"My Pure Lady" Junko Sakurada |
管理人のマイ・ログ・セレクション
No. 39〜77 |
■■ No.077 ■■ 管理人 - 01/08/23 03:27:18 コメントのタイトル: 残暑、お見舞い申し上げます コメント: なんて暑い夏ザンショ、残暑は小粒でピリリと辛い、何を言う早見優などという、焼酎飲みながら、暑中にしょっちゅう言う洒落を悠々と言う気も、勇気も出ない暑さですね。 残暑、お見舞い申し上げます。 いしだ壱成さんが大麻の不法所持で逮捕され、彼が座長であった芝居が中止になり大騒動になっているようですが、2年もしないうちに彼は復帰することでしょう。 それは、芸能界が、堅気ではない世界だからです。 にもかかわらず、淳子さんの復帰は絶望的と言われています。 あまりに理不尽な話と言えましょう。 先日日本テレビの24時間テレビで、85キロ走った(歩いたと言うほうが正確なような気がするけれども、その根性だけは今回感心せざるを得なかった)研ナオコさんが、過去にどんなことをしてきたかを覚えている人はほとんどいないように見えます。 その寛容さ、いい加減さ、忘れっぽさを、淳子さんに対しても、与えて戴きたいものです。 番組中に、「一生懸命やっていることを人に見せるのを誰より嫌っていた」と、そのことがさも「粋」であり、彼女の美学のように紹介していたコメントを聞くまでもなく、彼女はまるで仕事にやる気もなく、何の努力もせず、温厚な人柄とプロダクションの力だけで仕事をこなしてきたように見えるタレントでした。 そして、その対極にあって「やる気の塊で、なにごとにも一生懸命やる努力家で、野暮で泥臭さのぬけない」人が淳子さんでした。 粋は下品に通じ、野暮は上品に通ずると言うのが私の持論ですので、だからこそ淳子さんは上品でした。 研さんが、人一倍努力していたけれども、それを人に見せない人であったという話は寡聞にして知りませんが、それを否定できるほどの確証もありませんので、これ以上のコメントは差し控えましょう。 しかし、あのコメントは、努力しない人間がカッコをつけて言っているように、もしくは努力しない人間の言い訳のようにしか聞こえない危険性がある言葉だなと思いました。 研さんは、プロレスラーで言えばジャイアント馬場さんであり、プロ野球選手でいえば江川卓さんなのだと思います。 それに対して、淳子さんは、プロレスラーで言えばアントニオ猪木さんであり、プロ野球選手で言えば西本聖さんなのだと思います。 前者は、温厚で人に優しく、寛容で、人に要求しないので誰からも評判がいいのに比べ、後者はコンプレックスが強く、その分人一倍努力し、頑張りすぎ、周囲に対して配慮に欠ける面があり、毀誉褒貶が激しいタイプと言えましょう。 現役時代、チームの練習が終わってから、仲間を引き連れて、遊びに出かける江川投手に対して、チームの練習が終わってからも、一人もくもくと練習する西本投手に対しては、監督へおべっかを使って気に入られようとしていると批判的に見られ、周囲の目は冷たかったそうです。 「自分は江川さんのように肉体的に大きくもないし、速い球も投げられない。 自分が江川さんと同じだけの練習量だけですましていたら、とっくの昔に引退していたし、これだけの勝ち星を上げられなかった」という西本さんのコメントと、「私は、優等生なんかじゃありません。 優等生じゃないから努力するしかないんです」という淳子さんのコメントと重なって聞こえるのは私だけでしょうか。 たぶん一緒にいて、楽しいのは江川投手であり、馬場選手の方だったと思います。 でも私は、選手としては、ガッツを剥き出しにして、闘志を表に出す西本投手や、猪木選手の方が好きでした。 私が淳子さんを応援したい理由の一端が、ここにあるような気がします。 淳子さんは、人格的にも大きく成長し、人柄的にも研さんにもひけをとらない方となられていることを付け加えて、最後にしたいと思います。 これからも、淳子さんのことをよろしくお願いします。 それでは。 ■■ No.076 ■■ 管理人 - 01/08/11 01:23:20 コメントのタイトル: お久しぶりです。 コメント: 皆さん、おらな久しぶりです。 お忘れかもしれませんが、当資料館の管理人です。 皆さんにご心配をおかけした首痛と腰痛はようやくおさまり、コルセットも無事とれました。 本当にありがとうございました。 脱ぐとお腹の周りにはコルセットの痕が無惨に(無様に?)残っていますが。 仕事の方は、明日から9連休ですが、私的な集まりでの講師の仕事や、通信教育のビデオを見てレポートを作成せねばならず、相変わらず時間がありません。 「時間は作るもの」と以前偉そうに人前で発言していた私ですので、出来るだけ時間を作って、顔見せ(文字見せ?)するようにしたいと思います。 さて、私の住んでいる地方では、先日高倉健さん吉永小百合さんと共演した「動乱」も放送されましたし、先週の日曜は「男はつらいよ・葛飾立志篇」が放送されました。 淳子さん扮する最上順子という女子高生が、葛飾の「とらや」へ寅さんを訪ねてきて、そこに運良く(?)帰ってきた寅さんのことを「お父さん?」と聞いたことから、大騒ぎになるという導入部でのエピソードだけの出演でしたが、脚本を書いた山田洋次監督もいつか次に出演することを期待しながら書いたような内容でした。 その後、松竹とサン・ミュージックとの間でトラブルがあり実現しませんでしたが、ぜひ実現して欲しかった企画でした。 そんなトラブルがあったことを知らなかった私は、例の「レインボーレディ’88計画」の中の映画の企画の一つとして、提案していたのでした。 男にだまされた母親とは違う生き方をしようとして、一生懸命勉強して、教師の道を選んだけれども、母親のことがトラウマとなっていて男性恐怖症になっていた最上順子の所へ寅さんが訪ねてきたところ、あの堅物の最上先生のところに男が訪ねて来たというので学校中の大騒動になるけれども、結局寅さんが順子に人が人を好きになることは悪いことではないし、恥ずかしい事ではないということを教えてくれるという筋書きまで考えました。 最終的に結ばれる誠実な教師役には森田健作さんとか、校長役や教頭役には誰がいいかなとキャスティングも当然考えていました。 結局、それを実現できなかったサン・ミュージックは淳子さんに大きな借りがあると思いますので、相澤会長には淳子さんの復帰に向けて、それが無理ならせめて来年のデビュー30周年記念CDボックスの企画実現にご尽力戴けたらというのが私の希望であり、悲願ですね。 皆さんも改めてサン・ミュージックにメールを出して下さいますようお願いします。 下にあるKAZUさんの相変わらずの博識ぶりには拍手ですが、そう思うと「ザ☆スター」は素晴らしい番組だったと改めて思いますね。 淳子さんの上品なお話と美しい映像だった「ザ☆スター」4回分、これから改めて見てみることにします。 それでは、おやすみなさい。 ■■ No.075 ■■ 管理人 - 01/07/01 21:59:17 コメントのタイトル: RYOさん、KAZUさん、ZOOさんありがとうございます コメント: いよいよ「玉ねぎむいたら」のスタートですね。 見られた方、あらすじか、番組にまつわるエピソードなど紹介して下さいますようお願いします。 「天下の副将軍・水戸光圀」は、昔放送したものを録画してありますが、今から思うとかなりの人たちが出演していたんですね。 テレビドラマのコーナーはリストから一本一本のデータのコーナーにリンクする計画はあるのですが一体いつのことになるやら……。 ZOOさんは、そういえば以前「隠れ歴××年」さんだったのですね。 それだけ、今のお名前が浸透し、なじんでいたのですね。 悲しい悲しい「淳子さん誘拐計画」の顛末、よかったですね。 やはり、神様が守ってくださったのですね。 感謝ですね。 私も中学時代に似たような経験があり、週刊誌の中の一枚のアイドルの写真が欲しくて、取り外して胸ポケットの中に誘拐しようかと頭の中に思った瞬間、心臓の音が急に速くなってきて、半鐘がカンカンと打ち鳴らされる音のように聞こえてきて、これはもう駄目だと観念(?)して、週刊誌ごとレジまで持っていって買った経験があります。 私も誘拐計画失敗組であり、心の中では立派に罪を犯した犯罪者でした。 その当時、私は学級委員をしていて、真面目と自分でも思い、周囲からも思われていた(たぶん?)優等生でしたが、自分の中にそんな一面があることを知り、またそうしたことに歯止めをかけようとするもう一人の自分がいることも知ることが出来た、人生のターニングポイントともいうべき貴重な経験であり、出来事でした。 アイドルを通じて、人生経験を積むこともあるのですね。 とても貴重なお話をありがとうございました。 この暑いのに、いまだに首のコルセットがとれない管理人でした。 ■■ No.074 ■■ 管理人 - 01/04/29 04:17:20 コメントのタイトル: きんちゃんさん、ようこそここへ。 コメント: きんちゃんさん、アグネンチャンさん同様言いにくいですが、訪問有り難うご゛さいます。 そして投稿有り難うございます。 ここは淳子さんと共に青春を歩んだ人たちが、その人生を確認する場所であり、淳子さんを未だに卒業できない人たちが、その答えを探す場所でもあります。 世間では大人のふりをしていても、どこか無理をしている自分に気づいた時に、ここへ来れば、同じ想いの仲間が多いことに気づき、安心して、ポロっと本当の気持ちを言うことが出来る、そんな場所だと思っています。 只今充電中の淳子さんの姿を今見ることはできませんが、ここへ来れば、かって光り輝いていた頃の淳子さんを確認でき、暗かった心も明るくなり、温かい気持ちになれることでしょう。 ここは疲れた人、心が傷ついた人たちが、休息する場所でもあります。 なぜなら淳子さんはすべての人に愛を注いだ我々のマドンナであり、すべての人に等しく光を与えてくれる太陽だからです。 自らが光り輝いていた淳子さんこそ、我々の心を明るくし、冷たく凍えた心をも解かす熱気あふれる太陽そのものでした。 雲間に隠れ、その姿をハッキリとは確認できない時でも、我々が凍えずに生きていけるのもすべて太陽のお陰です。 どうぞ自分のためでなく、他人のために一生懸命生きようとした元気な女性がいたことを勇気を持って伝えて下さい。 人間を裁くことの出来る人間などどこにも存在しないことを周囲の人に語って下さい。 それが我々に出来る唯一のことです。 そうした空気が周囲に伝わり、風となったとき、それまで覆っていた厚い雲も追い払われ、待ち望んだ太陽が姿を現すことでしょう。 その日まで、絶望することなく、希望を持ち続けて下さい。 我等がマドンナに幸多からんことを祈りつつ、それでは皆様ご〜き〜げ〜ん〜よ〜。 ■■ No.073 ■■ 管理人 - 01/03/16 22:54:30 コメントのタイトル: 私も謹慎に反対です。 コメント: このたびはTAMAさんの意見を真っ向から否定するような形になり、まこととに申し訳なく思っています。 掲示板にも書きましたが、心に余裕がなく、心に整理がつかないまま、勝手に指が動いてしまい、大変失礼をしました。 TAMAさんが登場して下さるようになってから掲示板の雰囲気が明るくなりましたし、掲示板が活気づくようになった最大の功労者の一人だと思っているTAMAさんに謹慎されたら、私が困ります。 どうぞ思い直して戴きたいと思います。 私は現在、通信教育で勉強中の身でして、1本6時間のビデオを1年に100本以上見て、レポートを提出しなければなりません。 数人で勉強しているのですが、ビデオが当然足りず、そのダビングする役目も受け持っています。 毎週集まり、その週報も作成していますし、その場所の設営や準備一切を受け持っています。 1ヶ月に1回は講師の仕事もしており、そのメッセージの準備には20時間以上かけるように言われれており、日々の仕事にも追われている身には大変きついのです。 仕事も含め、7本のホームページの運営をしており、全部で14箇所のサーバーにまたがって運営しています。 どのサーバーにどのファイルがあるか、自分でもこんがらがってくる程です。 昨日3月15日が税金の申告の最終日であり、その決算書類の作成もしなければならず、ようやく提出したと思ったら、1年に1回のスクーリングを受ける日が迫っており、その準備もあり、時間がなく、心に余裕がない状態であったために、言葉が足りなかったと思います。 だからいってTAMAさんの心を傷つけていいという理由にはなりませんが、どうぞお許し戴きたいと思います。 今のままでは、また舌禍事件を起こしそうですので、私の方こそ、しばらく休養したいと思います。 今少し私の心に余裕が生まれ、掲示板に再登場するまで、TAMAさんには大変申し訳有りませんが、これまで通り掲示板に登場し、皆さんを引っ張っていって戴けたらと思います。 お願いします。 そういう意味で、しばらくの間、お休みしますので、その間、皆様方にはよろしくお願いします。 それでは。 ■■ No.072 ■■ 管理人 - 01/03/16 00:37:31 コメントのタイトル: しばらくの間、さようなら コメント: 仕事の関係やら、気持ち的にも心の余裕がなく、掲示板に顔出しするのはしばらくやめようと思っていたのですが、ついついしゃしゃり出てきてしまいました。 「NY恋物語」の結末については、熱心な視聴者ではなかった私は適任ではないと思いますので、どなたかにお任せしたいと思います。 「痴人の愛」や「卍」といった作品はポルノ(死語?)になったような作品でもあり、私もやって欲しいとは思いませんし、たぶん淳子さんもやりたがらないと思います。 TAMAさんには悪いですが、戻ってきてまでやる作品とは思えません。 私も、夕樹さん同じく、遠藤周作さん、曾野綾子さん、三浦綾子さんの作品をやって欲しいと思っています。 特に、曾野綾子さんの「天上の青」は、是非淳子さんにやって欲しいと思います。 以前、NHKで桃井かおりさんがやりましたが、「小児病棟」もそうですが、桃井さんには桃井さんにふさわしい役柄があり、全くミスキャストだと思いました。 三浦綾子さんの自伝的小説「道ありき」、「細川ガラシャ夫人」なども、やって欲しいと思いますが、それはいずれお話する機会があると思います。 淳子さんと役柄の関係について、淳子さんは、自分が嫌な人の役を演じるのは、自分がそういう人を見下すところがあるので、神様がそういう私を変えようとして、そういう役を下さるのだということを27、8の時に話していました。 「神様」という言葉を使っているのに、誰もそのことに気づかなかったのですよね。 淳子さんが20歳ぐらいの時の小さなカレンダーの裏に、自筆の文字が書いてあり、その中に、「私は音楽を信ずる」、「私は神を信ずる」と英語で書いていました。 時間が経たなくては見えてこない真実があるんですよね。 そして、淳子さんはキスシーンをいやがることで有名な人でした。 「若い人」で、小野寺昭さん扮する間崎先生とのキスシーンで、二人の唇が重なる寸前で、向こう側からライトが当たって見えなくなるという苦肉の逃げ方を監督がして、私は陳腐な演出に苦笑してしまったのですが、映画館内全体が大爆笑に包まれたのを私はリアルタイムで目撃しております。 それを見たほとんどの人間が、桜田淳子がキスシーンをいやがった、逃げたのだということを悟り、笑ったのだと思います。 当時ファンではなかった私もそうでしたが、淳子さんに対する批判はすごかったと思いますし、それを淳子さんは真摯に受けとめたそうですが、当時の彼女にはどうしても出来ないことであり、それが自分の限界なのだということも言っていました。 その時の傷が、ずっとずっとつきまとっていたような気がします。 淳子さんが、キスシーンに初挑戦したのは、「愛の教育」の名高達男(当時、達郎)さんとの時で、わざわざサブタイトルに、「はじめてのキッス」とつけたほどセンセーショナルな出来事だったわけです。 