"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

管理人のマイ・ログ・セレクション


  No. 1〜11 
〜1998年の過去ログ〜



 ■■ No.011  ■■
 管理人 - 98/12/31 02:03:01
  コメントのタイトル: ビンゴさんよろしく
 
 コメント:
 
 ビンゴさん、アルバムの情報ありがとうございます。
 この情報はHPに生かさせていただきます。
 ありがとうございました。
 
 できれば曲名や、作詞、作曲、編曲のスタッフ名もわかればメールで送っていただきたいのですが、無理でしょうね。
 
 
 私は、以前淳子さんのレコードを1枚も持っていないと発言しましたが、訂正します。
 シングルレコードは1枚も持っていないが正しく、アルバムの方は、「青春前期」、「20才になれば」、「あなたかもしれない」の3枚を持っています。
 
 残念ながらリアルタイムではなく、偶然通りかかった中古レコード店の閉店セールで買ったものですから、あまり大きな顔は出来ないのですが(^^;)。
 
 
 私は、百枚近く、LP盤のアルバムを持っていますが、その半数近くが寺内タケシさんのLPで、歌手の人はベスト盤みたいなアルバムを1枚しか持っていないのがほとんどで、複数枚持っているのは数人しかいませんので、歌手桜田淳子のファンではないような顔をしていたのですが、やはりファンだったのですね。
 
 
 続いて、味の素のCMの件ですが、淳子さんだと思います。
 
 雑誌の小さい欄に、情報として載っていたように記憶しています。
 例によって立ち読みの記憶で、証拠はありませんが、間違いないと思います。
 
 
 あと、余計なことかも知れませんが、<BR>(実際は半角) は文章の中間にはつけず、読点「。」の後につけた方が、文章の区切りと一致して、見やすくなると思います。
 念のために、申し添えておきます。
 
 
 昨日というより、もう一昨日ですが、レコード大賞の40周年特番で、久々に淳子さんの歌っている姿を見ました。
 
 リアルタイムで見ていたはずなのですが、最優秀新人賞を取ったときの態度を不自然と思った印象が強くて(その後に、ロッキード事件で証人として出た人が、国会で署名しようとしたときに、緊張のあまり、手が何十センチもふるえて書けなくなったシーンをテレビで見て、まさしく「事実は小説よりも奇なり」だな、たとえ不自然に見えようと、嘘だとか不自然だとか安易に決めつけてはいけないなということを学び、そのように思った自分を反省しましたが)、歌っているシーンと言えば、最優秀新人賞を取って泣きながらも懸命に歌おうとしているシーンしか覚えていませんでした。
 
 初めに、みんなと一緒に新人賞をもらったときの記憶は全然残っていなかったのですが、今度見た感想としては、大泣きして歌えくなって代わりになぜか堺正章さんが歌っていた浅田美代子さんと比べるまでもなく、意外にまともに歌っていたんだなと感心しました。
 
 なお、この年新人賞を取ったのは、淳子さん、浅田さん、アグネスチャンさん、あべ静江さん、安西マリアさんの合わせて五人でした。
 
 ちなみに、山口百恵さん、石川さゆりさん、キャンディーズらも同期でしたが落選しており、この昭和48年は、昭和55年、昭和57年と並ぶ新人大豊作の年で、その頂点に立ったのが淳子さんでした。
 
 
 また「十七の夏」を歌っている当時は、秋田県生まれの感じがせず、おしゃれで都会的な娘というイメージで見ていたのですが、「化粧」を歌っている頃の洗練された美しさを知っている現在から見ると、やはり少しあか抜けていませんでしたね。
 
 でも素朴な感じが、逆に淳子さんらしく感じられて良かったです。
 
 
 あの番組を、ご本人が見ていたら、どのように思ったのでしょうね。
 
 以前トーク番組に出てきたときに、歌手でいる頃の自分を見て=u自分の妹が歌っているような、いとしい感じで抱きしめてあげたい感じ」、というようなコメントをしていましたが、ほんとにけなげに歌っているという感じで、今更ながらあのような純粋さを感じさせる人はいないと思いました。
 今日のコラムでした(^_^;)。
 
 皆さんの感想、投稿をお待ちしています。
 
 ■■ No.010  ■■
  br> 管理人 - 98/12/25 01:23:56
  コメントのタイトル: クリスマスの日に
 
 コメント:
 
 JSさん、早速CDの情報お送り下さりありがとうございます。
 
 
 JSさんの言われる意味は分かります。
 
 淳子さんは、芸能界に入って、ひたすらだまされまいだまされまいと臆病に用心深く生きて来た気配が見られます。
 
 年がら年中、肩に力が入っていたのも、そのためでしょうし、余裕がなかったこともまた事実でしょう。
 
 
 新聞雑誌で再三書かれていますが、淳子さんと百恵さんの違いは、そのハングリーさにあり、裕福な家庭に育ち(淳子さんが芸能界に入った年に、秋田で家を新築していたといいますから、少なくとも淳子さんの稼ぎをあてにしていませんでしたし、早く辞めて帰ってこいとみんなで言っていたくらいですから)、自分が好きで入った芸能界であり、稼いだお金はそっくり貯金して(統一協会にほとんど吸い取られたという噂ですが)、芸能界をいつやめても構わないと思っていた淳子さんと、お母さんに家を建ててあげるために芸能界に入った百恵さんとでは、その考え方、態度に大きな差があったことは事実だと思います。
 
 その差が、スタッフに対してノーと言った淳子さんと、ノーを言わなかった百恵さんの違いを生んだのであり、スタッフに対する信頼感の相違ともなったものと思われます。
 
 
 たとえば、百恵さんは、スタッフがそれを要求するのは、自分のためによかれと思って、してくれるものと信じていたと発言していましたが、淳子さんは、スタッフを全面的には信用していなかったと思われます。
 
