"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

管理人のマイ・ログ・セレクション


  No. 12〜33 
〜1999年の過去ログ〜


 ■■ No.033  ■■
  管理人 - 99/09/14 00:31:17
  コメントのタイトル: 「アニーよ銃をとれ」のテープを聴きました。
 
 コメント:
   今日、淳子さんの舞台の代表作「アニーよ銃をとれ」のテープを前半だけですが、聴きました。
   評論家が言っていましたが、「自然のままで」で観客をグンとひきつけてしまい、不安を持っていた人たちの度肝を抜いただろうなと思いました。
   とても22歳とは思えない達者な感じで、台詞に全く危なげがありませんし、その迫力のおかげで、舞台にとても活気があり、芸術祭の優秀賞受賞も当然だと思いました。
   あおい輝彦さんや池田鴻さんの歌唱も見事でした。
   後半部分と、再演(シアターアップル公演)と再々演(奈良公演)のテープもありますので、楽しみです。
 
   さくらんぼさんの書いていた復帰の話ですが、以前にもありました。
   役所広司さんと渡辺謙さんの競演で話題になった「絆」(根岸吉太郎監督)に出演の話があり、ほとんど決定していたそうですが、結局、その役は麻生祐未さんがやりました。
 (そのせいか麻生さんが、とても淳子さんに似ているなと思った私です)
   映画「オーロラの下で」、テレビドラマ「思春期外来」で共演した役所さん、ドラマ「独眼龍政宗」、「居酒屋兆治」で共演した渡辺さん、代表作「遠雷」のラストで淳子さんの「わたしの青い鳥」を主人公に歌わせた根岸監督、この人たちとの仕事を見たかったです。
   ビートたけしさんも書いていますが、淳子さんの仕事を奪う権利は誰にもないと思います。
   くわしくは新館の「はじめに」に書きますが、淳子さんの仕事を奪うことこそ、日本の芸能界の損失であり、罪悪だと感じさせたテープでした。
 
 ■■ No.032  ■■
  管理人 - 99/09/14 00:31:17
  コメントのタイトル: 「アニーよ銃をとれ」のテープを聴きました。
 
 コメント:
   今日、淳子さんの舞台の代表作「アニーよ銃をとれ」のテープを前半だけですが、聴きました。
   評論家が言っていましたが、「自然のままで」で観客をグンとひきつけてしまい、不安を持っていた人たちの度肝を抜いただろうなと思いました。
   とても22歳とは思えない達者な感じで、台詞に全く危なげがありませんし、その迫力のおかげで、舞台にとても活気があり、芸術祭の優秀賞受賞も当然だと思いました。
   あおい輝彦さんや池田鴻さんの歌唱も見事でした。
   後半部分と、再演(シアターアップル公演)と再々演(奈良公演)のテープもありますので、楽しみです。
 
   さくらんぼさんの書いていた復帰の話ですが、以前にもありました。
   役所広司さんと渡辺謙さんの競演で話題になった「絆」(根岸吉太郎監督)に出演の話があり、ほとんど決定していたそうですが、結局、その役は麻生祐未さんがやりました。
 (そのせいか麻生さんが、とても淳子さんに似ているなと思った私です)
   映画「オーロラの下で」、テレビドラマ「思春期外来」で共演した役所さん、ドラマ「独眼龍政宗」、「居酒屋兆治」で共演した渡辺さん、代表作「遠雷」のラストで淳子さんの「わたしの青い鳥」を主人公に歌わせた根岸監督、この人たちとの仕事を見たかったです。
   ビートたけしさんも書いていますが、淳子さんの仕事を奪う権利は誰にもないと思います。
   くわしくは新館の「はじめに」に書きますが、淳子さんの仕事を奪うことこそ、日本の芸能界の損失であり、罪悪だと感じさせたテープでした。
 
 ■■ No.031  ■■
  管理人 - 99/06/02 00:52:50
  コメントのタイトル: さくらんぼさん、MISTYさん、ありがとう
 
 コメント:
   さくらんぼさん、MISTYさん、投稿ありがとうございます。
 
 MISTYさんの情報、近い内に参考にさせていただきます。
 ありがとうございました。
 
 
 さて、先日えりこさんから「アニーよ銃をとれ」についての意見がありましたが、私の長年の疑問が先に立ち、その話題を素通りしてしまった感があり、たいへん失礼をしました。
 
 舞台を見ていない私には、舞台を何度も見られたRYOさん、えりこさんがたいへん羨ましくて仕方がないのですが、私の知るエピソードを二つご紹介したいと思います。
 
 
 初演の打ち上げの時、淳子ちゃんから赤いパジャマをプレゼントされて喜んでいたら、自分だけでなくてみんな貰っていたと知ってがっかりしたというような話を、「ルックルックこんにちは」で、ハナ肇さんがされておられましたが、池田さんももらったのでしょうか。
 
 その番組に出ていたなべおさみさんや沢田亜矢子さんも、淳子さんのことをたいへん高くしていました。
 
 沢田さんは、「スプーン一杯の幸せ」にも同じ女子高校生役(スゴすぎる!)で出演されていたせいか、年齢は9歳上でも、淳子さんには敬語を使って、接していたのが印象的でした。
 
 
 続いて、再演の時にはハナさんの役を元ドリフターズの荒井注さんがしておられましたが、公演中に当時の奥様が重体で芝居になかなか専念できなくて、亡くなられたときにはセリフが全く出てこなくなってしまったというアクシデントがあったそうですが、舞台人の悲哀を感じさせる話で、私には荒井さんをとうてい責める気にはなれません。
 
 かつて永六輔さんが、坂本九さんが、お母さんが亡くなられたことを知りながら、お客さんにそのことを知らせずにステージをつとめ、実に感動的な、坂本九の最高のステージだったと賞賛されていた話を素敵な話だと私は思って聞いたのですが、エレキギターの寺内タケシさんが、親が死んだのに平気でステージをつとめられるわけがない、土下座をしてでも、勘弁して貰うけれど、そのかわり日を改め代替のステージをつとめる際には心を込めて弾かせて貰うと言った話も、素敵な話だと思って聞いてしまった私には、一体どちらが正しいか分からなくなってしまったのです。
 
 結局、正しい正しくないの問題ではなく、その人がいかにその人らしく真剣に生きているかの問題だというふうに私は思うのですが、淳子さんははたしてどちらのタイプなのでしょうか。
 
 私には、前者のタイプのような気がするのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。
 
 
 もう少し肩の力をぬいたらいいと思いつつ、もしそうなったら、そんなの淳子さんらしくないと思ってしまう私は分裂しているし、本当に身勝手だなと思います。
 
 今日は私の誕生日で、そんなファンに最後までつきあって下さった淳子さんに感謝し、淳子さんのことをいまだに忘れないファンの皆さんにも感謝し、自分の両親に感謝し、このHPを作った時の気持ちを忘れずにやっていくことを自分に確認する日としたいと思います。
 
 皆さんの。
 投稿、ご意見をお待ちしています。
 
 
 ■■ No.030  ■■
  管理人 - 99/05/28 00:54:14
  コメントのタイトル: RYOさんありがとうございます
 
 コメント:
   RYOさん、投稿ありがとうございます。
 レコードの情報、期待して待っていますので、メールにて、 文書ファイル(又はテキストファイル)を添付する形で、お送り下さいますよう御願いします。
 
 さて、RYOさんの投稿を読んでいて思いだしたことがありました。
 
 歌手の新沼謙治さんと司会者の徳光和夫さんの対談で、徳光さんは新沼さんのことを高く買っていて、「戦国時代に生まれていたら、一国一城の主になっていただろうほどの男の中の男」と評していましたが、当時独身だった新沼さんに、「桜田淳子ちゃんと結婚したらいいのに」と質問をしたのでした。
 
 当時、新沼さんが淳子さんにあこがれていた気持ちを知っていた上での質問だというふうに私は感じました。
 
 新沼さんはそのとき、淳子ちゃんはお姫様のような存在で、オレとでは釣り合いがとれないし、いつも太陽のように輝いていてほしいと思っている、オレなんかと一緒になれば苦労するのは目に見えているし、そんな苦労はさせられない、というような意味のコメントをしていたように思います。
 
 実に素直に、あこがれの気持ちを吐露していて、好感を抱いた記憶があります。
 
 同じ芸能界のスターからもあこがれられていて、いつも輝いて欲しいと言われたことを淳子さんはどのように思っているのでしょうか。
 
 
 「スター誕生」の産みの親である池田文雄氏から、みんなのリーダー的存在といわれ、歴史的な大豊作といわれた昭和48年デビューの歌手の中でただ一人最優秀新人賞を取り、史上最年少で芸術祭優秀賞を受賞し、ふつう40代になってからもらう芸術選奨新人賞を20代で獲得し、NHKの大原誠氏から、これからの芸能界は大竹しのぶと桜田淳子の二人を中心に展開していくといわれた淳子さん。
 
 その大竹さんとは、時期こそ違え、同じ役で競演した「野田版・国性爺合戦」では、大竹さんより高い評価を受けた淳子さんだったのに、ファンだけでなく業界関係者など多くの人が寄せていた多大な期待を結果として裏切ってしまったことを、一体どのように受け止めておられるのか聞いてみたいところです。
 
 
 過ちは誰にもあることであり、大事なのはいかに反省し、それをこれからの糧にするかだと思います。
 
 オウム真理教や統一協会、サッチーが社会から批判されるのは、自分のしてきたことに対する謝罪と反省がないからです。
 
 淳子さんには、賞を与えて、これからの芸能界を背負っていって貰おうとした業界関係者や、淳子さんに蹴散らされ負けていったライバルたち、そして誰よりもどんなときもマスコミの記事を鵜呑みにすることなく淳子さんを信じてきたファンに対して、責任があると思います。
 
 謝罪し、過去の清算をし、けじめを付けない限り、すっきりとした再出発はできませんし、中途半端な今の状態は、淳子さんらしくないのではないでしょうか。
 
 
 そんな淳子さんのために、どうぞお祈り下さい。
 
 何が正しく何が間違っているかを見極める事の出来る目が、淳子さんに与えられますように。
 
 何が真実で何が嘘かを聞き分ける事の出来る耳が、淳子さんに与えられますように。
 
 間違ったことに、断固立ち向かうことの出来る勇気が、淳子さんに与えられますように。
 
 正しいことを、周囲と軋轢を起こすことなく実行できる知恵が、淳子さんに与えられますように。
 
 いつも喜び、たえず祈り、すべてを感謝することの出来る淳子さんでありますように。
 
 淳子さんの芸能活動が再開出来ますように。
 
 
 皆さんの、投稿、ご意見をお待ちしております。
 
 
 ■■ No.029  ■■
  管理人 - 99/05/27 01:38:33
  電子メールアドレス:e_mailto:*geocities.co*
 コメントのタイトル: 今も復帰を望む者さん、ありがとう
 
