"My Pure Lady" Junko Sakurada



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友人・知人たちの証言 データベース(50音順)

池田文雄さん(『スター誕生』プロデューサー)
14才の頃の淳子さん「百恵が原石とすれば淳子は宝石そのものだった」
池田文雄さん(『スター誕生』プロデューサー)
27才の頃の淳子さん「明るい性格、芯が強くよく気がつく性格」
池田文雄さん(『スター誕生』プロデューサー)
27才の頃の淳子さん「芯の強さが本当の意味でのやさしさに変わったら、いいな」
石垣利八郎さん(芸能評論家)
22才の頃の淳子さん「これほどマイクに向かって自分の生の姿をさらけ出して語る人があろうか」
江國 滋さん(評論家)
22才の頃の淳子さん「芸能界に入ってから、ずっと優等生で来たものね」
江國 滋さん(評論家)
22才の頃の淳子さん「かわいらしくて、聡明」
大宮司貴さん(品川高校1年担任)
16才の頃の淳子さん「学校は休みがちでしたが、試験の成績はよかった」
岡崎友紀さん(友人の女優)
23才の頃の淳子さん「しっかりしていて、きちんとした性格は昔から変わらない」
岡崎友紀さん(友人の女優)
23才の頃の淳子さん「すぐ家に帰っちゃうんです」
小田切成明さん(演出家)
27才の頃の淳子さん「感情的にフワッと役に入ってしまう、その辺の強さはすごい」
落合恵子さん(『遺書・白い少女』の原作者)
16才の頃の淳子さん「私って、きっと晩婚だわって」
落合博満さん(野球選手)
24才の頃の淳子さん「子供だとばかり思っていたら立派な女性になっていた」
桂 枝雀さん(落語家)
24才の頃の淳子さん「今まで何人かの歌い手の方とご一緒させて貰いましたけど、あんさんが一番賢いお方やと。」
加東康一さん(芸能評論家)
24才の頃の淳子さん「見てると、疲れを覚える。一生懸命すぎる」
金谷勲夫さん(『スター誕生』ディレクター)
14才の頃の淳子さん「きらめく笑顔が印象的でした」
加山雄三さん(NTV『かたぐるま』で共演)
21才の頃の淳子さん「桜田君って努力家。どんどん芝居が上手になってきていますね」
川野太郎さん(『澪つくし』で共演)
27才の頃の淳子さん「優しい女性ですね」
篠山紀信さん(カメラマン)
17才の頃の淳子さん「色が白くて、清純で一途な人でした」
高井牧人さん(NTV『希望の大地』ディレクター)
20才の頃の淳子さん「歌手タレントといった域を抜け出して、いい女優になった」
高平哲郎さん(構成作家)
24才の頃の淳子さん「いわばお姫様みたいなお方」
高平哲郎さん(構成作家)
24才の頃の淳子さん滝さんがやたら『淳子はいい女だ、いい女だ』って言っていてね」
高平哲郎さん(構成作家)
24才の頃の淳子さん「舞台栄えがする、ほんとに明るいタレントだっていう感じがある」
中島みゆきさん(『しあわせ芝居』他の作詞・作曲家)
23才の頃の淳子さん「ともすれば出そうになる色気に、自分からおびえているんじゃないの」
中村克史さん(NHK『澪つくし』チーフプロデューサー)
27才の頃の淳子さん「ここ1、2年で大人にそれも上手に大人になったと思います」
中村克史さん(NHKチーフプロデューサー)
27才の頃の淳子さん「宝石箱を思い切りぶちまけた真ん中で、ひときわ輝く真紅のルビー」
中村 孝さん(マルベル堂カメラマン)
15才の頃の淳子さん「撮影現場では決して疲れているそぶりを見せない子でした。」
橋 凡子さん(橋幸夫夫人)
27才の頃の淳子さん「とっても心の清いかたなんですね」
橋 幸夫さん(歌手)
27才の頃の淳子さん「女優一筋が理想であり、それが天分でもある」
橋本 恭子さん(姉)
23才の頃の淳子さん「大人になることを自分で拒否しているようなところがあります」
長谷川一夫さん(舞台『お半長右衛門』で共演)
20才の頃の淳子さん「このまま冷蔵庫にしまっておきたい」
藤田長一郎さん(小学校5-6年の担任)
11才の頃の淳子さん「世話好きのいいコでねぇ」
宮嶋 章さん(NTV『スター誕生』ディレクター)
24才の頃の淳子さん「タモリにとって神話の中のスターなんです」
森田健作さん(元の所属事務所の先輩)
31才の頃の淳子さん「ウチの事務所で一番の努力家でしっかり者」