 淳子さん自身が、15や16の小娘が先生と言われる世界ですから、まともに相手していると、こちらもおかしくなりますから、大人の言うことには眉に唾を付けて聞いていたと後に語っていたり、芸能界の人間は建前ばかりで信用できない、芸能の仕事は好きだけれど芸能界は好きではないといっていたくらい、芸能界の人間に不信感を持っていた彼女のことですから、アイドル時代の淳子さんに対して、芸能界関係者で生意気な小娘と思った人は多かったと思いますが、そうでもしなければ自分を守れないと思っていた淳子さんに、むしろ私は同情してしまいます。
 
 
 芸能界に詳しいやくざの話として、「芸能界で、オトコとクスリの両方をやっていないと断言できるタレントが二人だけいる。
 その一人が桜田淳子で、姉さんとプロダクションががっちり守っているし、淳子自身がしっかりしていて、用心深いから、近づきたくてもやくざは近づけないんだ。
 そして、いつも彼女をガードしているお姉さんが、実はやくざも怖がって近づかないような反共団体の幹部ということもあるしね」というような発言があったくらいですから、淳子さんの心配は全くの杞憂というわけでもなかったようです。
 
 
 このHPで何回も話に出すので恐縮ですが、阿久悠氏と倉本聡氏の対談で、百恵さんファンの倉本氏が、芸能界では百恵さんの方が評判いいんでしょう? と質問したときに、必ずしもそうではなく、半々でしょうと、阿久氏は答えています。
 
 妻子持ちの30、40代のディレクターやスタッフに評判いいのが百恵で、独身の20代のADやスタッフと、彼女くらいの子供を持つテレビ局やスポンサー筋の管理職の人間に評判がいいのが淳子ですと答えていたように思います。
 
 
 その後に、倉本氏が、「それでは評価は?」と質問して、阿久悠氏から返った答えが、評価と言うことになると、やはり百恵でしょう。
 百恵は決してノーを言いませんから。
 スタッフにとってこれほどありがたいことはありません。
 ですから、好き嫌いは別にして、プロとしての百恵の悪口を言うスタッフはいないと思います。
 一方の淳子は、百恵よりも、誰よりも真面目で、勉強熱心な努力家だけれども、同時に誰よりも自分の意見を主張しますから。
 でも淳子は、決してわがままを言っているわけではないし、もめごとがあれば、あの子が言っていることの方がたぶん正論なんです。
 そのことはスタッフも分かっていると思うけれど、現場でそれを認めるわけにはいきませんからね、というものでした。
 
 
 それに対して、倉本氏が、それでよくこれまでやってこられましたね、と半ば呆れながら聞いた阿久氏の答が、そこが淳子の強いところであり、精神的にも運の面においてもですが、追い込まれたときに誰かが助け船を出してくれるわけです。
 彼女くらいの子を持つエライさんたちには人気がありますから、というものだったと思います。
 
 ですから、立場によって、淳子さんに対する感じ方や捉え方は違ってくるのではないでしょうか。
 
 
 インタビューの時に、下調べもせずにやってきて、初歩的な質問をした記者に対して、「そんなことはプロフィールに書いてあります。
 プロならもっと勉強してきて」と要求した淳子さんを生意気と書いた記者もいました。
 
 また芸能レポーターの福岡翼氏のように、「淳子さんは、こちらの質問する言葉によって、返ってくる言葉が違ってくるし、その時の気分をできるだけ正確に表現しようとしてくれるから、朝に聞いた答と夜に聞いた答とでは、言っている内容は同じでも、表現の仕方が全く違ってくるから、インタビューのしがいのある相手で、本当に頭のいい人です」と評価する人もいました。
 
 どちらを信ずるかは、結局自分の感性を信ずるしかないのではないでしょうか。
 
 
 淳子さんは、「すばらしき仲間」に中井さんたちと出た最後の方で、合同結婚式で外国人と国際結婚することを念頭に置いた発言をしていたように思います。
 
 これもまた、いずれ録画テープを文章に起こし、載せる予定ですので、今しばらくお待ち下さい。
 
 
 淳子さんは、百恵さんでなくても、そばにいるのが辛くなるような人だったのかも知れません。
 
 でも私は、それを責める気にはなれないのです。
 むしろいい加減に生きてきた私には、こんな純粋な人がいたんだという驚きが強いのです。
 
 
 私は、戦いを好まず、出来るだけ平穏に生きていきたいという願望があるせいか、攻撃的で個性的な人を見ると反発してしまう悪い癖があるのですが、なぜかその人の言動ばかりが気になり、反発しているのに、その人の名が載っている新聞雑誌を探して読み、出ているテレビもつい見てしまうのです。
 
 そして、何年後かに、いつの間にか、その人のことを応援する側になってしまっているのです。
 
 プロレスのアントニオ猪木、相撲の北の湖、歌舞伎の市川猿之助、松本幸四郎、エレキギターの寺内タケシがそうでした。
 
 そして淳子さんは、女性で唯一そういう人でした。
 
 
 みんな毀誉褒貶の激しい人であり、自分にも厳しいが他人に対しても厳しく、妥協しないので、そばにいると疲れるような人ばかりですが、自分が理解できないからといって、自分がそうではないからといって、攻撃する人間にはなりたくないと思うようになりました。
 むしろ、その一生懸命さに感動し、応援したくなるのだと思います。
 
 そうしたことを言いたいがために、このHPや他でHPを開いているのかも知れません。
 
 
 今日はクリスマスです。
 そのイエスは、罪を犯した女性をかばい、彼女に石を投げる人たちに言いました。
 
 「罪のない者はこの女を石で打て」と。
 
 それで、一人減り二人減り、ついに誰もいなくなったそうですが、今の日本は、それでも石を投げる人たちばかりのような気がします。
 
 ここに来られた皆さんのように、優しい人が増えますように祈りながら、この文を終わりたいと思います。
 
 皆さんの文章から、私の頭からか、指からかわかりませんが、言葉があふれ出して止まらなくなり、長くなってしまいました。
 それでは、皆さんの投稿お待ちしております。
 
 ■■ No.009  ■■
  管理人 - 98/12/25 00:55:27
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 コメントのタイトル: takuyaさんへ、ありがとう。
 
