにもあると思います。
 
 淳子さんは他人に責任を転嫁しない人でしょうから、こうしたことは自分の口からは言わないでしょうが、だからといってファンとしての自分の責任がないということにはなりません。
 
 
 そこで、統一協会が不法行為をしたことの責任を淳子さんがなぜとらされなければならないのか、その理不尽さを訴えていくことで、ファンであった私なりの落とし前をつけようと思っています。
 
 実際、統一協会員であるというだけの理由で、淳子さんが非難され、社会的制裁を受けるのはおかしいと思っています。
 
 それをいうのなら、キリスト教やイスラム教にも常識とかけ離れた教えはありますし、キリスト教徒やイスラム教徒のテロ組織もありますが、決行した人間が逮捕されたり制裁されることはあっても、そのことで他のキリスト教徒やイスラム教徒の仕事の場が奪われるなどということ聞いたことがありません。
 
 しかし、日本では現実に、統一協会員であるというだけで、壺を売ったとか紹介したとか、その違法性が全く実証されていないにも関わらず、テレビ局の自主規制か何かは知りませんが、桜田淳子という大スターだった人が、仕事の場を奪われ、スターの座を追われるという形で、すでに社会的責任をとらされています。
 
 そんなことがあっていいのでしょうか。
 
 そんな理不尽な目に遭っている淳子さんの名誉をなんとか回復したいと思い、ファンや関係者、マスコミの方々に、淳子さんの芸能界での実績を再評価していただきたく、このHPを開いたわけです。
 
 
 この掲示板をごらんになった皆様方には、淳子さんの名を出さなくても結構ですから、周囲の人に、自分がしていない事の責任をとらされるのもいやだし、とらせてもいけないということを堂々と主張して戴きたいと思います。
 
 ですから私は、日本人がやったかもしれない中国侵略や朝鮮占領が事実ならば、それはしてはいけないことだったと思うし、これからもしてはいけないことだとは思いますが、だからといって自分のしていない50年も前の出来事について、たとえ謝罪などを要求されても私はしませんし、する必要のないことだと思っています。
 
 皆さんも、自分の問題に置き換えて、考えて見て下されば、ご理解いただけると思います。
 
 
 どうぞ、皆さんの投稿をお待ちしています。
 
■■No.020■■
  管理人 - 99/02/16 03:58:45
  コメントのタイトル: 淳子さんと「スタ誕」
 
 コメント:
  ホリプロでは、森昌子さん、石川さゆりさんに続く第三の女性タレントを見つけホリプロ3人娘を作る計画があったそうで、そこで白羽の矢が当たったのが淳子さんだったのですが、ホリプロばかりにスターが集中してはまずいと日本テレビ側が判断し、サンミュージックに入ることになったそうです。
  その後、百恵さんを獲得したホリプロでは、当初の計画通り、ホリプロ3人娘として売り出そうとしたのですが、日本テレビ側が打ち出した「スタ誕」3人娘(通称中三トリオ)の方が世間では受け入れられ、学年では1年上だった石川さゆりさんははじかれた形となり、ずいぶん悔しい思いをしたようで、さゆりさんの回想場面では淳子さんが一種敵役のような扱いをうけていたような記憶があります。
 
 
 そうしたタレントたちの恨みのせいなのか、それともホリプロにこなかったことを恨みに思ったせいかどうかはわかりませんが、ホリプロ側は、百恵さん、昌子さん、さゆりさんの記事に、目の敵のように淳子さんの名をかませ犬的に利用していたという印象があります。
  百恵さんが、ホリプロに対して不満を持ったのは、淳子さんがサンミュージックでは映画の時は映画だけに専念させてもらえるとか、自分の五年後十年後のことを考えて英語やダンスのレッスンも受けさせてもらえるとか言って自慢したことからホリプロとの違いがわかったことや、自分の方が稼いでいるはずなのに淳子さんの方が所得番付で上のことが多かったことなどが影響していると私は思っているのですが、そうしたこともホリプロが淳子さんを目の敵のようにしている原因の一つだという気がしているというのはうがちすぎというものでしょうか。
 
  サンミュージックの相沢社長がホリプロの前身の東洋企画に勤めていたせいかどうかはわかりませんが、そんなホリプロに対しても、何のリアクションもとらなかったという印象があり、相沢社長に対して大変好人物という良い印象しか持っていない私ですが、この点と統一協会のツボを淳子さんの紹介で会った人から買った件で、淳子さんが売ったかのごとく報道したマスコミに対して、積極的に反論しなかったことだけが若干不満といえば不満といえるかも知れません。
  売ったと紹介したというのでは、話は全く違うはずですし、まして相沢社長は統一協会のセミナーを受け、自分の判断で納得した上で、買ったはずです。
  そのお金が、淳子さんの手に渡っているというなら別ですが、逆に淳子さんは自分の財産も家もなくしてしまいました。
 スターの地位さえも。
 淳子さん本人が何をしたわけでもないのにです。
  プライドの高い淳子さんは、自分がだまされた、自分こそ被害者などとは口が腐っても言わないでしょうが、そのことを誰よりも分かっている相沢社長だけが、淳子さんをマスコミ攻勢から守れる人だと、今でも私は信じています。
  寒い北風攻撃ではなく、温かい太陽迎撃作戦こそ、相沢社長らしいと私は思っています。
 
  そんなサン・ミュージック社長の相沢さんは、「芸能プロの最大の仕事は、スターを異性から守ることだ」と信じているそうです。
  若い娘がデビューすると、必ず声をかける札付きスターがいて、テレビスタジオの片隅で、「がんばりなヨ」のやさしい言葉をかけてくる。
 別世界の人と思っていたあこがれのスターが、励ましてくれれば、有頂天になる。
 「今度食事でもしよう。
 電話番号教えてヨ」が決まり文句。
  恋愛は御法度のため、相沢社長は必ずデビューした娘を自宅に住み込ませたそうです。
 勿論、電話攻勢から守るためです。
  男性歌手の場合、巡業先で必ず女性を要求するタイプの人間が、たまにいて、仕事がたてこんでくると、露骨にイヤな顔をする。
 そこでマネージャーは、女性を探す。
 酒も、覚醒剤も、スターという操り人形のごきげんを取るために、マネージャーが仕掛ける場合が案外、多いとのこと。
  相沢社長は、だから、何も知らない若い子が一番だ、と言う。
 
  こういった「スタ誕」はじめ芸能界ののウラ話が書かれたサイトがあります。
 興味のある方は、ここをクリックしてください。
  皆さんの投稿をお待ちしております。
 
■■No.019■■
  管理人 - 99/01/30 02:39:25
  コメントのタイトル: 阿久悠さんと淳子さんの潔癖
 
 コメント:
 
 作詞家の阿久悠氏が、倉本聡氏との対談の際に、氏の「百恵さんの詩は作らないのですか?」という質問に対し、「自分は、百恵のライバルである淳子側の人間だから、それはないと思います。
 自分はよくピンクレディの親代わりと言われるけれど、彼女たちは、高校を卒業してから、芸能界に就職してきたという感じだから、あくまでも作詞家と歌手という関係だけれども、淳子は違う。
 あの子が、右も左も分からないときに、生き方も含め、あれこれと吹き込んだ責任がある。
 そして、この教え子は、先生が忘れたことも覚えていて、『先生それは違います』と諭す優秀な教え子で、むしろ聞きすぎて困っている。
 勿論、あの子が何を聞き何を聞かないかはあの子の問題であり、私に責任はないのかも知れないけれど、あの子が何か言われると、自分が言われているように責任を感じてしまい、まさしく親のような心境になってしまう。
 だから、百恵に興味はあるけれど、作ることはありません」と断言していたような記憶がありますから、やはり親であり教師のような存在だったのでしょうね。
 
 
 あと、淳子さんと伊藤咲子さんと岩崎宏美さんが、阿久悠氏の家へ来た時に、女性の裸の載っている雑誌(通称エロ雑誌)に関して、三人三様の対応を見せ、三人の人柄と性に関する考え方と、その後の生き方を象徴していたと氏が書いた記事を引用したアイドル本がありました。
 