 コメント:
   今も復帰を望む者さん、投稿ありがとうございます。
 
 私も、ここに来られる皆さんも、淳子さんのことを忘れることができない、ある意味では青春を卒業できないでいる人間なのかも知れません。
 
 
 百恵さんのように、完全燃焼した上で、本人も納得し、ファンも快く見送るというハッピーエンドの結末を見ることなく、舞台途中で降板した形の淳子さんの無念さ(今は、信仰がおありになるからさほどでないかも知れませんが、当時は不本意であったことは確かだと思います)が、われわれによけい不憫さを催させるのだと思います。
 
 
 これが、いい加減なアイドルだったら、とっくの昔に忘れて、過去の栄光でテレビに出てくる元アイドルを見るように、あんなのを好きだったのかと、昔の自分を恥じていたのかも知れませんが、誰よりも仕事を大事にし、自分の気持ちを無理にねじ曲げても、ファンをけっして裏切るようなまねをしない人だとわれわれを信じさせてくれた、今は絶滅してしまったといえるアイドルの中のアイドル、史上最高の優等生アイドルだった淳子さんだったからこそ、いまだにひきずっているのだと思います。
 
 淳子さんを忘れることは、青春が終わり、ただの不純な大人になってしまったことを自覚させられるような恐怖感を感じさせてしまうほど、われわれの心に深く刻みこまれた純粋なアイドルだったと言えましょう。
 
 その純粋さ故に、自分を傷つけ、ファンを始め、周囲の人を巻き込み、迷惑をかけつつも、決してその人たちから怨まれたり、憎まれることなく、心配され、愛され、かばわれる淳子さんは、その意味では、たいへん幸福といえるでしょう。
 
 
 しかし、淳子さん本来の幸福は、今のような家族や近所の人たちとうまくいっているというような小さな幸福ではなく、もっともっと多くの人に笑いや涙の感動を与える、従来の日本にいなかった女性エンターテイナーとしての成功だったはずです。
 
 良家の子女として生まれ、そのままいけば幸福な普通の奥さんになれる資質を持った女の子が、その純粋さ、普通さを失わないまま、芸能人として成功するおとぎ話を、われわれに見せてくれた淳子さんでしたが、そのおとぎ話を信じようとしなかった人たちに対して、淳子さんは今その幸福な普通の主婦として生活することで、改めて、その資質を証明し、そのおとぎ話の完成度を高めたといえるでしょうが、完成はしていないように思います。
 
 
 淳子さんの人生を、小説で例えれば、現在三部まで来ていると思います。
 
 一部が「アイドル編」、二部が「女優編」、三部が「結婚編」、ということになり、このままで終わっても、おかしくありませんが、もし四部があり、「復活編」という形で芸能人として復活すれば、もっと劇的で、もっとスケールが大きい話となり、もっと感動的になると思います。
 
 
 ましてや、淳子さんには、信仰があります。
 その信仰を貫いた生き方をしていただきたいと思います。
 
 淳子さんの純粋さからすれば、現在の統一協会のやり方に満足しているはずがありませんので、もっともっと幹部たちに要求していけばいいと思います。
 
 自分の信仰の告白会見や婚約発表の会見を、統一協会の主導ではなく、自分の主導で行った淳子さんは、合同結婚式でも、文鮮明から直接祝福を受けられる壇上に上がらせ特別扱いしようとした協会の言うことを拒否して、スタンドから動かず、山崎さんや徳田さんたちから恨まれたそうです。
 
 そんな淳子さんが、統一協会の広告塔として利用されたのは、山崎浩子さんが失踪騒ぎになったときだけであり、その時山崎さんが自分の意志で失踪したことを知らされてなかった淳子さんは、自分が幹部たちに利用されたことに不信感を持ち、それ以降、公式会見の場には顔出ししていません。
 
 
 仕事がなくなり、ローンで買った川崎の家を手放してしまった淳子さんには、統一協会に借りがあって(淳子さん自身が統一教会につぎ込んだお金はもっと多いはずで、淳子さんがそう思いこんでいるだけの話)、思い通りにはいかな いかも知れませんが、淳子さんには、正しいことは正しい、間違っていることは間違っているという姿勢を、貫き通して戴きたいと思います。
 
 幹部の人たちより、信仰心が厚いと宗教評論家から折り紙をつけられた淳子さんの影響力は、統一協会でも無視できないと思いますので、法律に違反するような行為や、社会的ルールを逸脱したような行為をすべきではないと主張し、社会から受け入れられるような統一協会にするよう努力していただきたいと思います。
 
 それで言うことを聞いてくれないようなら、脱会し、自分の信仰を貫き通すことこそ淳子さんらしい生き方となり、芸能人としての復活も見えてくる気がします。
 
 
 どうぞ、そうなるよう、「百恵伝説」に対する「淳子神話」が完成するよう、皆様もお祈り下さい。
 
 皆様の投稿、ご意見をお寄せ下さいますよう、お願いいたします。
 
 ■■ No.028  ■■
  管理人 - 99/05/23 00:32:14
  コメントのタイトル: JSさん、ありがとう
 
 コメント:
   JSさん、いつもありがとうございます。
   確かに、寺泉さんとは、舞台やドラマなどで4本共演していて、噂になったことはありましたが、当時寺泉さんが檀ふみさんとつきあっておられたのは有名な話で、「アニーよ銃をとれ」の寺泉さんの楽屋に、檀さんが毎日のように来ていて世話をしていたという記事を読んだことがありますので、「アニーよ銃をとれ」の宣伝のための話題作りにすぎない噂だったと思います。
 全くみもふたもないというか、夢のない話でゴメンナサイ
 
   あとJSさんの割り切れない気持ちは、よくわかります。
   結論から言えば、淳子さんは壺を売っていないと思います。
   「売った」というのは、それによって淳子さんの懐にお金が入ったとか、淳子さんが直接買ってくれと交渉した場合に言うべき言葉であって、正しくは「紹介した」と表現すべきでしょう。
 
   淳子さんに壺を売った疑惑がかかったのは、元の所属プロダクションであるサンミュージックの相沢社長の発言からでしたが、彼の後の手記によれば、淳子さんの紹介で会った人から壺を買ったことは事実ですが、相沢社長は買う前に淳子さんが信ずる統一協会の教えを知るためにセミナーを何日間か受けた末に買ったそうです。
   統一協会の教えに感服したわけでもなく、最初から何百万円もする価値のある壺だと思っていたわけでもなく、淳子さんが会社のことを心配し、思う気持ちを尊重して、顔を立てて、買ったということですから、別に騙されたわけでもありませんし、法律的には何の問題もないことです。
   評論家と称する人たちが、淳子さんや山崎浩子さんたちが他の信者さんたちのしてきた珍味売りや壺を売るなどの活動を免除されて特別扱いされていて、そんなことでいいのかという形で、他の信者たちから反感を買い、孤立するようにあおるような発言をしていましたので、それは間違いないことだと思います。
 
   「この先生の言うことは良くあたりますから間違いありませんよ」と佐久間良子さんが言われたので信用して、占いの先生に1億数千万円を預けたけれど戻ってこないということで、その先生と一緒に佐久間良子さんが訴えられたというばかばかしい事件が昨年ありましたが、私に言わせれば、その占いの先生はともかく、佐久間良子さんまで訴えたのは行き過ぎで、人に責任を転嫁するのもいい加減にしろとしか言いようがありません。
   楽屋に、知り合いの占いの先生が、人を連れてきたら、佐久間さんでなくても、そのくらいのことは言うはずです。
 
   もし、私がユーザーさんの会社に、ユーザー見込みの人を連れていけば、大抵の担当者の方は、なぜ連れていったかを察知し、私のことを「信用できる人で、この人に任せれば間違いありません」位のことは言ってくれますが、それはあくまでも社交辞令で、その会社との関係が良好であることを示しているだけで、私が完全無欠な人間で、間違いを犯さない人間であること、全部が全部の会社と良好な関係で行くことを保証していないことは明らかなことです。
   ましてや、佐久間さんが、一億もの大金を預けるようにと言ったわけのものでもないようですから、問題はない筈です。
   ですから、現在も佐久間さんは訴えられているようですが、舞台に立って、仕事をされておられます。
 
   しかし、淳子さんの方は、二百万円の壺を紹介しただけなのに、それも過去に何億も稼いで儲けさせた所属会社の社長が相手だったのにも関わらず、いまだに復帰のめどがまるで立たないのは、納得できないことです。
   よしんば、淳子さんに何らかの罪があったとして、淳子さんは、既に大きな社会的制裁を受けています。
   たくさんあった仕事もなくなり、コマーシャルも当時三本に出ていましたが、すべて降ろされてしまいました。
   これ以上、どうしろというのでしょう。
 
   反社会的な行動をしている人間の多い宗教を信仰しているのがいけないのなら、最も犯罪者を多く出している宗教は、当然世界で一番信者の多いキリスト教でしょう。
   統一協会信者が、殺人をしたという話は聞きませんが、キリスト教の過激派と言われる人たちは、テロを実行し、今までに多くの人間を殺してきましたし、歴史的にも、「十字軍遠征」や「魔女狩り」で多くの人を殺してきました。
   危険な教義がいけないというのなら、「聖書」の中にも、現在の法に触れそうなことや、常識とかけ離れたものが多くあります。
   だからといって、いまだかって、世界中のクリスチャンを標榜している有名人が排斥されたことはありません。
   なぜなら、実際に罪を犯した者だけが裁かれるべきで、実際の事件に関係していない者には、法律的にも道義的にもその責任がないというのが、世界の常識だからです。
   キリスト教的には、思っただけでも、罪となりますが、法的には、法律に違反することを、意図的に、もしくは過失によって実行したことを証明されない限りは、罪とはなりません。
   しかし、淳子さんは、マスコミによって裁かれ、有罪となってしまったのでした。
 
   社会には、ルールが必要であり、ルールは手続きを踏まなければなりません。
   法律的には、手続きを誤れば、有罪となる者でも無罪となるほど、手続きは大事なものです。
   マスコミが、その手続きを誤ったのでした。
 そのことをマスコミに認めさせない限り、彼女の復帰は難しいでしょう。
 
 
   私が、社会生活を営む上で必要だと思っているルールは、いたって簡単です。
   「自分の身を守りたかったら、人を簡単に信じないこと」、「自分でしたことの責任は、自分で負うこと」、「社会のルールを破ったら、ペナルティを受けること」の三点です。
 (「約束を守ること」、「目上の人を敬うこと」、「人には愛をもって接すること」というのが、人間にとって最も基本的なルールであり、目標でもあると思っているのですが、それは別な機会に)
 
   人を簡単に信用しないことが、人を信ずるという行為を安っぽいものにしないための、前提条件であり、長い間人の期待に応えてきた(裏切らなかった)という実績から生まれた信頼であり、信用こそが本物だと思いますので、私は簡単には人を信じません。
   「犬は人間を騙さまないから好き」という人がいますが、騙さない犬を好きになることが、威張れることだとは私には思えません。
   人間は、人を騙すものかも知れませんが、だからこそ、騙さない人に価値があるのであり、リスクがあるからこそ、信ずるという行為にも価値が生じて来るものだと私は思います。
   騙してもいいと言っているわけではなく、そんな人間を最初から相手にしていないだけです。
   そんな人間は、神様か、法律かはわかりませんが、必ず報いは受けるものと私は信じていますし、そんな人間に腹を立てたり、傷ついたりしている時間が勿体ないような気がするから、人ではなく、自分に対して厳しくありたいと願っています。
 