 コメント:
 
 takuyaさん、心のこもった投稿ありがとうございます。
 
 全くその通りだと思います。
 
 現役を続けている当時のアイドルたちのほとんどすべてが、淳子さんの前に出れば、コンプレックスを感じ、小さくなるほどのスターであったし、才能の持ち主であったし、努力家であったことを私は信じて疑いません。
 
 
 あの百恵さんが、板(舞台)の上にたてば、淳子ちゃんが若手ではトップ、と言った事実は大きいと思いますし、ある雑誌に、森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人に、30分なら30分同じだけ時間をやって、3人のファンではない一般観客を相手にして、誰が一番わかすことが出来るかということを、舞台関係者に聞いたら、桜田淳子が一番盛り上げるだろうと予想した人が非常に多かったという記事がありました。
 
 
 またNHKの名プロデューサーであり、名演出家の大原誠氏が、十数年前に、昭和30年代に生まれた若手女優たちの状況を競馬にたとえて語った言葉が印象的ですので、ご紹介しておきます。
 
 現在は、大竹しのぶか頭一つ抜けだし、その後を、夏目雅子、池上季実子、田中裕子、原田美枝子、樋口可南子、古手川祐子、名取裕子(名をあげた順番は違っていると思いますし、メンバー的にも確実な人だけにし、抜け落ちた方もいますが、どうぞご勘弁を)といったところが、横一線に並んでいる状況というのが、芸能界の誰しもが認めるところである。
 
 しかし、女優ということに限らなければ、戦っている場所は違っているけれど、大竹しのぶと実績で並んでいるというより、むしろスターとしての実績で上回っている人間が一人だけいる。
 それは歌手の桜田淳子だ。
 
 大竹しのぶは、映画、テレビ、舞台、そのすべてに実績を持つ希有な天才だけれど、桜田淳子もまた、歌手としてだけでなく、女優として、映画、テレビ、舞台、そのすべてにすばらしい実績を持っている芸能界の超エリートだ。
 
 これからの芸能界は、この二人を中心に展開していくと予想される、というような内容だったと思います。
 
 
 話変わって、彼女が「スター千一夜」という番組に出た時の話です。
 
 司会の坂本九氏が、「自分は縮緬ビブラートがコンプレックスで、未だにとれないでいるのに、淳子ちゃんは、それを克服した。
 どれだけ努力したか、私にはわかります。
 本当にすばらしい」と誉めていました。
 
 
 また淳子さんはあるインタビューで、「私は体が固いの」と嘆いていましたが、何年後かに、前屈姿勢で足を曲げずに手のひらが床につくようになったと見せていました。
 これも努力のたまものでしょう。
 
 
 現在、準備中なのですが、自称「インターネット芸能評論家」の三井さんの協力の下に、淳子さんが出演した映画やテレビドラマ、舞台の淳子さんに関する批評をまとめているところですので、今しばらくお待ちいただきたいと思います。
 
 
 あと時間の都合がついたときで結構ですから、歌の方の情報よろしくお願いします。
 「ミスティ」以降は 分かっていますので、よろしくお願いします。
   
 
 ■■ No.008  ■■
  管理人 - 98/12/23 02:30:07
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 コメントのタイトル: 「白い少女のバラード」を聞いて
 
 コメント:
 
 JSさん、CDの新情報ありがとうございます。
 
 恥ずかしながら、私は知りませんでした。
 どこから知った情報ですか。
 
 今買いに行けばあるのでしょうか。
 お教え願えないでしょうか。
 
 
 皆さんの話を聞いてるうちに、淳子さんの歌が聞きたくなり、今日久しぶりに運転中テープを聞きました。
 
 昔、FMから録音したものを90分に編集し直したテープを2本聞いたのですが、初期の歌と後期の歌とでは歌唱力が全然別人と言ってもいいほどの差があること、それでも初期の頃のあの突き抜けた明るさの迫力というか魅力に改めて気づき、今の若い人たちはこういうアイドルをもてずに可哀想だなと思いました。
 
 
 聞いたテープの中に、「白い少女のバラード」という曲がありましたが、まさしく私の心の中の淳子さんは、「白い少女」というイメージです。
 
 これは主演した映画の題名でもあるわけですが、エッセイストの青木雨彦さんが書いていたエッセーの中にも、淳子さんについて白、それも純白が似合う少女として描かれていた文章がありました。
 
 
 その中で、淳子さんとちあきなおみさんについて、自分が会った中で一番肌の白い女性と書いたら、読者からどちらが本当に白いのか、その違いを言えとクレームが来て、その答えとして、二人の衣装に対する考え方が二人の違いを如実に表しているとして、二人のエピソードが紹介されていました。
 
 ちあきさんに会ったとき、彼女は紫の衣装を着ていて綺麗だったが、近くでよく見ると、ラーメンの汁とかソースのシミがあったので、それを指摘すると衣装が紫色で目立たなくてよかったと笑ったそうです。
 
 それに対し、淳子さんは白い衣装が好きで、それも純白でなければと主張するから困るとマネージャーが言うと、淳子さんは、純白だとすぐ汚れが目立つ、だからいいんじゃないと言ったそうです。
 
 それで結論として、ちあきさんの方は男を知り尽くした大人のアイボリーがかった白い肌であるのに対し、淳子さんの方はミルクのにおいのする赤ちゃんのような白い肌というふうに書いたということです。
 