 淳子さんは、サンミュージックの事務所に来るとそこここに置いてあるエロ雑誌を集めては捨ててしまうので、淳子さんが来る事になってる日の事務所は大騒ぎになるという記事を見たことがありましたが、阿久氏の家へ来てエロ雑誌を見たときも、顔色を変えて捨てに行ったのに対し、伊藤さんはそんな淳子さんを、自分は大人だと言わんばかりに、「子供ね」と軽蔑の笑いを浮かべたそうで、それに対して宏美さんは、二人の対応を笑って見ていたということです。
 
 それを見ていた阿久氏は、淳子さんも伊藤咲子さんも過剰反応ではないかと危惧したそうで、案の定、淳子さんは女性の純潔を重要視する統一協会へ入信して引退状態になり、もう一人の早熟な咲子さんは男性問題を起こした末に水商売の世界へ行ってしまった。
 結局、一番普通だった宏美が普通の結婚をし芸能界にも残ることができたことから、女性は潔癖すぎるのも早熟過ぎるのも問題であることがわかったという結論になったらしいのですが、その後、宏美さんも離婚してしまい、女性タレントが幸福な結婚をすること自体が難しいということだろうとアイドル本の著者は言っていたように思います。
 
 
 よく女性タレントに使われる「最近色っぽくなりましたね」という決まり文句を毛嫌いした淳子さんは、言われるとすぐ「それはどういう意味ですか」と気色ばんで抗議したそうで、何気なく使った記者さんたちは誉め言葉のつもりですから、どうしそんなことに怒るのか理解できなかったようですが、そこまで潔癖だったということなのですね。
 
 しかし潔癖ということは、妥協しないということであり、頑固ということですから、問題意識が強く反省癖のある淳子さんが、寛容な人間になりたいと願ったことは想像に難くなく、それが寛容を説くキリスト教の教義を一部取り入れた統一協会への傾斜につながっていった原因の一つでもあったのではないでしょうか。
 
 そうなると淳子さんのそばに本当のクリスチャンではなく、統一協会の信者であったお姉さんがいたことが、淳子さんにとって最大の災いであった(淳子さん、ゴメンナサイ)と私は思うのですが、淳子さんは今までの人生を否定するようで、きっとそうは思いたくないでしょうね。
 
 
 しかし、統一協会信者のままで現役復帰が難しいことは厳然たる事実です。
 
 復帰のためには、勿論よりよい人生を生きるためというのが第一義ですが、協会を脱退し、本当のクリスチャンになるしかないというのが、昔も今も変わらぬ私の考えです。
 
 そんな単純なこと、簡単なことではないと言われるかもしれませんが、神様を信ずる淳子さんだからこそ出来ることであり、神様を信じていない人にはとても言えないことです。
 
 
 人生はどうなるか最後までわかりませんし、統一協会も大きく変わる可能性もあるわけですから、淳子さんの名誉が回復される日が来ることを私はあきらめてはいません。
 
 そして、たとえ結果がどうなろうと、ファンのためにアイドルとして誠実に生きてくれた淳子さんに対する感謝の気持ちは変わりません。
 
 どうぞ皆さんも温かい目で見守っていただきたいと思います。
 
 皆さんの投稿をお待ちしております。
 
 
■■No.018■■
  管理人 - 99/01/30 01:37:10
  コメントのタイトル: 芸能マスコミ批判
 
 コメント:
  takuyaさん、いつも、ありがとうございます。
  歌の様々な情報、本当にありがとうございました。
  おかげさまでシングルに関しては、ほぼ完成となりましたので、ご確認下さい。
  これからもよろしくお願いします。
 
 
 さて、芸能レポーターたちに関しては、私もたくさん言いたいことがありますが、女性レポーターたちに関しては、局の命令通りに動かなければならず、また使い捨てにされる運命にあるという同情すべき側面もありますので、ここでは取り上げないことにします。
 
 しかし、大御所といわれてふんぞり返っている人たちの中には、芸能レポーターの看板が泣くくらい、芸能人の事、映画、テレビ、舞台、歌のことに関して知らない人が多すぎます。
 
 
 三浦友和さんのことを、山口百恵の旦那としてしか価値のない二流俳優といったレポーターがいました。
 
 百恵さんとの共演以外に、単独で十五本以上の映画に主演し、五十本以上の映画に出演している現代の大スターをつかまえ、二流はないと思います。
 
 昭和20年代以降に生まれた男優で、十本以上の映画に主演しているのは、彼と松田優作さんの二人ぐらいではないでしょうか。
 
 百恵と友和コンビの映画を何本も撮った西河克己監督が、「百恵あっての友和という人がいるけれど、まるで逆で、友和あっての百恵だ」と断言していました。
 
 「百恵だけでは暗くて映画にならないし、爽やかな友和がいればこその百恵だと思うよ。
 その証拠に、友和以外の男優と共演している百恵は全然輝いてなくて魅力がなかった。
 それに対して一方の友和は、百恵がいなくても、檀ふみとでも、魅力的なカップルの映画を撮っていた。
 自分で輝くことが出来る友和が太陽で、その光で輝く百恵が月といった関係だと思う」というのが、二人をよく知る西河監督の結論だったと思いますが、キネマ旬報、映画芸術、ロードショーといった映画雑誌に目を通していた可能性があるのは、福岡翼レポーターぐらいのものでしょうか。
 
 そこまでは要求しないけれども、友和さんは、テレビでも、映画でも、一枚看板で、しかもほとんど一番目か、二番目か、ラストにしか出ない大物であり、淳子さんや大竹しのぶさんと共に、芸能界の一流どころのほとんどと共演しているスター、ということは唯一の男性スターであるというすごいキャリアの持ち主であることぐらい知っていてほしかったし、同じ芸能界に住む人間ならば、それなりの敬意を払ってほしかったと思います。
 
 
 映画に主演したことのある若手俳優を無名俳優といったレポーター。
  ランキングに何度も入っているミュージシャンを私は知らないんですがというレポーター。
  誰でもクンづけ呼ばわりして自分の大物ぶりをアピールするレポーター。
  相手の話を聞こうとせずに、自分の意見を披露して感想を聞こうとするレポーター。
  あまり有名でないタレントには居丈高になって詰問調で聞くくせに大物タレントには愛想笑いを浮かべて聞くレポーター。
  スポーツマンも政治家も有名人はすべて芸能人扱いして追いかけるのに、嘘か本当かわからないけれどもレイプ事件で裁判になっているある宗教団体の名誉会長のことは全く報道しようとしないレポーター。
  そんな人たちにジャーナリストの顔をして、社会正義だの、社会的責任だの、道義的責任だのという言葉を使って、他人を糾弾する資格などあるのでしょうか。
 
 
 昨年、三田佳子さんの息子さんの問題のときには、完全に少年法を無視した報道をしながら、何ら反省しようとせず、逆にそのことを言った三田さんを一方的に糾弾したマスコミ。
 
 松方弘樹さんと仁科明子さんの時もそうですし、今の若の花の離婚問題についても、そんなことは当事者の話し合いがつき、決着がついてから、結果だけを報道すればいいことなのに、なぜか毎日の心境を聞こうとするマスコミ。
 
 人間って自分で自分の気持ちさえよくわからずに生きていると思うし、わからないからこそ生きていけるのかも知れないと思うことがあります。
 わからないこと、見えないことが幸せというか、神様の恵みなのかもしれないと思う私には、毎日のように「今の心境は?」と聞かれる境遇はとても耐えられません。
 
 「有名人は取材を受ける義務があり、マスコミに自分の気持ちを伝える義務がある、そうしなければ周囲の人に迷惑をかかるから早く取材を受けるべき」と言っていたレポーターがいましたが、まるで恐喝です。
  しゃべらなければオマエの行く所行く所を追いかけるぞ、そうすると一緒にいる人が迷惑をすることになるよ、そうされたくなったら話すんだと言わんばかりの行為を暴力と言わずして、何を暴力と言うのでしょう。
 
