"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館
ムラ≠ニマチ≠ゥら見た 『そよ風の天使』と『資料館』の関係
『そよ風の天使』と『資料館』についてお話する前に、ムラ≠ニマチ≠フことについてお話したいと思います。
■ 日常生活空間としてのムラ
その昔、人間が群れ(ムレ)て暮らしていた場所がムラ≠ナあり、人間の暮らしのベースとなる日常生活空間としてムラが存在しました。
基本的には、住居を基本として作られるコミュニティのことであり、ここでは人の出入りが少なく、静的なストック型コミュニティと言えます。
このムラ≠ェまずあり、後に、漢字の村≠竍邑、邨≠ネどの文字を宛ててきたこと は皆さんご存知の通りです。
■ 非日常的楽しみを提供する空間としてのマチ
一方、その昔、市(場)がたつ祭り≠フこと、にぎわう場所を指す言葉がマチ≠ナあり、それがやがて、非日常的な空間や場所を指す言葉となりました。
マチ≠ノは、日常生活空間としてのムラ≠フ側面もあるにはありますが、基本的には、様々な情報を発信する娯楽・商業施設の多いコニュニティのことを指し、ここでは、人の出入りが激しく、動的なフロー型コミュニティとも言われます。
このマチ≠ニいう言葉があり、後に、漢字の町≠竍街=A時には、都市≠竍都会≠ニいう文字を宛てるようになりました。
■ マチ≠ゥら祭り≠ェ消え、祭り≠セけが残ったムラ
人間の交流の場所としてのハレ≠フ機能こそが、マチ≠フ本質であるため、人間は、わくわくすること、楽しいこと、面白いことを発見し、体験するために、マチ≠ヨと出かけるのだと思います。
しかし、マチが発展し、人々が集まるようになると、マチには様々な楽しいものが生まれ、祭り≠フ価値は相対的に下がっていったのに比べ、人がいなくなったムラ℃ミ会における祭り≠フ価値と意味は上がり、祭り≠アそムラ(地域)≠ノ生きる人間のアイデンティであるかのごとく思う人が増えている現代になってきています。
■ よそ者には住みにくい、人間関係が濃密なムラ℃ミ会
ムラ℃ミ会は、ツーと言えばカーと話が通じる人間関係が濃密な社会です。
それだけ、しがらみが多く、窮屈とも言えます。
自分たちだけで通じる言葉や話をするため、よそ者には住みにくい社会かも知れませんが、住民の一体感、連帯感は強い社会といえるかも知れません。
■ みんながよそ者だからこそ、それが気にならないマチ℃ミ会
一方のマチ℃ミ会は、隣に誰が住んでいるかも知らない場合が少なくなく、ムラ 育ちの人間には信じられないほど、人間関係が希薄な社会かも知れません。
しかし、住民のほとんどがよそ者の社会ともいえ、現代の個人主義的な価値観からみると、それがマチ(都会)≠フ特長とも認知されているようです。
■ インターネットは、マチ′^社会
そのように考えた場合、インターネットの世界は、色々な階層の、多様な考え方をする人たちが集まり交流するハレ≠フ場所であり、共同体意識が希薄で、一つにまとまることは難しく、間違いなくマチ℃ミ会であると言えます。
■ マチ′^社会の『資料館』
インターネットという大都会の中の一つのムラ≠ノすぎない『資料館』ですが、
@15というサーバーにまたがり、HTML文書を1つの部屋として数えた場合、3000以上の部屋があり、画像ファイルの件数13,000件超、全容量が750MB超という個人で運営しているサイトとしては大量のコンテンツと情報を持ち、発信する機能を持っていること、
A淳子さんファン以外の人も入ってくるため、人の出入りは激しく、動的フロー型コミュニティと言えること、
Bネットで知り合った人間同士が直に会うことは勿論、本名を名乗りあうことすら危険と考える管理人がいるため、自己責任で機会を作らない限り、住民同士が出会うことはまずないこと、
などから、ムラ≠ニいうより、やはりマチ℃ミ会であろうと思います。
■ ムラ′^社会の『そよ風の天使』
一方の『そよ風の天使』は、
@祭り(オフ会)≠ナ、連帯感を深め、人間関係が濃密であることを特長にしていること、
A部屋数にして約20部屋、掲示板以外に特長となるコンテンツや情報が少ないこと、
B淳子さんのことを大好きなメンバーだけが集まっていて、メンバーの出入りが少ない静的ストック型コニュニティであること
などからもわかるように 、典型的なムラ′^社会と言えます。
■ 始まりは、マチ≠ニムラ≠ニの誤解
しかし、『そよ風の天使』は、これまで『資料館』の兄弟のようなサイトとして生まれ、隣接されていたことから、RYOさんも、これをご覧の皆様も、2つで1つのセットのごとくご覧になっていたため、『そよ風の天使』のことも、マチ′^だと思い込み、同じ立場から、発言しておられたように思います。
完全独立の道を選ばれ、互いに違うサイトとなったのを機会に、これからはその違いを正しく理解された上で、発言をして下さいますようお願い致します。
20戸のアパートの管理人と3000戸の団地の管理人では、その募集の方法から運営の方法まで異なるのは当然の話であり、自分と考え方ややり方が違うからといって、一方的に相手を批判し、侮辱するような態度をとるべきではないと思います。
マチ≠ヨ来て、その恩恵を蒙りながら、帰るときはムラ≠フ方がいいと一方的に捨て台詞を言われる人がおられますが、それも、自分がどちらに住んでいる人間なのかを理解していないために、自分がないものねだリの無理な注文をしていることに気づいていないからではないでしょうか。
■ 大事なのは違いを認め、受け入れるではないでしょうか
私は、マチ≠ニムラ≠ヌちらが正しいとか、間違っているとかを言うつもりはありませ ん。
ムラ≠ノ住めば、楽しむ場所が少ないかもしれませんが、そのかわりに濃密な人間関係がありますし、マチ≠ノ住めば、人間関係は希薄かもしれませんが、楽しむ場所が沢山あります。
その違いを理解されずに、一方的に批判されるような態度は辞めて戴きたいと思います。
嫌なら来ないという選択権(自由)もありますし、「もう来ません」などと言わずに黙って去って下さいと申し上げているのに、よけいな一言を言って去られる方がいて、落ち込んでしまうのです。
勿論、マチ≠ノ住んでいる人間は、ムラ≠ノ行くなと言っている訳ではありませんし、 ムラ≠ノ住んでいる人間は、マチ≠ノ来るなと言っている訳でもありませんし、マチ≠ニムラ@シ方に家があってもいいと私は思っていますが、大事なことは、その違いを理解して、気持ちよく暮らしていく努力をすることではないでしょうか。
マチ≠ヘ、いい意味でも、悪い意味でも、人を選ぴません。
それが、危険でもあり、いい所でもありますので、用心しながら、生きていく必要がある場所です。
ネットの世界は、都会同様、誰もが信じられる場所では決してなく、そんな甘い世界ではないということを、皆さんに忘れないで戴きたいと思います。
以上、ムラ≠ニマチ≠ゥら見た『そよ風の天使』と『資料館』でした。
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