 
 このように、淳子さんというと、白、純白、純粋、無垢、ピュアと連想され、それでこのHPの題名を考えたときに、淳子さんがやりたがっていたミュージカルでもある「マイフェアレディ」をもじり、「My Pure Lady」としたわけですが、そんな淳子さんのことを好きだという人もまた、いつまでも純粋な少年少女の心を持つロマンチストさんばかりなのでしょうね、きっと。
 
 それでは、皆さんのお便りをお待ちしております。
   
 
 ■■ No.007  ■■
  管理人 - 98/12/19 00:32:00
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 コメントのタイトル: ジュンペーとは懐かしい
 
 コメント:
 宮井さん、貴重な話ありがとうございます。
 
 淳ペーですか。
 そういえばあのトリオは、マコ、ジュンペー、モモタロウと呼び合っていたのでしたね。
 
 
 この呼び名で思い出したことがあります。
 
 3人がまだ高校生の頃、ラジオで3人だけの番組をやり、その時、昌子さんは二人をジュンペー、モモタロウと、百恵さんは二人を昌子ちゃん、ジュンペー、淳子さんは二人を、昌子ちゃん、百恵ちゃんと呼んで、少し他人行儀な言葉遣いをしていました。
 
 その時、私は淳子さんのことを、きどっちゃって、わざとらしい、不自然なヤツと思ってしまいました。
 
 今から思えば、全国放送で、何百万人の人間が聞いているのに、普段と同じにリラックスして話す方が不自然なのに、当時はそんなこと思いもしませんでした。
 
 まわりのことを意識しすぎて、自分を自分でがんじがらめにして、空回りしてしまう自意識過剰は、すでに始まっていたのですね。
 
 
 話が変わりますが、「スタ誕」にシュークリームが出演していたのですね。
 
 そういえば、「スタ誕」の10周年記念かなんかの番組にホーンユキがいたのはそのためなのですね。
 
 後に伊藤さやかちゃんがしていたようなアシスタントをしていたのでしょうか。
 
 
 クロベエや西山くんやしんちゃんというのが、やはりその特番に出ていて、淳子さんが優しくしてくれたのが一番嬉しかったと声をそろえて言っていました。
 
 それに対して淳子さんは、この番組で生まれ育ったのだし、みんな仲間で家族みたいなものと、例によって優等生発言をしていましたが、今思えば、彼女の本心だったのでしょうね。
 
 それを受けて、欽ちゃんが、その連中に、昌子ちゃんにいじめられなかったかと、本音とも冗談ともつかない質問をして、やっぱりそうだったのかと私は一人で納得し笑ったものでした。
 
 
 淳子さんだけでなく、百恵さんも、「スタ誕」の正月特番で出てきてゲームをしているときの顔は、他の番組で見せる顔とは違い、屈託のない笑顔でしたね。
 
 百恵さんにとっても、心のふるさとのような番組だったのでしょうね。
 
 とにかく出身者の顔ぶれを見るとスゴイの一言につきますけど、私が見た中で、覚えているのは、小泉今日子さん、中森明菜さん、岡田有希子さんぐらいでしょうか。
 
 それだけに森田昌子時代から知っている宮井さんは、時代の目撃者と言っても過言ではないくらいの貴重な体験者ですから、これからも証言をよろしくお願いします。
 
 
 ■■ No.007  ■■
  管理人 - 98/12/17 18:17:23
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 コメントのタイトル: 宮井さん、ステージの話聞かせて下さい
 
 コメント:
   宮井さん、投稿ありがとうございます。
 
 私の知らない話が多かったですね。
 
 
 「スタ誕」は、欽ちゃんが辞める少し前くらいしか見ていませんし、あっち向いてホイが異常に強かったとか噂は聞いていますが、リアルタイムでは見ていません。
 そのころのお話を聞かせて下さい。
 
 
 また昭和50年当時のステージはどんな内容でしたか?
 歌以外に、物まねやダンス、詩の朗読、一人芝居、パントマイム、マンガ、マジック、タップダンスなどをやりましたか?
 芸能評論家の伊藤強氏に、今日本で一番聞き応えのあるショーをする歌手が岩崎宏美で、一番見ごたえのあるショーをする歌手が桜田淳子だと後に言われた片鱗はありましたか?
 ぜひ、当時のステージの内容をお知らせ下さい。
 
 
 また酒井マネの名は、初めて聞きます。
 どんな方なのでしょうか?
 福田マネとは、現在サンミュージックの専務になっている福田さんでしょうか?
 「セイヤング」当時は、いっちゃんと読んでいた長井マネや、後に一緒に独立した小林マネの名を番組中で、よく口にしていましたが、宮井さんは、私の知らないことを沢山ご存知のようですね。
 
 
 太川陽介さんは、後にデビューし、アイドルとなりましたが、太川さんのほか、川崎麻世さん、渋谷哲平さん、狩人の弟さん、野々村真さんなんかも、淳子さんのファンで、あこがれていた人たちでしたね。
 
 太川さんは、後に女性週刊誌で、淳子さんと噂になりましたが、その根拠として、ふだん芸能人とつきあわない淳子さんが、太川さんとだけは親しく話をし、一緒にキャッチボールをするほどの仲だったと書いてありました。
 
 ほかのタレントなら、それがどうしたという程度の仲ですが、写真週刊誌が何もない筈はないと半年間追い続けても何も出なかった淳子さんにとっては、唯一親しく話をする男性で可能性が全くない訳じゃないということで記事になったのでしょうね。
 
 
 最後に、淳子さんの歌の作曲者、作詞者、編曲家の名などご存知でしたら、メールでお教え願えないでしょうか。
 画像の方もよろしくお願いします。
 
 投稿の方も、楽しみにお待ちしております。
 
 ■■ No.006  ■■
  管理人 - 98/12/17 01:15:39
  電子メールアドレス:*
 コメントのタイトル: 仕事ぶりと理解者について
 
 コメント:
 