 「迷惑をかけているのはマスコミ、あなたたちの方です」と言えるのは、番組の視聴者や雑誌の読者であるわれわれだけです。
 
 
 「沈黙は金」と言いますが、今の世の中は黙っていると、それを肯定しているととられてしまう社会であり、事情は変わってきていると思います。
 
 マスコミをチェックする第三者機関の設置が望ましいですが、彼らは報道の自由をタテに反対し、認められることは無いでしょう。
 であるならば、今の社会が資本主義である以上、力を持っているのは消費者であるという原則を生かし、特権を活かすすべを我々は持たなければならないと思います。
 
 効果的ないい方法がないか皆さんも考えてみて下さい。
 いい答が見つかれば教えて下さい。
 よろしくお願いします。
 レポーター批判の巻でした。
 
 
■■No.016■■
  管理人 - 99/01/23 02:38:17
  コメントのタイトル:お礼とお詫び
 


 コメント:
 
 青い鳥さん。
 たかりゅうさん。
 投稿ありがとうございます。
 geocitiesのファイルマネージャーに私自身入ることが出来ず、長時間文字化け状態になったことをお詫びします。
 
 さて、たかりゅうさんのお話にあった例のスキャンダル裁判に淳子さんが出廷したのは昭和54(1979)年3月1日ですが、週刊朝日の記者さんが淳子さんに同情的な記事を書いたのはほとんどの歌手が出廷した後だったと思います。
 少なくとも百恵さんの後でした。
 
 淳子さんが証人第1号として出廷したときに、原告として攻撃的な姿勢だったためか、意図的に相手方弁護士にいじめられてからは、その後の歌手の皆さんは百恵さんも含め、言質をとられまいと「記憶にありません」とか「覚えてません」とかを繰り返したそうですが、芸能マスコミが絶賛した百恵さんの冷静な対応も、その記者さんにはかえって普通の娘らしくないととられたのかあまり好印象ではなかったような書き方だったと思います。
 
 もし調べることが出来るのならば、コピーもしくは画像で送っていただければありがたいのですが。
 
 私は自分でも感心するくらい、いろいろなことを覚えているのですが、時々本当にそんなことがあったのか、自分の妄想ではないかと不安になることがあるので、ぜひお願いしたいと思います。
 
 
 マリファナ事件も含めてスキャンダルに関して、淳子さんは、昭和53(1978)年「週刊ファイト」の1月3日号に、次のようなコメントをしていました。
 
 
 記者「淳子ちゃんにとって過ぎた年はどうでしたか」
 淳子「わたしも含めてですけど、歌謡界のこととして、割と大きな問題が降りかかってきましたね。
 それをわたしは悪い方に取らないで、いい方向に取れた1年じゃなかったかと思っているんです。」
 記者「たとえば?」
 淳子「そうですね。
 マリファナ事件が起きたとき、噂の渦中に巻きこまれたこととか、ジュリーさん(沢田研二)とのスキャンダルが取沙汰されて困ったことなど、わたしよりファンのみなさんに対して大変、ご迷惑をおかけしてしまいました。
 それを困った困ったと小さくならずに、人間社会はこういうことなんだなァと考えたり、噂が出て自分に対するいましめなんじゃないだろうかといったぐあいに解釈できるようになったのが、悪い方に取らなくなった具体的な話と言えます。」
 いやなことがあったとか曖昧な表現をせず、具体的に名を出していうところが、淳子さんらしいですが、その発言を今こうして聞いてみると、すでに宗教的な考え方というか、雰囲気を感じてしまうのは私だけでしょうか。
 
 
 昭和54(1979)年3月1日出廷直前の心境を、「東京スポーツ」に次のように語っています。
 
 記者「問題小説の記事は見ましたか?」
 淳子「ハイ。
 たしか十八歳だったんですが、ワァーッとポロポロと泣いて・・・。
 子供の頃から正義感が強くて告訴できるんですか≠ニ事務所(サン・ミュージック)の人に相談したんです。」
 記者「あなたはよくウワサされますね」
 淳子「私もいわれて悪い気はしませんが、清純派といわれてますでしょ。
 清純派だから意外性があってよく書かれると思うんです。
 ノーコメントでもいいんてすが根がおしゃべりだし、カーッときちゃって・・・。
 もう一度いいますが、そんなことは絶対にありません。
 芸能界はいろんな人が多いから、常に問題意識を持っていなくてはならないんでしょうね。」
 記者「最後に声を大にしていいたいことはありますか?」
 淳子「マスコミの方にお願いするんですが、本当のこと意外は書かないでほしいですね。
 それに検事さんに調書をとられた時、あなたの目を見たらウソをついていないというのがよくわかる、といわれましたし、胸を張って出廷するつもりです。」
 こうして張り切って出ていき、相手方弁護士に見事に返り討ちにあい、更にマスコミにとどめをさされ、彼女は芸能界に絶望していったのだと思います。
 
 
 あと、百恵さんとは、引退後一緒に食事したり、買い物したりしていたようで、テレビで、一緒にいると周囲の人が驚いた顔をするから面白いと笑っていました。
 
 噂になった原辰徳選手とは、友和・百恵夫妻の紹介で会ったという記事を読みましたが、巨人入団の年に空港で偶然出会ったという話を「セイヤング」でしており、その時のにニュアンスではあまりいい印象ではなかったようですから、単なる噂にすぎないのではないでしょうか。
 
 その後、百恵さんとどうなったかは知りませんが、統一協会問題で、付き合いは全く途絶えたのではないでしょうか。
 寂しい話ですが。
  皆さんの投稿をお待ちしています。
 


■■No.015■■
  管理人 - 99/01/17 11:53:59
  コメントのタイトル:百恵さんの誕生日に寄せて
 


 コメント:
  1月17日は、私の大好きな寺内タケシさんの誕生日であると同時に、淳子さんのライバルだった百恵さんの誕生日でした。
 そこで、百恵さんにまつわる話をしたいと思います。
 
  百恵さんが、品川の中学に転校したのは、そこに淳子さんがいたからというのは有名な話ですが、当時二人はもう一人の女友達とともにトイレへ行くのも一緒というくらい仲が良かったそうです。
  百恵さんの引退特集記事にあった話ですが、百恵さんの過去を調べていくと百恵さんはその生い立ちのせいかとても暗い感じの子だったそうですが、この品川中学時代になって少し明るい印象になったそうです。
  それは「スター誕生」に合格し、明るい展望が開けたということも勿論あっただろうけれど、桜田淳子という天真爛漫な少女に出会ったことが大きいとその雑誌は書いていました。
  淳子さんは成績も良く、クラスの人気者で、学校の先生の特長をまねたりしていつも笑いの中心だったそうですが、そのそばに無口だけどニコニコ笑顔の百恵さんの姿があったとのことです。
  しかし、淳子さんのことは知らない先生はいなかったそうですが、百恵さんがその中学にいたことを覚えていない先生が意外に多くて、その存在感には当時大きな差があったようです。
  いつも行動をともにしていたもう一人の女友達も淳子さんと親しかったそうで、淳子さんが仕事で休みの時も、二人の話題の中心は淳子さんで、百恵さんは彼女に、「それまで人間なんてと思っていたけれど淳子ちゃんという人間を知って、人間っていいなと思えるようになった」という話をしたそうで、その時、百恵ちゃんはそれまでどんな生活を送ってきたのだろう、私や淳子ちゃんとは違い苦労をしてきたんだろうなと思ったことを覚えていると語ったそうです。
  百恵さんが賞を逃したときに、「百恵ちゃんと一緒でなくて悲しい」と淳子さんが泣いて、わざとらしいと世間の糾弾を浴びた陰に、そんな二人の関係があったことを伝えた記者はいたのでしょうか。
 
