"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

管理人の日本語(読み方)講座


5.表現の意図≠ノついて

 生きていく中で、お互いが、謙虚に、自分のせいですと反省できればいいのですが、一方が謙虚に反省する人間で、一方が傲慢で反省をしない人間であったりすると、謙虚に謝っている人間の方が悪いように思い込む人が増えてきているような気がします。
 謙虚な人の謙遜な言葉を、そのままストレートに受け取る方がおられますが、その前にその発言の意図というものを皆様には考えて戴きたいと思います。

 そこで、淳子さんのある謙虚な発言をもとに、言葉の中にある隠れた意図≠ノついて、お話したいと思います。

 このほど発売されたボックスの中のブックレットで、淳子さんが、昌子さんや百恵さんに対してコメントを述べておられましたが、あの言葉を、正しく理解するためには、淳子さんがどのような意図で書かれたかを考慮する必要があると思います。

 淳子さんを語る上で、花の中三トリオ≠ナあった昌子さん、百恵さんの名前を出さないわけにはいきません。
 出さなければ、逆に、何かあると勘繰る人も出てくることでしょう。
 名前を出す以上は、相手に不快な思いをさせないように文章にしなければならないよう配慮しなければならないことは言うまでもありません。
 となったら、自分を卑下し、相手を持ち上げる文章にならざるを得ないということになります。
 淳子さんのことですから、決して嘘を書いているわけではないと思いますが、そうした配慮があって、あのような文章になったと考えるべきであって、ただ心に思ったことをストレートに書いているわけではないということを、理解する必要があると思います。

 それを、謙虚に人を立てている人だなと受け取るのならいざ知らず、そのまま鵜呑みにされたような真似は、少なくともここに来ておられる皆さんには、して戴きたくはありません。

 私は以前、
 「ふくよか≠ニ言われようと、デブ≠ニ言われようが、傷つくことは同じです」
と女の人から言われてしまいましたが、それはひどいと思いました。
 そうした配慮をするべきだと常に思っている人間としては、そうした配慮をする人間か、しない人間か、出来ない人間が、その違いを区別できるぐらいの感受性、言語感覚を持っていて欲しいと私は思いましたし、今も「ふくよかな」女の人が好きな管理人は思っています。
 少なくともここに来ておられる方は、そうした言葉の中にある、意図について、深く考慮し、その上で判断する方でいてくださいますようお願いしたいと思います。

 以上、管理人の『日本語(読み方)講座』でした。 

 戻る 

inserted by FC2 system