 近藤さん、ごめんなさい。
 少ししかスクロールダウンしなかったので、コメントに気がつきませんでした。
 すみませんでした。
  そして、いつもありがとうございます。
 
 
 確かに淳子さんと他のアイドルとでは、仕事に対する取り組み方というか、姿勢が違っていました。
 
 
 彼女が芸術祭優秀賞を獲得してから、あるアイドル番組に出演したとき、わずか2,3分のダンスシーンのために、一日数時間のダンス特訓を数日間した後、本番を迎えたそうです。
 
 
 「セイヤング」で、八神純子さんがゲストの時、「アニーよ銃をとれ」に出演している淳子さんの楽屋を訪れ、その電話帳のような分厚い台本を見て、驚いたという話をしていました。
 
 そして、純子ちゃんも舞台をやったらと勧める淳子さんに、セリフを覚えられないし、第一あんなセリフの発声ができない、淳子ちゃんはどうして出来るのと質問したときに、淳子さんは、自分がステージに上がったときに、どういう発声をすればいいか、のどが疲れないようにするためにはどうしたらいいのか、セリフを書いて覚えたり、曲順だけを決めて後は自由に話をしたり、若い時からいろいろ考え、試したりしながらショーをして、将来舞台に上がるための準備をしていたという話をして、八神さんを感心させていました。
 
 
 三上寛さんとの対談の時には、自分のスケジュールをスケジュール表を見なくても全部覚えていて(解散した3人組、2人組の人気アイドルグループたちが、自分がどこにいるのか分からずに仕事をしていたと後に発言していたのとは好対照)、ただでさえ休みが少ないのに、そのわずかな休みの日にダンスや英語のレッスンを入れていて、これは私が自分で頼んで入れてもらっているんで、事務所も目先でなく5年後10年後先のことを考えてくれているんですよと自慢して、三上さんを呆れさせました。
 
 このあとに、三上さんの「あなたは優等生です」発言が出て、淳子さんが泣いて帰る事件が起きるわけですが、誰だってそう言うしかないと思うのですが、一体どう言えば納得したのでしょう。
 本当に難しい人ですね。
 
 
 NHKの昼の番組で、落語の桂枝雀さんが、対談相手に淳子さんを指名したとき、自分が今まで何十人、何百人かの歌手の人と仕事をしてきたが、その中で一番賢い人と思ったのが淳子さんだったからと、指名した理由を説明していました。
 
 その時、淳子さんは、確かに何回か仕事をし、一緒にお芝居のようなこともしましたが、個人的にはほとんどお話をしなかったと思いますが、それなのにどうしてそう言われるのかが分からないというようなことを語ったと思います。
 
 それに対して、話をしなくても、あんさんの仕事の仕方、ディレクターや共演者に対する態度、あんさんの眼、あんさんの姿勢、あんさんの存在そのものが、あんさんという人間の賢さを証明していますというようなことを枝雀さんは言いました。
 
 それに対して、淳子さんは、「あんさん」という言葉がおかしいと笑って逃げ、枝雀さんもうまく逃げましたなとばかり、苦笑していました。
 
 
 このように、淳子さんのことを感心して見ていた方もおられたのです。
 
 日曜日の昼の番組で、あるベテラン俳優で司会もするYが、合同結婚式で話題になっていた淳子さんの悪口というか、からかい半分のコメントを言ったときに、落語家の桂ざこばさんと、あの上沼恵美子さんが、その番組の司会者で、ほとんどプロデューサーでもあるボスの立場のYに、おろされるかも分からないのに、本番中くってかかった時には、感動しました。
 
 その時、芸能界で孤立していたとばかり思っていた淳子さんでしたが、わずかな付き合いでも、淳子さんの人となりに感銘を受けていた人たちがいたことを知り、安心しました。
 
 
 「スター誕生」の思い出を語る番組があったときに、司会をしている人たちは出来るだけ淳子さんのことを避けようとしていた雰囲気が窺えましたが、ゲストの清水由貴子さん、篠塚満由美さんたちが、流れに逆らう感じで、淳子さんにはお世話になりましたというコメントを、勇気を奮って、次々にしてくれたときには、本当に感動しました。
 
 だぶんその時見ていたであろう淳子さんも涙を流して喜んだことだろうと思います。
 本当に良かったです。
 
 
 こうした方々がまだまだおられると思います。
 淳子さんと皆さんの思い出を披露して下さい。
 お待ちしています。
     
 ■■ No.005  ■■

  管理人 - 98/12/16 01:08:39
  電子メールアドレス:*
 コメントのタイトル: 宮井さん、鏡さん、JSさんありがとう
 
 コメント:
 
 宮井さん、NS、MSIE双方で確認しましたが、文字化けを確認できませんでした。
 メールで詳しい症状をお伝え下さい。
 
 
 鏡さん、秋田予選の時からご存知とはうらやましいですね。
 私の方は田舎で民放が2局しかなく、日本テレビ系列は放送されていなかったのです。
 (ぐすん)
 
  ユージ 君の名前は、プライバシーの侵害になってはいけないので、管理人の権限で苗字を伏せ字にさせていただきました。
 あしからずご了承ください。
 
 
 昭和47年、デビューするために、淳子さんがみんなに見送られて、秋田を出るとき、好きな人が来ていないと探したら、みんなと離れたところで一人ぽつんと見送ってくれていたという思い出も話していましたが、それがユージくんなのでしょうか?
 
 「セイヤング」の放送で、昭和56年の正月に、秋田へ帰ったときに、お父さんが迎えに来てくれたんだけれど、以前好きだった人が自転車をこいでいて、それを追い越すとき、なぜか顔を伏せてしまったという話を披露していましたが、それももしかしたらユージくんなのでしょうか?
 