  それ以降、二人は少しずつ間を置くようになりましたが、それは二人がもはや友人というよりライバルとして存在すると見る世間やマスコミやスタッフの視線に抗しきれなかったためと私は見ていますが、「淳子ちゃんの目をいつも意識していた」という百恵さんの言葉を待つまでもなく、二人は互いに認めつつ、意識しながら成長していったことは間違いないと思います。
  世間的には百恵さんの勝利に終わったかのごとく見えた二人の戦いでしたが、百恵さん自身は、二人の最後の対談の時に、「板の上に立ったときの実力は淳子ちゃんが若手でトップ」と意外な敗北宣言を したのでした。
  百恵さんは歌がヒットしようが、映画があたろうが、自分の実力に対してクールな判断をしていたのでした。
 
  作詞家の阿久悠氏が、「百恵淳子の十年後がどうなっていると思うか?」という脚本家の倉本聡氏の質問に対し、「百恵はこのままでいけばとてつもない大スターになるだろうがこのままでいくとも思えない。
 百恵はこれまで人の予想を裏切るスピードで成長してきて、マイナス要素までもがプラスに評価されてしまう好運があったが、世間が百恵の成長のスピードが鈍ったと感じたときには、考えられないくらいの反動が来るかもしれないから、はっきりいって予想は出来ない。
 一方の淳子は、楽に予想できる。
 あの子はこつこつ努力していき、トップではないかも知れないけれど、芸能界の実力派として確固たる地位を築いている筈」と予想しましたが、これは共に、半分あたり半分はずした予想でした。
  百恵さんは、反動が来る前にさっさと引退してしまい、そこまでは読めなかったとはいえ、あのまま行くとは思えないという読みは見事に当たりました。
  淳子さんも、実力派の女優として、映画にテレビに舞台に、彼女ほど多くの賞を取った女優は、大竹しのぶさんを除いて皆無という程の活躍をして見事に予想は当たりましたが、今現在は芸能界におらず、そこまではさすがに読めませんでした。
 
  今言えることは、百恵さんが世間ほどには自分の実力を評価していなかったということと、二人共に、芸能の仕事に関してはともかく、芸能界に対してはとけ込めずにいて、かなり苦しんでいたことは確かだろうということぐらいでしょうか。
 
  映画監督の西河克己監督が、百恵さんが人気が落ちたときに、起死回生の映画の企画として、「風と共に去りぬ」の日本版を用意していて、そのキャストとして、スカーレットに百恵さん、彼女と結婚するバトラーに松田優作さん、スカーレットが恋し続けるアシュレーに三浦友和さん、その妻で聖母マリアのようなメラニーに淳子さんを予定していたが、見事なキャスティングだと今でも思っていると、確か「キネマ旬報」に書いてありました。
  その記事の中で、「デビュー当時のイメージでは桜田淳子の方がスカーレットのイメージに近かったかも知れないけれど、今は桜田淳子以上のメラニー女優はどこ探してもいないのが彼女の不幸かもしれない」という西河監督のコメントが、天真爛漫で怖いものしらずだった淳子さんが、世間の荒波にもまれ、謙虚な優等生へと変貌していかざるを得なかったことを物語っているようで、少ししんみりした記憶があります。
 
  この二人が共に心安らかな日が送れることを祈念しつつ、ペンを置きたいと思います。
 


■■No.012■■
  管理人 - 99/01/01 00:46:46
  コメントのタイトル: あけましておめでとうございます。
 
 コメント:
 
 明けましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 今年は、歌部門の資料を充実させて、淳子さんの歌った歌を全曲調べ上げることと、ドラマや映画、舞台の批評コーナーと、淳子さんと有名人との対談コーナーを立ち上げることを目標としたいと思っています。
 
 どんな小さな情報でも構いませんのでお寄せ下さい。
 お願いいたします。
 
 
 さて、JSさんの言われる通り、レコード大賞と紅白歌合戦があるため、12月31日は歌手の方にとっては、自分の通知簿を渡されるような感じの日で、悲喜こもごもの日と言えると思います。
 
 われわれは自分の成績を世間に公表されることはありませんが、芸能人とスポーツ選手は成績が数字となって表れたり、賞という形で表わされるため、厳しい世界といえましょう。
 
 
 このHPではおなじみの三井さんに言わせれば、芸能人は、庶民とは比べものにならないお金をもらっているのだから同情する必要などないし、むしろ芸に対してはもっともっと厳しい眼で見ていく必要がある、ということになるらしいのですが、淳子さん自身が、14や15で芸能界に入った人間に賞レースというのは精神的にとても厳しいものがあると発言していましたので、やはり同情してしまいますね。
 
 
 本人よりも周囲の人間が賞を獲ろうとがんばっているわけで、そのためにはライバルの足を引っ張ろうとあらぬ噂を立てるという汚い手まで使う陣営もあり、淳子さん自身それに巻き込まれ、とんでもない噂を立てられ傷ついた経験もあるだけに、賞に対しては複雑な思いがあったと思います。
 
 
 新人賞を取ったときにも、淳子さんのことだから、自分がとったら泣かないでしっかり歌おうとか、でもあんまり笑顔を見せて喜んでも他の人に悪いしなとか、他の人がとったら悔しいけれど、そんな顔をしないで笑顔で祝福しようとか、いろいろと考え、自意識過剰の状態になっていたことと思われます。
 
 
 それまで暗かった百恵さんを、いつも笑顔の百恵さんにしたのは、歌手としてデビューできた喜びからだけではなく、そばにいつも天真爛漫な淳子さんがいたからと、百恵さん引退特集の記事の中に書かれていましたが、その天真爛漫さも、性格の明るさも、本人がそれ意識したときから不自然なものになることはわかっているのに、芸能界はそれに気づかないふりを要求する世界でした。
 
 
 何事もオーバーと言われた淳子さんですが、それは淳子さんの特性であり、個性でもあり、自然なことであったわけですが、それを不自然だと言われ、自然にしろと言われた淳子さんが、がんじがらめの状態でどんどん不自然になっていったのも当然の話でした。
 
 
 だからこそ、自分の舞台や自分のラジオの番組が好きと公言していたのだと思います。
 
 テレビと違い、私のことを嫌いな人は、私のステージを見に来ないだろうし、私の番組を聞かないだろうから、のびのびと出来ると言っていました。
 
 
 「セイヤング」で、木の実ナナさんがゲストに見えたとき、同じディズニー大好き人間で話が盛り上がった後に、私日本人には評判が悪いけれども、外国人には評判がいいのという話になりました。
 
 イエスとノーがはっきりしているし、表情がわかりやすいから、日本人の割につきあいやすいと外国の人に評判がいいし、私自身つきあいやすいと、同じ何事もオーバーと言われる悩みを持つ者同士で、意見があって、大いに盛り上がっていました。
 
 
 このように、淳子さんは、最初から日本の芸能界とは異質の人でした。
 
 それまで、歌の世界は、苦節何年とか、貧しくて家族を養うために芸能界に入ってという人ばかりの世界で、淳子さんのように、苦労を知らない良家の娘が、歌や演技することが好きだからという理由で、芸能界に入ることはあまりなかったと思われ、百恵さんとの比較の際も、ハングリーでないことが、さも悪いことであるかのごとく書かれていました。
 
 
 最優秀新人賞を獲った時のちぐはぐな感じを、結局最後まで引きずった感じで、芸能界にとけ込むことのなかった淳子さん。
 
 バカになりきれず、柔らかくもなれなかった淳子さんですが、硬派の優等生アイドルとして私たちの記憶に残ると思います。
 
 しかし、淳子さんは、コメディを得意としていたことからもわかるように可愛い女性の魅力もあり、凛とした上品さもあるという具合で、きわめて多面性も持つタレントでもあるので、そういった面の情報もよろしくお願いしたいと思います。
 
 それでは、これからも投稿を皆様よろしくお願いします。
 
■■No.011■■
 管理人 - 98/12/31 02:03:01
  コメントのタイトル: ビンゴさんよろしく
 
 コメント:
 
 ビンゴさん、アルバムの情報ありがとうございます。
 この情報はHPに生かさせていただきます。
 ありがとうございました。
 
 できれば曲名や、作詞、作曲、編曲のスタッフ名もわかればメールで送っていただきたいのですが、無理でしょうね。
 
 
 私は、以前淳子さんのレコードを1枚も持っていないと発言しましたが、訂正します。
 シングルレコードは1枚も持っていないが正しく、アルバムの方は、「青春前期」、「20才になれば」、「あなたかもしれない」の3枚を持っています。
 
