"My Pure Lady" Junko Sakurada

桜田淳子エッセー

「やさしさが足りなくて」(隔月刊誌パレット連載)

 このお正月はどんなふうに迎えますか。淳子はたぷん、昨年に引き続き、フランスとスイスの国境の街・アポリアッツでスキーと映画を楽しむ予定です。そしてその足でロンドンに回り、ミュージカルも堪能するつもり。新しい年はミュージカルに挑戦するから、その充電なんですけど…!それから、l年間連載したエッセイも、今回で終わることになりました。一生懸命読んでくれたあなた、どうもありがとう!  

 

第6回
自分の人生を
大事≠ノ、大切≠ノ!
 
 
 永井荷風の小説に『シ墨(正しくは、さんずいに墨)東綺譚』という作品がある。
 この本の中では、シ墨東というのは墨田の東(東京は墨田区)という意味で、昭和初期の頃にあった、私娼窟の玉の井≠ニいう所をきどってそう呼ぶのだ、という説明がなされている。
 綺譜≠ニいうのは、おもしろく組み立てられた話という意味なので、この物語は、墨田の東にある玉の井という所のおもしろいお話というふうに解釈すればいいのではないかと思う。
 この物語が、今から27年前、舞台化された。
 そして再び、新しい顔ぶれで上演されることになったのが91年の11月。その新しくなった墨東綺譚≠ノ私も出させていただいたのだった。
 役どころは当然のごとく、玉の井の私娼窟で働く娼婦。名前をお絹という。脳梅≠ニいう病気を患い、身寄りもなく、いきつく先には、自殺≠ニいう結末が待っている。
 聞くところによると、当時(昭和11年頃)玉の井で働いていた女性たちは、あまりにも多くの男性たちと関係を持ったために、そのほとんどはひどい病気を患っていたらしい。
 このお絹に関していえば、鼻がかけて、話もろくにできなくなるというような症状だと聞いた。
 これは、物語の中だけの話ではなく、つい50年ほど前に、このような悲しいことが実際にあったのだ。
 時代背景が違うから、といってしまえばそれまでだが、こんな悲惨な人生をたどらなければならなかった女性たちが本当にいたんだと思うと、せつなくなってしまう。
 玉の井に住み込んでいる女性たちの多くは、19才を筆頭に16才ぐらいまでのうら若き乙女たちで占められていたというからもっとせつない。
 なんでまた、何も知らないうら若き乙女が、このようなはめに、と思うが、この玉の井に来なければならなかった最たる理由は、彼女たちの家がとても貧しかったことにあるようだ。
 家族を養うために、やむなくわが子をそのようなところへ売り≠ノ出さなければならなかった母親の気持ちも、どれほど辛かったか知れない。
 16〜19才といえば、人生の中で最も多感な時期である。そしてその多感な時に、あれこれとこれからの自分の人生を考える。
 何が善か、何が悪か。男性について、女性について、人間について………。
 考えることは山ほどある。
 私もそうだった。
 この年代に関わってきたまわりの人間たちによって、私の心はいろいろ揺れ動いた。 あなたのしていることは、それでいいの?
 このままでいいの?
 どうやって生きていこうとしているの?
 会う度ごとに、問題提起≠されたような気がする。それによって、真剣に物事に対して考え、答えを出そうとした。
 苦い思い出もあるけれど、今となっては、懐かしく、そして感謝するにあまりある私の10代だったと思っている。
 それを考えると、玉の井の少女たちは、やはりあまりににかわいそうに思えてならない。
 多感期に、彼女たちの心に植えつけられたのは、おそらく不信感≠ニ猜疑心≠ニ恨み≠セったに違いない。
 小さな胸の奥で、どれほど自分の人生をのろったことだろう。察するにあまりあるものがある。
 私は、今まで娼婦≠ニ聞けば、すぐに悪女≠ニいうイメージを連想してしまっていた。でも、お絹≠演じていくうちに、この玉の井の少女たちに関してだけは、それはあてはまらないことなのだと思えるようになった。
 なぜなら、彼女たちは娼婦という道が、自。ら好んで選んだ自分の人生ではなかったのだから……。自らが、身をおとすことによって、他人(家族)の人生を救ってあげた、いってみれば、聖女≠フような存在にさえ思える。
 体が汚れていても、心は汚れないでいられたお絹≠ノよって、私は、嬉婦に対する考え方を改めた。

 昭和初期に地獄のような苦しみの中、このように生きてきた女性たちが実際にいたことを忘れないでおきたい………。
 そして時代は平成−−。
 時代背景も違えば、人の考え方、価値観も昭和とはずいぶん違っていることだろう。
 女性たちは自由≠謳歌し、好きな人生を自らが選択し、堂々と生きている。娼婦≠ワがいの人たちも、やはりいるものの、以前の暗いイメージなどみじんもない。
 明らかに違っていることは、自らが好んで≠サの道を選んでいるということ。
 ただひたすら明るい≠`V女優といわれる人たちも。
 風俗営業の人たちも……。
 少しも悪びれることなく堂々としている。
憂い≠ネど皆無だ。
りえちゃんヌード℃膜盾セってそう。
 周りが騒ごうが、驚ろこうが、本人はいたって平常心だった。
「ヌードになること自体、自分で決めたことで、自分自身、少しも恥ずかしいことだとは思っていない」
 堂々たるコメント。
 世間の反応はどうだろう?
「きれいなら、いいんじゃない!」
「かわいいしィ………」
 やはり、あっけらかんとしている。
 時代は本当に変わった。
 貧しいために、お金が必要なために、あえて自らが犠牲になっていった時代とは大違いだ。
 果たして、どちらが堕落≠オているかと問えば、それは各々の考え方次第ということになる。
 でも……でも……。
 今生きている私たちの時代は、本当に良い豊かな時代だといえるだろうか?………。
 大事なことを忘れてやしないだろうか?………。
 気になる。
 これでいいのだろうか?
 このままじゃ、私たちはきっとダメになってしまうだろう………。
 そんなことばかりが、いつもいつも頭の中をかけめぐる−−−−。
 
 このページをお読み下さっていたあなた、一年間ありがとうございました。
 これを以てひとまずはやさしさが足りなくて≠終了することになりました。
書く≠ニいうことは、考える≠ニいうことにつながっていくので、この一年間は良く考えさせてもらいました。
 毎回これでいこう≠ニ決めたテーマについて、私なりに真剣に考える機会を与えられました。
 特にこんな時代ですし、いろんなことが次から次へと起こってくるし、その度に、これでいいのかなァーと真剣にならざるを得ませんでした。
 本当、これから時代はどうなっていくんでしょうねぇ。
 時代を良くするも悪くするも私たち≠フ生き方次第!
 お互い、自分の与えられた人生を大事≠ノ、大切≠ノ生きていきましょう。
   や・く・そ・く・。





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