 なぜか甘酸っぱい感じがするエピソードですね。
 
 
 そしてJSさん。
 言われる意味よく分かります。
 
 山口百恵サイドは、このままの清純派路線では絶対淳子を抜けないと、脱清純派路線を引き、徹底的に差別化を図り、成功しました。
 
 淳子さんと百恵さんを比べ、明と暗、陰と陽、太陽と月、軽と重、鋭と鈍、対照的なライバルとして、そして百恵さんのかませ犬として、徹底的に淳子さんは利用されたのに対して、淳子さんサイドは、素材の良さだけで勝負という感じでなんの仕掛けもしませんでした。
 
 しかし、百恵さんが言っていたように、誰がなんと言おうと自分のペースで成長してきたのが淳子さんですから、仕掛けようとしても淳子さんは乗らなかったのだと思います。
 
 
 百恵さんには、百恵さんの暗さを補って余りある、爽やかな三浦友和という相手役がいました。
 
 彼なくして百恵の成功はなかったと、二人の主演作を何本もとった映画監督西河克己氏が言っていましたが、そういったことも含めて、すべて時代が彼女に味方したのでした。
 
 しかし、阿久悠氏が、今までマイナス要素までプラスに評価され、人の予想を裏切るスピードで成長してきた百恵のスピードが鈍ったと世間が感じたときに一体どうなるのか、予想は難しく、このままいくとはとうてい思えないと案じた予想結果を、芸能界を引退することで回避した百恵さんは、自分が見える賢い人だったということは認めないわけにはいかないと思います。
 
 
  続いて、統一協会問題の時の対応ですが、あのとき淳子さんは、サンミュージックをKマネージャーとともに独立し、オフィスサクラダを設立していましたから、サンミュージックを責めるのは少し可哀想という気がします。
 
 ただ淳子さんが社長に骨壺を買わせたということをマスコミに話したのはまずかったと思います。
 
 淳子さんが売ったわけではなく、淳子さんが紹介した人から社長が買ったわけですから、淳子さんに責任があるかのごとく、淳子さんが売ったかのごとく、マスコミが報道したことに対して、もう少しフォローして戴きたかったという気持ちはありますが、それを言うのは義理人情で知られる相沢社長だからこそで、普通の社長ならもっとひどい仕打ちをしていたと思いますから、私は責めることは出来ないと思っています。
 
 
 私は、淳子さんを通して、そして、今も淳子さんのことを忘れないでいて下さる皆さんを通して、「人を信ずることとは」とか、「言葉とは」 とか、「報道とは」とか、「真実とは」とか、いろいろ考えさせられることが多く、このHPをやってよかったなと思っています。
 
 これからもよろしくお願いします。
 
 ■■ No.004 ■■
  管理人 - 98/12/14 00:39:08
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 コメントのタイトル: なまり、芸能界での孤立について
 
 コメント:
 
 蒼地さん、がっこの話ありがとうございます。
 
 雅(みやび)の香りとかいて「がっこ」ですか、さすが小野の小町の生まれたところだけあって優雅ですね。
 
 
 さて、なまりの話ですが、彼女は小学校時代から女優志望でしたから、気にしていたでしょうね。
 
 毎朝学校へ出かける前に、国語の本を声を出して読んで、標準語のイントネーションをチェックしていたといいますから、なまりは女優をしていく上での大きなハンディととらえていたと思いますし、事実なまりが残っていたら、女優はつとまらなかったと思います。
 
 
 「すばらしき仲間たち」というトーク番組に、伴淳三郎さん、千昌夫さんと3人で出演したとき、伴さんか千さんか忘れましたが、淳子は普段なまりが出ないけれど、自分が淳子のバッグを開けようとしたときに「何をするんだ」という言葉を、思わず秋田弁で言ったときに、やはりあわてたときには田舎の言葉が出るんだなと思ったと話していました。
 
 
 そのときに印象に残っている千さんの話が2つあります。
 
 一つは、歌謡番組に出演すると、居場所がない感じがして、自分とか新沼謙治とか淳子とかは、なぜかやっぱり端っこの方でくっついて行動してしまう。
 
 東北人の血が呼び合うのかなというようなことを言っていた話。
 
 次は、歌謡番組に出演しても、最近は歌よりもコント中心になるんだけれども、その中で、淳子はせりふを完全に覚えてるんだ。
 
 ほかの連中が、サングラスしたまま、台本を片手に、もう一方の手をポケットに突っ込んで、いい加減にやっているのに、淳子だけはまじめに、時には涙さえ浮かべてやっていると、その連中が馬鹿じゃないの、リハーサルから真剣にやってどうするんだと、いやみを言うんだ。
 
 そんなとき、オレはいいかげんな人間だけど、淳子と一緒の時だけはせりふを一生懸命覚えて、オレの前で、そんな生意気なこと言わせないぞと決意したんだと涙混じりに語った話。
 
 
 どちらも、淳子さんが芸能界で浮いているということを窺わせる話でした。
 
 ■■ No.003  ■■

  管理人 - 98/12/12 23:20:14
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 コメントのタイトル: タモリ、夫婦コント、化粧について
 
 コメント:
  JSさん書き込みありがとうございます。
 
 話の中に出てきた人や作品をキーワードに、話をします。
 
 
 まずタモリさんは、吉永小百合さんの大ファンで(私もそうですか゛)、淳子さんのファンでした。
 
 構成作家であり、ブレーンの高平哲郎さんによれば、淳子さんの前に出ると口も利けないくらいだったそうです。
 
 それで、「笑っていいとも」や「今夜は最高」に出演したのですが、「今夜は最高」で、「淳子のマイフェアレディ」をやったときには、作家の橋本治さんが、最近テレビで見た中で最高のエンターテイメントだったが、その手柄は桜田淳子にあって、むしろしっかりした作りであったが為に、淳子に比べてタモリの芸のなさ、特に下半身に弱点があり(このことはビートたけしさんも指摘)、修練していないことが露呈されてしまった、というような批評をされていました。
 