 残念ながらリアルタイムではなく、偶然通りかかった中古レコード店の閉店セールで買ったものですから、あまり大きな顔は出来ないのですが(^^;)。
 
 
 私は、百枚近く、LP盤のアルバムを持っていますが、その半数近くが寺内タケシさんのLPで、歌手の人はベスト盤みたいなアルバムを1枚しか持っていないのがほとんどで、複数枚持っているのは数人しかいませんので、歌手桜田淳子のファンではないような顔をしていたのですが、やはりファンだったのですね。
 
 
 続いて、味の素のCMの件ですが、淳子さんだと思います。
 
 雑誌の小さい欄に、情報として載っていたように記憶しています。
 例によって立ち読みの記憶で、証拠はありませんが、間違いないと思います。
 
 
 あと、余計なことかも知れませんが、
 は文章の中間にはつけず、読点「。」の後につけた方が、文章の区切りと一致して、見やすくなると思います。
 念のために、申し添えておきます。
 
 
 昨日というより、もう一昨日ですが、レコード大賞の40周年特番で、久々に淳子さんの歌っている姿を見ました。
 
 リアルタイムで見ていたはずなのですが、最優秀新人賞を取ったときの態度を不自然と思った印象が強くて(その後に、ロッキード事件で証人として出た人が、国会で署名しようとしたときに、緊張のあまり、手が何十センチもふるえて書けなくなったシーンをテレビで見て、まさしく「事実は小説よりも奇なり」だな、たとえ不自然に見えようと、嘘だとか不自然だとか安易に決めつけてはいけないなということを学び、そのように思った自分を反省しましたが)、歌っているシーンと言えば、最優秀新人賞を取って泣きながらも懸命に歌おうとしているシーンしか覚えていませんでした。
 
 初めに、みんなと一緒に新人賞をもらったときの記憶は全然残っていなかったのですが、今度見た感想としては、大泣きして歌えくなって代わりになぜか堺正章さんが歌っていた浅田美代子さんと比べるまでもなく、意外にまともに歌っていたんだなと感心しました。
 
 なお、この年新人賞を取ったのは、淳子さん、浅田さん、アグネスチャンさん、あべ静江さん、安西マリアさんの合わせて五人でした。
 
 ちなみに、山口百恵さん、石川さゆりさん、キャンディーズらも同期でしたが落選しており、この昭和48年は、昭和55年、昭和57年と並ぶ新人大豊作の年で、その頂点に立ったのが淳子さんでした。
 
 
 また「十七の夏」を歌っている当時は、秋田県生まれの感じがせず、おしゃれで都会的な娘というイメージで見ていたのですが、「化粧」を歌っている頃の洗練された美しさを知っている現在から見ると、やはり少しあか抜けていませんでしたね。
 
 でも素朴な感じが、逆に淳子さんらしく感じられて良かったです。
 
 
 あの番組を、ご本人が見ていたら、どのように思ったのでしょうね。
 
 以前トーク番組に出てきたときに、歌手でいる頃の自分を見て=u自分の妹が歌っているような、いとしい感じで抱きしめてあげたい感じ」、というようなコメントをしていましたが、ほんとにけなげに歌っているという感じで、今更ながらあのような純粋さを感じさせる人はいないと思いました。
 今日のコラムでした(^_^;)。
 
 皆さんの感想、投稿をお待ちしています。
 
■■No.010■■
  br>管理人 - 98/12/25 01:23:56
  コメントのタイトル: クリスマスの日に
 
 コメント:
 
 JSさん、早速CDの情報お送り下さりありがとうございます。
 
 
 JSさんの言われる意味は分かります。
 
 淳子さんは、芸能界に入って、ひたすらだまされまいだまされまいと臆病に用心深く生きて来た気配が見られます。
 
 年がら年中、肩に力が入っていたのも、そのためでしょうし、余裕がなかったこともまた事実でしょう。
 
 
 新聞雑誌で再三書かれていますが、淳子さんと百恵さんの違いは、そのハングリーさにあり、裕福な家庭に育ち(淳子さんが芸能界に入った年に、秋田で家を新築していたといいますから、少なくとも淳子さんの稼ぎをあてにしていませんでしたし、早く辞めて帰ってこいとみんなで言っていたくらいですから)、自分が好きで入った芸能界であり、稼いだお金はそっくり貯金して(統一協会にほとんど吸い取られたという噂ですが)、芸能界をいつやめても構わないと思っていた淳子さんと、お母さんに家を建ててあげるために芸能界に入った百恵さんとでは、その考え方、態度に大きな差があったことは事実だと思います。
 
 その差が、スタッフに対してノーと言った淳子さんと、ノーを言わなかった百恵さんの違いを生んだのであり、スタッフに対する信頼感の相違ともなったものと思われます。
 
 
 たとえば、百恵さんは、スタッフがそれを要求するのは、自分のためによかれと思って、してくれるものと信じていたと発言していましたが、淳子さんは、スタッフを全面的には信用していなかったと思われます。
 
 淳子さん自身が、15や16の小娘が先生と言われる世界ですから、まともに相手していると、こちらもおかしくなりますから、大人の言うことには眉に唾を付けて聞いていたと後に語っていたり、芸能界の人間は建前ばかりで信用できない、芸能の仕事は好きだけれど芸能界は好きではないといっていたくらい、芸能界の人間に不信感を持っていた彼女のことですから、アイドル時代の淳子さんに対して、芸能界関係者で生意気な小娘と思った人は多かったと思いますが、そうでもしなければ自分を守れないと思っていた淳子さんに、むしろ私は同情してしまいます。
 
 
 芸能界に詳しいやくざの話として、「芸能界で、オトコとクスリの両方をやっていないと断言できるタレントが二人だけいる。
 その一人が桜田淳子で、姉さんとプロダクションががっちり守っているし、淳子自身がしっかりしていて、用心深いから、近づきたくてもやくざは近づけないんだ。
 そして、いつも彼女をガードしているお姉さんが、実はやくざも怖がって近づかないような反共団体の幹部ということもあるしね」というような発言があったくらいですから、淳子さんの心配は全くの杞憂というわけでもなかったようです。
 
 
 このHPで何回も話に出すので恐縮ですが、阿久悠氏と倉本聡氏の対談で、百恵さんファンの倉本氏が、芸能界では百恵さんの方が評判いいんでしょう?と質問したときに、必ずしもそうではなく、半々でしょうと、阿久氏は答えています。
 
 妻子持ちの30、40代のディレクターやスタッフに評判いいのが百恵で、独身の20代のADやスタッフと、彼女くらいの子供を持つテレビ局やスポンサー筋の管理職の人間に評判がいいのが淳子ですと答えていたように思います。
 
 
 その後に、倉本氏が、「それでは評価は?」と質問して、阿久悠氏から返った答えが、評価と言うことになると、やはり百恵でしょう。
 百恵は決してノーを言いませんから。
 スタッフにとってこれほどありがたいことはありません。
 ですから、好き嫌いは別にして、プロとしての百恵の悪口を言うスタッフはいないと思います。
 一方の淳子は、百恵よりも、誰よりも真面目で、勉強熱心な努力家だけれども、同時に誰よりも自分の意見を主張しますから。
 でも淳子は、決してわがままを言っているわけではないし、もめごとがあれば、あの子が言っていることの方がたぶん正論なんです。
 そのことはスタッフも分かっていると思うけれど、現場でそれを認めるわけにはいきませんからね、というものでした。
 
 
 それに対して、倉本氏が、それでよくこれまでやってこられましたね、と半ば呆れながら聞いた阿久氏の答が、そこが淳子の強いところであり、精神的にも運の面においてもですが、追い込まれたときに誰かが助け船を出してくれるわけです。
 彼女くらいの子を持つエライさんたちには人気がありますから、というものだったと思います。
 