その番組中、下着になるシーンがあって、結局淳子さんは、自分のステージ衣裳の中から、下着に見えないこともないものを身につけたそうです。 その衣裳ですわったりするとしわが出来ていやらしく見えるというので、自分でせっせとアイロンがけをしたというエビソートの持ち主です。 その後、名高さんとは別な番組でも共演したので、淳子さんから好感を持たれているのではと、「キネマ旬報」のインタビューで冷やかされていましたが、この名高さんにも、例の統一協会騒動の時に信者でないかと噂が出たときに、少し納得した次第です。 (勝手に納得してしまいましたが、名高さんには迷惑な話ですので、忘れて下さい) 以前、掲示板で書いたと思いますが、淳子さんと何回も共演している寺泉憲さんが、中尾ミエさんと森山良子さんが司会する番組にゲストに出たとき、キスシーンを演じた多くの女優さんの名前の中に淳子さんの名が上がったときに中尾さんが驚き、「よくキスシーン出来たわね」と感心していました。 そして、「あなた、あの噂知っていた」とか「腰がひけていたでしょうか」とか、根ほり葉ほり質問し、淳子さんが本当にうぶな女性であることが芸能界に浸透していたことがよく窺われるエピソードだなと思います。 これが、既にアイドルではなくなっていた淳子さんの27、8の頃のお話です。 寺泉さんと淳子さんとは、舞台やテレビで何回も共演したので噂になりましたが、「アニー…」の楽屋には、当時恋人だった檀ふみさんが来ており、「アニーよ銃をとれ」のための話題作りだったことがわかります。 淳子さんは、自分の言葉がマスコミや世間の人に正直に受け取って貰えていないことに傷ついており、夕樹さんの言われるように、正直に話して、楽になりたい気持ちはあったと思います。 淳子さんの信者宣言を統一協会の差し金だと言う人がおり、統一協会もそう思っているかも知れませんが、淳子さんは自分で納得しない限り、動けない人です。 婚約会見の時も、自分たちで仕切って、統一協会の人たちが、東さんのお姉さんと一緒に現れたときに、淳子さんは立ち会いませんでした。 結婚式の時も、文鮮明氏の祝福を直接受けられる壇上に上るよう言われながらも、特別扱いを断固拒否しスタンドにいることを主張し、山崎さんや徳田さんたちの恨みを買ったということです。 統一協会の人たちも、淳子さんには、「生意気で言うことをきかない」と腹を立てているという記事を読んだことがあります。 でも、阿久悠さんが言っておられたように、淳子さんはただのわがままを言うのではなく正しいと信じることを言うのであり、正義は常に淳子さんにあるから、周囲の人も困るのです。 淳子さんが言っていることは、すべて建前だと思われてきました。 「自分は、修道女のような生活をしているのに、芸能界にいるばかりに、私がそんな生活をしているとは誰も思わないのが口惜しい」 「芸能界に執着していない」 「結婚したら、主婦一本でやる」 「結婚は紹介か見合いで」 「神様の存在を信じている」 「宗教性のある人が好き」等々。 淳子さんが、自分の言ってきたことが本心であることを証明するために現在があるとしたら、あまりに悲しすぎる気がします。 「もうわかりましたから、出てきてもいいですよ」、と私は言ってあげたいのです。 復帰できるような環境づくりをするために、このホームページを立ち上げました。 淳子さんをよく知らない若い世代の人たちに、こういうアイドルがいたんだよということを知っていただき、知っているつもりでいたけれども実はよく知っていない人たちに、その頃の裏話や、今だから分かる話をして、理解者を一人でも増やしたいと思っています。 私は、マスコミが言うほど、主婦の人は、淳子さんが復帰しても批判しないと思っています。 マスコミが思っているほど、主婦の人はバカではないと思います。 淳子さんが何をしたのか、何もしていないということを彼女たちはわかっていると思います。 淳子さんを責められるほど立派な生き方をしている人間が今の日本にどれだけいるでしようか。 彼女は、十分苦しんだし、自分が言ったことのつけは、普通の人の何百倍も払わされました。 当時1億数千万あった収入が、パーになってしまいました。 この苦しみがわかって上げられるのは、三田佳子さんぐらいのものでしょう。 息子がしたことで、毎年数億あった収入がパーになってしまいました。 親バカだとマスコミは非難しますが、親バカのどこがいけないのでしょうか。 亡くなった伊丹十三監督が、子が無事に育ったのは奇跡のようなもので、親として威張れる人間がどれだけいるだろうかというような自戒のコメントを出していましたが、そうした意識を持つ必要があると思います。 三田さんが言ったように、当時のマスコミがやったことは、少年法で守られるべき少年の人権を侵害したことは間違いないのに、そのことを言った三田さんを非難しました。 マスコミがすることはすべて正しいのでしょうか。 例の「セックスレポート」裁判で、淳子さんはマスコミを訴え、そのことがバッシングに影響していると思われます。 大学を出た人がスキャンダルを追っかけて空しくならないのかというようなことも言い、そのことを根に持っている人もいると思います。 でもそんな人ばかりではなく、マスコミにも人がいることを信じたいと思います。 淳子さんも信じているイエス・キリストの言葉で、しめくくりたいと思います。 「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。 」 ■■ No.071 ■■ 管理人 - 01/03/10 23:34:30 コメントのタイトル: 落合恵子さんのお話 コメント: 映画『スプーン一杯の幸せ』原作者の落合恵子さんと淳子さんが顔を合わせたのは、昭和49年(1974年)の近代映画4月号レモン対談≠フ席上で、彼女の目から淳子さんはどのように映ったのでしょうか。 「あの当時のジュンコちゃんて、クリクリとしたとっても可愛いい少女だったわね。 あれから2年、すっかり娘さんらしくなりきれいになったわね。 この映画って、私は少女から娘にと変っていく女の子の心の揺れが出せればと思っているの。 森の奥の青い果実が、人知れず甘く実っていくように、女の子も少女から娘にと熟れていくわけでしょう。 そういう少女から娘への季節の変り目を演じるには、ジュンコちゃんがいちばんピッタリな気がするわね。 彼女自身が、いまその変り目にあるんですものね。 その後、ジュンコちゃんとはLPのお仕事なんかで何度も会うようになったわけですが、会えば会うほどジュンコちゃんの人柄のよさに惹かれますね。 芸能界という競争の烈しい社会にいて、よくあんなに純粋さが維持できると思うほど正直で竹を割ったようにサッパリした気性の女の子ですね」 このように落合恵子さんは、淳子さんの人柄のよさと純粋さについて感心していましたが、その長所が、芸能界では短所となり、淳子さんを追い込んていったのだと私は理解しています。 自分ををいつまでも失わないように自分を律し続けた結果、今があるとしたら、あまりに可哀想すぎると思います。 悪貨は良貨を駆逐するそうですが、悪が栄え善が滅びる結果は見たくありません。 どうか正しい評価が淳子さんに下され、理解者が一人でも増えますように。 と言って締めくくるつもりでいたつもりなのに、意地悪な質問をされて、とても困惑している管理人です。 私はこれでも、人を傷つけないように細心の注意を払って言葉を選択しているつもりなのですよ、信じられないでしょうが。 とはいえ、人の優しい気持ちから言った善意の言葉にも傷ついてしまうのが人間であり、人を傷つけずに生きていくことなど出来ない悲しい生き物≠ェ人間であると言えると思います。 だからこそ、互いに許し合って生きなければいけないのであり、人を非難することは出来るだけ避けましょうと言って来たのに、この私からそのことを言わせようなんて、「あなたは本当に罪な人」、「嫌い嫌い、あなたは意地悪ね」と歌った淳子さんのように、どうしようかと「ゆれてる私」です。 あの対談は私も覚えています。 その前に、高平哲郎さんは、タモリさんのブレーンであり、淳子さんのブレーンでもある人物です。 「笑っていいとも」や「今夜は最高」の構成を担当し、淳子さんがDJをしていた「セイヤング」の構成にもタッチし(番組中の「淳子の日本昔ばなし」で使われていたバック音楽が、「欽ちゃんの仮装大賞」でよく使われており、よく見てみたらその構成作家に彼の名がありました)、シアターアップルでやった淳子さんとタモリさんのショーの構成もしていたはずであり、一緒にニューヨークへ行ったりしていた、淳子さんのことをよく知っている人物であり、淳子さんのショーガールとしての面を高く買っている人物だということをまず知っておいていただく必要があると思います。 高平さんは、元NHKの滝大作さんとともに、淳子さんが、良家のお嬢さんとして明るく育った芸能人としては珍しい存在であり、その純粋な部分を、普通感覚を失っていない点を、「アイドルの売りの部分」としてではなく、素直に彼女の長所として受け取り評価した、芸能界では数少ない理解者≠フ一人だったという背景がありました。 そんな彼らから見て、落合恵子さんという人は、淳子さんのような潔癖で純粋な$lから見て、住む世界が違う人物と見えたに違いありません。 落合恵子さんは、複雑な家庭環境の中で育ち、とても苦労された方であり、淳子さんのように、両親の揃った、幸福な家庭で育った人には理解しがたい部分がある女性です。 その部分を潔癖で純粋な¥~子さんなら、「フケツ」と感じ、許せないと思うであろうということを、大人である高平さんは見抜いて聞いたのです。 その質問を聞いた淳子さんは頭のいい人ですから、その質問が何を意図しているのか察知していたはずですが、結局、落合恵子さんではなく、高平哲郎さんの方をとったのだと私は理解しています。 私のことを理解してくれている高平さんに嘘を言えないと判断したのだと思います。 言葉を曖昧にすることもできたのに、それを許さない若さ≠ニ潔癖さ≠ェ彼女の中にあり、純粋≠ニ言われる所以があると私は思っています。 前にも言ったかも知れませんが、私は吉永小百合さんの映画を見て、若さとは、純粋≠ナあり、潔癖≠ナあり、些細なことにも「許せない」と、よく怒る≠アとだということを学びました。 淳子さんも、このインタビュー以外では個人名こそ出しませんでしたが、自分が出演した番組や番組スタッフの批判を結構しており、心配していました。 自分が恨まれても、結果として、いい番組が作れるようになればいいと考えておられたのでしょうが、言われた方の気持ちとしては、そんな単純なものではないと、考えてしまう私は、既に純粋≠ナもなく、潔癖≠ナもなくなっているのだなと思いながら、ただただ心配して見ていました。 サン・ミュージックの周囲の方々もそうだったのだろうと思います。 ですから、このインタビューで責められるとしたら、大人≠フ高平さんがその役を担うべきと私は考えます。 これがRYOさんの質問に対する私の回答ということでよろしいでしょうか。 これでひとまず『スプーン一杯の幸せ』関係者の淳子さん談は終わります。 ありがとうございました。 企画の中で、「家族八景」がありましたが、私も読んだときに、七瀬役に淳子さんのこと思いましたので、この記事を読んだときは嬉しかったです。 それでは。 ■■ No.070 ■■ 管理人 - 01/03/09 23:48:36 コメントのタイトル: まだあった『幻の企画』 コメント: 『幻の企画』シリーズなどと書いている内に、『泥だらけの純情』もそうだったなと思い出しました。 昭和52年夏の上映作品候補として、企画に上がりながら、百恵さん・東宝組に先を越されてしまい、『愛情の設計』を企画した松竹。 サン・ミュージックが腹を立てるのも、ある意味、無理ないなと思います。 百恵さんの主演映画13本の内、リメイク作品が10本、内、吉永小百合さんの作品が3本、和泉雅子さんの作品が2本、浅丘ルリ子さんの作品が2本、田中絹代さんの作品が2本、あと美空ひばりさん、京マチ子さん、山本富士子さん、岩下志麻さん、倍賞千恵子さん、久我美子さんらの作品が1本ずつあがります。 『伊豆の踊り子』、『絶唱』、『春琴抄』などは重なって演じていますので、合計したら、10本を越えてしまいますが。 百恵さんの作品リストを見てみると、「風たちぬ」や「泥だらけの純情」などは、百恵さんより淳子さんの方にふさわしい企画だと思います。 リメイクが多く、作品的に定評のある作品の多い百恵さんに比べ、淳子さんのリメイク作品は、東宝でやった「若い人」1本きりであり、企画で既に負けてしまっています。 どうして「あじさいの歌」、「陽の当たる坂道」、「光る海」、「あいつと私」、「若い川の流れ」、「花と果実」、「乳母車」、「雨の中に消えて」、「河のほとりで」、「風と樹と空と」といった石坂洋次郎作品、「愛と死を見つめて」、「帰郷」、「愛と死の記録」、といった小百合さんの名作のリメイクをしなかったのか不思議です。 同じ小百合さんの作品なら、百恵さんより、淳子さんの方が勝っていたと思いますし、若い人だけでなく、小百合さんファンや、石坂洋次郎ファンを呼び、ファンにすることが出来たかも知れないのにと思うと、実に残念です。 松竹に、新興の日活作品のリメイクなど出来ないという老舗のプライドがあったことが悔やまれます。 となると最初に、松竹を選んだサン・ミュージックの選択ミスということであり、相沢社長は、淳子さんに大きな借りがあるということになります。 ホリプロの堀威夫さんが兄貴分であったために、すべてに首根っこを押さえられていた感じで、まともに喧嘩できなかったことも含め、相沢社長には、せめて元気な内に、なんとか淳子さんに借りを返して戴けたらと思います。 相沢社長、池田文雄さんが、淳子さん復帰のカギを握る人物だと思いますので、お二人の健康をお祈りしたいと思います。 というわけで『幻の企画』第6弾は、『泥だらけの純情』でした。 ■■ No.069 ■■ 管理人 - 01/03/09 21:10:44 コメントのタイトル: 『幻の企画』シリーズ(?) コメント: OZさん、伊勢正三さんの話は全く初めて知りました。 これまで淳子さんに企画され、実現されなかった『幻の企画』ともいうべき企画がいくつかありました。 『アニーよ銃をとれ』の再演に取って代わられた『グリース』。 実現していれば、井上純一さんと戸田恵子さんはもっと早く結婚していたかもしれません(?)。 山口百恵さんの引退記念企画として考えられた『風と共に去りぬ』。 松竹とサン・ミュージックの喧嘩で実現しなかった『男はつらいよ』での再出演企画。 アメリカのアイドル歌手だったデピー・ギブソン主演の映画で、女子留学生の役で、元ビートルズのリンゴ・スターらと共演する筈だった企画。 それらにつぐ『幻の企画』第5弾として、認定したいと思います。 その他、ご存知の話があれば、ご披露して戴きたいと思います。 それが次の企画につながるかも知れません。 投稿お待ちしています。 ■■ No.068 ■■ 管理人 - 01/03/09 17:03:05 コメントのタイトル: 早乙女愛さんのお話 コメント: 「ひとり歩き」が見られなかったショックから立ち直れていない雰囲気ですが、元気を出していきたいと思います。 映画『スプーン一杯の幸せ』の中で、黒沢さんの妹ひとみ≠演じた早乙女愛さんは、当時同じ高校2年生ということもあって、淳子さんとすっかり仲よくなったようです。 そんな愛さんから見た、いかにも淳子さんらしいエピソードを紹介したいと思います。 「私ね、鹿児島の学校のお友だちにジュンちゃんのサインをいっぱい頼まれちゃったんです。 忙しいのに悪いなァと思ったわ。 それなのに、ジュンちゃんたら少しもいやな顔をしないで、せっせとサインしてくれたの。 私も少し見習わなくちゃね。 役の上では私のひとみ≠ヘこの春高校を出て会社にお勤めに出る0Lとジュンちゃんより年上の役だけど、ジュンちゃんを見ていると、私よりずっとお姉さんって気がしたわ。 