   また、人間は相手の意見を聞いているようで、実は相手の中にある自分の意見に従っているだけのような気がします。
   人の意見を聞いたのも、最終的には自分の意見であり、その責任のすべては自分で負うべきと私は考えます。
   しかし、自分がしたことでないことに、責任を負う必要はありませんし、また負っても負わしてもいけないことだと思います。
 
   社会を維持していくためには、なんらかのルールが必要であり、そのルールに従わない者には、ペナルティを課し、反省と悔い改めがなければ、社会は認知しないというのが、社会の暗黙の了解だと思います。
   統一協会とキリスト教の違いは、教義もさることながら、統一協会が自分の罪を認めず、反省も悔い改めもしなかったのに比べ、キリスト教は素直に自分たちのしてきた過ちを認め、反省し、それを社会が認めてきた歴史と実績があるということだと思います。
   「聖書」自身、人間がいかに神に不従順であったかという歴史を記録したものであり、その意味では反省の記録と言えるものかも知れません。
   統一協会の教義は、信者の方には申し訳ないですが、韓国出身のナショナリストが、キリスト教を換骨奪胎して、都合のいいように書き改めたものだと、私は思っていますが、神様の思いは人間の思惑を越えたものですから、統一協会が存在することにもなんらかの意味があることは確かなことです。
   人間として、真面目で、良質な、大多数の統一協会の信者の方々が、神様のために奉仕する形で、一部の幹部のために奉仕している、現在の統一協会のあり方に疑問を持ち、多くの人が何千年も一言一句間違えないようにと書き写し、残してきた「聖書」を否定し、何十億もの人が信じてきたキリスト教を否定することの愚かさに気がついた時には、すでに神様が存在することを信じている人たちですから、あっという間に、本物のクリスチャンに生まれ変わる可能性があると思うのは、あまりにも甘すぎる見方でしょうか。
 
   大事なのは、宗教ではなく、信仰であり、愛を持った人間となることの筈です。
   協会や教会、神父や牧師や祭司、神職者などの言うことをすべて聞くのではなく、それらはあくまでも参考程度にとどめて、これから自分のすることが神様の御旨にかなうことかどうかを、そのことによって神様の栄光を表すことができるかどうかを、神様と対話の祈りをしながら、探りながら、学んでいくことを生活化していけば、人を騙したり、人を殺したりすることが、神様の愛とほど遠いことに気がつき、過ちを犯すことはなかったと思います。
 
   教祖が、組織の中で強大な権力を持ち、思いのままに振る舞い、誰もそれを止めることの出来ない宗教。
   教祖が誰かの生まれ代わりだと称している宗教。
   教祖やその妻子が信者から得たお金で、豪邸に住み、贅沢な暮らしをしている宗教。
   教祖の子がその後を継ぐような宗教。
   祈ることにお金を要求したり、十万円、百万円単位のお金を毎年要求するような宗教。
   以上の中で該当するものがある宗教は、用心した方がいいでしょうし、それでも信ずるという人は、騙されたい人であり、後で騙されたなどと言う資格のない人だと思います。
 
   以上が、私の考える宗教観であり、自分に課しているルールですが、論争はしたくはありませんので、お気に召さない方は、そういう人間もいるんだとご理解と寛容を賜り、平にご容赦下さいまいようお願いいたします。
 
   それでは皆さんのご意見、投稿をお待ちしています。
 
 ■■ No.027  ■■
  管理人 - 99/05/22 00:56:32
  コメントのタイトル: ふきふきさん、ありがとう
 
 コメント:
   ふきふきさん、投稿ありがとうございます。
   そして、ありがたい申し出感謝します。
 細かいお話は メールで直接お話したいと思いますのでよろしくお願いいたします。
 
   淳子さんは、確かにきれいでした。
   映画の大画面いっぱい顔のアップになっても、シミや凹凸が全くない、本当にきめの細かい肌で、私は日本一美しい肌の女優さんだったと思っています。
 
   あのサッチーのような人がのさばり、筋を通す人と言われていた和田アキ子さんでさえ、TBSから圧力がかかったのか腰砕けのようですし、誰もサッチーに厳しいことを言えない芸能界、やはりみんな同じ穴の狢なのでしょうか。
 
   あの中井貴恵さんが、「おしゃれ」というテレビ番組の中で、久米宏さん相手に、「芸能界は確かに汚い世界かも知れないけれども、こんな人が芸能界にもいるのよと誇りを持って言える人」と言い切った淳子さんの住める芸能界では、もうなくなったのかも知れませんが、こんな世の中だからこそ必要な人という気がするのは私だけでしょうか。
   皆さんのご意見、投稿をお待ちしています。
 
 ■■ No.026  ■■
  管理人 - 99/05/21 01:42:49
  コメントのタイトル: RYOさん、ありがとう
 
 コメント:
   RYOさん、投稿ありがとうございます。
   あなたのような方が本当のファンと言える方だと思います。
 あなたに比べれば私はまがい物のファンです。
 
   ご覧になればおわかりと思いますが、映画、テレビ、舞台に比べて、レコードの情報が不足しております。
   シングル曲のA面はほぼわかりましたが、B面の情報は全くわかっていませんし、アルバムにいたってはビンゴさんからの情報で、アルバム名と発売年月日はわかりましたが、収録曲に関してはほとんどわかっていません。
 
   どうぞ、LPの題名、収録曲名、作曲者名、作詞者名、編曲者名、発売年月日、アルバム番号名など、わかることはすべてお知らせ願えれぱ幸いです。
   掲示板宛でも、メールアドレス宛でも、構いません。
   急ぎませんので、じっくり正確な情報を何卒よろしく御願いします。
 
   さて、素人が英語の曲を歌っても全く様になりませんが、淳子さんは英語の曲が意外と上手で、RYOさんのお話にあった「イッツオンリーペーパームーン」もジャズ調の曲で、歌ってて、様になっていました。
   私は、映画を衛星放送で録画したものからテープにダビングして聴いています。
 
   その他、「タモリの今夜は最高」に出演したときの、「アニーよ銃をとれ」のナンバーや「マイフェアレディ」のナンバーもダビングしてあります。
   珍しいところでは、杉良太郎さんと「ミュージカル清水次郎長」で共演されたとき、吉良仁吉とその妻に扮してハモリながら歌ったデュエット曲「めぐり逢いふたたび」と、八神純子さんがNYで「ピーターパン」を見たときに、日本で誰がやったらいいかと考えたら淳子さんがピッタリだと思われたそうで、淳子さんのために作り、テレビの番組中で発表した曲「ネバーランドの男の子」もテープにダビングして、聴いています。
 
   皆さんの知っておられる情報をお寄せ下さい。
 よろしく御願いします。
 
 ■■ No.025  ■■
  管理人 - 99/04/27 01:59:52
  コメントのタイトル: 対談のページ開設のおしらせ
 
 コメント:
   長らく準備中だった「対談」のページを本日開設致しましたので、お知らせいたします。
 
 先日亡くなられた桂枝雀さんとNHKの「昼のプレゼント」中で行った対談もその中に含まれております。
 
 これは対談をテキスト化したもので、合いの手というか、相手の言葉を聞いているという意味で使う「ハイ」や「そうですね」を省略した以外は、出来るだけ音声を忠実に拾ったつもりですので、お二人の会話の雰囲気を味わって下さい。
 
 枝雀さんの持論である「緊張と緩和の理論」や「おかしいから笑うのではない」理論も出ていますし、淳子さんの可愛さと聡明さがよくわかる対談だと思い、取りあげました。
 
 
 その他に、淳子さんの精神性の高さがよく出ていた橋幸夫夫人の凡子さんとの対談と、淳子さんの長所を誰よりも見抜いていた江國滋さんとの対談を用意しましたので、是非ごらんになっていただきたいと思います。
 
 
 某球団監督夫人のように色々と疑惑のある人がテレビに大きな顔をして出ているのに、その対極に位置する淳子さんのような人が犯罪者であるかのごとく扱われ、テレビに出ることが出来ないというところに、テレビの「倫理観」の混乱ぶりと欺瞞性を見ることが出来ます。
 
 とにかく品性のかけらも感じられない人間がテレビの画面に闊歩することにブルーな気分の管理人からのお知らせでした。
 
 ■■ No.024  ■■
  管理人 - 99/04/21 01:19:54
  コメントのタイトル: NANAさん、moryさんありがとう
 
 コメント:
   NANAさん、moryさん投稿ありがとうございます。
 
 淳子ファンであった方々に共通して言えることは、皆さん真面目で純粋だということです。
 
 淳子さんは現役時代からファンにとって、やきもきさせられるというか、決して楽しい良い思い出だけを提供してくれる単純なアイドルではありませんでした。
 
 それでもなぜか気になり、応援したくなる存在でした。
 
 統一協会の一件以来、忘れようとしたこともありましたが、なぜか忘れることが出来ず、甘酸っぱいような感慨を覚えるのは私だけではないと確信している今日この頃です。
 
 私なりに自分の気持ちを分析した結果、次のような結論に達しました。
 
 
 淳子さんは、われわれの代表であり、われわれ自身だったのだということです。
 
 淳子さんは、それまでの芸能人のように、貧乏な家庭に生まれ、家族を養うため、家族が共に暮らす家を建てるために芸能界に入ったというハングリーな人ではありませんでした。
 
 淳子さんは、容姿に恵まれていたとはいえ、両親が揃った家庭で何不自由なく育ったわれわれと同じ生活感情を持った普通の明るい少女でした。
 
 そんな普通の少女が、我々の前に姿を現し、やがてデビューし、スターになるという過程をリアルタイムに詳細に見せてくれてくれたのが「スター誕生」という番組であり、われわれはそれを自分のことのように一喜一憂して見ていたのだと思います。
 
 
 そして淳子さんが、デビューする直前に同級生に言われた「最近のあなたは天狗になっていた」という言葉に過剰に反応(反省)し、芸能界に入っても自分らしさ、普通さを決して失うまいと誓ったところから悲劇が始まったのだと思います。
 
 なぜなら芸能界は、人も状況もすべて異常な世界だったからです。
 
 カメラの後ろで何百万人も何千万人も見ているかも知れないと言う状況で、肩に力が入ることなくリラックスできる人間など異常としかいいようがありませんが、そんな人たちばかりの間に入った時、普通の神経を持った淳子さんが浮いて見えたのはある意味当然過ぎるほど当然のことだったのかもしれません。
 