 ですから、立場によって、淳子さんに対する感じ方や捉え方は違ってくるのではないでしょうか。
 
 
 インタビューの時に、下調べもせずにやってきて、初歩的な質問をした記者に対して、「そんなことはプロフィールに書いてあります。
 プロならもっと勉強してきて」と要求した淳子さんを生意気と書いた記者もいました。
 
 また芸能レポーターの福岡翼氏のように、「淳子さんは、こちらの質問する言葉によって、返ってくる言葉が違ってくるし、その時の気分をできるだけ正確に表現しようとしてくれるから、朝に聞いた答と夜に聞いた答とでは、言っている内容は同じでも、表現の仕方が全く違ってくるから、インタビューのしがいのある相手で、本当に頭のいい人です」と評価する人もいました。
 
 どちらを信ずるかは、結局自分の感性を信ずるしかないのではないでしょうか。
 
 
 淳子さんは、「すばらしき仲間」に中井さんたちと出た最後の方で、合同結婚式で外国人と国際結婚することを念頭に置いた発言をしていたように思います。
 
 これもまた、いずれ録画テープを文章に起こし、載せる予定ですので、今しばらくお待ち下さい。
 
 
 淳子さんは、百恵さんでなくても、そばにいるのが辛くなるような人だったのかも知れません。
 
 でも私は、それを責める気にはなれないのです。
 むしろいい加減に生きてきた私には、こんな純粋な人がいたんだという驚きが強いのです。
 
 
 私は、戦いを好まず、出来るだけ平穏に生きていきたいという願望があるせいか、攻撃的で個性的な人を見ると反発してしまう悪い癖があるのですが、なぜかその人の言動ばかりが気になり、反発しているのに、その人の名が載っている新聞雑誌を探して読み、出ているテレビもつい見てしまうのです。
 
 そして、何年後かに、いつの間にか、その人のことを応援する側になってしまっているのです。
 
 プロレスのアントニオ猪木、相撲の北の湖、歌舞伎の市川猿之助、松本幸四郎、エレキギターの寺内タケシがそうでした。
 
 そして淳子さんは、女性で唯一そういう人でした。
 
 
 みんな毀誉褒貶の激しい人であり、自分にも厳しいが他人に対しても厳しく、妥協しないので、そばにいると疲れるような人ばかりですが、自分が理解できないからといって、自分がそうではないからといって、攻撃する人間にはなりたくないと思うようになりました。
 むしろ、その一生懸命さに感動し、応援したくなるのだと思います。
 
 そうしたことを言いたいがために、このHPや他でHPを開いているのかも知れません。
 
 
 今日はクリスマスです。
 そのイエスは、罪を犯した女性をかばい、彼女に石を投げる人たちに言いました。
 
 「罪のない者はこの女を石で打て」と。
 
 それで、一人減り二人減り、ついに誰もいなくなったそうですが、今の日本は、それでも石を投げる人たちばかりのような気がします。
 
 ここに来られた皆さんのように、優しい人が増えますように祈りながら、この文を終わりたいと思います。
 
 皆さんの文章から、私の頭からか、指からかわかりませんが、言葉があふれ出して止まらなくなり、長くなってしまいました。
 それでは、皆さんの投稿お待ちしております。
 
■■No.009■■
  管理人 - 98/12/25 00:55:27
  電子メールアドレス:********geocities.co****
 コメントのタイトル: takuyaさんへ、ありがとう。
 
 コメント:
 
 takuyaさん、心のこもった投稿ありがとうございます。
 
 全くその通りだと思います。
 
 現役を続けている当時のアイドルたちのほとんどすべてが、淳子さんの前に出れば、コンプレックスを感じ、小さくなるほどのスターであったし、才能の持ち主であったし、努力家であったことを私は信じて疑いません。
 
 
 あの百恵さんが、板(舞台)の上にたてば、淳子ちゃんが若手ではトップ、と言った事実は大きいと思いますし、ある雑誌に、森昌子、桜田淳子山口百恵の3人に、30分なら30分同じだけ時間をやって、3人のファンではない一般観客を相手にして、誰が一番わかすことが出来るかということを、舞台関係者に聞いたら、桜田淳子が一番盛り上げるだろうと予想した人が非常に多かったという記事がありました。
 
 
 またNHKの名プロデューサーであり、名演出家の大原誠氏が、十数年前に、昭和30年代に生まれた若手女優たちの状況を競馬にたとえて語った言葉が印象的ですので、ご紹介しておきます。
 
 現在は、大竹しのぶか頭一つ抜けだし、その後を、夏目雅子、池上季実子、田中裕子、原田美枝子、樋口可南子、古手川祐子、名取裕子(名をあげた順番は違っていると思いますし、メンバー的にも確実な人だけにし、抜け落ちた方もいますが、どうぞご勘弁を)といったところが、横一線に並んでいる状況というのが、芸能界の誰しもが認めるところである。
 
 しかし、女優ということに限らなければ、戦っている場所は違っているけれど、大竹しのぶと実績で並んでいるというより、むしろスターとしての実績で上回っている人間が一人だけいる。
 それは歌手の桜田淳子だ。
 
 大竹しのぶは、映画、テレビ、舞台、そのすべてに実績を持つ希有な天才だけれど、桜田淳子もまた、歌手としてだけでなく、女優として、映画、テレビ、舞台、そのすべてにすばらしい実績を持っている芸能界の超エリートだ。
 
 これからの芸能界は、この二人を中心に展開していくと予想される、というような内容だったと思います。
 
 
 話変わって、彼女が「スター千一夜」という番組に出た時の話です。
 
 司会の坂本九氏が、「自分は縮緬ビブラートがコンプレックスで、未だにとれないでいるのに、淳子ちゃんは、それを克服した。
 どれだけ努力したか、私にはわかります。
 本当にすばらしい」と誉めていました。
 
 
 また淳子さんはあるインタビューで、「私は体が固いの」と嘆いていましたが、何年後かに、前屈姿勢で足を曲げずに手のひらが床につくようになったと見せていました。
 これも努力のたまものでしょう。
 
 
 現在、準備中なのですが、自称「インターネット芸能評論家」の三井さんの協力の下に、淳子さんが出演した映画やテレビドラマ、舞台の淳子さんに関する批評をまとめているところですので、今しばらくお待ちいただきたいと思います。
 
 
 あと時間の都合がついたときで結構ですから、歌の方の情報よろしくお願いします。
 「ミスティ」以降は 分かっていますので、よろしくお願いします。
 
 
■■No.007■■
  管理人 - 98/12/19 00:32:00
  電子メールアドレス:********geocities.co****
 コメントのタイトル: ジュンペーとは懐かしい
 
 コメント:
 宮井さん、貴重な話ありがとうございます。
 
 淳ペーですか。
 そういえばあのトリオは、マコ、ジュンペー、モモタロウと呼び合っていたのでしたね。
 
 
 この呼び名で思い出したことがあります。
 
 3人がまだ高校生の頃、ラジオで3人だけの番組をやり、その時、昌子さんは二人をジュンペー、モモタロウと、百恵さんは二人を昌子ちゃん、ジュンペー、淳子さんは二人を、昌子ちゃん、百恵ちゃんと呼んで、少し他人行儀な言葉遣いをしていました。
 
 その時、私は淳子さんのことを、きどっちゃって、わざとらしい、不自然なヤツと思ってしまいました。
 
 今から思えば、全国放送で、何百万人の人間が聞いているのに、普段と同じにリラックスして話す方が不自然なのに、当時はそんなこと思いもしませんでした。
 
 まわりのことを意識しすぎて、自分を自分でがんじがらめにして、空回りしてしまう自意識過剰は、すでに始まっていたのですね。
 
 
 話が変わりますが、「スタ誕」にシュークリームが出演していたのですね。
 
 そういえば、「スタ誕」の10周年記念かなんかの番組にホーンユキがいたのはそのためなのですね。
 
 後に伊藤さやかちゃんがしていたようなアシスタントをしていたのでしょうか。
 
 
 クロベエや西山くんやしんちゃんというのが、やはりその特番に出ていて、淳子さんが優しくしてくれたのが一番嬉しかったと声をそろえて言っていました。
 
 それに対して淳子さんは、この番組で生まれ育ったのだし、みんな仲間で家族みたいなものと、例によって優等生発言をしていましたが、今思えば、彼女の本心だったのでしょうね。
 