物の考え方にしても、私なんかよりずうっとしっかりしてるんですもの。 特に、芸能人としての心がけがちがうわね。 私の場合、東京に出てきている間は自分は新米女優だと自分にいい聞かせていても、鹿児島に帰れば平凡な高校生に戻るわけでしょう。 ジュンちゃんを見ていると、いつも自分はタレントなんだ! といった自尊心というか、意気込みが感じられるわね。 プロ根性という点で、私もいい勉強になったわ……」。 若くして、アイドルになった淳子さんは、家から一歩出た途端に桜田淳子≠ニして恥ずかしくないように、常にプロ意識を持って行動したと言われ、自分でもそのように発言していました。 だからこそ肩の力が入っているとか色々と言われたのですが、それは少し違っているように思います。 淳子さんにとって、誰からも好かれるような、いい人になりたいというのは、人間≠ニしての願望であり、信念だったのだと思います。 でも、それを言うことは優等生だと思われそうなので、プロ意識と言い換えれば、優等生だと思われないだろうと考え、いわばテレて真相をごまかしたのだというふうに私は理解しています。 どちらにしても、正直に言えばもっとストレートに伝わったかも知れないけれども、周囲のこととか、人がどう思うかといったことを色々と考えて話した結果、自信なげに話しているように映ってしまい、素直に受け取られなくなり、ますますインタビューに自信をなくしてしまうという悪循環があったように思います。 そのようにどんどん自分を追い込んでいってしまう自意識過剰の所が淳子さんにはあり、それが淳子さんの個性であり、自然な淳子さんの姿なのだと思います。 逆説的ですが、誰からも愛される人間でありたいという本来は無理な願望を、なんら不自然と疑わずに自分の理想像と信じ、周囲の人にサービス精神を無意識に発揮できたがゆえに、汚い芸能界の中でとっても不自然に映ってしまった悲劇のアイドル、それが淳子さんなのだと思います。 彼女は、周囲を明るくし、誰からも好かれる人間が存在することを信じていたし、実際に彼女はそれに最も近い女性の一人だっただろうけれども、マスコミや世間ははなからそんな人間いるはずがないと決め込んでいたところに、悲劇の始まりがあったように思います。 でも、だからこそ、そうした誤解を解く必要があると信じているファンが多くいて、まだまだ淳子さんの価値が再評価される可能性があることを信じているのだと思います。 次回は、映画『スプーン一杯の幸せ』の原作者であり、当時DJ界のアイドルレモンちゃん≠ニして一世を風靡し、現在もエッセイストとして活躍されておられる落合恵子さんが登場しますので、お楽しみに。 ■■ No.067 ■■ 管理人 - 01/03/08 01:13:34 コメントのタイトル: 黒沢年男さんのお話。 コメント: ちなみに、『セイムタイム・ネクストイヤー』は、バーナード・スレイドという人の作だそうです。 昔のアメリカのテレビ映画を見ていたら、最後に必ず、”SAME TIME,NEXT WEEK”の文字が出ていました。 「来週の、同じ時間に、又お会いしましょう」という意味であり、来週の代わりに、来年になったのが、この作品の題名なのでしょうね。 さて、私のビデオの中でも、1回しか歌っているシーンがなく、2回目となるつもりで楽しみにしていたのに、残念ながら聞けなかった「ひとり歩き」。 この曲が主題歌だった映画『スプーン一杯の幸せ』の中で、女子高生の淳子さんが熱烈に憧れる先生に扮した黒沢年男さんは、淳子さんについて、次のように語っています。 「17歳前後って女の子の一番美しく見える頃じゃないのかなァ。 共演していてまぶしい気がしたもの。 と同時に、一番油がのっているというか、青春のまっただ中にいるって感じがしたね。 感心したのは、どんなに苛酷な時にも笑顔を忘れなかったことだね。 バトミントンのシーンで朝の8時から夜の8時まで12時間、ぶっつづけに撮影したことがあったんだよ。 タフが売りもののぼくでさえグロッキーになり、サインをたのまれたりすると腹が立ったのに、ジュンコくんときたらニコニコ顔でやってるんだなァ。 なかなか真似しようと思っても出来ることじゃないよ。 とにかく、若いってことは素晴らしいことだよ。 そのままで絵になるもんね。 おかげで、オレもすっかり年を感じちゃったよ」。 頑張り屋であると同時に、サービス精神あふれる淳子さんの姿が想像でき、いかにも淳子さんらしいエピソードですね。 次回は、劇画『愛と誠』の役名をそのまま芸名にした早乙女愛さんが登場しますので、お楽しみに。 ■■ No.066 ■■ 管理人 - 01/03/08 00:44:47 コメントのタイトル: それは『セイムタイム・ネクストイヤー』です。 コメント: NULさん、初めまして。 私の言いたいことはすべてKAZUさんが書いてくれましたので付け加えることはありません。 同じ様なことを私も書いていたのですが、途中でループ状態に入って、切って、つないだらもうKAZUさんが、私以上の答をして下さっていました。 データのことに関しては、KAZUさんは私の師匠に当たり、私のビデオのデータもほとんどすべてKAZUさんの調査協力によって成り立っています。 NULさんも詳しそうですので、これからもよろしくお願いします。 TAMAさんのお話にあった作品は、『セイムタイム・ネクストイヤー』と思われます。 加藤健一事務所でも最も再演依頼が多い作品だと聞いたことがあります。 何を隠そうこの作品、前に淳子さんが演じているのです。 エーッという声が聞こえてきそうですが、そうなんです。 この作品は前に、高畑淳子さんが演じているのです。 またまたエーッという声が聞こえてきそうですが……。 高畑淳子さんは私も好きな女優さんの一人で、特に『女たちの十二夜』での大きなお腹を抱えての怪演は、「お見事!」の一言に尽きます。 子供番組で、悪役の怪人役を大まじめに演じていた、あのバイタリティあふれる高畑さんと、我等が淳子さんとでは全くキャラクターが違いますが、淳子さんの繊細な演技が全く違う芝居にしてくれる可能性もあり、楽しみですね。 「不倫は文化だ」と言った役者さんがいましたが、それはあくまでも道に外れた悪いことだと知りつつ、妻(夫)ある人を愛してしまったが故に苦しむところに文学が生まれたのであり、不倫を肯定してしまえば、そこには居直りしかなく、文化など存在しません。 この作品は、罪と知りつつ燃える大人の恋愛を描いた作品であり、神を信じない日本人には罪という概念は理解しがたいものですが、淳子さんにとってはなじみ深い概念であり、他の役者さんとは違った演技が期待できます。 いかにもという感じの人がやっても面白くなく、全くしそうにもない人がするからこそ面白いのかも知れません。 大人の淳子さんの演技見たいですね。 それでは。 ■■ No.065 ■■ 管理人 - 01/03/07 07:39:10 コメントのタイトル: 浜木綿子さんの話。 コメント: TAMAさん、ツインベスト購入おめでとうございます。 私もビデオをセットしました。 『歌の大辞テン』には最近2回空振りさせられていますので、3度目の正直で願いたいですね。 今日もダメなら、意図的に淳子さんを避けているとしか考えようがありませんから、覚悟して見たいと思います。 ニール・サイモン作品で、加藤健一事務所の舞台の件ですが、『銀幕の向こうに』と『おお、星条旗娘!』の2本が考えられます。 前者は、加藤健一さん、加藤忍さん、西山水木さんの出演で、淳子さんがやられるとしたら、西山さんがやられた劇作家ハープの恋人ステフィ役(?)。 後者は、加藤健一さん、角野卓造さん、富本牧子さん出演で、雑誌の編集者ノーマンとアンディの前に突如現れた美女ソフィー役が、淳子さんのやられる役(?)。 私は、後者のような気がしますが、はたして結果はいかに。 OZさん、いえいえ管理人は脱帽です。 さすがに淳子さん命と言われるだけあって、コレクションは完璧ですね。 あなたのような方がおられると知り、私も嬉しいです。 さて、広瀬監督に続いて、映画『スプーン一杯の幸せ』の中で、淳子さんのお母さん役を演じた浜木綿子さんは、淳子さんについて次のように語っています。 「若いってことがあんなにも素晴らしい事なのかという事を、ジュンコちゃんによっていやというほどに知らされましたわね。 とっても純粋で一本気でうらやましいぐらいなの」。 と、若くてまじり気のない淳子さんをほめています。 「演技だってそうだわ。 上手下手という前に、若さと情熱でどーんとぶつかってくるんですもの。 その迫力に圧倒されました。 小器用にうまくまとめようなんて事は少しも考えず、ともかく全身でぶつかってくるのね。 いい事だと思うわ。 若いジュンコちゃんには、細いテクニックなんてまだ必要じゃないと思います。 ともかく、その役になり切り、思いっ切りのぴのびとやってみる事の方が大切なのね。 その点、ジュンコちゃんは理想的な演技だったと思います。 一緒にお芝居いをしていて私の方がたじたじするぐらいの迫力でぶつかってくるんですもの。 やってて私もファイトをかき立てられちゃいました。 あのジュンちゃんの意気込みぶりは、必ず画面に凄み出ていて見る人を感動させると思うんです。 気持よく共演出来たのも、これ一重にジュンコちゃんの人柄のおかげだと思いますね。 ともかく、将来が楽しみな人ですよ」。 浜木綿子さん、有馬稲子さん、草笛光子さんたちのような、和物も洋物も出来、芝居だけでなく、歌も踊りも出来る本格派舞台女優というのが、淳子さんの中にあった一番近い未来像だったような気がします。 特に浜木綿子さんとは、井上ひさしさんの「雪やこんこん」を一緒にやって欲しいというのが私の夢でもありますので、このコメントは嬉しいものがあります。 次回は、『踊る踊るさんま御殿』で最近ブレーク中の黒沢年男さんが登場です、お楽しみに。 ■■ No.064 ■■ 管理人 - 01/03/06 19:57:24 コメントのタイトル: 広瀬監督の話・その3 コメント: OZさん、情報を参考にデータ更新の際に参考にさせていただきます。 これからも、誰に遠慮することなく、ご自分の気になる話題について、お話していただきたいと思います これ管理人からのお願い(似てねえー!) Mottieさん、計画はかなり進んでいるようですが、たぶん参加されるであろう女性の方にきつくならないようにして上げて下さいね。 MottieさんとKAZUさんのことですから、大丈夫だと信じていますが。 さて、こうして、いよいよ撮影に入り、広瀬監督の期待通り、淳子さんはさまざまな未知なる魅力をこの映画で見せ、監督を驚かせたのでした。 「クランクを始めてわかったんですがあの若さにもかかわらず、演技のカンとねばり強さにはぴっくりしましたね。 ぽくが、こういう感じを出してほしいと思ってちょっとアドバイスするでしょう。 するとピーンとはね返ってくるんです。 よく訓練を受けた女優さんならともかくとして、本格的な映画はこれが初めての人に、よくもあれだけのカンが働くと思いましたね。 先天的に演技のカンのよさに恵まれた子としか思えませんね。 と同噂に大変な努力家ですね。 セットに入った時にはセリフは全部頭の中に入っていて台本を開いた姿を一度も見ませんでした。 おそらく、何十回となく独りで稽古して来たんでしょうね。 役のつかみ方にしても、通り一遍なものではなく、深いところまで考えています。 だからこそ、ぽくがほんの少しアドバイスするだけで、こちらの意図を察知して的確な演技が出来たんだと思います。 あのカンと真剣にとりくむ一途な根性があれぼ、歌だけではなく、女擾としても将来大成すると思いますね。 また機会があったら、ぜひ一緒に映画を作りたいと思います」と語っていました。 いかにも淳子さんらしいエピソードですね。 次回からは、この映画で競演した、浜木綿子さん他出演者スタッフの淳子さん評を紹介したいと思います。 ■■ No.063 ■■ 管理人 - 01/03/06 00:46:48 コメントのタイトル: 広瀬監督の話・その2 コメント: Mottieさんに喜んで戴けて、私も嬉しいです。 映画におけるデータもそのように書き換えますので、今しばらくお待ち下さいますようお願いします。 本日お送りした荷物の中に、オフ会用のプレゼントも入れましたので、よろしくお願いします。 業務連絡でした。 RYOさん、『ノンちゃん雲にのる』とは渋いですね。 原節子さんのやられた役ですから、是非やって欲しいですね。 『細うで繁盛記』の正子役とは意外な役ですが、淳子さんは、アイドルでありながら、一種敵役のような役も厭わずやっていましたので、確かにいいかもしれませんね。 加山雄三さん主演のドラマ『かたぐるま』、映画『病院坂の首縊りの家』(法眼由香利役の方)、映画『花の降る午後』、『澪つくし』、『ニューヨーク恋物語』などは、 その部類にはいるかと思いますが、単純な敵役にならないところが淳子さんらしいですね。 原節子さん、吉永小百合さんの系譜をつぐ役があるかと思えば、少し抜けたような可愛い役(その点がマリリンモンロー説につながっているのですが)もやりますし、敵役のような役もやる、淳子さんほどありとあらゆるジャンルに挑戦し、実績を残した人はいません。 レコード、テレビ、映画、舞台、そのすべてにスターとしての実績を残しました。 芸術選奨新人賞をとった年の舞台だけを見ても、ミュージカルがあり、時代劇があり、現代劇があり、シェークスピア劇があるという一貫性のなさには感心させられますし演じた役柄も、アメリカの田舎娘、イギリスの貴族、後に国際女優となるマダム貞奴の半玉(芸者)時代、芦屋のお嬢さんという幅の広さです。 『風と共に去りぬ』のスカーレットとメラニーという好対照の役柄の両方にキャスティングされた淳子さんなら、『細うで繁盛記』の加代と正子の両方にキャスティングされてもおかしくないと思います。 別な企画が思いついたら、よろしくお願いします。 さて、先の出会いから2年たち、別人のように進歩し成長し、変貌した淳子さんを見て、広瀬監督は次のように語りました。 「桜田淳子主演による映画を、という話が出たのが昨年(注:昭和49年)の9月。 どういう作品がいいか検討の末に、落合恵子さん原作の『スプーン一杯の幸せ』に決ったのが11月のことでした。 そこで、桜田クンの事を少しでも知ろうと、出来るだけ彼女の出てるテレビを観るようにしはじめたんです。 驚きましたね。 2年前のあどけないだけだった彼女が、何んと魅力的な娘になったことか。 顔つきや体のかっこうだけではないんです。 心の中からにじみ出てくるものが2年前とはまるで違うんですね。 15、16歳から17歳ぐらいにかけての女の子というのは、少女から娘へと刻々変化していく年頃ですが、桜田クンの場合もまさにその通りなんですね。 表情にしても、先週と今週ではまるで感じが違ったりすることがあるんです。 大人の女優さんはあそこまで激変することはありません。 どれが彼女の本当の表情なのかわからなくなるくらいです。 しかも、その一つ一つの表情が実にいいんですね。 笑った時の顔、つんとすましたいやに大人っぽい感じの横顔、ブーツとふくれた時に見せる幼さの残った顔……と、いかにも多感な年ごろの女の子にふさわしい豊かな表情を彼女は持っています。 いうなれば、桜田淳子は未知なる魅力をいっばい秘めた女の子なわけです。 こういう女の子を起用して映画を作るという革は、演出家としてすごく楽しみなんですね。 こっちの料理の仕方でどんな魅力がとび出すかわからないわけですから。 いや、すっかり彼女が気に入ってしまいました」。 撮影が始まり、淳子さんは期待通りの魅力を見せただけに終わらず、予想以上のことをして監督を驚かせるのですが、残念ながら今日はここまで。 次回をお楽しみに。 ■■ No.062 ■■ 管理人 - 01/03/05 18:13:02 コメントのタイトル: 映画『恋は放課後』について コメント: この掲示板でも話題になりました映画『恋は放課後』について、調べていたところ、雑誌『近代映画』の昭和50年6月号臨時増刊『スプーン一杯の幸せ』特集の中で、メガホンをとった広瀬襄監督のコメントを発見しましたので、ご報告いたします。 