"My Pure Lady" Junko Sakurada

桜田淳子エッセー

「やさしさが足りなくて」(隔月刊誌パレット連載)

この夏の計画はもう立てましたか、私は、日中合作映画「曼荼羅」(年末公開予定)のロケで、バカンスどころじゃないみたい。でも、その分、ロケ地で本場の中国料理を食べることにします。PRをひとつ。シルクロードの旅を綴った「神様がくれた贈り物」がやっと本になりました。淳子の労作です。読んでみてください。  

 

第2回
雪の街で見つけた勇気
 
 アポリアッツという街に行ってきた。
 フランスなのだが、スキーでひょいと山を越えるとすぐにもスイスに入国できる。ちょうど、スイスとフランスの国境にある街といっていい(スキーでスイスに行ってすぐ帰ってくる分にはパスポートなど必要もない)。
 まだ冬ということもあって、しかも標高一八〇〇メートルという山の高さなので、あたりは当然雪景色、大勢のスキー客でにぎわっていた。
 といって、何もそんなとこまでスキーをしに行ったわけではない。今年で19回目を迎えるという〈アポリアッツ国際ファンタスティック映画祭〉に参加しようというので、ヨーロッパの山奥!?まで足を運ぶことになった。
 このアポリアッツ映画祭は、何を隠そう、あのスピルバーグが『激突』という作品で第一回目(74)のグランプリを受賞していることでも知られる、
 いってみれば新人監督の登竜門といったところ。
 この映画祭の特色は、ファンタスティックという名が示すように、SFXあり、ホラーあり……と実にさまざまなジャンルのものが対象となっている。しかも、そこには決して有名ではない監督の作品もある。
 新人ゆえに、製作費を思うようにかけられなかった作品でも、内容、センス、パワーが見出せれば審査対象となって取り上げられ、注目を浴びることができる。だから世界各国から参加作品が寄せられ、それも八ミリ映画からビデオシネマまで多彩な作品が集まってくる。
 眠っている新しいカ∞新しい才能≠発掘し世に送り出そうというこの映画祭の目的に、ものすごく心惹かれて、居ても立ってもいられなくなったというのが、わざわざ出かけた理由。
 それに、もうひとつの理由は、この映画祭は、素敵なことに、あくまでもカジュアル≠ェモットーであるので、あの世界的に有名なカンヌ映画祭とは違って、フォーマルな装いで参加するという面倒なことはしなくてすむ。
 参加するすべての審査員(監督、俳優、作家、歌手等々)、あるいは私のような飛び入りの、ただ映画を見るだけに来ているような人も、この雪の街では誰一人としてめかしこむ必要はない。どこもかしこもゲレンデという、いってみればスキーリゾートの街アポリアッツ≠ヘスキー服だけで充分なのだ。
 そんな気楽な雰囲気の中で映画祭が行われている。
 街はとにかく小さい。
 20ほどのホテル(すべて同じ経営者で、キッチンがついている)と、他にレストラン、コインランドリー、カフェ、スーパーマーケット、ブティックといった店があるだけだ。
 交通手段も馬橇かスキー、あるいは自分の足。
 雪上車以外の一般の車の乗り入れがいっさい禁止されている。でも、馬橇で5分、人の足で15分もあれば、この街は一周できてしまう。
 それほど小さい街なのである。
 夜になると、雪の積もったツリーに灯が点され、それはそれはロマンチックだ。毎日がクリスマスのようなサンタが住む街≠ニいう印象が強い。
 こんな夢のような素敵な場所で10日間という日程を映画を見て、スキーをして過ごした。そしてなんといっても、実に多くの監督に出会い話せるチャンスが持てたということが、とても幸せなことだった。
『スーパーマンU・V』や『三銃士』を撮ったレスター監督をはじめ、フランスのジョゼ・ジョバンニ、ジュスト・ジャカン(『エマニエル夫人』の監督)、アレハンドロ・ホドロフスキーといった異色の監督たちと話し合いの場が持てたのだから………。
 それにしても、よくもまあ、日本からやって来た見知らぬ女優のインタビューに気楽に応じてくれたものだ。
 これは、カジュアルな特色を持った「アポリアッツ映画祭」だからこそ実現できたことかもしれない。
出品されている作品に対しても、その受け入れ態勢≠フ柔軟さは変わらない。新しいものを受け入れようとするその心意気は、ここでは目を見張るものがある。
 なんて素晴らしいことだろう。
 私は10日間の間ずっと感激しっぱなしだった。
 この感動を自分だけで味わっては申し訳ない気持ちになった。
日本にだって、まだ眠っている才能を持った若者がいるだろう
 そう思ったら、映像の仕事に携わっていきたいと願っている人にとって、この映画祭がプロモーションに絶好の場であることを紹介せずにいられなくなった。
 もちろん、監督も作家も俳優も才能があってはじめて認められるわけだが……
 しかし、日本は国際化社会だ、なんだといっても、ことプロモーションに関してはまだまだ世界に後れをとっていることを実感する。アメリカやフランスといった一国にしてみれば、自己PRは、日本人が名刺を差し出すこととなんら変わりないくらい当たり前のことであるのに、日本人は「私は、こうこう、こういった才能を持っています。
 だから使って下さい」といったプロモーション(売り込み)をすることを悪(恥)とする傾向があるように思う。
 この違いは大きい。
どうせ私のようなものは無理だろう∞あのようなエライ人に、私の才能など認めてもらえないだろう
 こういったマイナス思考が、実る才能を結実させることなく萎ませているのではないだろうか?
 有名、無名、エライ、エラクないにかかわらず、どんな人でも「可能性」を見出すことができる道があると私は信じている。しかし単なるあこがれ≠竍願望≠セけでは「可能性」を見出すことはできない。そこにあこがれ∴ネ上の確かな才能(実力)、その才能を磨くたゆまぬ努力がなければ道は開けない。そして、その才能を見出してくれるのが、思わぬ出会い≠ナはなかろうか。
 それは人≠ナあったり、物≠ナあったり、事≠ナあったり、さまざまだと思う。
 
 3、4年ほど前、日本のある青年(当時美大の学生)が、〈東京国際映画祭〉の会場でハリウッド」映画のマット画の権威といわれる人に出会った。それから二年後、その青年は自分の作品(絵)をハリウッドの彼のもとに送った。
 すると、折り返し電話がかかった。
「君の才能は素晴らしい。ハリウッドヘ来て仕事をしないか」
 というものであった。
 もちろん、この誘いに二つ返事でOKして、青年は海を渡った。
 仕事場はジョージ・ルーカスが総指揮をする「ルーカスフィルム・スタジオ」。待ち受けていた仕事は、あのブルース・ウィルス主演の『ダイ・ハード2』だった。飛行場の雪のシーンはマット画であって、すべて青年の手によるものである。
 青年の名は、ユウセイ。アメリカ在住の25才のマットスクリーン・アーティスト。
 青年はそれこそ出会い≠逃がさず受け入れ、可能性を見出すことに成功した一人である。
「だめでもともと」の精神でぶつかって、自らの作品を送ったところ、思わぬチャンス≠ェ待っていたということだ。
 私は、この青年の勇気≠ノ心から拍手を送りたい。
チャンス≠ヘある!







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