"My Pure Lady" Junko Sakurada

桜田淳子エッセー

「やさしさが足りなくて」(隔月刊誌パレット連載)


初秋の京都に来ています。といってもテレビドラマのかけもちで、のんびり古都を楽しんでいるわけではありません。京都のあとは、帝劇でのお芝居「墨東綺譚」(ll月公演)へ出演。幸い体調もいいので、忙しいのは苦にならないけど、やっぱりのんぴりする時間もほしい。お正月は、好きな旅行で羽をのばそうと思っています。  

 


第5回
思いやりの心で
新しい時代を築いていきたい
 
 最近行われた、<今の若者をどう思うか>というアンケート調査によると、約6割の大人たちが、「これからの若者が心配だ」と答えたという。
 その心配だ! という言葉の裏には、「調子が良すぎる」とか、「我慢が足りない」とか、「何を考えてるのかさっぱりわからない」といったような意味が含まれているらしい。
 そういえば、何か事あるごとに大人たちは、「今の若者ときたら……」というセリフをはく。それも、嘆きにちかいニュアンスで……。
 大人たちは、あきらかに、今の若者を信用≠オていないというわけだ。
 反対に、若者の方はどうだろう?
 若者だって同じだ。ハナから、自分たちをダメ人間扱いする大人たちを、やはり信用するはずもない。
 大人対、若者の溝≠ヘ深い。
 一体、いつからこうして両者がチグハグ≠ノなってしまったものか、なんとも残念なことだ。
 私は、どちらかといえば、両者のちょうど中間点に立っている一人だから、(今は、大人と若者の間の人間だと自分では思っている)どちらの気持ちもわからないでもない。
 お互いの言い分を、なんとなくは理解できるような立場にいると、おこがましくもそう思っている。
 実際私には、今もっとも仲の良い大人と若者の二人の友だちがいて、そのどちらとも、心を打ち明け合って話ができる関係を築けている。
 かたや20歳、そしてかたや40代後半。
 各々の話は、世代がまったく違うという点からも、とても面白く、私にとってとても興味深い内容だ。
 20歳の友だちは、4年制の大学に通う女学生で、来年就職を準えている。
 彼女は、「今の若者ときたら……」という若者への世間の冷たい視線をやっと知りつつあるという一人。
 今は、世間の反応をそれほど敏感に受けとめてはいないだろうけれど、これから社会人になってはじめて世間の風当たりの厳しいことを知るだろうと思う。
 だから、おせっかいにもお姉さん顔して、私は彼女をチクリチクリとつっつく。
 社会人になって気づいたのでは、あとがしんどいと思うからと、ドンドンつっつく。鉄は熱いうちに打て!≠セ。
 そんなわけで、大人の立場からものをいうお母さんよりはまだいいと思っているのか!? 彼女は、私の話に素直に耳を傾けてくれる。
 自分のどこが悪いのか、どう社会に対応していけばいいのか……etc.
 そのようなことは、彼女はそれまでまったく考えていなかったことだったのか、ここ何カ月かで、自分の切実な問題としてとらえ、悩み出している。
 とてもいいことだと思う。 ボーツと生きていたなら、さまざまな環境の中に敏感に順応してはいけない。考えること≠ノよって、知恵≠ニいうものは与えられるから、やはり真剣に物事を見つめるのは大切なことだと思う。
 とはいっても、若者にしたら、これだけ物があふれている時代に生きているから、人間は果たしてどう生きるべきか≠ネどと考えるには、あまりにもピンとこないことではあるのだと思う。
 上司とケンカをして、会社を辞めたところで、食べられない≠けではなく、フリーターとしてだって十分にやっていける状態にあるのが、今の日本だ。
・目上への気くばり(目上に対しての尊敬)。
・与えられるより、与えることを。
・心を込めた仕事内容………………。
 そんなことをいくら大人が言ったところで、若者は実感≠ニしてとらえられないのだろう。
 一生懸命やってもやらなくても、生きていける(食べていける)′サ実を知っているから、それ以上の努力や気くばりをしないでいるのだろう。
 でも、もうそれも限界にきているということを知らなければならない。
 なんとなくでもやれた時代から、やはり、なんとなくではやれない時代に移っているということを知ることが重要だ。
 はっきりいって、戦後、急成長をとげた今の日本があるのは、心を砕くし、思いを尽くして国のために必死に生きてきた大人≠スちのおかげだし、彼らの汗と涙によって、このような幸せな時代を築けたといっても過言ではない。
 その大人≠スちに、尊敬の念を抱きつつ、しかし、これからは自分たちが時代を担っていくのだ! という思いで、新しい時代を築いていくことが肝心だ。
 あまりにも幸せすぎる現状の中では、次の時代に、これ以上何を望んだらいいか、どんな時代を築いていったらいいのかを、大いに悩んでしまうところでしょうが、答は簡単。
 残っているものがちゃんとあります。
心≠ナす。
 今、この国にちょうどないものは、思いやりのある心≠ネんです。
 それを埋めていく作業が、若者の役割だなんて、嬉しいことではありませんか。
 人間にとっで、とても大切な思いやりのある心≠、これからの時代にアピールしていけばいいんです。
 もちろん自ら≠ェ、そのような心≠持つことが肝心!
 女子大生の彼女は、今悩みの途中で、私にこういいました。
「与えられること≠あたりまえとしていた自分だったから、人のために尽くすこと(与えること)≠ェ一体どんなことなのかは、正直いってわからないんです。
 でも、やっていく中で、きっと私自身が気づく時がくるんだと信じます」
 そのとおり!
 理屈より、Do it!
 行動すること!
 時代は今、テイク・アンド・ギブから、ギブ(与える)・アンド・テイク(与えられる)の時代へ


 未知の可能性をまだまだいっぱい秘めている若者だから、できる




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