クランク前、『スプーン一杯の幸せ』の狙いについて、監督は次のように述べていました。 「少女にとって幸せとはなんでしょう。 美しい少女はいっばいいても、幸せな少女というのはざらにはいません。 幸せとは幸せを探すことであり、幸せには限りがないからかもしれません。 それがほんのスプーン一杯の幸せであったとしても、そのためなら自らの全てを賭けてつかみ取ろうとする少女のいじらしさ、激しさ、そんな姿を描きたいと思います」。 このコメントの後、広瀬監督が、淳子さんと初めて出会ったのは2年前のことだったと発言していたのです。 「2年前(注:昭和48年)に『恋は放課後』という作品を撮った時、歌手の役でワンカットだけ出てもらったことがあるんです。 その時は正直にいって可愛いい子だなアとは思いましたが、表情にしても固くってとても主演女優が出来る子とは思ってもみませんでした」。 ということで、『恋は放課後』を淳子さん出演作品として、当資料館は認定したいと思います。 出会いから2年たち、別人のように進歩し成長し、変貌した淳子さんを見て、監督がどう語ったかについては、CMの後に、ではなく、また次回の楽しみということにしたいと思います。 次回から、広瀬監督や出演者スタッフが語る淳子さん評を、何回かにわけてお送りする予定ですので、お楽しみに。 ■■ No.061 ■■ 管理人 - 01/03/03 01:24:43 コメントのタイトル: みたび夕樹さんへ コメント: >ひたすらがんばってるがゆえみたいに感じちゃった…… >きつめのメイクも、心底そういうキャラというより、がんばってつっぱってる風に見えたり。 淳子さんは、いかにも仕事の出来るキャリアウーマンが得意な女優さんですが、このドラマでは、里美≠ニいう女性をいわゆるカッコイイ女性として演じず、コンプレックスをもち、無理をして、背伸びをして、懸命に生きている女性として演じました。 ですから、夕樹さんが感じた印象は、相川里美≠ニいう女性を実に正しく理解しているというか、淳子さんの演技を正しく受け取り、理解しているということが言えると思います。 ドラマというか、演技を見る目は、さすがしっかりしておられるんですね。 若くても、プロの方に対して、失礼な言葉だったかも知れません。 どうぞ、お許し下さい。 淳子さんは、アイドルの時から、曲によって、衣裳は勿論、髪型やメークを変えることで有名でしたが、女優の仕事をするようになっても、役によって、髪型やメークを変えました。 もともと表情が豊かなこととあいまって、役によって印象が全く変わるのですが、そのことを指摘する人が少ないのは実に残念です。 そして、これを言う人もいませんが、淳子さんの歩き方も、役によって全く変わります。 内股に歩いたり、外股に歩いたり、大股に歩いたり、小股に歩いたり、早足で歩いたり、ゆっくり歩いたり、歩き方によって、役柄を表現している数少ない女優さんだと私は思っています。 というより、そんなことを意識させた唯一の女優さんです。 もし、それを意識してやっていなかったとすれば天才としか言いようがありませんが、意識してやっていない筈がないと確信しています。 以前、O脚で悩む松田聖子さんに、足の組み方とか、歩き方のアドバイスをしていて、わかりやすく実に適切なアドバイスに驚いたことがあります。 それは頭で理解しながらやっているということであり、そんな細かいところまで注意しながらやっているのだと感心したことがあり、それからは歩き方も注目して見るようになりました。 最初、少女のような内股の歩き方をしていて、それが淳子さんの歩き方だとばかり思って見ていたら、違う番組で別人のように颯爽と歩いているのを見て、これはと思うようになり、それがいつしか確信に変わっていったわけです。 中でも、「独眼竜政宗」の時の淳子さんの歩き方は、まるで能の舞台を見ているような足の運びで実に見事としか言いようがなく、必見の価値があります。 淳子さん演ずる正妻愛姫≠ニ、秋吉久美子さん演ずる愛妾猫御前≠フ歩き方の違いを見比べて下されば、その違いがよくわかります。 なお先に身ごもった猫御前≠ェ、子供の出来ない愛姫≠挑発する場面で、セリフのなかった腰元の役で、田中美奈子さんが出演していたことを知っている人は数少ないでしょう。 というわけで、「NY恋物語」も、そうした点も注意しながら見ていただければと思います。 なお「NY恋物語」の筋書きその他の情報を見たい方は、 ここ へどうぞ。 それでは。 ■■ No.060 ■■ 管理人 - 01/03/02 16:19:38 コメントのタイトル: 夕樹さんへ コメント: のしあがるためなら何でもするというのは、これからの展開を見ていただければ分かると思います。 淳子さんのキャラクターとはあまりに違う役柄ゆえの行動がこれから出てきますので、淳子さんの頑張りは見て欲しいけれども、私的にはあまり見て欲しくないような、とても複雑な気分です。 ともあれ淳子さんが、30歳にして、大人の役者にならなければならないという意欲というか、覚悟を見せた作品です。 メークやファッションは、その役柄を効果的に見せる為の戦略だと思います。 今まではどこかに「桜田淳子」を思わせる役柄を演じていましたが、『澪つくし』で、当時の進歩的な女性を演じて以来、優等生の自分を捨てて、全く新しい人間像を創り出す道も模索しはじめ、その最も際だつイメージチェンジを図ったという印象を与えたのがこの作品だと思います。 事実この番組は、「井上陽水の主題歌」と、「とんねるずの木梨がよく真似をしていた、あの変な頭で桜田淳子が出ていた番組」として、皆さんの記憶に残っていて、その他の出演者の方々について記憶している人は少ないのではないでしょうか。 それほど強烈な印象を残した頭であり、メークであったことは確かです。 夕樹さんが言われるように、淳子さんは、時代の中で、芸能界の中で、浮いていました。 テレビ画面に出てきて自然な態度とはどういう態度だろうか、人前に出て、何千万人も見ているカメラの前で自然に振る舞うなんて、そのこと自体が不自然ではないのかとか、芸能人なら、そんなこと考えなくてもいいようなことについて考え、悩んだ淳子さん。 仕事も、収入もあり、仕事に対する評価も高かったと思いますが、アイドルであった昔と比べ、マスコミや世間の関心は低く、授賞式があっても、仕事に関する話はほとんどなく、結婚や恋愛など私生活に関する質問しかせず、「あんたの仕事なんか、誰も興味ないわよ」と言わんばかりのマスコミの態度に傷ついてしまった淳子さん。 当時、芸能界に入って十数年たっていたはずなのに、溶け込むことなく、浮いていた淳子さん。 芸能人にしては、30歳にしては、あまりにナイーブすぎ、私が、「純粋」で、「幼い」と言う所以がそこにあります。 でも、そんな淳子さんを肯定し、それは悪いことではない、むしろそれは誰も持っていない宝石のような、淳子さんの個性であり、絶対なくしてはならない特性ですよ、そんな淳子さんのような素晴らしい人が住みにくいと感じさせる芸能界の方に問題があるのではと、私はずっと主張しているわけです。 旅行や仕事を通じて、その素顔を知った『25歳たち』のメンバーたちから、「赤ん坊のような人」と言われながらも、「芸能界は言われている通り汚い世界かも知れないけれども、でも、こんな人もいるんですよと自信を持って、言い切ることが出来る、そんな人」と中井貴恵さんから折り紙をつけられた淳子さんのような人が存在することが、芸能界の再生する道だと信じています。 淳子さんが好きだと言うことは、ご自身の中に、純粋な部分と、ロマンチックな部分を持っているということであり、芸能界に限らず、人生を生きていく上で、それはハンディとなることは間違いありません。 どこかで妥協し、どこかで自分を偽らなければ、苦しくなると思いますが、ご自分を責めないで下さい。 あなたを信頼し、応援している家族、スタッフ、ファンがいることを信じて、前進して下さい。 頑張りずきないで、それが私からのエールです。 夕樹さんがご自身で、どのようなシナリオを書き、どのような白雪姫を演じ、あるいは生きていくのか、どのようなプロデュースをしていくのか、楽しみにしています。 それでは。 ■■ No.059 ■■ 管理人 - 01/03/02 15:47:38 コメントのタイトル: OZさんへ コメント: OZさんの名前の由来、メールアドレス同様、ミスティですね。 先に挙げた以外に。 色々と考えました。 ケネディ暗殺に関わったと言われるオズワルドのファンだった(そんなわけがない!)。 「巨人の星」のオズマのファン(第一知っている人がいないだろう!)。 阪神タイガースの元オーナーのファンだった(そんなアホな!)。 それともー(シツコイ!)。 一番可能性があるのは、優しく、繊細なお人柄から来る……。 ヒントは言わずに、バイバイ。 後は、「言わぬが花」、「沈黙は金」、「沈黙は愚者の知恵」、「お楽しみはこれからだ」ということで、4/14まで、取っておくことにしましょう。 あと、「OZさんと私が似ている」件ですが、私がこれまでの人生で一番飲んだのがビヤーガーデンでビールをコップ2センチほど飲んだときで、その時は、両脇から抱えられて退場し、ロビーでズボンを下げられるという哀れな姿を皆さんにご披露し(本人に断りなく、みんなで遊びおって!)、後で、お客さんに「見ましたよ」とからかわれ(何を見たと言うんじゃ! ハッキリ言え!)、当時下宿していた家へ帰ってから(帰った記憶がないくせに!)、深夜に気持ち悪くなり、大家さんの所へ行き、「私は死ぬかも知れません」と最後のような言葉を言って気を失ったというエピソードの持ち主であり、ビールをコップ半分も飲めるOZさんは、私がこれまでに飲んだピールの量の倍以上を一度に飲んでいるわけであり、相当な酒豪であり、「似ている」と言われることには少し異議があります。 (「似ている」は、「違う」という意味でもあるわけで、「異議あり」に、異議あり!) 本を読むと眠くなるというのは、少し似ているかもしれませんね。 私は本を読むと目がさえるたちですが(どこが似とるんじゃ!)、仮眠が得意で、いつでもどこでも仮眠カモンということです。 (シャレかよ!) でもSWIMMINGが苦手で(睡眠とかけとるんかい!)、いわゆるカナヅチというやつです。 私は受けないギャグを言っては、いつも浮かない顔をしているのですが、「浮かない顔をしているね」と言われたら、「ううんカナヅチだから、浮かないのは顔だけじゃなく、体もなの」と言っています。 (ナンノこっちゃ!) というわけで(どういうわけなんだ!)、淳子さんに、誰それさんがやっていたあの役を作品をという意見をお待ちしています。 (どこにそんなことが書いてあったんだ!) 今日は、「一人ボケ、一人ツッコミ」スタイルでお送りしました。 それでは。 ■■ No.058 ■■ 管理人 - 01/03/02 15:33:20 コメントのタイトル: TAMAさんへ コメント: TAMAさんお久しぶりです。 名前の通り、TAMAにしか顔出ししないというのはないでしょうね(失礼しました!)。 さて、「スキップ」に関して、フォロー有り難うございます。 同じようなことを感じられていたのですね。 無人島だと思っていた島に、人間を見つけたような嬉しさを感じます。 もっとも無人島で人を見つけても、その人間が自分の敵となるかもしれない可能性はあるわけで、私はすぐには近寄っては行かず、隠れて様子を探りながら、安全を確かめるタイプの人間です。 映画「E.T.」はおおむね評判がいいようですが、宇宙から来た生命体に対して、あんなに気軽に近づいていって、放射能はどうなるんだ、人体に影響を及ぼさないかとか、子供たちに危機への対処方法を身につけさせる教育的立場からはいかがなものかということをすぐ考えてしまう私は、夢のない、ひねくれた人間なのでしょうか。 でも今回ばかりは、手放しに、スキップ≠ふみながら(ハジカシー)、近づいていって、握手したい心境です。 TAMAさんが言われれる通り、「スキップ」は、「ターン」、「リセット」とならぶ、北村薫さんの「時の迷宮の3部作」の1冊であり、先日、「ターン」の文庫版を本屋さんで見かけましたので、早速買って読みました。 こちらは、題名通り、自分の記憶だけそのままで、同じ日が繰り返し再現される話です。 3時になると、どこにいようと何をしていようと、前日の3時の状態(自宅)に戻ってしまう話で、25歳の銅版画家が主人公で、淳子さんの出番はなさそうです。 「リセット」も、ハードカバー版が出たばかりで、好評のようですが、筋書きを読んだだけですと、こちらも出番はないかなという感じですね……。 でも「スキップ」はいいということだけは断言できます。 作品としても面白いので、読んで損はないと思います。 「損したらどうする?」って、そんなこと言われても……。 ■■ No.057 ■■ 管理人 - 01/03/01 21:41:59 コメントのタイトル: 夕樹さんへ コメント: 「ニューヨーク恋物語」での、のしあがるためには手段を選ばぬキャリア・ウーマン(トレイダー?)の里美役は意外なキャスティングであり、大人の役柄へイメージチェンジさせようとヤキモキしていたサン・ミュージックのあせりのようなものが感じられます。 岸本加世子さんには申し訳ないけれども、どうみても淳子さんの方が頭が良さそうなのに、岸本さん演じる優等生の従兄弟にいつもコンプレックスを抱いていたというセリフに、とても違和感があり、互いにミス・キャストだと思いながら見ていました。 ただ、あの番組の中で、淳子さんが電話で英語を何分も話しているシーンがあまりに見事だというので、「笑っていいとも」で、タモリさんがとても感心していたことをよく覚えています。 そのセリフも台本にはなく、適当にしゃべってくれと言われ、友人と相談して、トレーダーらしい話にしたというような話をしていました。 若い頃から、英語の家庭教師を、会社ではなく、自分でつけて勉強していた成果が出た場面でした。 ニューヨークが好きで、何回も訪れ、タクシーの運転手さんと話をしたり、時にはクラブみたいな所へ行き、飛び入りで歌って拍手をあびて自信を持ったという話をトーク番組でしていましたが、だからこそ、ニューヨークを通勤用のスニーカーで早足で歩き、旅行者ではなく、いかにも現地に住んでいるニューヨーカーという感じが見事に出せ、今までのドラマに全くなかった人物像を創り出し、みんなをビックリさせたのでした。 昭和63年の作品ですが、昭和62年から63年にかけて、岡田有希子さんの自殺があり、公報「さくらんぼ」がうち切られ、サンミュージックとの間にぎくしゃくしたものが出始めた頃だと思います。 淳子さん自身、40代、50代になって貰う人が多かった芸術選奨新人賞をなんと20代の若さで獲得し、逆に仕事での意欲が薄れつつあった状況にあったように思います。 岡田さんの自殺にショックを感じ、人間は、死に至るまで与えられた命に感謝して、世のため人のために生きることが大事なんだ、と会報で書いていたように思います。 スターになって、名声や富を得たところで幸せになれない、後の時代の人たちのことを考え、いい時代を築いていかなければならない、そのためには神様の目を意識しながら、よりよい自分を目指して生きていかなければならない、というようなことを書いていました。 自分とはかけ離れた役をやることを、私に傲慢なところがあるから、そういう役をやることによって、そういった人の気持ちを分かってあげなさいと、神様が試練を与えて下さっているのだと思います、というようなことも別なインタビューで言っていました。 仕事に対して、前ほどに取り組めなくなり、そんな自分を前ほど純粋さやひたむきさがなくなったと感じた(そう感じるのは、純粋である証拠なのに)淳子さんは、自分を叱咤激励するかの如く、自分のイメージと違った役に一生懸命取り組んでいったように思います。 