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友人・知人たちの証言 データベース(時系列順)

藤田長一郎(小学校5-6年の担任)「淳子は世話好きのいいコでねぇ」
「ウン、淳子は世話好きのいいコでねぇ。それでクラスの連絡係をさせてたんです。

 机は一番前の席だった。近眼でコンタクト・レンズをつけてたが、ときどきポトンと落としてました。

 成績? 国語、家庭科、図工がよかった、だけどニガ手は体操でしたな。走ることは速かったが、スケートなんかヘッピリ腰で……」

     (『週刊PB』S50/03/?より)

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金谷勲夫(『スター誕生』ディレクター)「きらめく笑顔が印象的でした」
「秋田で予選会があり、五百五十人の中で彼女だけが白い帽子をかぶってニコニコしていた。

 誰が見てもあの子が本命と直感したほどきらめく笑顔が印象的でした。

 ちゃんと声さえ出してくれれば合格と思ったほどでした」

     (『週刊サンケイ』S55/09/?「売り出し双六」より)

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池田文雄(『スター誕生』プロデューサー)「百恵が原石とすれば淳子は宝石そのものだった」
「淳子は秋田での予選会に来たときから、もうこれはいけるという感じだった。

 大勢のまんなかにいて、ニコニコとほほ笑みを絶やさない。しかも、あの白い帽子。

 後に淳子のエンゼルハットとして有名になったあの白い帽子をかぶって、スタッフの目につく位置にいた。

 やはりあのスター性はもって生まれたものとしかいいようがない。

 前にも言ったが百恵が原石とすれば淳子は宝石そのものだった」

     (『』S60/01/29「スター誕生秘話第3回」より)

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大宮司貴(品川高校1年担任)「学校は休みがちでしたが、試験の成績はよかった」
「学校は休みがちでしたが、試験の成績はよかった。

 きっと友達からノートでも借りて勉強したんでしょう、努力家だった」

     (『週刊サンケイ』S55/09/?「売り出し双六」より)

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落合恵子(『遺書・白い少女』の原作者)「私って、きっと晩婚だわって」
「淳子チャンが言うの。私はテレ屋さんだから、好きだと思う人の前に出ると、テレて、スネて、ダメなの。

 私って、きっと晩婚だわって」

     (『週刊PB』S50/03/?より)

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高井牧人(NTV『希望の大地』ディレクター)「歌手タレントといった域を抜け出して、いい女優になった」
「歌手タレントといった域を抜け出して、いい女優になったというのが今度いっしょに仕事をしてみての実感です。

女っぽさが出てきたし、それがプラスされた目の芝居がすばらしかったですね。今度はシリアスなモノでじっくり撮ってみたいという意欲をひどくかきたてられました。」

     (『週刊ファイト』S53/06/27号より)

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長谷川一夫(舞台『お半長右衛門』で共演)「淳子さんは、このまま冷蔵庫にしまっておきたい」
「淳子さんは、このまま冷蔵庫にしまっておきたい。」

   (『GORO』S57/12月号「<永遠の処女>からのメタモルフォーゼ」より)

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加山雄三(NTV『かたぐるま』で共演)「桜田君って努力家。どんどん芝居が上手になってきていますね」
「桜田君って努力家。どんどん芝居が上手になってきていますね。大いにがんばってほしいものです」

     (『週刊ファイト』S54/09/25日号より)

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江國 滋(評論家)「芸能界に入ってから、ずっと優等生で来たものね」
「芸能界に入ってから、ずっと優等生で来たものね。

 歩みも順調そのものだったし、育ちもいいし……

 そういうことっていうのは、ある意味ではハンディキャップだと思うんだよね」

     (『週刊現代』S55/09/?号「一芸対談 第29回」より)

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江國 滋(評論家)「かわいらしくて、聡明」
「かわいらしくて、聡明。  本来両立しにくい二つの要素が、無理なく同居しているところが絶大な魅力である。

 すくすくと順調に歩んできた芸能界の優等生ならではの人柄だろう。

 非優等生ばかりがもてはやされる芸能界にあって、桜田淳子さんの健康性は珍重に値する。」

     (『週刊現代』S55/09/?号「一芸対談 第29回」より)

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石垣利八郎(芸能評論家)「これほどマイクに向かって自分の生の姿をさらけ出して語る人があろうか」
「深夜放送番組数ある中で、これほどマイクに向かって自分の生の姿をさらけ出して語る人があろうか!?と思えた。

 毎週月曜日深夜1時から始まる桜田淳子の『セイヤング』を聴き続けてそう強く感じた」

     (『週刊ドンドン』S56/01/?「石垣利八郎の本音インタビュー」より)

