"My Pure Lady" Junko Sakurada |
sonoさんの『淳子ヒストリー』
sono. 3 sono20代 前 編
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sono - 03/06/29 03:57:29 連載3回目(笑い)の淳子ヒストリーです。 淳子さんに助けられた私は、高校を卒業し、県外に就職しました。 引越しは、トラックを借りて行きました。 車中私の隣には、同じ会社に就職を決めた物知り友人≠sがいまして、現地に着くまで、あの凍る会話が、延々と続きました。 その会話は、世紀末を意味するので、書きません。 慣れない町で、いろいろ有りましたが、友人Tとの、アパート二人暮らしは、結構楽しく当時、二人で、飲みに行き、カラオケならぬ、8トラ?で、私とTは、『黄色いリボン』を歌いましたね。 21才の時でしたが、あることが原因で、ケンカとなり、お互い気の強い九州男児、それ以来、口も利かず、アパートも別々、私は会社も辞めてしまい、バイトの日々。 それから、2年ぐらい、友人Tとの、接触もなく、仲直りしたいとは思ってましたが、もうバイトで、クタクタで・・。 23才の時、同じ県外に就職した別の友人から電話が有り、 「Tが、田舎に帰って、家の仕事を継ぐらしいど・・。お前、親友やろ。俺らも行くけん、駅に見送りに行かんか?」 電話してきた友人も、当時の私とTとのケンカ別れの件、知ってましてね。 私は、行けたら行くばい、と電話を切りました。 ここで、淳子さんがらみで、見送りに行っていたら、淳子ヒストリーだったのですが、現実は、当日バイトしてました。 見送りにも行かず・・。 さらに2年後私は、地元に帰らず、仕事してましたが、このころから、友人たちが一人二人とUターンして行きました。 やっぱり生まれた処が、いいですよね。 なんか私、意地はってましたね。 Tのことは、1日も忘れたことないくせに・・ で毎年、同窓会の案内状はもらってましたけど、Tと顔合わせるの気まずくて行きませんでしたね。 25才の正月でした。 親からも、帰ってこいとの、手紙が来てましたけど、帰らずにいました。 私の田舎は、県外に行ってる者が多いです。 地元に仕事があんまりありませんので、皆揃うのは、正月くらいなんですよ。 成人式も、正月です。 で年が明けて、2日だったかな、その年も帰らず、私は、同窓会にも出ず、私は、県外≠ナ、圏外≠ナした。 夜中の1時ぐらいですかね、友人Tから突然電話がありました。 もうびっくりしました。 友人Tが、 「お前、帰ってきてないんか。 親父さん心配しとるばい。今よ同窓会の2次会でよ、街のカラオケ屋で淳子のはじめての何とかゆうの、S子らが歌いよるバイ。 就職したてのころ、二人で歌った、何とかリボンか? あれがなくてよ。 お前、今年は帰ってこんか。 S子、下手で困るバイ。 歌、聞こえるか?」 そんな内容の電話で、私は、 「そうなんか」 と言いました。 実に、5年ぶりの、Tとの会話でした。 Tは、屋外から電話してるみたいで、もちろん、S子の歌声は、聞こえませんが、高校卒業し、就職したての、20才前に、Tと歌った『黄色いリボン』の歌が、確かに、聞こえてきましたね。 またまた、私、淳子さんに助けられましたね。 今は、私も地元に帰り、それぞれの生活もあり、なかなか、Tとも会えませんが、たまに会って、焼酎飲みながら歌う『黄色いリボン』は、最高ですね。 小学生の頃、仮面ライダーに夢中の少年は、変身ベルト≠腰に巻き、少年の幼なじみのTは、いつも怪人クモ男≠ナした。 Tは、いつも、私のライダーキック≠ュらってましたとさ。ジャンジャン。 次回は、淳子ヒストリー「バイト編」です。 お楽しみに。 では、失礼します。 (つづく) |