大の苦手なラブシーンの時、腰がひけていると、共演者から笑われ、からかわれながらも、それをするのが一人前の役者であると信じているかの如く、トライしていたのが実に健気で、ファンとしては痛々しくて見ていられませんでしたが。 そういったことを知った上で、ドラマを見ていただければ、淳子さんの半端でない覚悟が感じられるドラマだと思います。 番組後半に出てくる岸本さんとの顔面のたたきあいは、日本ドラマ史上最強のものだと思いますので、それもお見のがしなく。 Mottieさん、ご無事でしたか。 企画に関しては、出来るだけ皆さんがご存知のような、作品や役柄にするよう努力しますです。 ■■ No.056 ■■ 管理人 - 01/02/27 23:47:00 コメントのタイトル: 「淳子さんにやって欲しい役・作品」企画、第2弾 コメント: オフ会の興奮がようやくおさまり、掲示板も落ち着きを取り戻した感があります。 オフ会によって、掲示板までがこんなにも活気づくとは、当初一体誰が予想したことでしょう。 KAZUさんとMottieさんには、本当に感謝の気持ちで一杯です。 みなさんには、疲れた体を休めた後は、シーズンを通して戦える体力作りをしてから、春の本番(4/14)に備えて戴きたいと思います。 さて昔の企画を出してから、忘れ去られた感のある、「淳子さんにやって欲しい役・作品」企画、第2弾を発表したいと思います。 それは、北村薫さん原作の「スキップ」(新潮文庫刊)です。 主人公は、一ノ瀬真理子、17歳です。 それは、いくらなんでも無理という気がするでしょう? でも、それが無理でなくなるから、不思議なんですね。 千葉の海の近くの女子校2年生の真理子が、9月のある日、家の8畳間で一人、レコードをかけて目を閉じ、目覚めたときは、桜木真理子、42歳になっていたというお話です。 気持ちは17歳のままで、いきなり夫と17歳の娘がいる高校の国語教師になってしまった真理子。 この真理子は、潔癖な女性で、「透明な四角い結晶になっていて、ぎゅっと固まっている」と娘の美也子を感嘆させる澄んだ真摯さを持っています。 彼女の好きな言葉は、「自尊心」。 「節操がなくなったら、人間おしまいよ」ときっぱり言う女性です。 突然時の迷宮に投げ込まれた一ノ瀬真理子は、自分なりの回答を得るべく、桜木真理子の姿で、先生として背伸びしながら、奮闘する、ミステリーであり、ファンタジーであり、冒険小説でもあります。 自分の父親みたいな年齢(?)の夫という人(?)と初めて(?)顔を会わせるとき、娘に「顔を会わせるのは後にする?」と聞かれた彼女は答えます。 「私のモットーは、嫌だからやろう≠ネの」と。 楽しいことは誰でもすいすい出来るけれども、大事なのは、嫌なことが目の前に出てきたときで、だからそう言って自分にかけ声をかけてやるようにすることを心掛けている女性です。 スキップとは、ビデオでの早送り%ッ様に、17歳から42歳まで飛んでしまった女性の物語であり、軽やかな足取り≠失うことなく歩み続けた女性の物語でもあります。 この作品は、若い人が読んでも、中年の人が読んでも、納得し、感動できる作品だと思います。 なぜなら、若い人は勿論、我々のように外見は中年ですが、心の中に少年(女性なら少女)の部分を、誰もが持っているからです。 「シャボン玉ホリデー」や「てなもんや三度笠」といった昭和40年代の部分と、現代のギャップが、色々と発見できる面白さもあります。 17から42歳に飛んできて、すらりとした体も、両親も、もう戻らないし、若い恋も経験しないまま永久に得る日がないことを彼女は知ります。 「私は18から今年の春まで忘れなければならないような生き方をしてきたというわけ?」と自分に問う、そのひたむきさには、心打たれます。 こうした「潔癖さ」、「真摯さ」、「自尊心」、「節操」、「ひたむきさ」、というものを、淳子さん以上に感じさせる人がいるとは思えません。 どうぞ、興味を持たれた方には、ぜひ読んでいただきたいと思いますし、読まなくても、淳子さんの少女時代を演じる女優、娘役をやる女優には誰がいいか、皆さんのご意見も聞かせていただきたいと思います。 北村薫さんには、「覆面作家」シリーズがあり、以前NHKで、ともさかりえさんがやりましたが、淳子さんが若い頃にやれば、さぞマンガチックで面白く仕上がったであろう作品であったことを付け加えておきます。 それでは。 ■■ No.055 ■■ 管理人 - 01/02/26 01:25:14 コメントのタイトル: オフ会の成功おめでとうございます コメント: 出席された皆さんのコメントの端々から、その楽しさが伝わってきたような気がします。 今度ばかりは、自分の体質を恨めしく思いました。 祝辞に冗談めかして書きましたが、化粧と衣裳と歌謡ショー以外はほとんど事実であり、私の悲しい実像なのです。 あれを読まれた方の中に、笑いのために、吃音症や赤面症の人をバカにしていると思われた方がいらしたら、それは誤解ですので、どうぞご理解願います。 親しい人の前では、「林檎は青森、おそばは大盛り。 元気もりもり、ご飯はてんこ盛り。 思い出メモリ、デュエットハモリ。 天気は曇りで、雪は積もり。 家にはヤモリで、沼にはイモリ。 じいちゃん墓守、ばあちゃん子守。 父ちゃん酒盛り、母ちゃん家の守り。 兄ちゃん防人(さきもり)、姉ちゃん美人のつもり。 弟おもりで、僕どもり」と明るく自分のドモリを笑いのネタにしていましたが、半年間友達とほとんど口をきかなかったこともあるくらい、劣等感を持っていました。 大学時代、受けられる講義はすべて受け、高熱の時と就職試験の時以外は、全く休むことなく学校に出ていた一種の変人の私ですが、先生から薦められた教職課程だけ取らなかったのは、しょうかい文に書いてあったことが事実であり、人前に出て話をする自信がなかったからです。 お酒に関しても、想像を絶する弱さであり、洒落にならないくらいです。 そんな私でも出たいと思ったくらいですから、皆さんもそうだと思います。 次回に持ち越しになったプレゼントもありますし、私も温存していたものを出す予定ですので、是非参加していただきたいと思います。 ■■ No.054 ■■ 管理人 - 01/02/23 01:10:50 コメントのタイトル: Mottieさんへ コメント: もうすぐですね、オフ会。 準備で大わらわだと思いますが、よろしくお願いします。 さて、このたびはと書くと続く言葉は「ご愁傷様です」てぇことになってしまう、実にどうも(円生ふうに読んでいただくと、実にどうも、ありがたいんですが)申し訳なく思っている管理人です。 私も折角書いた大作を、掲示板に投稿した方のメッセージを確認しようとして戻り、元の書き込みのページに戻ったら、折角打ち込んだものが消えてしまったという経験をしたことがあるので、少しは分かるような気がしますが、私の場合は自分の不注意に責任があるわけで、自分に責任がないのに消えてしまっていたらもっと悔しいですよね。 管理者として、本当にゴメンナサイ。 Mottieさんには、モッチーないことをしたと言って戴けると、管理人としては、実にどうも、助かります。 コニー・フランシスだのリトル・ペギー・マーチだの、団塊の世代には懐かしくてたまらない名前ですが、若い方々には、「珍文漢文」、「バジリコに豆腐」、「牛の耳にアーメン」といったような、狸につままれたような気分でしょうね。 私は、団塊の世代ではありませんが、兄たちがその世代で、一緒の部屋で育ちましたから、同年代の子よりもませてましたね。 「ダイアナ」などはポール・アンカの曲というよりも、山下敬二郎の歌として受け入れられていた日本では、外国の歌を本人直接ではなく、日本人が唄っているのを耳にする方が多かったですが、ペギー・マーチ、フランス・ギャル、ミーナ、ジリオラ・チンクェッティ、ダニエル・ビダルなどは、本人の歌が日本でヒットしましたよね。 フランス・ギャルは、確かいい家のお嬢さんで箱入り娘として育ったんですよね。 でも純粋な女の子がそのままでいられるはずがないのは、フランスも日本の芸能界も変わらず、彼女は成功を手にするのと引き替えに、人間不信という代償を払わなければならなかったそうですし、次から次へと不幸が襲いかかり、神様に翻弄され続けた点も、淳子さんと重なるところで、フランス・ギャル説を唱えた方はさすがですね。 ダニエル・ビダルとは、淳子さんも一緒に仕事をしていたはずですね。 お人形サンみたいという形容がピッタリの可愛い人でした。 ですから、フフランス・ギャルの顔がそれに比べてイマイチ印象が薄く、金髪のオカッパのきれいな人というだけで、頭に思い浮かばないのが不思議です。 私の仕事は、前にも話したかも知れませんが、入力代行もするけれども、パソコンやソフトに関するノウハウや情報・サポートを販売するのがメインで、記憶力が頼りです。 もっぱら本屋で関係雑誌を立ち読みをしては、情報が陳腐化しないように務めてはいますが、情報が文字ではなく、映像で入るタイプの頭のようです。 うまいことは言えませんが、字を一字一字見ているのではなく、文章をブロックごとに、一つの塊として見て、覚えているような気がします。 小学校5〜6年生の時に、映画やドラマのタイトルクレジットを見て、メモをせずに覚え、後で書き出し、自分流のキャスティングをしていたと書きましたが、映画では、一度に7〜8人の名前が出てくることがあり、それをいちいち読んでいたら多分間に合っていなかったと思いますが、映像で覚えていたから、それが出来たのだと思います。 人から「雑学博士」とか「歩く辞書」とか言われ、お客さんから字が分からないからと言って電話がかかってきて聞かれることもある私ですが、苦手なものは全く頭に入ってこず、魚と自動車と植物の名前に関しては、小学生以下のレベルだと思います。 そして同様に、外国人特に欧米人の顔の見分ける回路があまりないような気がしています。 ですから洋画も数え切れないほど見ていますが、西洋人は苦手という意識がどこかにあるのでしょうね、西洋人の顔は日本人ほど覚えられません。 そう思うと人間の頭って本当に不思議だなと思います。 私は一体何を言いたいのでしょう。 Mottieさんに、お詫びとお礼を言いたかったのでしょう。 たぶん、おそらく、メイピー、プロバブリー、私の推理(?)に間違いはないと思います。 指が勝手に動き、心が追いついていかないことが時々あり、私はそのことを、「キーボードのコックリさん現象」とか、「心ない指(し)打ち」、「情けない指打ち」とか言っていますが、その気持ちが分かるのは元スリの人ぐらいかなという気がしています。 これを見ている人の中に、ゆっくり、コックリ頷いた元スリの人がいたら怖い気がしますが、いるのは、元スリー・ファンキーズの高橋元太郎さんのくりくりした目がピックリするくらい似ているそっくりさんぐらいのものでしょう。 あまりの酷いギャグに、転んでひっくり返った身体をむっくり起きあがろうとしてギックリ腰になってガックリ来ている人がいたとしても責任は持てません。 私もずんぐりむっくりの体型にとっくりをザックリと着て、じっくり考えるとしっくり来ないけれども、ギャグの質より量で勝負する、歌わず、踊らず、笑わせないタイプの管理人として、生きて行きたいと思います。 すべてを賭け、一言で千言の重みを出したかったのですが、すべてに欠ける宣言で、失礼しました。 お後がよろしいようで。 ■■ No.053 ■■ 管理人 - 01/02/20 21:42:29 コメントのタイトル: 「ロシュフォールの恋人たち」について コメント: 私は、男としては珍しく、宝塚歌劇団やミュージカルが好きな方だと思いますが、さすがに「シェルブールの雨傘」とかこの作品のようなミュージカル映画はちょっとという感じで距離を置いて見てしまいました。 基本的にカトリーヌ・ドヌーブという女優が好きなタイプではないということもあると思います。 彼女は、良い意味でも悪い意味でも、日本で言えば岩下志麻さんのように「ザ・芸能界」、いかにも「プロの女優の権化」という感じがします。 これは女優として最高に評価しているという意味ですが、好き嫌いは別な話ですので、どうかご勘弁のほどを。 私は、「レインボー・レディ計画’88」で、百恵さんが「1億人の娼婦」で『百恵伝説』を作ったのなら、淳子さんには、「永遠の聖女(マドンナ)」として『淳子神話』を作って欲しいと訴えました。 「永遠の素人」として「究極のアマチュアリズム」を追求して欲しいと願いました。 彼女が目指すべきは、プロ野球のスター選手のような華やかさではなく、汗にまみれて格闘する高校球児、女子高バレー選手のような爽やかさであり、そんな彼女にとっての「甲子園」とも言うべき世界が、「芸能界」だと信じていたからです。 淳子さんのどんな時でも、どんな仕事でも、真摯に、不器用なまでに愚直に、真面目に、仕事に取り組む姿勢が素晴らしいし、それこそが淳子さんが、これからも輝き続ける道なのだと説きました。 自分を大人になったと思い、真のプロになったと思ったとき、桜田淳子の魅力は消え失せてしまうのだとも。 いつか黒沢明監督が撮影しているときのメーキングを見ていたら、俳優さんに向かって、「君は役者としてはベテランだと思っているかも知れないけれども、この役に関しては、未経験者であり、素人なんだから、そんな狎れた演技をするな」という意味のことを言っているのを見て、我が意を得たりと思いました。 本物の大人や本物のプロなどどこにも存在せず、いるのはニセモノだけというのが私の持論です。 ただそのニセモノの中にも、理想に向かって努力をするニセモノと、努力をしないニセモノの2種類があって、淳子さんには前者であって欲しいと願いました。 星(理想)に向かって歩き続けても永遠に辿り着くことはないけれども、後ろを振り返ったときに必ず前よりは進んでいるはずです。 しかし星を見失った人間は、迷走し、前進しているのか、後退しているのかまるで分からなくなってしまいますので、淳子さんには、どうぞご自分の星をしっかり見つけて下さい、という意味で、企画書を送った次第です。 従って、その私が思っていることと対極にあるようなカトリーヌ・ドヌーブの作品ですので、しっかり見てはいないというのが本当のところで、この話し合いの一角に仁鶴さんのように司会者として参画し、コメントする資格も、皆さんと互角に話すことも出来ないことが発覚するであろうことを私の嗅覚は敏感に感じています。 ただ筋書きとしては、「わたしの青い鳥」のフランス版と言った感じでしたよね。 理想の恋人像を持って、どこかにいないかと探しているのだけれど、実は近くにいて、でも行き違いでなかなか出会うことが出来ない様子を爽やかに描いていた記憶があります。 アメリカ・ミュージカル映画の代表選手とも言うべき、ジーン・ケリーと、「ウェストサイド物語」のジョージ・チャキリスを監督のジャック・ドゥミが招いた作品でした。 世界一美しい姉妹と言われたフランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴの役を淳子さんが演じるとしたら、もう一人は誰という話ですが、blackkingは百恵さんでしたが、確かにこれ以上のキャストはいないと私も思いますが、プロデューサの私としては(一体いつから?、「5日から」なんて決して言いません)実現困難であろうということで(夢がなくてゴメンナサイ)、デビュー当時百恵さんに似ていると言われた麻生祐未さんを推したいと思います。 声が百恵さん同様低くて少し違うのですが、近年淳子さんと似ていると思う瞬間がよくあります。 淳子さん復帰の映画になる予定だった(?)根岸監督の「絆」で、淳子さんの演ずる予定の役(?)もやった麻生祐未さんで、どうですか、お客さん。 (バタッ←倒れた音) こんなん出ました。 (ドテッ) ほなサイナラ。 ■■ No.052 ■■ 管理人 - 01/02/20 17:56:06 コメントのタイトル: 皆さんゴメンナサイ コメント: 2月に入ってから公私ともに忙しく、ここずっと睡眠時間3時間という売れっ子アイドル顔負けの生活が続き、10分ほどの仮眠が取れるだけでも随分違うのですが、なかなかそれがとれず、その合間に運営している6つのホームページを回っているので、やたらナーバスになったり、はしゃぎすぎてハメを外してたり、皆様には(特にblackkingさん)ご迷惑をおかけし、大変失礼しました。 私は酒は一滴もダメなのですが、酔っぱらって騒ぎすぎて、気がついた時の気恥ずかしい気持ちとはこんな気持ちを言うのでしょうか。 皆さんにはさぞ呆れられ、もう誰も投稿して下らないのではという気がして、しばらく謹慎していようかと思っていたのですが、先ほど帰ってきてから覗いたところ、その後も投稿して下さっているのを見て、ひとまず安心したというか、本当に有り難うございます。 これからは、もっと慎重に真面目に発言をしたいと思いますのでよろしくお願いします。 天使のくちびるさん、JUNKISTさん投稿有り難うございました。 涙を流すことは、精神的にも落ち着くからいいそうですね。 それは、「涙のいい理由(わけ)」で、「涙のいいわけ」とは違うって? 失礼しました。 淳子さんの名前で検索すると確かに山田かまちさんの名前がよく出てきますね。 どんな詩だったのか、JUNKISTさんのご報告楽しみにしています。 元桜田淳子ファンだったという人のホームページを訪問して、ガッカリして帰ってくることが多いのですが、ファンだったことが恥ずかしいみたいな書き方をしている人を見ると、なんてデリカシーのない人だと思ってしまいます。 少なくとも本人を目の前にして言える言葉で表現するのが、最低限のルールではないでしょうか。 橋田須賀子ドラマや和田アキ子さん司会のバラエティで、相手が傷つくような言葉を平気で口にするのを見ている内に、日本人は、正直でありさえすれば、相手を思いやる必要なんかないと思いこんでしまったのでしょうか。 こんなこと思うのは、私が年をとった証拠でしょうか。 話がずれてしまいました、ごめんなさい。 私は、読むのも書くのも早いので、自分の考えていることを、考えているペース(これは遅いかも)で打ち込んでいるので、そんなに長いと意識したことはないのですが、人から見るととんでもない長さになっていることが多いようで申し訳なく思っています。 JUNKISTさんのお話にあったピチカートファイブの小西さんの寄稿文は、私も紹介したいと思っていた文章です。 そのうちアップしますので、期待せずに待っていて下さい。 Mottieさんへ。 ドリフターズだから「おドリノできる」としゃれて下さったのでしょうか、それとも(ここは「花物語」ふうに……TAMAさんの真似しちゃいました。 ウフフ)。 倍賞千恵子さんは、「さよならはダンスの後に」を持ち歌として歌っていましたが、ステージで、「よく間違えられるんですよ」と言いながら、「ラストダンスは私に」を歌っているのを見たような記憶があるような、ないような……。 トニー・ダララとは、懐かしい名前が出てきましたが、知らない方には冗談としか思えない名前ですね。 「遺書・白い少女」での教会で佇む花嫁姿の淳子さんと、「白く輝く花嫁衣装に、心を隠して、美しいその姿」と歌う『ラ・ノビア』は確かに重なりますね。 TAMAさん、blackkingさんへ。 フランス・ギャルの話ですが、歌も聴いていますし、テレビでも見たはずなのですが、思い浮かぶのはダニエル・ビダルの顔なのです。 どんな顔をしていたのか、考えるとまた夜眠れそうもありません。 (これはわかりにくいと思いますが、三球・照代さんの漫才のネタですので、真剣に聞かないで下さいね) 「うわさの二人」の話が通じて嬉しいです。 シャーリー・マクレーンの舞台を見て、舞台人としてやっていこうと思った淳子さんですが、役としては、当然ヘップバーンの方です。 しのぶさんの役の方が演技的には高く評価される可能性がありますが、物語に説得力を持たせるためには、淳子さんのような清潔な魅力にあふれた存在感と演技力のある人が絶対必要なのですね。 二人の競演、「ガラスの仮面」の北島マヤと姫川亜弓の戦いのようですね。 見たい、実現したいと思わない芸能関係者はいないと思います。 「奇跡の人」対決とかも含め、絶対実現してほしい企画ですね。 書いていて今思い出しましたが、昔、松竹で、「柳橋物語」が大竹しのぶさんと三浦友和さんで企画され、中止になったことがあったんですよね。 大竹さんのスキャンダルでダメになったのですが、普通ならば、淳子さんの所に話が来てもおかしくなかったわけですが、当時松竹とサン・ミュージックは喧嘩状態にあったわけで、そう思うと淳子さんにとってこの喧嘩は本当に痛かったんですよね。 喧嘩せずに、これは借りにしておくからねで留めておけばよかったのにとつくづく思います。 サン・ミュージックは、マネージメントの失敗によって、もっともっと大スターにかけあがる絶好のチャンスを逃してしまったという意味で、淳子さんに大きな借りがあると言ってもいいような気がしますね。 それに免じて、なんとかして下さい、相沢社長!。 「天に呼べど、君は答えず」(byアンドレfrom「ベルサイユのばら」) ところでヘボン式と言われるローマ字を作ったヘボンさんという人は、ヘップバーンと全く同じ綴りなんですよね。 もしオードリー・ヘボンと呼ばれていたら、日本であんなに人気が出てなかったかも知れませんね。 少し、眠くなってきたので、10分ほど仮眠をとりたいと思います。 しばし、ごめんなさい。 ■■ No.051 ■■ 管理人 - 01/02/19 03:10:28 コメントのタイトル: KAZUさん コメント: オフ会の準備ご苦労様です。 報告を楽しみにしています。 「スプーン一杯の幸せ」で、奇しくも同じ場面で鳥肌が立つような感動を受けていたのですね。 なぜだか嬉しくなってきます。 ところで、「スプーン一杯の幸せ」の試写会で、もしかして、もしかして、淳子さんを直接見られたのですか。 もしそうなら、「いいなあ」という感じですね。 一緒に写真を撮ってたりして。 そんなこと思うと眠れなくなっちゃいますね。 もっとも今は、決算の書類を作成中でもともと眠る気はないのですが。 なぜだかこんな時間になると気分はハイになるんですよね。 灰じゃないですよ、分かってますね。 ハイとは言えないセンスの洒落ですね。 今、ハイって言った人は失格。 ハイとは言えないと言っているのに、言ってどうするんだ家ある子。 失礼しました。 ところでKAZUさんに子供がいればKAZUの子になってしまいますね。 カズの子はニシンの子だから、カズさんがニシンということでいいのでしょうか。 カズの子はリサ子の子でもあるから、リサ子がニシンのような気がします。 リサ子が妊娠ならわかりますがニシンとは、ニッシン火災も日清製粉も笑っちゃいますね。 自分でも何を言っているのかわからなくなってきたので、このへんでお休みなさい。 ■■ No.050 ■■ 管理人 - 01/02/19 00:48:45 コメントのタイトル: Mottieさんへ コメント: 歌手としての淳子さんの、というより、「レインボーレディ計画’88」の最終目標は、ボスト越路吹雪となることでした。 その中で、二人の共通点として、5つ挙げました。 1.唄って踊って芝居が出来る 2.舞台映えがして華がある 3.仕事では完全主義者だが、仕事を離れると童女のような素顔を持っている 4.舞台では堂々として見えるが、実は大変なあがり症である 5.テレビの小さなフレームでは、その良さが十分に伝わらない そこで、アイドルから脱皮し、アルバム歌手、ステージ歌手となる企画を出したのでした。 アルバムの企画として、前回紹介した曲を歌う企画を出し、ステージでは、1部がミュージカルで、2部がシャンソンの、2部構成にするという案を出したのでした。 1部では、体力のある内に、唄って、踊って、明るく元気な淳子さんを、2部で、しっとりとした淳子さんが、その歌唱力と演技力を見せるという意図でした。 計画の中で、越路さんの曲には触れていませんでしたが、「サン・トワ・マミー」、「ラストダンスは私に」、「夢の中に君がいる」、「夜のメロディー」、「雪が降る」、「明日は月の上で」、「オー・シャンゼリゼ」、「ろくでなし」、「愛の讃歌」、「夜霧のしのび逢い」、「思い出のソレンツァラ」、「そして今は」、「ケ・サラ」、「ラ・ノビア」、「恋心」、「夢見るシャンソン人形」といったところが候補となる曲ですかね。 Mottieさんの選ばれた曲は、淳子さんのイメージとピッタリ合いますね。 淳子さんの明るさは、確かにカンツォーネの向きかも知れませんね。 その他、1960年代のポップスで、コニー・フランシスとかリトル・ペギー・マーチらの曲で、淳子さんに合いそうな曲がありそうですね。 まだこんな歌を唄って欲しいという曲がありましたらお知らせ下さい。 待ってます。 ■■ No.049 ■■ 管理人 - 01/02/19 00:05:15 コメントのタイトル: TAMAさんへ コメント: 「レインボーレディ計画’88」が正式名称で、淳子さんが30歳になる前に七つの顔を持つマルチタレントにしようという計画で、淳子さんが24〜5のときに書いたもので、年上の私は当然学生でした、ということはなく、社会人でした。 お話に出てきた笠置シヅ子さんは、江利チエミさんをはさんで、淳子さんの明るいコメディエンヌの部分のご先祖様という感じの大先輩ですね。 「サザエさん」系と言ったらわかりやすいかもしれません。 淳子さんが、お二人の伝記物をやるという企画もありうるかも知れませんね。 期待しましょう。 前回書きませんでしたが、舞台の企画として、「奇跡の人」、「ロミオとジュリエット」、「ある愛の物語」などの映画名作シリーズ、「暗くなるまで待って」、「おしゃれ泥棒」、「うわさの二人」などのオードリー・ヘップバーン・シリーズ、「女優志願」、「裸足の散歩」などのニール・サイモン・シリーズ、ハーレクィンロマンシリーズなどの企画も考えました。 今から思えば、「ローマの休日」を入れるべきでしたし、「ハムレット」、「じゃじゃ馬ならし」、「真夏の夜の夢」などのシェークスピアシリーズも入れるべきだったかなと少し後悔しています。 「噂の二人」は、ヘップバーンとシャーリー・マクレーンとの競演で話題になった映画の名作ですが、もともとは舞台の名作でもあり、大竹しのぶさんとの競演で見たい企画として挙げました。 有馬稲子さんと南風夕子さんがその後やりましたが、今でも実現して欲しい企画です。 今ですら筆力がこの程度ですから、20年近く前ですと、もっと筆力はなかったと思いますが、字数で約8万文字、原稿用紙で約200枚(レポート用紙10枚のキャステイング表付き)の力作でした。 私の企画で実現したものはほとんどありませんでしたが、なんとなく精神が伝わったのか、最初からそのつもりだったのか、ほぼ思ったように推移していき、私としては満足していたのでした、あの日までは……。 ■■ No.048 ■■ 管理人 - 01/02/18 23:51:24 コメントのタイトル: NTさんへ コメント: NTさんお久しぶりです。 「ヤンヤン歌うスタジオ」の最終回は私も見ました。 淳子さんは「スタ誕」の時でもそうですが、自分が行けないときには、手紙を出して、その番組に対する思い出を語り、スタッフやファンの人に挨拶をしてくれます。 手紙やコメントも寄せない昌子さんや百恵さんに比べて、番組に対する愛情が伝わり、好感が持てます。 しかし、そのことがテレビ局の人にとって、有り難いような、有り難くないような様子が時々窺えるのが残念です。 それでも、そうした雰囲気を無視して、淳子さんにメッセージを送ろうとする人が時々いて、慕われていたということがわかり嬉しくなったことがありました。 百恵さんとの珍しい顔合わせの西部劇コントでは、南部(西部?)のレディに扮した淳子さんが、珍しく吹いていたのが可愛かったですね。 これからも顔出しして下さい。 お願いします。 ■■ No.047 ■■ 管理人 - 01/02/17 01:24:52 コメントのタイトル: 「レインボー・レディ計画」? コメント: 私のふつつかな文章で、TAMAさんが誤解されておられるようなので訂正いたします。 私が、サンミュージックに企画書を送ったのは、今から20年ほど前のことで、小学生の頃ではありません。 小学生の頃、私は勉強は全くせず、一日中テレビにかじりついていたテレビっ子(死語)でした。 なかでもドラマと映画と舞台(特に歌舞伎)と演芸(特に落語)が大好きで、学校の成績はともかく、記憶力だけはよく、人の顔と名前を覚えるのが得意でした。 歌舞伎の白波五人男や切られ与三郎の台詞や落語の「寿限無」は今でも言えますが、その頃に覚えたものです。 テレビドラマがあると出演順を覚え、後でノートに記録して、それを私ならこういう俳優でやるということを、授業中に考えるのが趣味(?)でした。 淳子さんに送った企画書は、淳子さんが30歳になるまでに、歌手、ミュージカル・スター、テレビ・タレント、舞台役者、映画女優、司会者(インタビュアー)、ライター(作詞家、エッセイスト、童話作家など)の7つの顔を持つマルチ・タレントにしようという計画で、「レインボー・レディ計画」と名付けました。 歌手としての淳子さんの企画として、歌って欲しい曲として挙げたのが、中尾ミエさんの「芝居は終わった」、「ひとり芝居」、「片想い」、伊東ゆかりさんの「青空のゆくえ」、弘田三枝子さんの「渚のうわさ」、「枯れ葉のうわさ」、布施明さんの「そっとおやすみ」、菅原洋一さんの「誰もいない」、沢たまきさんの「爪」、奥村チヨさんの「ひき潮」、「甘い生活」などです。 その他、ジョルジュ・ムスタキの作品で、「内海にて」、「生きる時代」、「悲しみの庭」、「二つの望み」、「希望」、「僕の自由」、「もう遅すぎる」、「私の孤独」、「ヒロシマ」、「傷心」などが好きで、淳子さんに唄って欲しいと思いました。 ミュージカルの「ゼイ・アー・プレイング・アワー・ソング」から、「序曲」、「さあ始めよう」、「その通り」、「本当にわかってくれるなら」、「愛を信じよう」、「今晩だけ」、「言葉でいっぱい」なども好きで、候補曲としました。 タイトル曲の「ゼイ・アー・プレイング・アワー・ソング」と伊東ゆかりさんの「青空のゆくえ」は、先日手に入れた長島温泉のステージのビデオの中で唄っているのを見て、嬉しくなりましたが、決して私の意見を入れたわけではなく、淳子さんが好きな曲だったからだと思います。 五輪真弓さんの作られた曲の中で、「雨の中の二人」、「岐路」、「こんなにも貴方を」、「愛の蜃気楼」、「しおり」、「合鍵」、「残り火」、「思い出はいつの日も」、「さよならだけは言わないで」、「約束」なども忘れがたい曲ですね。 その他、ポップスのスタンダードナンバー、「行かないで」、ダスティン・スプリングフィールドの「この胸のときめきを」、ロバート・フラッタの「やさしく唄って」、セルジオ・メンデスの「マシュケナダ」、アダモの「いとしのパオラ」、トム・ジョーンズの「アイ・ノウ」、シルビー・バルタンの「私を愛して」、ナンシー・シラトラの「憎いあなた」、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」、トム・ジョーンズ(?)の「マイ・ボーイ」なども唄って欲しい曲でした。 唄っていた歌手名については、記憶違いがあると思いますので、詳しい方は訂正をお願いします。 やって欲しいミュージカルとして挙げたのが、「マイ・フェア・レディ」、「サウンド・オブ・ミュージック」、「グリース」などです。 「グリース」は、一度新宿シアターアップルでの上演が企画され、最終的には、「アニーよ銃をとれ」の再演にかわりましたが、戸田恵子さんらとの共演是非実現して欲しかったですね。 