 
 昨日亡くなられた落語家の桂枝雀さんが、NHKの番組で対談相手に淳子さんを指定した時に、今まで何人もの歌手の人と一緒に仕事をしてきたがその中で一番賢いと思ったのが淳子さんだからと理由を言いましたが、その時に淳子さんに言った言葉が、賢いことは一概にいいことではなく、世の中にはアホにならなくてはならないことがたくさんある」というものでした。
 
 それは、枝雀さんが芸能界に入ってもがき苦しんだ末の答えだったのでしょうし、何事にも真面目に取り組み、考え込む淳子さんに自分自身の姿を見ていたのだとその時も思いましたし、今もそう思っています。
 
 自分の身を削り、人を笑わせ、幸福な時間を与えて下さった枝雀さんの魂が安らかに天国に行かれることを祈りたいと思います。
 
 
 そして枝雀さんが心配されていた通り、淳子さんはその真面目さ故に、芸能界の一匹狼となり、マスコミにもたたかれ、孤独感を深めながら、信仰へ救いを求めていったものと思われます。
 
 
 先日、テレビの番組中、Yという女性タレントが、スカウトされたときに芸能プロの社長からいきなり「処女か?」と聞かれたんだけれど、「処女じゃない」と言ったらどこかへ売り飛ばされるかもしれないと思ったから「処女です」と社長に嘘を言ったとあっけらかんと答えるのを見ましたが、その品のなさと厚顔無恥ぶりとタレントとしての志の低さもここに極まれりの感を強くしましたが、その対極にあったのが淳子さんだったと思います。
 
 
 いつも上品で、ファンの期待や信頼を裏切るような言動を決してせず、タレントとしての志も高かった淳子さんに、ファンだった人はもっともっと感謝して戴きたいし、社会的にもその実績が正当に評価される日が来ることを望んでやみません。
 
 その日が一日も早く来ますように。
 ありがとうございました。
   
 
 ■■ No.023  ■■
  管理人 - 99/02/23 00:49:31
  コメントのタイトル: 「NY恋物語」の思い出
 
 コメント:
   NY恋物語さん、投稿ありがとうございます。
 
 
 「ニューヨーク恋物語」では、アメリカに夢を描いてやってきたやり手のキャリアウーマン役で新境地をみせていましたね。
 
 あのドラマで、淳子さんの演技力もさることながら、その英語力に驚かれた方が多かったのではないでしょうか。
 
 若いときから個人レッスンで習ってきた努力が、あのドラマで少しだけ報いられた気がします。
 
 残念ながら実現しませんでしたが、英語力を買われてデビー・ギブスンというアメリカのアイドル歌手の映画に出演するという話がありました。
 
 元ビートルズのリンゴ・スターも共演するという企画だったようですから、実現してほしかったですね。
 
 
 私は、前にも書いたように、NG集のような安易な企画の番組は好きではないのであんまり見ないのですが、「ニューヨーク恋物語」のハプニングシーンとして、淳子さんが岸本加世子さんにたたかれるシーンで、すごい勢いでたたかれながら我慢して演じ続けたシーンを見たときに、そこに淳子さんの見事なプロ根性を見た思いがしました。
 
 どうせ作るのなら、いい加減に作っているのがほの見えるNG特集のような番組ではなく、役者さんが真剣に仕事に打ち込み、いろんな努力をしている姿を見せるような番組にした方がいいのではないでしょうか。
 
 
 英語だけでなく、「独眼竜政宗」では琴を弾き、「水戸黄門」ではきれいな殺陣をし、「細雪」では手舞を見せ、「リトルショップオブホラーズ」ではアイドル時代とは全く違う歌唱法を披露して、その努力家ぶりを遺憾なく発揮して、われわれを驚かせた淳子さん。
 
 ミュージカルの「アニーよ銃をとれ」ではアメリカのじゃじゃ馬の田舎娘役を、シェークスピアの「十二夜」では伯爵家のお姫様役を、昭和を舞台にした谷崎潤一郎の「細雪」では芦屋の現代的な令嬢役を、明治を舞台にした「エドの鹿鳴館」では後に女優となる貞奴の半玉時代を、というぐあいに、1年の間に様々なジャンルの舞台で、様々な言葉遣いの、様々な役柄を演じ、20代の若さで芸術選奨新人賞(それまでは40代の人がほとんどだった)をとった淳子さん。
 
 森繁、三木といった大御所にさえ、苦言を呈したという山岡久乃さんが亡くなった今だからこそ、阿久悠さんがいうところの「誰よりも勉強熱心で努力家」だった淳子さんのような存在が、芸能界には必要なのではないでしょうか。
 
 
 皆さんの投稿をお待ちしております。
 
 
 ■■ No.022  ■■
  管理人 - 99/02/22 01:47:12
  コメントのタイトル: Re.淳子さんの20代
 
 コメント:
   JSさん、お久しぶりです。
 いつも投稿ありがとうございます。
 
   お話のインタビューは、バッシング当時ではなく、リアルタイムで見ていたと思います。
   その後、淳子さんがアメリカから充電旅行をして帰ってきたとき、高校時代淳子さんのファンを公言していた原辰徳選手がジャイアンツに入団したてで、キャンプ入りするために羽田に来ていたため、原選手とのツーショットを撮りたいとのテレビ局からの要請で、原選手の所に連れて行かれて、無理矢理という感じで会わされた場面も見ていました。
   その時、全然話に乗ってこない原選手にプライドを痛く傷つけられたのか、淳子さんは、当時パーソナリティをしていた「セイヤング」というラジオ番組で、社会人としては私の方が先輩だし、どうして私の方から会いに行かなければいけないのとか思いながらも行ったのに、サービス精神が全然なくて、やっぱり社会人1年生は世間というものがまるでわかっていないという感じで、少し腹を立てていた様子でしたが、その話し方がとても可愛くてチャーミングだったのを今でも覚えています。
 
   淳子さんは、もともと女優志望で、世に出る手段として、歌手になったと発言していたと思いますし、それは嘘ではないと私は思っていますが、それも歌の仕事がうまくいかなかったから出てきた発言であり、負け惜しみと見られても仕方のないことなのかも知れません。
   しかし、淳子さんという人は、信仰を持っている為なのか、そういう人だから信仰を持ったのか、どちらが正しいのかはわかりませんが、自分が苦境にあることを割と楽しめる人ではないかと私は思っています。
   苦しむ必要のないことに、自分で問題意識を持ち、百恵さんの文章にもあったように、自分で自分を苦しめ、追いつめる人であり、そういう自分を結構好きな人だったのではないでしょうか。
   ですから、大スターであった淳子さんが、全く仕事する場を奪われている現状は、我々から見れば、悲惨であり、お気の毒としか言いようのない状況ですが、淳子さん本人は、案外こんな状況にも心が平安なのかも知れませんし、そんな自分に誇りを持っていらっしゃるのかも知れません。
 
   しかし、そんな淳子さんの精神性の高さ、謙虚さが、淳子さんをスターの座から引き下ろしたのかも知れないと私は思っています。
   客観的に見たときに淳子さんは、百恵さんには人気の面では負けていたのかも知れませんが、コンプレックスを持ったり、卑下する必要のない大スターでした。
   当時淳子さんは、芸能人というより、日本の20代の女性の中で一番所得の多かった女性になったことがある筈ですし、年末年始の1週間で51本の番組に出演した記録を岡崎友紀さんとともに持っていて、この記録は未だに破られていないとのことですから、全くコンプレックスを持つ必要などありませんでした。
   なんら悩むことなくスターらしく振る舞っていればいいものを、むしろ謙虚に悩んだり卑下したがゆえに、他のタレントたちの妬み嫉み憎悪の対象になっていったものと思われます。
   淳子さんがいくら謙虚な気持ちで言ったとしても、聞く人はそれを勝者の自慢話としか聞かなかったことでしょう。
   それでは、脇役として出ている私はどうなるの、歌手の後ろで踊っている私はどうなるの、セリフのない私はどうなるの、仕事のない私はどうなるのといった具合に。
 
   しかし、淳子さんはそこらに転がっているようなチンケな薄汚い芸能人になりたいとは思っていなかったでしょうし、もっと志を高く持っていた筈です。
   横綱貴の花は、立ち会い逃げないことで知られていますが、貴花田時代にも、小錦に真正面からぶつかって行っては、見事に負けていました。
   そんな彼をバカじゃないのと言う人もありましたが、彼にとっては真正面からぶつかって勝つことが本当の勝利であって、ただ勝ちさえすればいいのではないと当時から考えていたのだと思います。
   そして、淳子さんもまた、ただ芸能界でスターになることだけが夢ではなく、普通の感覚を持ったまま、芸能界の毒に染まることなく、スターになるという夢を描いていたのだと思います。
   そんな精神性の高さ、純粋さこそが、淳子さんの魅力であり、今日もわれわれの心を離そうとしない理由でもあると思います。
 
   自分にとっての勝利は何か、夢は何かを教えてくれた淳子さんに感謝したいと思います。
   皆さんの投稿をお待ちしております。
 
 ■■ No.021  ■■
  管理人 - 99/02/20 02:11:36
  コメントのタイトル: トップアイドルの孤独
 
 コメント:
   JOXさん、投稿ありがとうございます。
 
 お話の通り、淳子さんのことを一番理解してくれたアイドルはやはり百恵さんだと思います。
 
 今はどうか分かりませんが、二人が二十歳前後の頃の知名度は98%ぐらいあったという記事を呼んだ記憶があります。
 
 幼稚園児からおじいちゃんおばあちゃんまで知らぬ人のほとんどいない存在であったことのない人間にはわからないプレッシャーや孤独感があったことは間違いありませんし、そんな自分の気持ちをわかってくれるとしたら彼女しかいないと二人とも思っていたことも間違いないと思います。
 
 
 淳子さんは、幼いながら芸能界に就職したという意識を持っていましたし、この掲示板で名の出た阿久悠氏や相沢社長などがこうあってほしいという芸能人像を淳子さんに提示し、淳子さんもそれを素直に受け入れたものと思われますが、淳子さんは家を一歩出たときから「芸能人・桜田淳子」という意識を強く持ち続けたアイドルでしたので、素の時間よりアイドルである時間がはるかに長かった淳子さんにとっては、あるべき芸能人像というよりあるべき人間(自分)像としてとらえられたに違いありません。
 
 ここまでは素の自分ここからは芸能人の私という境界線を設けて使い分けをする生き方より、アイドルとしての自分を本当の自分とする生き方の方が14歳の少女にとっては楽であり自然だったと思われるからです。
 
 そして、相沢社長から、男性タレントを用心するよう教育され、マネージャーとお姉さんとに公私をがっちりガードされた淳子さんは周囲の期待通りというより、期待以上の堅物となってしまい、「25歳たち」で共演した萬田久子さんから、「赤ちゃん」と呼ばれ、岩崎宏美さんからも、「ネンネ」扱いをされるようになってしまいました。
 
 そんな淳子さんの清潔なところや純粋なところをファンは好きだった筈ですが、それはある意味では女性として人間として成長する事を望まなかったということであり、淳子さんがある意味で世間知らずだった責任は、家族やプロダクション関係者だけでなくファンにもあると思います。
 