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中島みゆき(『しあわせ芝居』他の作詞・作曲家)「ともすれば出そうになる色気に、自分からおびえているんじゃないの」
「初めにあったころは、ハキハキしたお嬢ちゃんだったのが、最近、当たりがやわらかくなりましたね。

 でも、私たちが会うと、相変わらず男の話は無しで、食い気の話ばかり。

 彼女、もしかすると、ともすれば出そうになる色気に、自分からおびえているんじゃないの」

     (『週刊実話?』S56/?/?号「私もう食べ頃・5」より)

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岡崎友紀(友人の女優)「ちゃんのしっかりしていて、きちんとした性格は昔から変わらない」
「淳子ちゃんのしっかりしていて、きちんとした性格は昔から変わらないけど、ただ、ずっと自然になって、融通性が出てきたわね。

 たとえば,いっしょに食事をしたり、お茶を飲んだりしても、人の目を気にしないで自由にふるまっている。

 でも、コルドンブルーのショーをみてて、ヌードが出てきたらびっくりしてるところなんか、まだまだ子供ね。

 生活のいろんな面で、まだまだ経験していない未知の面で大人と子供が交錯している時期なんでしょうね」

     (『週刊実話?』S56/?/?号「私もう食べ頃・5」より)

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岡崎友紀(友人の女優)「あのひとったら、すぐ家に帰っちゃうんです」
「(ディスコに淳子が)入るには入ったんだけど、一回も踊らないで『こんどみんなとときて踊ろうね』なんていって、さっさと帰っちゃったのよ。

 あのひとったら、すぐ家に帰っちゃうんです。楽しくフィーバーできたなんて、とんでもない」

     (『週刊実話?』S56/?/?号「私もう食べ頃・5」より)

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橋本 恭子(姉)「大人になることを自分で拒否しているようなところがあります」
「人間的には、思いやりや女らしさが出てきて、少しずつ大人になったという気がします。

 ただ、妥協性ということでは、そういう意味での大人になることを自分で拒否しているようなところがありますね」

     (『週刊実話?』S56/?/?号「私もう食べ頃・5」より)

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落合博満(野球選手)「子供だとばかり思っていたら立派な女性になっていた」
「子供だとばかり思っていたら立派な女性になっていた。

 恋には臆病みたいだけど、男に惚れてみることも必要なんじゃないのかな。もっともっと輝くはずだよ」

     (『週刊PB』S57「落合博満の広角美女インタビュー第7回」より)

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桂 枝雀(落語家)「今まで何人かの歌い手の方とご一緒させて貰いましたけど、あんさんが一番賢いお方やと。」
「しかし、あんたはホンマに目が光ってますわね。

(光ってますか?)

 賢いお人ですね。あのね、三年くらい前に一遍BKの方でね、一遍か二遍ね、コントのようなものでね、ご一緒させて貰いましたけど、その時の印象はね、賢い人、お子やなちゅう……。

(何もやってませんでしたけど)

 いやいや表れてまんね。やるとか、やらんとかでは、おまへんねん。人間ちゅうのは、おるだけで、分かりまんのや。今まで何人かの歌い手の方とご一緒させて貰いましたけど、あんさんが一番賢いお方やと。 」

     (S57.09.16放送 NHK「昼のプレゼント」より)

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加東康一(芸能評論家)「淳子を見てると、疲れを覚える。一生懸命すぎる」
「淳子を見てると、疲れを覚える。一生懸命すぎる。

 セクシュアルなゴシップについても、百恵はさらりと受け流したし、むしろ逆手にとって利用した。

 淳子は、彼女の純潔というモラルにかけて過敏で、時代の常識≠ゥらすれば過激に反応し、真正面から否定し、泣く。

 だから淳子のスキャンダルやゴシップは、すぐに否定される一過性のものだけれども、芸能マスコミは好意的ではない」

   (『GORO』S57/12月号「<永遠の処女>からのメタモルフォーゼ」より)

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宮嶋 章(NTV『スター誕生』ディレクター)「タモリにとって淳子は神話の中のスターなんです」
「タモリにとっては、淳子は女じゃなくて、ウンチもオシッコもしない神話の中のスターなんですよ。そんな資質が淳子にはある。

 あのタモリが、淳子と初めて会ったとき今日は∴ネ外に口がきけず、汗をたらして直立不動でしたからね。

 百恵やピンクには、どこかいやらしさがあった。平岡正明が百恵は菩薩であるといったとき、心の中ではやりたいといっているんです。男心をそそる菩薩だったんです」

   (『GORO』S57/12月号「<永遠の処女>からのメタモルフォーゼ」より)

