"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

sonoさんの『淳子ヒストリー』


  sono. 2  sono10代 後 編
〜『若い人』との出会い&メ〜

sono - 03/06/26 01:49:04


管理人様にも、荒れた時があったと、書かれてました。
私も、淳子≠ウん1色のなかでも、数回、私なりですが、すさんだ時代≠ェありました。

 小6の少年は、淳子さんと出会って、まさに日々淳子さんでした。
 ある日少年は、雑誌で、サンミュージックを選らんだのは、森○健○さんのファンだから≠フ記事を読み、
 森○健○=剣道
ということで、剣道部に入りました。
 中学に進学も剣道部に、入りきつい練習も、淳子さんの、レコードを聞いて、元気だしました。

 余談ですが、今は分かりませんが、国技≠ネので、ハカマの下は、パンツを付けません。
 今も、剣道は、続けてますが、40過ぎると、なんぼ九州でも、真冬の寒稽古は、つらいです。
 あまりの、寒さに、私の息子も・・、おっと、これ以上書くと、管理人さんに続き、二人目のイエローカードですね。失礼しました。

 で、剣道は、まさに上下関係が、厳しい世界でした。
 それにたえられず、中2の3学期ぐらいから、いわゆるグレ≠ワした。
 それから、部活も行かず、やがて高校に進学しましたが、さらに荒れました。
 (ひとに迷惑かけたり、悪いことをやっていることは、自分自身で、わかってました。でも立ち直れませんでした。それは、立ち直ることは、グレて、いままでやってきたことが、私自身が、否定される様な気がして、ズルズルと・・)

 で、ついに、高校も行かず、ある日、昼間から授業をさぼり街を、歩いていると、映画館の前で、『若い人』の看板を、発見し、もとより淳子ファンの私は観ました。
 10月です(地方は封切りが、遅いです)。
 私は、スクリーンの中の彼女に、教えられました。
 父親を知らないヒロインは、泥沼の生活の中でも、細い1本の線≠ナ、なおかつ懸命に生きました・・。
 ストーリィは、ご存知の方も多いでしょう。
 恵まれていて、普通じゃない私・・。
 子供ながら、いろいろ考えせられた、映画です。

 それから、私のあがき≠ヘ消えました。
 又、剣道をはじめました。
 何とか高校3年間続けました。
 正直、映画を観て、私は、淳子さんに助けられたのですよ。

 今現在、40才を過ぎ、生活に変な余裕ができ、虚脱感を感じていました。
 NTさんと同じく、桜田淳子≠ナ検索し、HPを知り、虚脱感から抜け出し、喜びさえ感じます。
 私の岐路に、必ず、淳子さん≠ェいるのですよ。
 小6、高1、そして41才の今、淳子さんに、又助けられた気がします。

 この掲示板をごらんの全国の中には、sonoの書き込みは、おおげさ、カッコ付け過ぎ、だから何? みたいな事を感じられる方が、おられるかもしれません。
 でも私は、これからも、たまらなく淳子が好きだ≠フ気持ちを、大切に、力(りき)入れて=A書き込むつもりです。

 次回は、「sono20代淳子ヒストリー」に突入です。
 こうご期待(えっ誰も期待してない)
 それでは、皆様、御元気で。

 追伸。
 私の好きな曲は、『若い人のテーマ』です。
 それと、『もう戻れない』。
 そして、風になびく『黄色リボン』です。

 3曲とも、順番つけられません。  3曲とも、一番です。
 それでは、失礼します。


(つづく)




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