 淳子さんは他人に責任を転嫁しない人でしょうから、こうしたことは自分の口からは言わないでしょうが、だからといってファンとしての自分の責任がないということにはなりません。
 
 
 そこで、統一協会が不法行為をしたことの責任を淳子さんがなぜとらされなければならないのか、その理不尽さを訴えていくことで、ファンであった私なりの落とし前をつけようと思っています。
 
 実際、統一協会員であるというだけの理由で、淳子さんが非難され、社会的制裁を受けるのはおかしいと思っています。
 
 それをいうのなら、キリスト教やイスラム教にも常識とかけ離れた教えはありますし、キリスト教徒やイスラム教徒のテロ組織もありますが、決行した人間が逮捕されたり制裁されることはあっても、そのことで他のキリスト教徒やイスラム教徒の仕事の場が奪われるなどということ聞いたことがありません。
 
 しかし、日本では現実に、統一協会員であるというだけで、壺を売ったとか紹介したとか、その違法性が全く実証されていないにも関わらず、テレビ局の自主規制か何かは知りませんが、桜田淳子という大スターだった人が、仕事の場を奪われ、スターの座を追われるという形で、すでに社会的責任をとらされています。
 
 そんなことがあっていいのでしょうか。
 
 そんな理不尽な目に遭っている淳子さんの名誉をなんとか回復したいと思い、ファンや関係者、マスコミの方々に、淳子さんの芸能界での実績を再評価していただきたく、このHPを開いたわけです。
 
 
 この掲示板をごらんになった皆様方には、淳子さんの名を出さなくても結構ですから、周囲の人に、自分がしていない事の責任をとらされるのもいやだし、とらせてもいけないということを堂々と主張して戴きたいと思います。
 
 ですから私は、日本人がやったかもしれない中国侵略や朝鮮占領が事実ならば、それはしてはいけないことだったと思うし、これからもしてはいけないことだとは思いますが、だからといって自分のしていない50年も前の出来事について、たとえ謝罪などを要求されても私はしませんし、する必要のないことだと思っています。
 
 皆さんも、自分の問題に置き換えて、考えて見て下されば、ご理解いただけると思います。
 
 
 どうぞ、皆さんの投稿をお待ちしています。
 
 ■■ No.020  ■■
  管理人 - 99/02/16 03:58:45
  コメントのタイトル: 淳子さんと「スタ誕」
 
 コメント:
   ホリプロでは、森昌子さん、石川さゆりさんに続く第三の女性タレントを見つけホリプロ3人娘を作る計画があったそうで、そこで白羽の矢が当たったのが淳子さんだったのですが、ホリプロばかりにスターが集中してはまずいと日本テレビ側が判断し、サンミュージックに入ることになったそうです。
   その後、百恵さんを獲得したホリプロでは、当初の計画通り、ホリプロ3人娘として売り出そうとしたのですが、日本テレビ側が打ち出した「スタ誕」3人娘(通称中三トリオ)の方が世間では受け入れられ、学年では1年上だった石川さゆりさんははじかれた形となり、ずいぶん悔しい思いをしたようで、さゆりさんの回想場面では淳子さんが一種敵役のような扱いをうけていたような記憶があります。
 
 
 そうしたタレントたちの恨みのせいなのか、それともホリプロにこなかったことを恨みに思ったせいかどうかはわかりませんが、ホリプロ側は、百恵さん、昌子さん、さゆりさんの記事に、目の敵のように淳子さんの名をかませ犬的に利用していたという印象があります。
   百恵さんが、ホリプロに対して不満を持ったのは、淳子さんがサンミュージックでは映画の時は映画だけに専念させてもらえるとか、自分の五年後十年後のことを考えて英語やダンスのレッスンも受けさせてもらえるとか言って自慢したことからホリプロとの違いがわかったことや、自分の方が稼いでいるはずなのに淳子さんの方が所得番付で上のことが多かったことなどが影響していると私は思っているのですが、そうしたこともホリプロが淳子さんを目の敵のようにしている原因の一つだという気がしているというのはうがちすぎというものでしょうか。
 
   サンミュージックの相沢社長がホリプロの前身の東洋企画に勤めていたせいかどうかはわかりませんが、そんなホリプロに対しても、何のリアクションもとらなかったという印象があり、相沢社長に対して大変好人物という良い印象しか持っていない私ですが、この点と統一協会のツボを淳子さんの紹介で会った人から買った件で、淳子さんが売ったかのごとく報道したマスコミに対して、積極的に反論しなかったことだけが若干不満といえば不満といえるかも知れません。
   売ったと紹介したというのでは、話は全く違うはずですし、まして相沢社長は統一協会のセミナーを受け、自分の判断で納得した上で、買ったはずです。
   そのお金が、淳子さんの手に渡っているというなら別ですが、逆に淳子さんは自分の財産も家もなくしてしまいました。
 スターの地位さえも。
 淳子さん本人が何をしたわけでもないのにです。
   プライドの高い淳子さんは、自分がだまされた、自分こそ被害者などとは口が腐っても言わないでしょうが、そのことを誰よりも分かっている相沢社長だけが、淳子さんをマスコミ攻勢から守れる人だと、今でも私は信じています。
   寒い北風攻撃ではなく、温かい太陽迎撃作戦こそ、相沢社長らしいと私は思っています。
 
   そんなサン・ミュージック社長の相沢さんは、「芸能プロの最大の仕事は、スターを異性から守ることだ」と信じているそうです。
   若い娘がデビューすると、必ず声をかける札付きスターがいて、テレビスタジオの片隅で、「がんばりなヨ」のやさしい言葉をかけてくる。
 別世界の人と思っていたあこがれのスターが、励ましてくれれば、有頂天になる。
 「今度食事でもしよう。
 電話番号教えてヨ」が決まり文句。
   恋愛は御法度のため、相沢社長は必ずデビューした娘を自宅に住み込ませたそうです。
 勿論、電話攻勢から守るためです。
   男性歌手の場合、巡業先で必ず女性を要求するタイプの人間が、たまにいて、仕事がたてこんでくると、露骨にイヤな顔をする。
 そこでマネージャーは、女性を探す。
 酒も、覚醒剤も、スターという操り人形のごきげんを取るために、マネージャーが仕掛ける場合が案外、多いとのこと。
   相沢社長は、だから、何も知らない若い子が一番だ、と言う。
 
   こういった「スタ誕」はじめ芸能界ののウラ話が書かれたサイトがあります。
 興味のある方は、ここをクリックしてください。
   皆さんの投稿をお待ちしております。
 
 ■■ No.019  ■■
  管理人 - 99/01/30 02:39:25
  コメントのタイトル: 阿久悠さんと淳子さんの潔癖
 
 コメント:
 
 作詞家の阿久悠氏が、倉本聡氏との対談の際に、氏の「百恵さんの詩は作らないのですか?」という質問に対し、「自分は、百恵のライバルである淳子側の人間だから、それはないと思います。
 自分はよくピンクレディの親代わりと言われるけれど、彼女たちは、高校を卒業してから、芸能界に就職してきたという感じだから、あくまでも作詞家と歌手という関係だけれども、淳子は違う。
 あの子が、右も左も分からないときに、生き方も含め、あれこれと吹き込んだ責任がある。
 そして、この教え子は、先生が忘れたことも覚えていて、『先生それは違います』と諭す優秀な教え子で、むしろ聞きすぎて困っている。
 勿論、あの子が何を聞き何を聞かないかはあの子の問題であり、私に責任はないのかも知れないけれど、あの子が何か言われると、自分が言われているように責任を感じてしまい、まさしく親のような心境になってしまう。
 だから、百恵に興味はあるけれど、作ることはありません」と断言していたような記憶がありますから、やはり親であり教師のような存在だったのでしょうね。
 
 
 あと、淳子さんと伊藤咲子さんと岩崎宏美さんが、阿久悠氏の家へ来た時に、女性の裸の載っている雑誌(通称エロ雑誌)に関して、三人三様の対応を見せ、三人の人柄と性に関する考え方と、その後の生き方を象徴していたと氏が書いた記事を引用したアイドル本がありました。
 
 淳子さんは、サンミュージックの事務所に来るとそこここに置いてあるエロ雑誌を集めては捨ててしまうので、淳子さんが来る事になってる日の事務所は大騒ぎになるという記事を見たことがありましたが、阿久氏の家へ来てエロ雑誌を見たときも、顔色を変えて捨てに行ったのに対し、伊藤さんはそんな淳子さんを、自分は大人だと言わんばかりに、「子供ね」と軽蔑の笑いを浮かべたそうで、それに対して宏美さんは、二人の対応を笑って見ていたということです。
 
 それを見ていた阿久氏は、淳子さんも伊藤咲子さんも過剰反応ではないかと危惧したそうで、案の定、淳子さんは女性の純潔を重要視する統一協会へ入信して引退状態になり、もう一人の早熟な咲子さんは男性問題を起こした末に水商売の世界へ行ってしまった。
 結局、一番普通だった宏美が普通の結婚をし芸能界にも残ることができたことから、女性は潔癖すぎるのも早熟過ぎるのも問題であることがわかったという結論になったらしいのですが、その後、宏美さんも離婚してしまい、女性タレントが幸福な結婚をすること自体が難しいということだろうとアイドル本の著者は言っていたように思います。
 
 
 よく女性タレントに使われる「最近色っぽくなりましたね」という決まり文句を毛嫌いした淳子さんは、言われるとすぐ「それはどういう意味ですか」と気色ばんで抗議したそうで、何気なく使った記者さんたちは誉め言葉のつもりですから、どうしそんなことに怒るのか理解できなかったようですが、そこまで潔癖だったということなのですね。
 
 しかし潔癖ということは、妥協しないということであり、頑固ということですから、問題意識が強く反省癖のある淳子さんが、寛容な人間になりたいと願ったことは想像に難くなく、それが寛容を説くキリスト教の教義を一部取り入れた統一協会への傾斜につながっていった原因の一つでもあったのではないでしょうか。
 
 そうなると淳子さんのそばに本当のクリスチャンではなく、統一協会の信者であったお姉さんがいたことが、淳子さんにとって最大の災いであった(淳子さん、ゴメンナサイ)と私は思うのですが、淳子さんは今までの人生を否定するようで、きっとそうは思いたくないでしょうね。
 
 
 しかし、統一協会信者のままで現役復帰が難しいことは厳然たる事実です。
 
 復帰のためには、勿論よりよい人生を生きるためというのが第一義ですが、協会を脱退し、本当のクリスチャンになるしかないというのが、昔も今も変わらぬ私の考えです。
 
 そんな単純なこと、簡単なことではないと言われるかもしれませんが、神様を信ずる淳子さんだからこそ出来ることであり、神様を信じていない人にはとても言えないことです。
 
 
 人生はどうなるか最後までわかりませんし、統一協会も大きく変わる可能性もあるわけですから、淳子さんの名誉が回復される日が来ることを私はあきらめてはいません。
 
 そして、たとえ結果がどうなろうと、ファンのためにアイドルとして誠実に生きてくれた淳子さんに対する感謝の気持ちは変わりません。
 
 どうぞ皆さんも温かい目で見守っていただきたいと思います。
 
 皆さんの投稿をお待ちしております。
 
 
 ■■ No.018  ■■
  管理人 - 99/01/30 01:37:10
  コメントのタイトル: 芸能マスコミ批判
 
 コメント:
  takuyaさん、いつも、ありがとうございます。
  歌の様々な情報、本当にありがとうございました。
  おかげさまでシングルに関しては、ほぼ完成となりましたので、ご確認下さい。
  これからもよろしくお願いします。
 