 タモリさんとは、舞台でも共演しましたが、その舞台の後、「いいとも」を見たら、タモリさんは声が枯れて出なくなっていて、やはりプロは違うみたいな発言をしていました。
 
 
 志村けんさんとの「夫婦コント」については、作家の井上ひさしさんが、雑誌で、絶賛していましたね。
 
 その中で、コメディをやる女優というと、太っていたり、美人でなかったり、品がなかったり、女らしくないというイメージがあったが、ようやく美人で可愛いくて、なおかつ品のあるコメディエンヌが見つかった。
 彼女に落語の「たらちね」のような作品をやらせたい、芸能界のプロデューサー諸氏よろしく、というようなコメントがありました。
 
 
 もっとも当人は、「オリコン」の社長との対談の中で、「全員集合」のスタッフが最近手を抜いていて、ここは志村さんと淳子さんにお任せみたいな台本の作りをしていると批判して、不満げでした。
 
 社長が、「そんなこと言って大丈夫」と心配すると、「いい作品を作りたいから言っているのだし、プロだから分かってもらえるはず」と意に介さない淳子さんでしたが、いかにも淳子さんらしいと思いました。
 
 その対談の中で社長は、「オリコン」の社員の中で、人気投票をすれば間違いなく淳子さんがナンバーワンだろうとコメントしており、対談をする約束の時間より前に来た淳子さんが、知り合いの一人を見つけ、アメリカで見た舞台の話を始め、社長が時間が来たので迎えに来たときには、社員全員を前におもしろおかしく舞台の再現をしていて、誰も自分が来ているのに気づかないほど見入っていたが、それを淳子さんだけは気づいていて、適当なところで切り上げ、みんな名残惜しそうに席に戻るのを見て、本当に根っからのエンターテイナーなんだと感心したというエピソードが紹介されていました。
 
 ここらへんが、高平哲郎さんが評価するところなのでしょう。
 
 
 淳子さんの「化粧」は、「パーティ・イズ・オーバー」と並んで私の好きな曲で、LP盤バージョンもシングル盤バージョンも好きです。
 
 「化粧」については、ビクターの先輩・松尾和子さんがいい曲と認めて、ずっと歌い続けなければだめよ、とアドバイスしたということですし、「神田川」の作詞家・喜多條忠さんも、感情が生過ぎて音がはずれる中島みゆきの「化粧」より、女優らしく、感情を押さえながら、泣き、なおかつ音程の確かな桜田淳子の「化粧」の方がいい、と批評していました。
   
 イメージ的にはあのような言葉遣いは、淳子さんより、中島みゆきさんの方が合うのでしょうが、女優としての表現力が歌唱力につながった感じで、「夜のヒットスタジオ」で歌ったときには、背筋がゾッとするくらい感動しました。
 
 普段何も言わなかった今は亡き父親が「うまいな」と言い、母親も「それにきれい」と言ったのが、今でも忘れられない思い出となっています。
 
 
 みなさんの思い出の中にある淳子さんを、披露して下さい。
 よろしくお願いします。
   
 
 ■■ No.002  ■■
管理人 - 98/12/17 01:15:39
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 コメントのタイトル: 仕事ぶりと理解者について
 
 コメント:
 
 近藤さん、いつもありがとうございます。
 
 
 確かに淳子さんと他のアイドルとでは、仕事に対する取り組み方というか、姿勢が違っていました。
 
 
 彼女が芸術祭優秀賞を獲得してから、あるアイドル番組に出演したとき、わずか2,3分のダンスシーンのために、一日数時間のダンス特訓を数日間した後、本番を迎えたそうです。
 
 
 「セイヤング」で、八神純子さんがゲストの時、「アニーよ銃をとれ」に出演している淳子さんの楽屋を訪れ、その電話帳のような分厚い台本を見て、驚いたという話をしていました。
 
 そして、純子ちゃんも舞台をやったらと勧める淳子さんに、セリフを覚えられないし、第一あんなセリフの発声ができない、淳子ちゃんはどうして出来るのと質問したときに、淳子さんは、自分がステージに上がったときに、どういう発声をすればいいか、のどが疲れないようにするためにはどうしたらいいのか、セリフを書いて覚えたり、曲順だけを決めて後は自由に話をしたり、若い時からいろいろ考え、試したりしながらショーをして、将来舞台に上がるための準備をしていたという話をして、八神さんを感心させていました。
 
 
 三上寛さんとの対談の時には、自分のスケジュールをスケジュール表を見なくても全部覚えていて(解散した3人組、2人組の人気アイドルグループたちが、自分がどこにいるのか分からずに仕事をしていたと後に発言していたのとは好対照)、ただでさえ休みが少ないのに、そのわずかな休みの日にダンスや英語のレッスンを入れていて、これは私が自分で頼んで入れてもらっているんで、事務所も目先でなく5年後10年後先のことを考えてくれているんですよと自慢して、三上さんを呆れさせました。
 
 このあとに、三上さんの「あなたは優等生です」発言が出て、淳子さんが泣いて帰る事件が起きるわけですが、誰だってそう言うしかないと思うのですが、一体どう言えば納得したのでしょう。
 本当に難しい人ですね。
 
 
 NHKの昼の番組で、落語の桂枝雀さんが、対談相手に淳子さんを指名したとき、自分が今まで何十人、何百人かの歌手の人と仕事をしてきたが、その中で一番賢い人と思ったのが淳子さんだったからと、指名した理由を説明していました。
 
 その時、淳子さんは、確かに何回か仕事をし、一緒にお芝居のようなこともしましたが、個人的にはほとんどお話をしなかったと思いますが、それなのにどうしてそう言われるのかが分からないというようなことを語ったと思います。
 