 それを受けて、欽ちゃんが、その連中に、昌子ちゃんにいじめられなかったかと、本音とも冗談ともつかない質問をして、やっぱりそうだったのかと私は一人で納得し笑ったものでした。
 
 
 淳子さんだけでなく、百恵さんも、「スタ誕」の正月特番で出てきてゲームをしているときの顔は、他の番組で見せる顔とは違い、屈託のない笑顔でしたね。
 
 百恵さんにとっても、心のふるさとのような番組だったのでしょうね。
 
 とにかく出身者の顔ぶれを見るとスゴイの一言につきますけど、私が見た中で、覚えているのは、小泉今日子さん、中森明菜さん、岡田有希子さんぐらいでしょうか。
 
 それだけに森田昌子時代から知っている宮井さんは、時代の目撃者と言っても過言ではないくらいの貴重な体験者ですから、これからも証言をよろしくお願いします。
 
 
■■No.007■■
  管理人 - 98/12/17 18:17:23
  電子メールアドレス:********geocities.co****
 コメントのタイトル: 宮井さん、ステージの話聞かせて下さい
 
 コメント:
  宮井さん、投稿ありがとうございます。
 
 私の知らない話が多かったですね。
 
 
 「スタ誕」は、欽ちゃんが辞める少し前くらいしか見ていませんし、あっち向いてホイが異常に強かったとか噂は聞いていますが、リアルタイムでは見ていません。
 そのころのお話を聞かせて下さい。
 
 
 また昭和50年当時のステージはどんな内容でしたか?
 歌以外に、物まねやダンス、詩の朗読、一人芝居、パントマイム、マンガ、マジック、タップダンスなどをやりましたか?
 芸能評論家の伊藤強氏に、今日本で一番聞き応えのあるショーをする歌手が岩崎宏美で、一番見ごたえのあるショーをする歌手が桜田淳子だと後に言われた片鱗はありましたか?
 ぜひ、当時のステージの内容をお知らせ下さい。
 
 
 また酒井マネの名は、初めて聞きます。
 どんな方なのでしょうか?
 福田マネとは、現在サンミュージックの専務になっている福田さんでしょうか?
 「セイヤング」当時は、いっちゃんと読んでいた長井マネや、後に一緒に独立した小林マネの名を番組中で、よく口にしていましたが、宮井さんは、私の知らないことを沢山ご存知のようですね。
 
 
 太川陽介さんは、後にデビューし、アイドルとなりましたが、太川さんのほか、川崎麻世さん、渋谷哲平さん、狩人の弟さん、野々村真さんなんかも、淳子さんのファンで、あこがれていた人たちでしたね。
 
 太川さんは、後に女性週刊誌で、淳子さんと噂になりましたが、その根拠として、ふだん芸能人とつきあわない淳子さんが、太川さんとだけは親しく話をし、一緒にキャッチボールをするほどの仲だったと書いてありました。
 
 ほかのタレントなら、それがどうしたという程度の仲ですが、写真週刊誌が何もない筈はないと半年間追い続けても何も出なかった淳子さんにとっては、唯一親しく話をする男性で可能性が全くない訳じゃないということで記事になったのでしょうね。
 
 
 最後に、淳子さんの歌の作曲者、作詞者、編曲家の名などご存知でしたら、メールでお教え願えないでしょうか。
 画像の方もよろしくお願いします。
 
 投稿の方も、楽しみにお待ちしております。
 
■■No.005■■
 
  管理人 - 98/12/16 01:08:39
  電子メールアドレス:********geocities.co****
 コメントのタイトル: 宮井さん、鏡さん、JSさんありがとう
 
 コメント:
 
 宮井さん、NS、MSIE双方で確認しましたが、文字化けを確認できませんでした。
 メールで詳しい症状をお伝え下さい。
 
 
 鏡さん、秋田予選の時からご存知とはうらやましいですね。
 私の方は田舎で民放が2局しかなく、日本テレビ系列は放送されていなかったのです。
 (ぐすん)
 
  ユージ 君の名前は、プライバシーの侵害になってはいけないので、管理人の権限で苗字を伏せ字にさせていただきました。
 あしからずご了承ください。
 
 
 昭和47年、デビューするために、淳子さんがみんなに見送られて、秋田を出るとき、好きな人が来ていないと探したら、みんなと離れたところで一人ぽつんと見送ってくれていたという思い出も話していましたが、それがユージくんなのでしょうか?
 
 「セイヤング」の放送で、昭和56年の正月に、秋田へ帰ったときに、お父さんが迎えに来てくれたんだけれど、以前好きだった人が自転車をこいでいて、それを追い越すとき、なぜか顔を伏せてしまったという話を披露していましたが、それももしかしたらユージくんなのでしょうか?
 
 なぜか甘酸っぱい感じがするエピソードですね。
 
 
 そしてJSさん。
 言われる意味よく分かります。
 
 山口百恵サイドは、このままの清純派路線では絶対淳子を抜けないと、脱清純派路線を引き、徹底的に差別化を図り、成功しました。
 
 淳子さんと百恵さんを比べ、明と暗、陰と陽、太陽と月、軽と重、鋭と鈍、対照的なライバルとして、そして百恵さんのかませ犬として、徹底的に淳子さんは利用されたのに対して、淳子さんサイドは、素材の良さだけで勝負という感じでなんの仕掛けもしませんでした。
 
 しかし、百恵さんが言っていたように、誰がなんと言おうと自分のペースで成長してきたのが淳子さんですから、仕掛けようとしても淳子さんは乗らなかったのだと思います。
 
 
 百恵さんには、百恵さんの暗さを補って余りある、爽やかな三浦友和という相手役がいました。
 
 彼なくして百恵の成功はなかったと、二人の主演作を何本もとった映画監督西河克己氏が言っていましたが、そういったことも含めて、すべて時代が彼女に味方したのでした。
 
 しかし、阿久悠氏が、今までマイナス要素までプラスに評価され、人の予想を裏切るスピードで成長してきた百恵のスピードが鈍ったと世間が感じたときに一体どうなるのか、予想は難しく、このままいくとはとうてい思えないと案じた予想結果を、芸能界を引退することで回避した百恵さんは、自分が見える賢い人だったということは認めないわけにはいかないと思います。
 
 
  続いて、統一協会問題の時の対応ですが、あのとき淳子さんは、サンミュージックをKマネージャーとともに独立し、オフィスサクラダを設立していましたから、サンミュージックを責めるのは少し可哀想という気がします。
 
 ただ淳子さんが社長に骨壺を買わせたということをマスコミに話したのはまずかったと思います。
 
 淳子さんが売ったわけではなく、淳子さんが紹介した人から社長が買ったわけですから、淳子さんに責任があるかのごとく、淳子さんが売ったかのごとく、マスコミが報道したことに対して、もう少しフォローして戴きたかったという気持ちはありますが、それを言うのは義理人情で知られる相沢社長だからこそで、普通の社長ならもっとひどい仕打ちをしていたと思いますから、私は責めることは出来ないと思っています。
 
 
 私は、淳子さんを通して、そして、今も淳子さんのことを忘れないでいて下さる皆さんを通して、「人を信ずることとは」とか、「言葉とは」 とか、「報道とは」とか、「真実とは」とか、いろいろ考えさせられることが多く、このHPをやってよかったなと思っています。
 
 これからもよろしくお願いします。
 
 
■■No.002■■
  管理人 - 98/12/17 01:15:39
  電子メールアドレス:********geocities.co****
 コメントのタイトル: 仕事ぶりと理解者について
 
 コメント:
 