 
 さて、芸能レポーターたちに関しては、私もたくさん言いたいことがありますが、女性レポーターたちに関しては、局の命令通りに動かなければならず、また使い捨てにされる運命にあるという同情すべき側面もありますので、ここでは取り上げないことにします。
 
 しかし、大御所といわれてふんぞり返っている人たちの中には、芸能レポーターの看板が泣くくらい、芸能人の事、映画、テレビ、舞台、歌のことに関して知らない人が多すぎます。
 
 
 三浦友和さんのことを、山口百恵の旦那としてしか価値のない二流俳優といったレポーターがいました。
 
 百恵さんとの共演以外に、単独で十五本以上の映画に主演し、五十本以上の映画に出演している現代の大スターをつかまえ、二流はないと思います。
 
 昭和20年代以降に生まれた男優で、十本以上の映画に主演しているのは、彼と松田優作さんの二人ぐらいではないでしょうか。
 
 百恵と友和コンビの映画を何本も撮った西河克己監督が、「百恵あっての友和という人がいるけれど、まるで逆で、友和あっての百恵だ」と断言していました。
 
 「百恵だけでは暗くて映画にならないし、爽やかな友和がいればこその百恵だと思うよ。
 その証拠に、友和以外の男優と共演している百恵は全然輝いてなくて魅力がなかった。
 それに対して一方の友和は、百恵がいなくても、檀ふみとでも、魅力的なカップルの映画を撮っていた。
 自分で輝くことが出来る友和が太陽で、その光で輝く百恵が月といった関係だと思う」というのが、二人をよく知る西河監督の結論だったと思いますが、キネマ旬報、映画芸術、ロードショーといった映画雑誌に目を通していた可能性があるのは、福岡翼レポーターぐらいのものでしょうか。
 
 そこまでは要求しないけれども、友和さんは、テレビでも、映画でも、一枚看板で、しかもほとんど一番目か、二番目か、ラストにしか出ない大物であり、淳子さんや大竹しのぶさんと共に、芸能界の一流どころのほとんどと共演しているスター、ということは唯一の男性スターであるというすごいキャリアの持ち主であることぐらい知っていてほしかったし、同じ芸能界に住む人間ならば、それなりの敬意を払ってほしかったと思います。
 
 
 映画に主演したことのある若手俳優を無名俳優といったレポーター。
   ランキングに何度も入っているミュージシャンを私は知らないんですがというレポーター。
   誰でもクンづけ呼ばわりして自分の大物ぶりをアピールするレポーター。
   相手の話を聞こうとせずに、自分の意見を披露して感想を聞こうとするレポーター。
   あまり有名でないタレントには居丈高になって詰問調で聞くくせに大物タレントには愛想笑いを浮かべて聞くレポーター。
   スポーツマンも政治家も有名人はすべて芸能人扱いして追いかけるのに、嘘か本当かわからないけれどもレイプ事件で裁判になっているある宗教団体の名誉会長のことは全く報道しようとしないレポーター。
   そんな人たちにジャーナリストの顔をして、社会正義だの、社会的責任だの、道義的責任だのという言葉を使って、他人を糾弾する資格などあるのでしょうか。
 
 
 昨年、三田佳子さんの息子さんの問題のときには、完全に少年法を無視した報道をしながら、何ら反省しようとせず、逆にそのことを言った三田さんを一方的に糾弾したマスコミ。
 
 松方弘樹さんと仁科明子さんの時もそうですし、今の若の花の離婚問題についても、そんなことは当事者の話し合いがつき、決着がついてから、結果だけを報道すればいいことなのに、なぜか毎日の心境を聞こうとするマスコミ。
 
 人間って自分で自分の気持ちさえよくわからずに生きていると思うし、わからないからこそ生きていけるのかも知れないと思うことがあります。
 わからないこと、見えないことが幸せというか、神様の恵みなのかもしれないと思う私には、毎日のように「今の心境は?」と聞かれる境遇はとても耐えられません。
 
 「有名人は取材を受ける義務があり、マスコミに自分の気持ちを伝える義務がある、そうしなければ周囲の人に迷惑をかかるから早く取材を受けるべき」と言っていたレポーターがいましたが、まるで恐喝です。
   しゃべらなければオマエの行く所行く所を追いかけるぞ、そうすると一緒にいる人が迷惑をすることになるよ、そうされたくなったら話すんだと言わんばかりの行為を暴力と言わずして、何を暴力と言うのでしょう。
 
 「迷惑をかけているのはマスコミ、あなたたちの方です」と言えるのは、番組の視聴者や雑誌の読者であるわれわれだけです。
 
 
 「沈黙は金」と言いますが、今の世の中は黙っていると、それを肯定しているととられてしまう社会であり、事情は変わってきていると思います。
 
 マスコミをチェックする第三者機関の設置が望ましいですが、彼らは報道の自由をタテに反対し、認められることは無いでしょう。
 であるならば、今の社会が資本主義である以上、力を持っているのは消費者であるという原則を生かし、特権を活かすすべを我々は持たなければならないと思います。
 
 効果的ないい方法がないか皆さんも考えてみて下さい。
 いい答が見つかれば教えて下さい。
 よろしくお願いします。
 レポーター批判の巻でした。
 
 ■■ No.017  ■■
  管理人 - 99/01/26 00:54:03
  コメントのタイトル:噂についての考察
 


 コメント:
   前の投稿にもあるとおり、淳子さんに対して様々な噂が流され、それらのほとんどが真偽不明なまま終わっていますが、この現状は今も変わっていません。
   最近では、キンキキッズの堂本光一くんやともさかりえちゃんなどのアイドルに、怪文書やら悪質な噂が流されています。
   私のブレーンというより、このHPのほとんどの資料を提供してくれた大恩人であるインターネット芸能評論家・三井波男さんの分析によれば、そうした噂の種類には大きく三つのパターンがあげられるということです。
 
   まず第一は、タレントのイメージダウンをねらってライバル陣営が流す噂。
   紅白の出場歌手やレコード大賞の受賞者発表近くになって、自分の事務所に属するタレントが優位になるように、そのライバルとなるタレントを蹴落とすために流す噂で、淳子さんとジュリーの噂は、有力候補であったジュリーを蹴落とすために流されたもので、それに淳子さんが巻き込まれたのではないかというのが三井さんの意見でした。
 
   次に、自分の応援するタレントと仲の良さそうな異性のタレントがこれ以上発展しないように、あいつはこんなたちの悪い男(女)と思わせるために、友達の友達から聞いたという伝聞形式でファンが流す噂。
   淳子さんが、いろいろな噂のターゲットになったのは、新御三家と呼ばれる人気アイドルのファンにとって、淳子さんが一番要注意人物と見られたからだと言うのは三井さんですが、私もそれを聞いて納得した次第です。
   郷さんのファンは、西城秀樹と淳子は怪しいと噂を立て、西城さんのファンはひろみと淳子は怪しいと噂を立てることによって、自分の応援するアイドルを桜田淳子の魔の手(?)から必死に守ろうとしたつもりなのだろうということです。
   しかし実際の所は、彼女たちの仲間が交代で、彼らの追っかけをして家やホテルに張り込み、そして淳子さんを見張っていたのだから、そんなことになっていないことは、彼女たちの方がマスコミより熟知していたはずなのに、狂信的なファンはそれでは安心できず更に攻撃したのではないかということです。
 
   もう一つは、業界関係者と言われる人たちが、自分が芸能界の中枢で生きていないことにコンプレックスを持っていながら、他者に対して、自分がさも芸能界の一線で生きているかのごとく思わせるために、芸能界の一流人物と自分が親しいとか、彼らの意外な人となりを知っているかのごとく思わせるために、全然知りもしないことを吹聴したり、どこかで聞いた小さな出来事を大きく伝えたことによって広まっていった噂。
   そんなときに、名が通っていて、最も意外性のあるタレントとして顔が浮かぶのが淳子さんで、まして前に淳子さんの正論にやりこめられて悔しい思いをしたことのある人間なら、思いきり悪口を言ったのではないかということで、その意味で言えば、先の淳子さんの反省の弁は的を得ていたのかも知れないと三井さんは言っていました。
 
   後はこれらが少しずつ絡み合った噂(事務所がファンを利用して流した噂や、ファンが見栄やはったりで知ったかぶりをして流した噂など)もあるが、大きく分ければこの三つではないかということでした。
 
   そして、噂のたちの良くないところは、その噂を否定してもそれを立証することが難しい点にあるということでした。
   有ることを証明は出来ても、無いことを証明は出来ないのだそうです。
 今は証明できなくても後で証明できるかも知れないと言われたらそれまでだからということです。
   まして、その噂の中にいくつかの本当のことが混じっていれば更に話は複雑になってしまいます。
 
   従って、三井さんの結論は、「噂は信じてはいけない」、これが第一の原則で、「噂を立てる人間、自分が職業上知り得た秘密を暴露する人間は、それが事実であったとしても、信用出来ない人間である」、これが第二の原則で、「その噂が正しいと主張したい場合は、それを立証する責任は、そんな事実はないと主張する側にではなく、そんな事実があったと主張する側にある」、これが第三の原則で、これが世間に徹底すれば、匿名の人間の言葉は信じられず、名を出して言えば下劣な人間ということになって、少しは噂も納まるだろうということでした。
 
   私は、マスコミがいかに心遣いをする思いやりのある人と持ち上げようが、公共の電波の世界に生きている人間であるにも関わらず、無礼で不作法で他人の悪口を言うことで世間の注目を集めているタレントWとYを、それを放任している芸能プロダクションを含めて、認めるつもりはありませんが(向こうも認めないでしょうが)、一つだけ認めるとすると、自分の名前と顔を出して人の悪口を言っているところです。
   彼女らは、自分の言動によって、自分の心の狭さも、傲慢さも、あからさまにしているわけですから、いつかはその口で身を滅ぼすでしょうが、少なくとも自分のしたことの責任を免れようとしていない潔さだけは認められると思います。
 (そんな責任があることさえ気がついていないという可能性がないではないのですが、まさか!?)
 
