"My Pure Lady" Junko Sakurada |
sonoさんの『淳子ヒストリー』
sono. 5 sono20代 最終章
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sono - 03/07/09 22:09:09 今回の『淳子ヒストリー 大切な女性(ひと)編』は、前編、後編の力作です。 北海道出身の千春=Aみゆき≠フ2大巨匠の話題が昇ってましたが、私の姉≠ヘ、千春さんの大ファンでした。 私も、姉≠ゥら聞かされまして、以前、淳子さんに歌ってほしい他の人の曲の話がありましたが、私は、千春さんのアルバム『起承転結2』の『別れ』を推薦します。 まさに、『化粧』と双璧です。 これは、聴く価値があります。 是非、聴いて下さい。 さて、連載5回目の『淳子ヒストリー 20代最終章』は、その姉の話です。 私の母親は、8人兄弟(女4人、男4人)で母が、長女となります。 じいちゃん、ばあちゃん、頑張りました。 母の一番下の妹、私のおばさんは、私より、3才年上です。 姉のいない私には、おばさんというより、姉ちゃん≠ンたいな存在で、家も近所なので、生まれた時から、姉弟みたいに育てられました。 子供のころから、いつも側には、姉ちゃん≠ェ、居ました。 遊ぶ時は、私は子分≠ンたいなもんでした。 評判の美人で、近所にも、ファンが結構多く、友人Tも、ファンの一人でした。 高校時代のセーラー服姿(カンコー学生服)の姉ちゃん≠ヘ、『若い人』の淳子さんに、ちょっと似てまして、『明星』の淳子さんのポスターを、自分の顔の横に並べ、 「淳子に似てるやろ」 と言うので、私は、 「別に」 と答えつつ、胸のドキドキは、かなりのものでした。 やがて、私は県外に就職し、姉ちゃん≠ヘ、地元に残り、結婚しましたが、友人Tは、2回ほど求婚した様ですが、残念ながら、圏外≠ナした。(笑)。 私が、就職しても、よく電話くれまして、恋愛の話から下ネタまで、なんでも話しましたね。 私が、28才の頃、すでに姉ちゃん≠ヘ、子供も(女の子)もうけ、充実の日々でしたね。 30才まで、あと数カ月のある日、母親から、取り乱した声で、姉ちゃん≠ェ危篤=Aとの電話があり、 「何で、そんなんなるまで、俺に連絡せんのんか」 と母に激怒すると、私が29才のころから、姉ちゃん≠ヘ、すでに入院してて、その件の連絡は、姉ちゃん≠フ意志で、とめられていた様で、この突然の電話となったワケで・・・。 渡○謙さんと同じ病気で、あの方は見事に克服されましたが、姉ちゃん≠ヘ、元々、身体も弱く・・・。 当時もよく電話くれた姉ちゃん≠ナすが、病気のことは伏せて、入院先からの電話だったのですね。 急いで駆け付けましたが、もはや、会話もできず、やがて、天国に旅立ちました。 姉ちゃん≠フ遺品を、整理してた母が、 「あんたの手紙じゃないの?」 と私に手渡すので、読んでみると、思い出しました。 たしか、中1の頃、二人で、ラブレターを書こうということになり、姉ちゃん≠ヘ、好きな人が居たみたいで、一生懸命書いてました。 私は、淳子さん一色≠ナしたので、淳子さんに書きました。 当時の、私の淳子さんへの恋文を、姉ちゃん≠ヘ、大切に、何年も、保存してくれてたんですね。 その手紙、今でも、手元にあります。 やがて私は、30才になりました。 大切な女性(ひと)であった、空の上の姉ちゃん=A元気ですか。 俺も、なんとかやってます。 現在、姉ちゃん≠フ娘は、もう高校生です。 姉ちゃん≠ノ、よく似てまして、美人です。 「お前のセーラー服姿、かわいいばい」 と言いますと、 「変態やわー、兄ちゃん」 と笑ってました。 17才になった姉ちゃん≠フ娘、ひとり歩き≠始めた気まぐれビーナス≠フ17の夏≠ヘ、どんなんかなーと思いながら、いつもより多めに、焼酎を飲みました。 次回は、『Sono30代 淳子ヒストリー 大切な女性(ひと)後編』です。 (つづく) |