 近藤さん、いつもありがとうございます。
 
 
 確かに淳子さんと他のアイドルとでは、仕事に対する取り組み方というか、姿勢が違っていました。
 
 
 彼女が芸術祭優秀賞を獲得してから、あるアイドル番組に出演したとき、わずか2,3分のダンスシーンのために、一日数時間のダンス特訓を数日間した後、本番を迎えたそうです。
 
 
 「セイヤング」で、八神純子さんがゲストの時、「アニーよ銃をとれ」に出演している淳子さんの楽屋を訪れ、その電話帳のような分厚い台本を見て、驚いたという話をしていました。
 
 そして、純子ちゃんも舞台をやったらと勧める淳子さんに、セリフを覚えられないし、第一あんなセリフの発声ができない、淳子ちゃんはどうして出来るのと質問したときに、淳子さんは、自分がステージに上がったときに、どういう発声をすればいいか、のどが疲れないようにするためにはどうしたらいいのか、セリフを書いて覚えたり、曲順だけを決めて後は自由に話をしたり、若い時からいろいろ考え、試したりしながらショーをして、将来舞台に上がるための準備をしていたという話をして、八神さんを感心させていました。
 
 
 三上寛さんとの対談の時には、自分のスケジュールをスケジュール表を見なくても全部覚えていて(解散した3人組、2人組の人気アイドルグループたちが、自分がどこにいるのか分からずに仕事をしていたと後に発言していたのとは好対照)、ただでさえ休みが少ないのに、そのわずかな休みの日にダンスや英語のレッスンを入れていて、これは私が自分で頼んで入れてもらっているんで、事務所も目先でなく5年後10年後先のことを考えてくれているんですよと自慢して、三上さんを呆れさせました。
 
 このあとに、三上さんの「あなたは優等生です」発言が出て、淳子さんが泣いて帰る事件が起きるわけですが、誰だってそう言うしかないと思うのですが、一体どう言えば納得したのでしょう。
 本当に難しい人ですね。
 
 
 NHKの昼の番組で、落語の桂枝雀さんが、対談相手に淳子さんを指名したとき、自分が今まで何十人、何百人かの歌手の人と仕事をしてきたが、その中で一番賢い人と思ったのが淳子さんだったからと、指名した理由を説明していました。
 
 その時、淳子さんは、確かに何回か仕事をし、一緒にお芝居のようなこともしましたが、個人的にはほとんどお話をしなかったと思いますが、それなのにどうしてそう言われるのかが分からないというようなことを語ったと思います。
 
 それに対して、話をしなくても、あんさんの仕事の仕方、ディレクターや共演者に対する態度、あんさんの眼、あんさんの姿勢、あんさんの存在そのものが、あんさんという人間の賢さを証明していますというようなことを枝雀さんは言いました。
 
 それに対して、淳子さんは、「あんさん」という言葉がおかしいと笑って逃げ、枝雀さんもうまく逃げましたなとばかり、苦笑していました。
 
 このように、淳子さんのことを感心して見ていた方もおられたのです。
 
 日曜日の昼の番組で、あるベテラン俳優で司会もするYが、合同結婚式で話題になっていた淳子さんの悪口というか、からかい半分のコメントを言ったときに、落語家の桂ざこばさんと、あの上沼恵美子さんが、その番組の司会者で、ほとんどプロデューサーでもあるボスの立場のYに、おろされるかも分からないのに、本番中くってかかった時には、感動しました。
 
 その時、芸能界で孤立していたとばかり思っていた淳子さんでしたが、わずかな付き合いでも、淳子さんの人となりに感銘を受けていた人たちがいたことを知り、安心しました。
 
 「スター誕生」の思い出を語る番組があったときに、司会をしている人たちは出来るだけ淳子さんのことを避けようとしていた雰囲気が窺えましたが、ゲストの清水由貴子さん、篠塚満由美さんたちが、流れに逆らう感じで、淳子さんにはお世話になりましたというコメントを、勇気を奮って、次々にしてくれたときには、本当に感動しました。
 
 だぶんその時見ていたであろう淳子さんも涙を流して喜んだことだろうと思います。
 本当に良かったです。
 
 こうした方々がまだまだおられると思います。
 淳子さんと皆さんの思い出を披露して下さい。
 お待ちしています。
 
 
■■No.001■■
 
  管理人 - 98/12/16 01:08:39
  電子メールアドレス:********geocities.co****
 コメントのタイトル: 宮井さん、鏡さん、JSさんありがとう
 
 コメント:
 
 宮井さん、NS、MSIE双方で確認しましたが、文字化けを確認できませんでした。
 メールで詳しい症状をお伝え下さい。
 
 
 鏡さん、秋田予選の時からご存知とはうらやましいですね。
 私の方は田舎で民放が2局しかなく、日本テレビ系列は放送されていなかったのです。
 (ぐすん)
 
  ユージ 君の名前は、プライバシーの侵害になってはいけないので、管理人の権限で苗字を伏せ字にさせていただきました。
 あしからずご了承ください。
 
 
 昭和47年、デビューするために、淳子さんがみんなに見送られて、秋田を出るとき、好きな人が来ていないと探したら、みんなと離れたところで一人ぽつんと見送ってくれていたという思い出も話していましたが、それがユージくんなのでしょうか?
 
 「セイヤング」の放送で、昭和56年の正月に、秋田へ帰ったときに、お父さんが迎えに来てくれたんだけれど、以前好きだった人が自転車をこいでいて、それを追い越すとき、なぜか顔を伏せてしまったという話を披露していましたが、それももしかしたらユージくんなのでしょうか?
 
 なぜか甘酸っぱい感じがするエピソードですね。
 
 
 そしてJSさん。
 言われる意味よく分かります。
 
 山口百恵サイドは、このままの清純派路線では絶対淳子を抜けないと、脱清純派路線を引き、徹底的に差別化を図り、成功しました。
 
 淳子さんと百恵さんを比べ、明と暗、陰と陽、太陽と月、軽と重、鋭と鈍、対照的なライバルとして、そして百恵さんのかませ犬として、徹底的に淳子さんは利用されたのに対して、淳子さんサイドは、素材の良さだけで勝負という感じでなんの仕掛けもしませんでした。
 
 しかし、百恵さんが言っていたように、誰がなんと言おうと自分のペースで成長してきたのが淳子さんですから、仕掛けようとしても淳子さんは乗らなかったのだと思います。
 
 百恵さんには、百恵さんの暗さを補って余りある、爽やかな三浦友和という相手役がいました。
 
 彼なくして百恵の成功はなかったと、二人の主演作を何本もとった映画監督西河克己氏が言っていましたが、そういったことも含めて、すべて時代が彼女に味方したのでした。
 
 しかし、阿久悠氏が、今までマイナス要素までプラスに評価され、人の予想を裏切るスピードで成長してきた百恵のスピードが鈍ったと世間が感じたときに一体どうなるのか、予想は難しく、このままいくとはとうてい思えないと案じた予想結果を、芸能界を引退することで回避した百恵さんは、自分が見える賢い人だったということは認めないわけにはいかないと思います。
 
 
  続いて、統一協会問題の時の対応ですが、あのとき淳子さんは、サンミュージックをKマネージャーとともに独立し、オフィスサクラダを設立していましたから、サンミュージックを責めるのは少し可哀想という気がします。
 
 ただ淳子さんが社長に骨壺を買わせたということをマスコミに話したのはまずかったと思います。
 
 淳子さんが売ったわけではなく、淳子さんが紹介した人から社長が買ったわけですから、淳子さんに責任があるかのごとく、淳子さんが売ったかのごとく、マスコミが報道したことに対して、もう少しフォローして戴きたかったという気持ちはありますが、それを言うのは義理人情で知られる相沢社長だからこそで、普通の社長ならもっとひどい仕打ちをしていたと思いますから、私は責めることは出来ないと思っています。
 
 
 私は、淳子さんを通して、そして、今も淳子さんのことを忘れないでいて下さる皆さんを通して、「人を信ずることとは」とか、「言葉とは」 とか、「報道とは」とか、「真実とは」とか、いろいろ考えさせられることが多く、このHPをやってよかったなと思っています。
 
 これからもよろしくお願いします。
 

 

 

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