sonoさんの『新・淳子ヒストリー』
sono.25 新シリーズ B 〜『 門出 』編〜
SONO - 04/02/07 17:56:07
コメントのタイトル: 『 門出 』
コメント:
管理人様、皆様、こんにちは。
私、しばらく、山篭りをしておりましたが、あまりの寒さに、私のSONも・・・。失礼しました。
というわけで、根性なしのはぶれもんは本日、山篭りから下山いたしました。
管理人様、資料館の新しい出発に、はぶれもんも微力ながら、お手伝いをさせていただきます。
新企画も楽しみですね。
それでは、いきます。
『新・淳子ヒストリー 門出』
今から、10年ほど前に(イエローリボンズ)という草野球チームがありました。
無謀にも県下リーグに参加しましたが、連敗を続けました。
ある日、弱小チームのために、チアガール(リボンギャルズ)が結成され、そのダンスはチームに勇気をくれました。
その伝説のダンスは、今も語りつがれて・・、いません。(笑)。
今年も恒例の同窓会が居酒屋で開かれました。
今回より、オカマのA雄ちゃんも加わり、例年以上に盛り上がりました。
同窓会の途中で気が付いたのですが、明るくて、ひょうきんなR子の姿が見えません。
彼女は、年に1回の同窓会を、大変楽しみしているので、風邪でもひいて欠席かと思い、周りに尋ねてみると、R子は、御主人との離婚がきまり、ふるさとの長野県に帰るための準備で忙しく、欠席していることを知りました。
私は意外でした。
大恋愛の末の結婚、高1の息子も成長し、幸せな家庭の見本だと思っていたからです。
R子は私が小3の時の長野からの転校生で、以後こちらの地元で、結婚し、生活を営んでいたわけですが、R子といえば、草野球チーム(イエローリボンズ)の(『淳子ヒストリー 踊る草野球編』参照)のチアガール(リボンギャルズ)のメンバーの一人で、その天性の明るさと元気印で、私たちには、なくてはならない存在でした。
数日後、リボンギャルズのメンバーから、R子のお別れの飲み会をするとの連絡を受け、イエローリボンズの名誉監督(笑)の私は、栄光のベスト9に召集をかけ、さらに他の同級生たちにも声をかけ、いつもの居酒屋に皆、集合したのでした。
これは、ほぼ同窓会のメンバーと同じなので、R子にとっては(最後の同窓会)でもありました。
R子の門出の飲み会なので、しんみりした話は厳禁の宴は始まりました。
リボンギャルズの一人が、当時(10年前)のチアガールの写真を持参していました。
彼女達の、あまりの体型の変化におどろきました。
この十年間の間に体中に肉が貼り付いてしまい、皆大笑いです。
「R子、まあ飲めよ」 と宴の途中で、彼女の横に座り焼酎を勧めると、彼女は焼酎を少し、飲みました。
「あんた、知っるとおもうけど、離婚して長野に帰るんヨ」 とR子が飲み干したコップを見つめながら言いました。
あわてて、私が焼酎を注ごうとするとそれには、手で断り、
「私が注ぐけん、あんた、飲んでよ」 と返酌です。
「お前の息子さ、高1やろ。なにも卒業前に帰らなくても・・・」 (離婚後の高1の息子は、R子が育てていくことになりました)
「これは、私と○太の話合いで決めたことなんよ。おもいっきり環境を変えたいし、ここにいると、皆に甘えてしまうから・・」
離婚を決め、結論を出すまでの、経過を話すR子は、すこしやつれた様子でした。
さらに、宴も進み、オカマのA雄の過激なパホーマンスも飛び出し、いよいよ最後は、なんと言っても、伝説のリボンギャルズの華麗なるダンスの登場です。
淳子さんの(黄色いリボン)が居酒屋のスピーカーから流れ出すと、居酒屋の大広間は、皆の手拍子、掛け声で大騒ぎです。
当時、私が準備した、リボンギャルズの衣装(黄色いリボン、黄色のシャツ、黄色のミニスカート)を彼女達は、それぞれの家の押入れから、捜して持参していまして、同じ衣装で10年前の彼女達が、今甦りました。勝てない、草野球チームのため勇気をくれた、チアガール・リボンギャルズのダンスが今、復活したのです。
しかし、彼女達は体型の変化と体重の変化で、どうみても、10年前の衣装のサイズが合わず、無理を承知で着ているワケで、しかも踊っているのですから、途中で、ヘソは見えるし、スカートのファスナーは飛ぶし、息は切れ出すし・・、中でも、管理人様の三段腹のさらに上をいく、R子の腹は(段違い平行棒)みたいで(笑)、その重量感はまさに(段違い)です。
過積載で居酒屋の大広間の床が抜けないかと心配しました。
1階の部屋を予約して正解でした。(笑)。
子育てと生活の中で、疲れ気味の彼女達のどこにそんなパワーが残っているのか、R子を中心とした、そのダンスは(友情以外)のなにものでもありません。
皆、きびしい社会のなかで、生きているのです。
だからこそ、小学校から机を並べた同級生達は、それぞれの思い出を大切にして、友情を心の中にしまっているのです。
心の中にしまってある友情は、いつでも取り出せる状態にしているのです。
そして、彼女達にとって、淳子さんの(黄色いリボン)は、自分たちの(応援歌)なのです。
彼女達には、涙はありませんでした。
太陽の様な笑顔が、黄色いリボンにのせられて届きました。
そして、A雄の音頭で、R子の幸せを願い、万歳の連呼でR子のお別れ飲み会は終了しました。
翌日の土曜日に数名でR子と息子が旅立の汽車に乗るのを駅で見送りました。
私は別れ際に、
「おかあさんを守ってやれよ。これは、俺からの(男の気持ち)だ」 とお土産を、R子の高1の息子に手渡しました。
彼は、私のプレゼントを大切そうに抱えていました。
そして、R子と息子の○太は、遠い長野へ旅立っていったのです。
新天地へ向かう、R子の心の中には幸せの(黄色いリボン)が風になびいているのです。
翌日、R子からさっそく電話がありました。
昨日の演出に感激して、お礼の電話かといさんで携帯にでました。
R子 「あんた、昨日、別れ際に、私の息子に何を渡した」
私 「あっ、あれ。あれは、お前の息子が好きなバイクの本バイ。俺の○太に対する(男の気持ち)バイ。」
R子 「この、バ○タレー。(怒)。高校生の息子に、裸だらけのエロ本なんか渡すなー。(怒)」
どうやら、私は○○子が処分しようとして、束ねておいた色っぽい本とバイクの本を間違えて、R子の息子に渡したみたいで・・・。
それから、私は携帯電話の充電が無くなるまで、延々と、一方的にR子から説教され、小学校の時にスカートをめくられたとか、上履きを川に捨てたとか、高校の時、R子の弁当を私が食べたとか、私のR子に対する、過去の悪行(笑)の恨みつらみまで飛び出し、その間、おとなしくて、控え目で、思ったことの半分も言えない私の性格なので(笑)、 「しみましぇ〜ん」 と3回答えただけでした。(笑)。
後日(男の気持ち)が長野県から着払いで、送り返されてきました。(連笑)。
今頃、R子はふるさとで、冷たい手に息を吹きかけながら、淳子さんの(黄色いリボン)を口ずさんでいるはずです。
顔は見えなくても
どんなに、遠くに離れていても
心の距離は、徒歩1分なのです =@
(つづく)
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