ドラマ企画としては、灰谷健次郎さん原作の「兎の目」、曾野綾子さん原作の「海抜0米(ゼロメートル)」、三浦綾子さん原作の「残像」、小林信彦さん原作の「ドジリーヌ姫の大冒険」、筒井康隆の「家族百景」、山本周五郎さん原作の「糸車」、「五弁の椿」、「花筵」などを考えました。 クリスチャン作家の作品があるところが、私が淳子さんの中に、クリスチャンらしき言動があると見ていたことの証明になりますね。 舞台企画としては、山本周五郎さん原作の「糸車」、「不断草」、「扇野」、アンドレ・ジイド原作の「田園交響曲」、ウィリアム・インジ原作の「草原の輝き」(エリア・カザンの映画でナタリー・ウッドがやった役)、落語の「たらちね」などを候補としました。 映画用の企画としては、江川晴さん原作の「小児病棟」、山本周五郎さん原作の「柳橋物語」、「男はつらいよ・葛飾立志篇」で寅さんを父親と勘違いして上京してきた最上順子が、大人になって再会するという企画などを考えました。 淳子さんの「男はつらいよ」も企画されていましたが、サンミュージックと松竹の喧嘩(?)で実現しませんでした。 (残念!) 「柳橋物語」は、今から思えば、淳子さんの人生とオーバーラップするようで悲しい物語ですね。 幼さと一途さゆえに、庄太と将来を誓ってしまった主人公・おせん。 好きかどうかよくわからなかったけれども、誓ってしまったからには、その誓いを果たそうとけなげに生きるおせんの姿に、淳子さんがだぶります。 自分を本当に愛してくれる男・幸太を激しく拒否し、誓いを果たそうとするおせん。 そんなおせんを、地震、火事、記憶喪失、水害、飢饉がおそい、幸太はおせんを助けようとし、力尽き死んでしまいます。 世間の無責任な放言や誤解から、災害の時に拾った赤ん坊が幸太との間に出来た子と庄太にも誤解され、庄太は別な女と結婚してしまいます。 誓いを果たそうとしたその相手が、実はその価値のない相手であることに最終的に気づいたとき、本当に自分を愛してくれていた大事な人はこの世にいませんでした。 庄太と出会ったときに、おせんは、幸太が自分の夫であり、この子もあの人との間に出来た子ですと宣言して、3人家族としてこれから生きていくことを誓いながら、物語は幕を迎えます。 そうしたおせんの姿も、私には淳子さんと重なるのです。 淳子さんにとって、誓いを果たそうとした相手とは一体誰なのか、本当に愛してくれていた大事な存在とは一体誰なのかなと考えます。 前者が芸能界でありファンで、後者が神様(文鮮明氏)だと、淳子さんは思っておられることでしょうね。 私は、まだ物語の結末には至っていないと思っています、 淳子さんが復帰されるときには、淳子さんは多くの難関を越え、何が大事なのかわかった上で、復帰しておられることと思います。 そうした淳子さんに、舞台でこのおせんの役を是非やって欲しいと思っています。 その時に、誰よりも素晴らしいおせんが出来ることを信じています。 今日は20年前の私の企画を番外編として紹介させて戴きました。 皆さんのご意見お待ちしております。 それでは。 ■■ No.046 ■■ 管理人 - 01/02/17 00:22:05 コメントのタイトル: それは「ひとり歩き」です。 コメント: 天使のくぢひるさん、初めまして。 これからも宜しくお願いします。 天使のくちびるさん、blackkingさんのお話にあった映画「スプーン一杯の幸せ」の主題歌は、「ひとり歩き」です。 私もあの映画はリアルタイムで見ましたが、当時はまだファンではなかった私も、画面いっぱいアップになりながらシミ一つない淳子さんを見て、なんと肌の綺麗な子だろうと思ったことは覚えています。 あと映画の中であの曲が流れてきたとき背筋にぞくっとしたものが走ったのも覚えています。 絶妙のタイミングだったと思います 思えば、淳子さんより9歳年上の沢田亜矢子さん(当時年齢を4つほど誤魔化していた筈です)が、女子高校生役で出ていたのが凄いなという印象ですね。 当時映画を、年間200本近く映画館で見ていました。 懐かしいナ〜〜〜。 ■■ No.045 ■■ 管理人 - 01/02/13 22:16:58 コメントのタイトル: お詫びとお願い コメント: Mottieさん、お誕生日おめでとうございます。 今更なんなのですが、モッティーさんでいいのでしょうか。 モッチェさんとかモットタイさんとかいう可能性もあるなのかなと思いまして。 もしかして餅好きなのかなと思ったりして(うふ) このたびは私が、誉めているのか貶しているのか分からないような言葉を使ったために、Mottieさんを巻き込み、blackkingさんはじめ、不愉快な思いをされた皆様にお詫び致します。 本当にすみませんでした。 これから少し理屈っぽい話になるかも知れませんので、興味のない方はどうぞ無視して下さいますようお願いいたします。 私がなぜ、人から誤解されるような表現の仕方をし、ひねくれたものの見方をするようになったか、その理由についてお話ししたいと思います。 私の2番目の兄は知能指数160でしたが、知能指数180の1番上の兄に劣等感を持ち、なぜかその苛立ちを凡才の私に向け、徹底的な言葉の暴力を私に浴びせかけるようになりました。 それをストレートに受け取っていたら自殺の道しかない私は、自分の身を守るために、ディベートと言葉の研究をし、常に相手の言葉の裏を考えるようになりました。 どうしてそんなことを言うのか、その言葉の裏にある相手の心を考えるようになったのです。 こうして私は、罵詈雑言の中に誉め言葉を見出し、誉め言葉の中にある人間の短所を見出すことの出来る人間となりました。 私が、淳子さんバッシング記事を見て、淳子さんの長所を見出すことが出来たのもそのためですし、逆に提灯記事の多いタレントに厳しい目を向けるのもそのためなのです。 こうして私が淳子さんに興味を持つようになり、やがて好きになっていたように、ここに来られる皆さんにも、それぞれの歴史があり、それぞれの淳子さん像があります。 100人いれば、100通りの淳子さん像があると思います。 我々は単に、「桜田淳子」というアイドルを見て楽しんでいただけではなく、彫刻家が自分の作品を刻むように、自分の心の中にそれぞれの「桜田淳子」像を刻んできたと言えます。 私が、自分の作品像に、「My Pure Lady」と名付けたように、皆さんにも、皆さんの作品ともいうべき「桜田淳子」像があり、当然愛着や思い入れがあるでしょうし、そこに皆さんの人生観や価値観が投影されている筈です。 自分の「桜田淳子」像を語ることは、自分を語ることに他なりません。 語る場合には、我々人間は、言葉を伝達手段として用います。 自分の思いや意志、考え、意見、思想などを伝える手段として用いられる言葉には、声、表情、身振り手振り、ジェスチャー、手話、ブロックサイン、文字、記号、音、絵、狼煙、信号など様々なものがあります。 自分の思いを直接口にする場合には、電話などのように単に声によって発した言葉だけの場合と違い、表情や挙措動作、雰囲気などすべてが言葉として相手に伝わるため、かなり正確に伝わる可能性があります。 ちなみに、「思う」の語源は、心に考えていることが顔に出ることから、顔(面)を表す「おも」と、あるものから派生する意味を表す「ふ」が組み合わさって出来た「おも・ふ」という言葉だそうです。 ハ行は派生を表す言葉が多く、「は」という言葉自体、「葉」、「派」、「葉」、「羽」、「波」という漢字をあてていることからもその一端が窺えると思います。 先ほど、裏を考えるようになったら、心が見えてきたと書きましたが、心と書いて、「うら」と呼ぶ場合もあることをご存知でしょうか。 「うら・やましい」、「うら・がなしい」、「うら・さびしい」という言葉がありますが、その「うら」は、心のことを指しています。 あいつのように私もなりたいとか思っている自分を恥じ、心がやましい、病のようだという気持ちが、「うら・やましい」という言葉の語源になっているそうです。 人間の表にあるのが面(おもて)で、裏に隠れているのが心(うら)というのは、面白い話ですね。 さて、人間が不完全な生き物である以上、その言葉も不完全であることは当然のことと言えます。 言葉には、その「言葉」の意味するものとしての「実体」と、それによって意味される内容としての「概念」があります。 「りんご」を例にとれば、「りんご」という「言葉」があり、「りんご」という果物が「実体」としてあり、「りんご」という言葉から想起される「概念」があり、人々の概念は人それぞれ異なります。 ある人が、「林檎がやはり好き」と話したり、書いたりします。 この場合の「林檎」の意味するものは、果物の「林檎」であったり、椎名「林檎」であったり、「林檎」という名の犬であったり、人形であったり、霊であったり、それは「実体」と言うよりは、その人が認識している何らかの存在というべきものです。 それによって、意味される内容は、必ずしも、その人の意図したものと同一とは限らず、受け取る側のボキャブラリーや知識や想像力の度合いによって、あるいはその時の心理状況などによって、理解と誤解の間を行ったり来たりします。 そうした不完全な言葉を使って表現されたものは、すべてフィクションと考えるべきだと私は思っています。 表現手段としてのいかなる言葉も、表現した人が考えていることのすべてを表現できるわけではないからです。 不完全に表現したものを、さらに受け取る者が不完全に理解します。 表現したものも、表現されたものも、完全になるはずがありません。 そのことをミッシェル・フーコーは、「人が見るものは人が語るものの中には決して宿らない」といい、詩人の多田智満子女史は、その言葉を「人が語るものは人が聞くものの中には決して宿らない」と言い換えました。 これはポール・ヴァレリーの、「人はたかだか誤解し合えるにすぎない」という言葉の繰り返しかも知れません。 しかし、人間に死という限界があっても、我々が生き続けなければならないように、言葉に限界があったとしても、我々は言葉を発し続けなければなりません。 発しなければ相手には伝わりませんし、誤解の中にも幾分の理解は含まれているからです。 人間には想像力があり、表現されなかった部分を補う可能性も残されています。 その可能性を信じているからこそ、HPを開いているとも言えます。 思えば、我々ファンとアイドルの関係は、そうした最も美しき誤解の良きサンプルと言っていいかも知れません。 しかし、この世の中の表現されたものすべてがフィクションであり、誤解の中に含まれる真実と好意と悪意の量に違いがあるだけならば、我々アイドルファンだけが、「オタク」などという蔑称を与えられ、「大人になりきれないバカ」扱いされるいわれはありません。 我々は、同じ誤解でも、好意的に誤解しているわけですし、マスコミのように、悪意に満ちた誤解をしているわけではない分、誇りを持っていいと思います。 互いに相手を正しく理解できていないことに気づいていれば、自分が他人のことを理解していないくせに、「誰も自分のことを理解してくれない」などという子供じみた恥ずかしい発言をしなくてすみます。 我々は、正しいと信ずる道を歩み続けてきましたが、結果は悲しいことに、過ちばかりを犯してきました。 人間が過ちを犯す可能性のある不完全な生き物であることに気がつけけば、もう少し寛容になれることを信じたいと思います。 こうして不完全な理解と美しき誤解が入り混じった、私の淳子さん像と、blackkingさんの淳子さん像が違っているのは当然のことです。 大事なのは、それぞれの淳子さん像を尊重するということではないでしょうか。 どうぞ過ちに寛大でありますよう、お願いします。 これからも、わずかな過ちには目をつぶり、共有している理解と誤解の部分に目を向けて下さるようお願いしたいと思います。 これが、今回のblackkingさんと私との意見の相違から発した問題に対する私なりの総括であり、お願いです。 blackkingさん、これからも投稿をお待ちしています。 長文失礼しました。 ■■ No.044 ■■ 管理人 - 01/02/13 01:06:24 コメントのタイトル: 夕樹さん、TUBUさん、洋さん、TAMAさんへ コメント: 夕樹さん、いつもありがとうございます。 阿久悠さんとどうしてコンビを解消したのかについては私も知りたいですが、私の知っている限り、記事として出たことはなかったように思います。 恐らく百恵さんの評価が高くなったのに焦ったスタッフが責任を阿久悠さんに転嫁して、もっと大人びた淳子さんにイメージチェンジをしようとしたような気がしています。 淳子さんは、阿久悠さんの教えを守った(守りすぎた)優等生でしたが、芸能界的にはスタッフの言うことを聞かない問題児的な部分があり、そのことに責任を感じていたと脚本家の倉本聡さんとの対談で阿久さんが言っておられました。 人は、他人の意見を聞いているように見えても、他人の中にある自分の意見を聞いているにすぎないというのが私の持論なのですが、淳子さんも、阿久さんの言うことを聞いたと言うより、阿久さんが言われた意見の中にある自分と同じ意見だけを聞いていただけだと私は思っていますが、こんな見方をする私は、人が悪すぎるでしょうか。 それが人に責任を転嫁しないように自分を律するための一つの方法だと思っているのですが……。 でもスタッフは、大人になりきれない淳子さんに業を煮やし、仕事と個人的な面での師匠でもあった阿久さんに責任を転嫁して、阿久さんと淳子さんを引き離したのではないかと私は推測していますが、妄想かも知れないので、信用しないでください。 『窓』は、私も好きですが、確かに救いがない歌であることは確かで、淳子さんやスタッフに勢いがなくなっていた証拠のような気がします。 デビュー当時の、私はスターになるんだと信じて疑っていなかった淳子さんには勢いがありました。 それが『スタ誕』のあっち向いてホイでの驚異的な強さにも出ていましたが、マスコミや芸能界での摩擦に淳子さんが傷つき、天真爛漫にテレビに出ているのを楽しんでいた淳子さんは消え失せ、自分のポジションはここでいいのだろうかと周囲に気を遣うようになり、パワーもしぼんでいったのだと思います。 芸能界というところは、他人を押しのけてもという人が成功するというのは真理だと思っています。 淳子さんは、幸か不幸かそういう人ではありませんでした。 デビュー当時は、天真爛漫に自然に前に出ていたのですが、知恵がつくようになり、それが出来なくなったときから、勢いがなくなりました。 でもそのころからとても上品な素敵な女性へと変身していったように思います。 以前、山口百恵さんの引退記念映画として「風と共に去りぬ」が、百恵さんのスカーレット役、淳子さんのメラニー役で企画されたときに、映画監督の西河監督が、デビュー当時の淳子さんの方がスカーレットにぴったりだったけれども、今は残念ながら、淳子さん以上のメラニー役者はいないから、というようなことを話しておられたのが、淳子さんの変身を何より物語っていると思います。 デビュー当時の天真爛漫な淳子さんは、暗い印象の百恵さんよりもスカーレット役にはピッタリでした。 でも二人とも大人になったときに、百恵さんは強く生きる女性に変身し、淳子さんは人間的に成長し、マリヤ様の生まれ変わりのようなメラニーが似合う女性に変身したのでした。 勿論、スカーレット役も出来たと思いますが、淳子さんほどメラニー役にピッタリくる女優がおらず、少し落ちる女優さんがやったとしても、百恵・淳子組の格というか、パワーに負けることは否定できなかったと思います。 その点が淳子さんにとって少し不運だったと思います。 でも人間的にとても素敵な女性になったと私は思っていますし、そのことを淳子さんも悔やんでいないと思います。 夕樹さんも、女性として、人間として、タレントさんとして素敵に成長されていかれることをお祈りしています。 これからも淳子さんの楽曲を歌って下さいね。 TUBUさん、投稿有り難うございます。 最初チュープさんかと思ったのですが、ツブさんの方が正解なのでしょうか。 