"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

sonoさんの『淳子ヒストリー』


  sono.14  番外編X
〜踊り子&メ〜


 『淳子ヒストリー 14回目』です。

 先日、仕事で、二泊三日の出張に、行ってきました。
 出張先が、私が20代を過ごした街≠フ近くでしたので、出張最終日の夜、タクシーで、第二のふるさと≠訪ねました。
 高校を卒業し、相棒Tと、県外に就職しましたが、仕事を辞めてから、20代前半は、バイトで過ごした、そんな思い出の街≠ナす。

 この街に、ある店がありました。

 私は、20代のころ、踊り子≠ニ暮らしたことがあります。
 当時、私のバイトは、夜の仕事が主で、キャバレーのボーイ、スナックのバーテンなどなどですが、バイトが終わると、必ず立ち寄る店がありました。
 バイトだけの収入で、当時、私は、極貧の生活でした。
 そういう、夜のバイトの連中が集まる店で、明け方までやってる、喫茶店と飲み屋さんの中間≠ンたいなところです。
 スナックの女の子や、私みたいなバイトなどの、溜まり場≠ナした。

 その店のマスターは、私たちの苦しい生活を知ってまして、場所代を払えば、持ち込みOKで、焼き鳥屋さんにバイトしてる奴の残り物とか、あちこちからの持ち寄りを集めて、みんなで食べて、腹の足しにしてました。
 で、その店で明け方まで過ごし、朝一番の始発のバスで、それぞれのアパートや住処に帰る生活でした。

 その店で、私は、踊り子≠ニ知り合いました。

 ストリップ劇場の踊り子≠ナ、当時、彼女は22歳でした。
 ともすると、彼女達の職業≠ヘ、色眼鏡で見られがちですが、皆さん、真面目で、努力家です。
 彼女や、その同僚とふれあって、そう実感しました。

 そのうち店で、それぞれの仕事が終って、待ち合わせして、私のアパートでの生活が始まりました。
 彼女は、当時でも珍しい、劇場専属のストリッパー≠ナ、地方巡業の人たちとは違ってましたが、その劇場も、経営がきびしくなり、彼女も、巡業の企画会社に所属することになり、明日は九州を旅立つという日の前夜、私たちは、いつも通り、店で待ち合わせして、いつものカウンターの隅に座りました。

 今でも心に残る、彼女の言葉があります。
 「神様が与えてくれた仕事だけど、決めたのは私自身、誇りを持ちたい」

 やがて、明け方5時頃、店も閉店間近となり、
 「そういえば、俺たち、写真の一枚もないよな」

 ということで、私の財布の中にあった、淳子さんのブロマイド≠ノ、二人の名前を書いて、カウンターの隅の裏側に、周りの人に悟られないように、貼り付けました。

 明け方、私と彼女は、バス停で始発を待ちました。
 彼女が、一度もこちらを振り向かなかったのは、覚悟の表れか、彼女の小刻みに震える肩のせいなのかは、わかりません。

 そして私は、いつも通り、始発のバスでアパートに帰りましたが、いつもと違うのは、彼女が、空港行のバスに乗ったことでした。
 彼女の、地方巡業の旅立ちでした。
 それっきり、彼女の消息はわかりません。
 3ヶ月の、彼女との同棲生活≠ヘ終わりました。

 そして、出張の最終日の夜、20年ぶりに、あの店≠訪ねました。
 店の名前も、内装も変わり、居酒屋さんになってましたが、あのカウンター≠ヘ、同じ場所にありました。

 20年前の最後の夜に、彼女と座ったカウンターの隅に座りました。
 「お客さん、初めてでしょう」
と店主からきかれ、
 「昔は、来てたんだけどね、20年ぶりかな。変わったねー」
 すると、会話の途中で、店主が、
 「そういえば、以前も、女の人で、20年ぶりと訪ねてきた人がいましたよ」
と言うので、その女性の様子を聞きました。
 しかし、店主の記憶はあいまいで、彼女かどうかは、分かりませんでした。

 20年前の最後の夜、
 (このカウンターの下に、淳子さんのブロマイド≠、二人で貼り付けたなー) と、思い出しながら、カウンターの裏に手を伸ばすと、ありました。
 淳子さんのブロマイド≠ェ貼り付いていました。

 あれから20年の間に、おそらく、この店も、改装に改装を重ね、持ち主も変ったはずです。
 なのに、淳子さんのブロマイド≠ェ、間違いなく、貼り付いていました。
 (奇跡だ)と思いました。

 その淳子さんのブロマイド≠、記念に持って帰ろうと思い、20年前とおなじ様に、まわりの人に悟られない様に、今度は剥がしにかかりましたが、途中で、やめました。

 (20年前に、ストリッパーの彼女が、文字どうり、体を張って=Aこの街で頑張った証し≠ェ、淳子さんのブロマイド≠セ) と思えたからです。

 (いつか、彼女がこの店を訪ね、この場所に座り、カウンターの裏に、淳子さんのブロマイド≠ェ貼り付いてなかったら、さみしいだろう) と思い、そのままにしました。

 「帰るけん」
と、最後に焼酎を飲んで、店を出て、出張先の宿に向かうタクシーの中で、
 (全国の踊り子に幸あれ) と願いました。

 あれから20年、当時のマスターや仲間の顔は、あの店には無かったけれど、淳子さんのブロマイド≠ヘ、今も、色褪せることなく、カウンターの裏で、やさしく、微笑みかけています。


(つづく)




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