   問題は彼女たちにあるのではなく、そうした言葉の暴力を犯している人間を放置して甘やかしている視聴者にあると、三井さんは言います。
   テレビの画面の中で、松村邦洋さんや出川哲朗さんたちに行っているいじめや言葉の暴力が、今の子供たちにストレートに入ってきていて、それがいじめの原因の一つになっているが、そうした番組を喜んで見ている視聴者、大した芸もないくせに高い金をもらっているがゆえに自分を一流だと誤解しているタレントとそうした彼らを好感度調査で丸をつけてしまう視聴者、かっては生放送でNGシーンを出すまいと懸命に努力していたはずなのに、わざわざNGシーンを集めた番組を作ってしまうテレビマンとそれを喜んで見ている視聴者、そうした連中が、日本のテレビから面白いバラエティ、ドラマをなくしているんだと熱く語る三井さんの言葉を聞いていたら、自分がなぜ淳子さんを好きだったのかがわかり、同時に、ファンの期待を裏切るまいと、一流を目指して努力し続けた淳子さんのひたむきさが、テレビの世界では浮いてしまい、受け入れられなかった原因の一つだったかもしれないことにようやく気がついた次第です。
 
   ここにこられる皆さんは、今更応援したところで何の見返りも期待できない現状であるにも関わらず、熱いメッセージを送って下さる心優しい人たちばかりで、こういう方々が今もおられることに私は感激しています。
   どうぞれからも、皆さんの投稿をお待ちしております。
 
     
 


 ■■ No.016  ■■
  管理人 - 99/01/23 02:38:17
  コメントのタイトル:お礼とお詫び
 


 コメント:
 
 青い鳥さん。
 たかりゅうさん。
 投稿ありがとうございます。
 geocitiesのファイルマネージャーに私自身入ることが出来ず、長時間文字化け状態になったことをお詫びします。
 
 さて、たかりゅうさんのお話にあった例のスキャンダル裁判に淳子さんが出廷したのは昭和54(1979)年3月1日ですが、週刊朝日の記者さんが淳子さんに同情的な記事を書いたのはほとんどの歌手が出廷した後だったと思います。
 少なくとも百恵さんの後でした。
 
 淳子さんが証人第1号として出廷したときに、原告として攻撃的な姿勢だったためか、意図的に相手方弁護士にいじめられてからは、その後の歌手の皆さんは百恵さんも含め、言質をとられまいと「記憶にありません」とか「覚えてません」とかを繰り返したそうですが、芸能マスコミが絶賛した百恵さんの冷静な対応も、その記者さんにはかえって普通の娘らしくないととられたのかあまり好印象ではなかったような書き方だったと思います。
 
 もし調べることが出来るのならば、コピーもしくは画像で送っていただければありがたいのですが。
 
 私は自分でも感心するくらい、いろいろなことを覚えているのですが、時々本当にそんなことがあったのか、自分の妄想ではないかと不安になることがあるので、ぜひお願いしたいと思います。
 
 
 マリファナ事件も含めてスキャンダルに関して、淳子さんは、昭和53(1978)年「週刊ファイト」の1月3日号に、次のようなコメントをしていました。
 
 
 記者「淳子ちゃんにとって過ぎた年はどうでしたか」
 淳子「わたしも含めてですけど、歌謡界のこととして、割と大きな問題が降りかかってきましたね。
 それをわたしは悪い方に取らないで、いい方向に取れた1年じゃなかったかと思っているんです。
 」
 記者「たとえば?」
 淳子「そうですね。
 マリファナ事件が起きたとき、噂の渦中に巻きこまれたこととか、ジュリーさん(沢田研二)とのスキャンダルが取沙汰されて困ったことなど、わたしよりファンのみなさんに対して大変、ご迷惑をおかけしてしまいました。
 それを困った困ったと小さくならずに、人間社会はこういうことなんだなァと考えたり、噂が出て自分に対するいましめなんじゃないだろうかといったぐあいに解釈できるようになったのが、悪い方に取らなくなった具体的な話と言えます。
 」
 いやなことがあったとか曖昧な表現をせず、具体的に名を出していうところが、淳子さんらしいですが、その発言を今こうして聞いてみると、すでに宗教的な考え方というか、雰囲気を感じてしまうのは私だけでしょうか。
 
 
 昭和54(1979)年3月1日出廷直前の心境を、「東京スポーツ」に次のように語っています。
 
 記者「問題小説の記事は見ましたか?」
 淳子「ハイ。
 たしか十八歳だったんですが、ワァーッとポロポロと泣いて・・・。
 子供の頃から正義感が強くて告訴できるんですか≠ニ事務所(サン・ミュージック)の人に相談したんです。
 」
 記者「あなたはよくウワサされますね」
 淳子「私もいわれて悪い気はしませんが、清純派といわれてますでしょ。
 清純派だから意外性があってよく書かれると思うんです。
 ノーコメントでもいいんてすが根がおしゃべりだし、カーッときちゃって・・・。
 もう一度いいますが、そんなことは絶対にありません。
 芸能界はいろんな人が多いから、常に問題意識を持っていなくてはならないんでしょうね。
 」
 記者「最後に声を大にしていいたいことはありますか?」
 淳子「マスコミの方にお願いするんですが、本当のこと意外は書かないでほしいですね。
 それに検事さんに調書をとられた時、あなたの目を見たらウソをついていないというのがよくわかる、といわれましたし、胸を張って出廷するつもりです。
 」
 こうして張り切って出ていき、相手方弁護士に見事に返り討ちにあい、更にマスコミにとどめをさされ、彼女は芸能界に絶望していったのだと思います。
 
 
 あと、百恵さんとは、引退後一緒に食事したり、買い物したりしていたようで、テレビで、一緒にいると周囲の人が驚いた顔をするから面白いと笑っていました。
 
 噂になった原辰徳選手とは、友和・百恵夫妻の紹介で会ったという記事を読みましたが、巨人入団の年に空港で偶然出会ったという話を「セイヤング」でしており、その時のにニュアンスではあまりいい印象ではなかったようですから、単なる噂にすぎないのではないでしょうか。
 
 その後、百恵さんとどうなったかは知りませんが、統一協会問題で、付き合いは全く途絶えたのではないでしょうか。
 寂しい話ですが。
   皆さんの投稿をお待ちしています。
 


 ■■ No.015  ■■
  管理人 - 99/01/17 11:53:59
  コメントのタイトル:百恵さんの誕生日に寄せて
 


 コメント:
   1月17日は、私の大好きな寺内タケシさんの誕生日であると同時に、淳子さんのライバルだった百恵さんの誕生日でした。
 そこで、百恵さんにまつわる話をしたいと思います。
 
   百恵さんが、品川の中学に転校したのは、そこに淳子さんがいたからというのは有名な話ですが、当時二人はもう一人の女友達とともにトイレへ行くのも一緒というくらい仲が良かったそうです。
   百恵さんの引退特集記事にあった話ですが、百恵さんの過去を調べていくと百恵さんはその生い立ちのせいかとても暗い感じの子だったそうですが、この品川中学時代になって少し明るい印象になったそうです。
   それは「スター誕生」に合格し、明るい展望が開けたということも勿論あっただろうけれど、桜田淳子という天真爛漫な少女に出会ったことが大きいとその雑誌は書いていました。
   淳子さんは成績も良く、クラスの人気者で、学校の先生の特長をまねたりしていつも笑いの中心だったそうですが、そのそばに無口だけどニコニコ笑顔の百恵さんの姿があったとのことです。
   しかし、淳子さんのことは知らない先生はいなかったそうですが、百恵さんがその中学にいたことを覚えていない先生が意外に多くて、その存在感には当時大きな差があったようです。
   いつも行動をともにしていたもう一人の女友達も淳子さんと親しかったそうで、淳子さんが仕事で休みの時も、二人の話題の中心は淳子さんで、百恵さんは彼女に、「それまで人間なんてと思っていたけれど淳子ちゃんという人間を知って、人間っていいなと思えるようになった」という話をしたそうで、その時、百恵ちゃんはそれまでどんな生活を送ってきたのだろう、私や淳子ちゃんとは違い苦労をしてきたんだろうなと思ったことを覚えていると語ったそうです。
   百恵さんが賞を逃したときに、「百恵ちゃんと一緒でなくて悲しい」と淳子さんが泣いて、わざとらしいと世間の糾弾を浴びた陰に、そんな二人の関係があったことを伝えた記者はいたのでしょうか。
 
   それ以降、二人は少しずつ間を置くようになりましたが、それは二人がもはや友人というよりライバルとして存在すると見る世間やマスコミやスタッフの視線に抗しきれなかったためと私は見ていますが、「淳子ちゃんの目をいつも意識していた」という百恵さんの言葉を待つまでもなく、二人は互いに認めつつ、意識しながら成長していったことは間違いないと思います。
   世間的には百恵さんの勝利に終わったかのごとく見えた二人の戦いでしたが、百恵さん自身は、二人の最後の対談の時に、「板の上に立ったときの実力は淳子ちゃんが若手でトップ」と意外な敗北宣言を したのでした。
   百恵さんは歌がヒットしようが、映画があたろうが、自分の実力に対してクールな判断をしていたのでした。
 
   作詞家の阿久悠氏が、「百恵と淳子の十年後がどうなっていると思うか?」という脚本家の倉本聡氏の質問に対し、「百恵はこのままでいけばとてつもない大スターになるだろうがこのままでいくとも思えない。
 百恵はこれまで人の予想を裏切るスピードで成長してきて、マイナス要素までもがプラスに評価されてしまう好運があったが、世間が百恵の成長のスピードが鈍ったと感じたときには、考えられないくらいの反動が来るかもしれないから、はっきりいって予想は出来ない。
 一方の淳子は、楽に予想できる。
 あの子はこつこつ努力していき、トップではないかも知れないけれど、芸能界の実力派として確固たる地位を築いている筈」と予想しましたが、これは共に、半分あたり半分はずした予想でした。
   百恵さんは、反動が来る前にさっさと引退してしまい、そこまでは読めなかったとはいえ、あのまま行くとは思えないという読みは見事に当たりました。
   淳子さんも、実力派の女優として、映画にテレビに舞台に、彼女ほど多くの賞を取った女優は、大竹しのぶさんを除いて皆無という程の活躍をして見事に予想は当たりましたが、今現在は芸能界におらず、そこまではさすがに読めませんでした。
 
   今言えることは、百恵さんが世間ほどには自分の実力を評価していなかったということと、二人共に、芸能の仕事に関してはともかく、芸能界に対してはとけ込めずにいて、かなり苦しんでいたことは確かだろうということぐらいでしょうか。
 
   映画監督の西河克己監督が、百恵さんが人気が落ちたときに、起死回生の映画の企画として、「風と共に去りぬ」の日本版を用意していて、そのキャストとして、スカーレットに百恵さん、彼女と結婚するバトラーに松田優作さん、スカーレットが恋し続けるアシュレーに三浦友和さん、その妻で聖母マリアのようなメラニーに淳子さんを予定していたが、見事なキャスティングだと今でも思っていると、確か「キネマ旬報」に書いてありました。
   その記事の中で、「デビュー当時のイメージでは桜田淳子の方がスカーレットのイメージに近かったかも知れないけれど、今は桜田淳子以上のメラニー女優はどこ探してもいないのが彼女の不幸かもしれない」という西河監督のコメントが、天真爛漫で怖いものしらずだった淳子さんが、世間の荒波にもまれ、謙虚な優等生へと変貌していかざるを得なかったことを物語っているようで、少ししんみりした記憶があります。
 