これからも、よろしくお願いします。 洋さんへ、隠し部屋の件では勝手に伏せ字をしてすみませんでした。 隠し部屋は、一生懸命探しながら見て下さる方へのご褒美といいますか、あくまでもオマケでして、訪問した方全員にお見せするものではありませんので、ご了承願います。 これからも投稿よろしくお願いします。 TAMAさん、いつもありがとうございます。 「黒蜥蜴」とは意外な作品名が出てきて、管理人もびっくりです。 でも淳子さんの魅力あふれる台詞回しが聞けそうですね。 あと、江戸川乱歩では、「陰獣」も捨てがたいですね。 昔の作家では、井上靖さんの作品に出てくる女性像も魅力的だと思っています。 キャスティングが出来たら(?)、紹介したいと思います。 淳子さんにやって欲しい役、第2弾も準備中ですので、乞うご期待!! 歌に関しては、ジャズとシャンソンがいいと思っています。 前にも書いたと思いますが、淳子さんは、英語の歌が似合うと思います。 素人が英語を歌うと、カタカナ英語になっていて、とても聞いてはいられないのですが、淳子さんの歌はとてもサマになっていると言ったら失礼ですが、本当にいいと思います。 あと淳子さんの演技力を生かすためには、ドラマチックなシャンソンがいいと思っています。 具体的な曲に関しては、いずれ発表したいと思います。 昔淳子さんというか、サンミュージックに、こんな映画をやって欲しいとか、ドラマをやって欲しいとか、舞台をやって欲しいとか、こんな歌を唄って欲しいとか、スタッフを含めたキャスティングまでつけた企画書を送ったことを思い出しました。 よく考えてみれば小学校の頃から、そんなことを考えるのが大好きで、タレントの序列にまで拘って作っていたのだから、成長していませんね(^^;) そんな私ですが、どうかお見捨てなきようお願いします。 それでは。 ■■ No.043 ■■ 管理人 - 01/02/12 04:57:20 コメントのタイトル: blackkingさんへ コメント: 私が、淳子さんのことを、肯定的にとらえているか、否定的にとらえているかは、片言隻句にとらわれることなく文脈で、そして私がしていることでとらえて戴きたいと思います。 人間の長所は短所であり、短所は長所となります。 決断力が早いと言えば聞こえは良いかも知れませんが、もしかしたらただのオッチョコチョイかも知れません。 優柔不断と言えば、聞こえはよくありませんが、慎重な性格なのかも知れません。 淳子さんが、「純粋である」という言葉を、誉め言葉として受け取れられるお方かどうかは知りません。 もしかしたら腹を立てておられるかも知れません。 もしそうならば、私は何もないものを見、感じ、誤解してきた、ただの愚か者でしょうか。 私はそうは思いません。 淳子さんが思っている自分と、私が思っている淳子さんとは少し違っていたとしても、私が思っている淳子さんの方が、より「桜田淳子」らしいと、私は信じています。 本物の淳子さんは、体の調子が悪いときやスランプの時があった(ことを知っているから、ご自分を過小評価している部分がある)かもしれませんが、私の目には、100点満点の光り輝いている淳子さんしか見えません。 私が見ているのは、桜田淳子の良いところばかりを抽出した「桜田淳子の結晶」とも言うべき姿であり、だからこそ、「My Pure Lady」という題名を正式名称にしたのです。 もし私が淳子さんを否定的に捕らえていたのだとしたら、こんな一文の得にもならないことに情熱を捧げることが出来るでしょうか。 淳子さんが、不純な人であったら、いい加減な人であったら、自分をはっきり主張しない性格の人だったら、老獪で狡い人であったら、こんなことにはならなかったと思っていますし、それとは正反対の人であったからこそ、今の状態があるのだと私は思っています。 人間は、年を取るとずるさを覚え、自分の本性を隠して生きることを覚え、それに後ろめたささえ感じなくなります。 そのことを大人になることだと勘違いしている人がほとんどであり、でもそれが世間の常識なのだと思います。 それに比べて、淳子さんの、計算の出来ない、損得を考えない、不器用なその生き方を、幼ないと形容したのですが、それが不快感を与えたとしたら、私の筆力のなさとしか言いようがありません。 ちなみに、私は、「幼ない」人間を自認するどころか、そのことを誇りに思っている大馬鹿者です。 原稿用紙で60枚分の原稿をようやく書き終え、頭がボーとしている状態で書いているので、支離滅裂な管理人でした。 ■■ No.042 ■■ 管理人 - 01/02/05 22:13:27 コメントのタイトル: レイクラさんありがとうございます コメント: レイクラさんのように淳子さんをリアルタイムで知らない方々に淳子さんの魅力を知って戴くことは、このホームページをやっている目的の一つでもあるので、大変嬉しく思います。 我々が若かった頃でも、淳子さんは時代遅れの発言をするアイドルとして、女性週刊誌から、今の三田佳子さんや二子山ファミリーに負けないバッシングを受けていたアイドルでした。 「だから淳子は嫌われる」とか「淳子はなぜ女性から嫌われるのか」といったタイトルで、よく特集されていたものでした。 今から思えば彼女は、既に統一協会に入会しており、その教義に従った発言をしていました。 というより、純潔(当時でもほとんど死語に近かったように思います)を大事にするという彼女の考え方に一番ぴったりの宗教が統一協会だったという方が正確なのかも知れません。 彼女のような人は、本来ならば敬虔なクリスチャンとして生きることことが一番自然であり、世間からも受け入れられ、全く問題のない道だったと思いますが、ある意味世間と妥協しているように見えた(お姉さんからそのように教えられた?)当時のキリスト教では、彼女は満足できなかったのでしょう。 もっと時間をかけて探し求めれば、彼女にあった教会、牧師(神父)さんに出会えたと思うのですが、身の回りにそんな人脈もなかったでしょうし、当時芸能マスコミに押しつぶされそうになっていた彼女には、そんな時間的余裕も、心の余裕もなかったのだと思います。 真面目に生きようともがき、道を求め、真理を求めた結果、統一協会にたどりついてしまったのでした。 そこらが彼女の純粋さであり、潔癖さであり、激しさであり、幼さであり、欠点でもあるのですが、逆に我々が魅力を感じる点でもあり、好きになってしまった我々としては、そのことを彼女に強く言えない弱味があります。 彼女が、純粋で、幼いままでいて欲しいと願っていた我々ファンの責任でもあるからです。 ですからこうして、桜田淳子というアイドルが存在し、一生懸命生きていたことを少しでも多くの方に知っていただき、理解していただこうと努力しているわけです。 どうぞレイクラさんも、強きを助け、弱きをくじく芸能マスコミの偏った見方に惑わされることなく、淳子さんを評価していただきたいと思います。 これからも当資料館、当掲示板をよろしくお願いします。 ■■ No.041 ■■ 管理人 - 01/02/02 22:12:00 コメントのタイトル: 淳子さんにやって欲しい企画第1弾 コメント: KAZUさん、オフ会成功することをお祈りしています。 TAMAさんのリクエストでまたまたまたの登場です。 TAMAさんが言われるように三谷幸喜さんの舞台は見たいですね。 三谷さんと淳子さん双方に関係のある人を考えてみました。 三谷夫人である小林聡美さんとは、NHK「季節はずれの蜃気楼」で共演していますし、個人的にも親しかったはずです。 『やはり猫が好き』の室井滋さんとは、NHK「オバサンと呼ばないで」で共演しています。 舞台『巌流島』に出演していた役所広司さんとは、映画「オーロラの下で」やNTV「思春期外来」で共演していますし、おなじく映画『ラヂオの時間』に出ている渡辺謙さんとは、NHK「独眼竜政宗」、フジ「居酒屋兆治」で共演しています。 フジ『古畑任三郎』の田村正和さんとは、フジ「ニューヨーク恋物語」で共演しています。 三谷さん作品常連の戸田恵子さんとは、舞台「アニーよ銃をとれ」新宿シアターアップル公演が実現する前の企画段階の「グリース」では、淳子さんと井上純一さんと一緒に共演する予定でした。 三谷さんの昨年のヒット作『オケピ』に出ていた真田広之さんとは、舞台「リトル・ショッフ・オブ・ホラーズ」、フジ「ニューヨーク恋物語」で、同じく布施明さんとは、NTV「合い鍵の女」で共演しています。 どなたかお二人の間を取り持った下さる方がいることをお祈りしたいと思います。 外国の女優さんでは、先に挙げた女優さんの他では、シェリー・ロングのとぼけた演技も好きです。 井上ひさしさんも高く買った淳子さんのコメディエンヌとしての才能を生かした作品を見たいですね。 淳子さんにやって欲しい作品と役の企画シリーズの第1弾として、浅田次郎原作の「角筈にて(短編集『鉄道員(ぽっぽや)』より)」という作品に出てくる貫井久美子という主人公の奥さんの役を推したいと思います。 筋書きとしては、商社のエリート部長であった主人公の恭一が左遷され、外国支社長となり、その壮行会の夜、新宿の歌舞伎町(昔の角筈)で、父親に似た男を見た所から物語は始まり、回想が随所に挿入されます。 恭一が子供の頃、父親に角筈のバス停で捨てられられたこと。 父親の従兄弟である伯父の家にひきとられ、そこで妻となる久美子と兄妹同様に育てられたこと。 伯父の籍に入ることは許されなかったけれども、伯父の希望で久美子と結婚することになったこと。 「恭ちゃん」、「クミちゃん」と呼び合う夫婦の姿などが、会社の部下たちとの心の交流と共に、回想で描かれていきます。 外国へ立つ前日、伯父の家に泊まった恭一は、「この家を売ることにしたが、どうか許して欲しい」と、今は当主となった義兄の良夫から詫びられたときに、この一家が自分にしてくれた宝石のような出来事の数々を思い浮かべます。 不幸の固まりともいうべき自分を、この一家は、彼らのすべてを賭けて癒そうと決心したのではないだろうか、東大を出て、商社に就職しても心の傷が癒されていないことを知った伯父は、その傷を癒し続ける永遠の使命を娘の久美子に与えたのではないだろうかと思うに至ります。 それに対して自分は伯父さんたちになにをしたのだろう、それどころか、父親になりたくないという自分勝手な理由から折角出来た子供をおろさせたために妻の身体を傷つけ、母と呼ばれる権利を一生奪ってしまったことを激しく後悔する場面、改めて久美子に謝り、二人が不器用にキスをする場面などは実に感動的です。 出発当日の朝、角筈で父親と不思議な出会いをした恭一は、父が、伯父に電話して、迎えに行くまで苗字はそのままにしておいて欲しい、迎えに行けなかったら久美子と恭一を結婚させてほしいと頼んだことなどを知ります。 久美子が自分に幸福を授けてくれる世界で唯一の女性であることを、父親が予見し、自分のために備えておいてくれたことを知った恭一は、父親と和解し、素直に礼を言うことも出来、すべてをふっきり、妻を初めて「クミコ」と呼ぶところで物語は終わります。 このマリヤ様のような久美子という女性を、淳子さんにやって欲しいと願っています。 この役は出しゃべってはならず、かといって引いていたら埋もれてしまい話全体の説得力がなくなってしまうという、物語の要となる重要な役であり、本当に難しい役だと思います。 ある意味演技のしようがない辛い役柄ともいえ、それだけに演ずる人の存在感と演技力が問われる役であり、淳子さんにしか出来ない演技が期待できると思います。 年齢的にもイメージ的にもぴったりの役柄であり、ぜひ映画で見てみたいと思っています。 その他にも、こんな小説のこんな役がいいとか、皆さんのご意見を聞かせて下さい。 これからもよろしくお願いします。 ■■ No.040 ■■ 管理人 - 01/01/30 21:23:48 コメントのタイトル: マリリン・モンロー説に同感 コメント: TAMAさん、またまたリクエスト有り難うございます。 遠慮なく出てきてしまいました。 (テヘ) 言われる通り、「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」のオードリー役は、明らかにマリリン・モンローを意識した役だったと思います。 私も直接舞台を見たわけではないのですが、隠し撮り(?)した幻のビデオとカセットテープが存在するのですが、その中での淳子さんはとても可愛くキュートです。 タイプ的に言えば、基本的には、「サウンド・オブ・ミュージック」や「マイフェア・レディ」でおなじみのジュリー・アンドリュースなのでしょうが、マリリン・モンロー、シャーリー・マクレーン、ゴルディ・ホーンがやるような可愛いキュートな女性も出来ると思います。 ニール・サイモンや福田陽一郎さん、三谷幸喜さんの舞台ではじけているコメディエンヌ・淳子さんの姿も見たいですね。 皆さんはどうお考えですか。 投稿をお待ちしています。 ■■ No.039 ■■ 管理人 - 01/01/29 22:35:44 コメントのタイトル: TAMAさんお久しぶりです。 コメント: ご指名を賜りましたので(?)、登場した管理人です。 私が淳子さんの魅力を感じたのは、吉永小百合さんの魅力に通じるものを感じたからでした。 当時、大竹しのぷさん(以降しのぶさん)と淳子さんにそれを感じていました。 小百合さんが演じた「キューボラのある街」での健康的で庶民的な魅力を受け継いでいるのがしのぶさんなら、同じく「愛と死を見つめて」や「泥だらけの純情」での小百合さんの純粋で、上品な魅力を受け継いでいるのが淳子さんだと思っていました。 考えてみれば、小百合さん自身も、「庶民派・田中絹代」の部分と「永遠の処女・原節子」の部分を持つ女優さんでしたから、いわば「庶民派・田中絹代」の部分がしのぶさんで、「永遠の処女・原節子」の部分が淳子さんだとも言え、TAMAさんと意見が一致しましたね。 NHKの名物プロデューサー兼演出家であった大原誠さんも20年前、「若手でひとつ頭抜け出している感のある大竹しのぶのライバルは、同じく映画、テレビ、舞台のすべてにおいて実績を残している桜田淳子以外にないであろう」という意味のことを書いておられましたが、私もそう思っていました。 ただし正確に言えば、レコード業界での実績もあり、淳子さんは当時スターとしてのキャリアでは、しのぶさん以上である唯一の人だと思っていました。 しのぶさんは、熱演タイプで、彼女が主演で出ずっぱりだと疲れるという評もありましたし、脇で光るタイプの女優さんだと思っていましたし、事実主演のドラマは当時少なかったと思います。 しかし、数々の恋愛スキャンダルを経て、小百合さんの系譜を継ぐ女優から離れましたが、演技派女優としての実績を積んでいき、今も光り輝いているのは皆さん御承知の通りです。 だからこそ、そのライバルともいうべき淳子さんが休業状態というのがとても口惜しく思います。 しのぶさんが天才であることは私も認めておりますが、NHK大河ドラマでやった大石りくの役に関して言えば、淳子さんなら、家老の娘であり、家老の妻という品格をもっと出せたのではと思っています。 思えば、原節子さんが最後にやった役が確か東宝の「大忠臣蔵」での大石りく役であり、やはりタイプとしては同じタイプなのだと思います。 さすがにしのぶさんがフジテレビでやった「編集王」の大物少女漫画家・八代亜希の役のはじけようは無理でしょうが、知的で、上品な役に関しては、しのぶさん以上に出来ると思います。 年齢的なこともあり、今までのような娘役は無理だと思いますが、母親役、主婦役に加え、得意な武家の妻女役、仕事の出来る女性の役、弁護士や医師や実業家などの役などは淳子さんにうってつけだと思います。 舞台では、井上ひさしさんの「雪やこんこん」の若女将役やシェークスピア劇が見たいと思っています。 この小説のこの役を、淳子さんで見たいとか、意見がある方は、どんどん投稿して下さいますようお願いします。 久しぶりに登場し、少し興奮している管理人でした。 |