 それに対して、話をしなくても、あんさんの仕事の仕方、ディレクターや共演者に対する態度、あんさんの眼、あんさんの姿勢、あんさんの存在そのものが、あんさんという人間の賢さを証明していますというようなことを枝雀さんは言いました。
 
 それに対して、淳子さんは、「あんさん」という言葉がおかしいと笑って逃げ、枝雀さんもうまく逃げましたなとばかり、苦笑していました。 
 
 このように、淳子さんのことを感心して見ていた方もおられたのです。
 
 日曜日の昼の番組で、あるベテラン俳優で司会もするYが、合同結婚式で話題になっていた淳子さんの悪口というか、からかい半分のコメントを言ったときに、落語家の桂ざこばさんと、あの上沼恵美子さんが、その番組の司会者で、ほとんどプロデューサーでもあるボスの立場のYに、おろされるかも分からないのに、本番中くってかかった時には、感動しました。
 
 その時、芸能界で孤立していたとばかり思っていた淳子さんでしたが、わずかな付き合いでも、淳子さんの人となりに感銘を受けていた人たちがいたことを知り、安心しました。
 
 「スター誕生」の思い出を語る番組があったときに、司会をしている人たちは出来るだけ淳子さんのことを避けようとしていた雰囲気が窺えましたが、ゲストの清水由貴子さん、篠塚満由美さんたちが、流れに逆らう感じで、淳子さんにはお世話になりましたというコメントを、勇気を奮って、次々にしてくれたときには、本当に感動しました。
 
 だぶんその時見ていたであろう淳子さんも涙を流して喜んだことだろうと思います。
 本当に良かったです。
 
 こうした方々がまだまだおられると思います。
 淳子さんと皆さんの思い出を披露して下さい。
 お待ちしています。
     
 
 ■■ No.001  ■■

  管理人 - 98/12/16 01:08:39
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 コメントのタイトル: 宮井さん、鏡さん、JSさんありがとう
 
 コメント:
 
 宮井さん、NS、MSIE双方で確認しましたが、文字化けを確認できませんでした。
 メールで詳しい症状をお伝え下さい。
 
 
 鏡さん、秋田予選の時からご存知とはうらやましいですね。
 私の方は田舎で民放が2局しかなく、日本テレビ系列は放送されていなかったのです。
 (ぐすん)
 
  ユージ 君の名前は、プライバシーの侵害になってはいけないので、管理人の権限で苗字を伏せ字にさせていただきました。
 あしからずご了承ください。
 
 
 昭和47年、デビューするために、淳子さんがみんなに見送られて、秋田を出るとき、好きな人が来ていないと探したら、みんなと離れたところで一人ぽつんと見送ってくれていたという思い出も話していましたが、それがユージくんなのでしょうか?
 
 「セイヤング」の放送で、昭和56年の正月に、秋田へ帰ったときに、お父さんが迎えに来てくれたんだけれど、以前好きだった人が自転車をこいでいて、それを追い越すとき、なぜか顔を伏せてしまったという話を披露していましたが、それももしかしたらユージくんなのでしょうか?
 
 なぜか甘酸っぱい感じがするエピソードですね。
 
 
 そしてJSさん。
 言われる意味よく分かります。
 
 山口百恵サイドは、このままの清純派路線では絶対淳子を抜けないと、脱清純派路線を引き、徹底的に差別化を図り、成功しました。
 
 淳子さんと百恵さんを比べ、明と暗、陰と陽、太陽と月、軽と重、鋭と鈍、対照的なライバルとして、そして百恵さんのかませ犬として、徹底的に淳子さんは利用されたのに対して、淳子さんサイドは、素材の良さだけで勝負という感じでなんの仕掛けもしませんでした。
 
 しかし、百恵さんが言っていたように、誰がなんと言おうと自分のペースで成長してきたのが淳子さんですから、仕掛けようとしても淳子さんは乗らなかったのだと思います。
 
 百恵さんには、百恵さんの暗さを補って余りある、爽やかな三浦友和という相手役がいました。
 
 彼なくして百恵の成功はなかったと、二人の主演作を何本もとった映画監督西河克己氏が言っていましたが、そういったことも含めて、すべて時代が彼女に味方したのでした。
 
 しかし、阿久悠氏が、今までマイナス要素までプラスに評価され、人の予想を裏切るスピードで成長してきた百恵のスピードが鈍ったと世間が感じたときに一体どうなるのか、予想は難しく、このままいくとはとうてい思えないと案じた予想結果を、芸能界を引退することで回避した百恵さんは、自分が見える賢い人だったということは認めないわけにはいかないと思います。
 
 
  続いて、統一協会問題の時の対応ですが、あのとき淳子さんは、サンミュージックをKマネージャーとともに独立し、オフィスサクラダを設立していましたから、サンミュージックを責めるのは少し可哀想という気がします。
 
 ただ淳子さんが社長に骨壺を買わせたということをマスコミに話したのはまずかったと思います。
 
 淳子さんが売ったわけではなく、淳子さんが紹介した人から社長が買ったわけですから、淳子さんに責任があるかのごとく、淳子さんが売ったかのごとく、マスコミが報道したことに対して、もう少しフォローして戴きたかったという気持ちはありますが、それを言うのは義理人情で知られる相沢社長だからこそで、普通の社長ならもっとひどい仕打ちをしていたと思いますから、私は責めることは出来ないと思っています。
 
 
 私は、淳子さんを通して、そして、今も淳子さんのことを忘れないでいて下さる皆さんを通して、「人を信ずることとは」とか、「言葉とは」 とか、「報道とは」とか、「真実とは」とか、いろいろ考えさせられることが多く、このHPをやってよかったなと思っています。
 
 これからもよろしくお願いします。
 


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