   この二人が共に心安らかな日が送れることを祈念しつつ、ペンを置きたいと思います。
 
 


 ■■ No.014  ■■
  管理人 - 99/01/12 01:09:10
  コメントのタイトル: インタビュアーはこの人に。
 
 コメント:
 
   JSさん、いつもありがとうございます。
 
 「ひとり歩き」は、確か映画「スプーン一杯の幸せ」の中に重要なシーンで使われていましたね。
 今まとめている映画批評の中で佐倉夏さんという映画評論家が誉めておられました。
 
 私は、プロレスファンで、「週刊ファイト」というタプロイド版の週刊新聞を購読していたのですが、なぜかそこには淳子さんがよく登場していたのですが、それは先淳子さんのことを評価していた新大阪新聞社の芸能記者さんたちが強く押していたからではないかと見ていました。
 本当のところはわかりませんが。
   
 
 続いて、淳子さんのデビュー当時の少し太い感じの声が、次第に細くなっていったというのは、私も感じていました。
 
 あの「週刊アサヒ芸能」に、『男知らずのアイドル歌手』というキャッチで取り上げられて、その中に、音楽ディレクターの話として「声にまるで艶がないんですよ。
 誰でもかまわないから強引にいただいちゃう勇気ある人が現れないのかねえ。
 それがいつになるかで、彼女の歌手寿命がはっきりしますよ。
 早ければ早い方がいいんですが」という記事が載っていましたが、普通女の人は段々、声が太くなり、低くなり、かすれていくのに、まるで逆だった淳子さんならではのエピソードかも知れません。
 
 
 淳子さんが、当時何を考え、今何を考えているのか、本格的に取り上げてほしいですね。
 
 とはいえ、統一協会問題もあり、テレビではなかなか取り上げにくいだろうし、淳子さんの方でも、芸能レポーターみたいな人には来てほしくないだろうと推察します。
 
 そこで私としては、テレビ朝日のニュースキャスターである佐藤紀子さんならインタビュアーとしてふさわしいのではないかと提案したいですね。
 
 
 あの大騒ぎになった合同結婚式の時に、淳子さんに対して、質問ではなく自分の価値観、意見を押しつけようとした芸能レポーターたちばかりでしたが、その中で佐藤紀子アナだけが、淳子さんの結婚観を見事にレポートしていました。
 
 当初、山崎浩子さんとテッシーの仲の良さに比べて、淳子さんと東さんの他人行儀なよそよそしさが話題になりましたが、もともと統一協会は恋愛を否定していて、好きでもない人間を愛し、互いに仕えることができるかが、信仰の深さを示しているという立場をとっている以上、お互い一目惚れした感じの山崎さんたちのはしゃぎぶりは、信仰とは全くかけ離れたものだった筈でした。
 
 にも関わらず、お互い喜んでいる山崎さんたちにひきかえ、東さんは周章狼狽し、淳子さんの方はいかにも相手に対して不満に思っているかのごとく報道したのでした。
 
 
 そんな時に、淳子さんにインタビューした佐藤さんは、「東さんを初めて見たときの感想は」という質問に対する淳子さんの答の中にあった「カッコイイ人でなくてよかった」という言葉に注目して、淳子さんが、普通の恋愛観の持ち主でないこと、この結婚が信仰生活を送る為の結婚であること、山崎さんとは信仰のレベルが全然違うことに気づき、そのことを生々しく伝えた唯一のレポーターでした。
 
 あの喧噪の中で、ジャーナリストであった唯一のレポーターと言える佐藤さんになら、淳子さんも本心をうち明けられるのではないでしょうか。
 是非実現してほしいですね。
       
 
 ■■ No.013  ■■
  管理人 - 99/01/12 00:30:53
  コメントのタイトル: 松尾さんありがとうございます。
 
 コメント:
 
 松尾さん、投稿ありがとうございます。
 
 石原先生は、よく雑誌に名が載っていました。
 
 昭和49年5月ごろ、週刊プレイボーイに次のような記事がありました。
 
 
 歌は上手だったが。
 音楽の評価は「4」。
 「4」をつけたのは音楽担当の石原須磨子先生。
 
 「4をつけたのはペーパーテストで彼女より成績のいいコがいたもんスから。
 いま、歌に芝居に活躍していますが、ワタスの記憶では、そんなに積極的なコではありませんでした。
 」
 西中学校に在学中、ジュンコは『スター誕生』で優勝した。
 すると、石原須磨子センセイ。
 
 「クラス全体の平均点が10点くらい下がりました。
 淳子ちゃんがスターになれるんなら、ワタシもなれるって。
 みんな勉強もしないで、テープレコーダーに歌ばかり吹きこみはじめたんスよ」
 
 本当にナマリがあったかどうかは知りませんが、雑誌はこのように書くものだということで、お許し願いたいと思います。
 お姉さんからから聞いた話などなんでも構いませんので、また投稿して下さい。
 お願いします。
 
 
 当時、先生としては藤田先生と石原先生の名が上がっていましたが、友達としては、××ひとみさんという人の名がよく上がっていました。
 
 中学時代の淳子さんの日記は、ひとみさんに対する手紙みたいな形式で書いていたようです。
 
 昔ラジオでアイドルが自分の日記を自分で朗読するという番組があったときに、他の歌手は「成人式〜私の主張コンクール」みたいな堅苦しいというか、インチキ臭い日記を読んでいましたが、淳子さんの日記は、今移動中の船で書いていますとか、本番前1時間前ですとか、時間が入っていたり、やたら人の名前とか地名が出てきていたりして、例の裁判の時に警察へ日記を沢山抱えて持っていったのもうなずける本当の日記という感じでしたが、今から思えば、その日記にもひとみちゃんという名がよく出ていて、あとでひとみちゃんに見せるつもりで書いていた日記という印象でした。
 
 「セイヤング」でも名前を出して、尊敬すべき友人と言っていましたし、「統一協会」問題で騒がれていたときにも、ひとみさんは「どんなことがあろうと淳子ちゃんの戻ってくる場所は秋田だし、われわれはいつでも淳子ちゃんの味方です」みたいな発言をされていたように思います。
 その友情が今でも続いていますようにと祈りたい気持ちですね。
 
 
 みなさんの投稿をお待ちしております。
 
 ■■ No.012  ■■
  管理人 - 99/01/01 00:46:46
  コメントのタイトル: あけましておめでとうございます。
 
 コメント:
 
 明けましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 今年は、歌部門の資料を充実させて、淳子さんの歌った歌を全曲調べ上げることと、ドラマや映画、舞台の批評コーナーと、淳子さんと有名人との対談コーナーを立ち上げることを目標としたいと思っています。
 
 どんな小さな情報でも構いませんのでお寄せ下さい。
 お願いいたします。
 
 
 さて、JSさんの言われる通り、レコード大賞と紅白歌合戦があるため、12月31日は歌手の方にとっては、自分の通知簿を渡されるような感じの日で、悲喜こもごもの日と言えると思います。
 
 われわれは自分の成績を世間に公表されることはありませんが、芸能人とスポーツ選手は成績が数字となって表れたり、賞という形で表わされるため、厳しい世界といえましょう。
 
 
 このHPではおなじみの三井さんに言わせれば、芸能人は、庶民とは比べものにならないお金をもらっているのだから同情する必要などないし、むしろ芸に対してはもっともっと厳しい眼で見ていく必要がある、ということになるらしいのですが、淳子さん自身が、14や15で芸能界に入った人間に賞レースというのは精神的にとても厳しいものがあると発言していましたので、やはり同情してしまいますね。
 
 
 本人よりも周囲の人間が賞を獲ろうとがんばっているわけで、そのためにはライバルの足を引っ張ろうとあらぬ噂を立てるという汚い手まで使う陣営もあり、淳子さん自身それに巻き込まれ、とんでもない噂を立てられ傷ついた経験もあるだけに、賞に対しては複雑な思いがあったと思います。
 
 
 新人賞を取ったときにも、淳子さんのことだから、自分がとったら泣かないでしっかり歌おうとか、でもあんまり笑顔を見せて喜んでも他の人に悪いしなとか、他の人がとったら悔しいけれど、そんな顔をしないで笑顔で祝福しようとか、いろいろと考え、自意識過剰の状態になっていたことと思われます。
 
 
 それまで暗かった百恵さんを、いつも笑顔の百恵さんにしたのは、歌手としてデビューできた喜びからだけではなく、そばにいつも天真爛漫な淳子さんがいたからと、百恵さん引退特集の記事の中に書かれていましたが、その天真爛漫さも、性格の明るさも、本人がそれ意識したときから不自然なものになることはわかっているのに、芸能界はそれに気づかないふりを要求する世界でした。
 
 
 何事もオーバーと言われた淳子さんですが、それは淳子さんの特性であり、個性でもあり、自然なことであったわけですが、それを不自然だと言われ、自然にしろと言われた淳子さんが、がんじがらめの状態でどんどん不自然になっていったのも当然の話でした。
 
 
 だからこそ、自分の舞台や自分のラジオの番組が好きと公言していたのだと思います。
 
 テレビと違い、私のことを嫌いな人は、私のステージを見に来ないだろうし、私の番組を聞かないだろうから、のびのびと出来ると言っていました。
 
 
 「セイヤング」で、木の実ナナさんがゲストに見えたとき、同じディズニー大好き人間で話が盛り上がった後に、私日本人には評判が悪いけれども、外国人には評判がいいのという話になりました。
 
 イエスとノーがはっきりしているし、表情がわかりやすいから、日本人の割につきあいやすいと外国の人に評判がいいし、私自身つきあいやすいと、同じ何事もオーバーと言われる悩みを持つ者同士で、意見があって、大いに盛り上がっていました。
 
 
 このように、淳子さんは、最初から日本の芸能界とは異質の人でした。
 
 それまで、歌の世界は、苦節何年とか、貧しくて家族を養うために芸能界に入ってという人ばかりの世界で、淳子さんのように、苦労を知らない良家の娘が、歌や演技することが好きだからという理由で、芸能界に入ることはあまりなかったと思われ、百恵さんとの比較の際も、ハングリーでないことが、さも悪いことであるかのごとく書かれていました。
 
 
 最優秀新人賞を獲った時のちぐはぐな感じを、結局最後まで引きずった感じで、芸能界にとけ込むことのなかった淳子さん。
 
 バカになりきれず、柔らかくもなれなかった淳子さんですが、硬派の優等生アイドルとして私たちの記憶に残ると思います。
 
 しかし、淳子さんは、コメディを得意としていたことからもわかるように可愛い女性の魅力もあり、凛とした上品さもあるという具合で、きわめて多面性も持つタレントでもあるので、そういった面の情報もよろしくお願いしたいと思います。
 
 それでは、これからも投稿を皆様よろしくお願いします。
 
 


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