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高平哲郎(構成作家)「いわばお姫様みたいなお方」
「桜田淳子さんは、タモリや滝大作さんやフジテレビの三宅ディレクタテーが本気でお慕い申し上げている、いわばお姫様みたいなお方だ。僕も少なからずお慕い申し上げている。(中略)

 タモリはね、お芝居とかなんとかなら平気なんだけど、ヒラバになっちゃうと、まず口がきけなくなっちゃうんだよね」

     (『JUNON』S58/01月号「僕のオンナトモダチ」より)

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高平哲郎(構成作家)滝さんがやたら『淳子はいい女だ、いい女だ』って言っていてね」
「当時(5年ほど前)はさ、滝さんがやたら『淳子はいい女だ、いい女だ』って言っていてね。

 というのはさ、正月の新聞のことしの抱負とかに、歌は自分の一生をかけるもんだとは思わない≠チていうコメントが出ていてね、滝さんが、歌手がそういうことを言うのは偉いって。

 つまりさ、われわれは私は小説家≠チていうタイプがいちばんきらいなわけね。それより、たかが小説家という意識のある小説家のほうがすてきだし、信用できるという。

 だってたとえば私はもう歌にかける≠チて言われたら、立派ですねー、どうぞおかけください≠チていう感じになっちゃうから 」

     (『JUNON』S58/01月号「僕のオンナトモダチ」より)

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高平哲郎(構成作家)「舞台栄えがする、ほんとに明るいタレントだっていう感じがある」
「そういうシンパとは別に、桜田淳子のタレント性を買っている一派というのもあるんですよ、僕みたいな。

 つまり、うまく歌うとか無難にこなすっていうこと以上に、舞台栄えがする、ほんとに明るいタレントだっていう感じがあるもの。

 で、それは、タレントにとって、とっても素敵なことだなと思っているという。……しゃべりすぎだ」

     (『JUNON』S58/01月号「僕のオンナトモダチ」より)

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池田文雄(『スター誕生』プロデューサー)「明るい性格、芯が強くよく気がつく性格」
「僕はよく淳子に、お前は『スタ誕』の指導者(リーダー)だよ、と言った。

 それはあの子のあの明るい性格、芯が強くよく気がつく性格からきている。」

     (『』S60/01/29「スター誕生秘話第3回」より)

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池田文雄(『スター誕生』プロデューサー)「芯の強さが本当の意味でのやさしさに変わったら、いいな」
「昔、スタッフがふざけて淳子の肩に手をまわそうとしたとき、その腕をバーンとはねのけた淳子。

 その芯の強さが本当の意味でのやさしさに変わったら、いいなと思う。」

     (『』S60/01/29「スター誕生秘話第3回」より)

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川野太郎(『澪つくし』で共演)「優しい女性ですね」
「『澪つくし』の律子ではキツイ女性を演じてますが、ふだんはソフトな方です。

 NHKの食堂で一緒に食事したり、、ロケの合間にみんなでトランプしたりしますが、そんなとき、桜田さんはノッちゃう。キャッキャッいって騒いで楽しんでいるんです。そんなところは可愛いと思います。

 でも本番になると人が変わったみたいに毅然として、役に没頭してしまう。間のとり方、感情移入の仕方、お上手だなと感心してます。

 最初の頃ボクが緊張してカチカチになってるのを見て、冗談いってリラックスさせてくれました。優しい女性ですね。」

     (『週刊女性』S60?/?号「スターびっくり箱No.46」より)

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橋 幸夫(歌手)「女優一筋が理想であり、それが天分でもある」
「歌手はまったく不向きの運で、少女のころ自己を売り出すために必要な過去の道程である。

 今後の職業としては、女優一筋が理想であり、それが天分でもある。

 おそらく有馬稲子さんとか浜木綿子さん以上のなにかを持った人である。

 これしかない! という信念を持って欲しい」

     (『週刊平凡』S60/06/22「橋幸夫・凡子の占い二人三脚」第10回より)

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橋 凡子(橋幸夫夫人)「実物の淳子ちゃんはとっても心の清いかたなんですね」
「画面で見ると、とても気の強そうな感じを受けるんですが、実物の淳子ちゃんはとっても心の清いかたなんですね。

 主人の占いにも出ていますが、きっと24歳を境に優しさがどんどん出てきたんじゃないかしら。

 それと周りにいいかたが多いらしく、芸能界にいながら、あまりお尻をたたかれていないようで、とっても素直ですね。

 このまま素晴らしい女優さんになってほしいわ。

 結婚相手は、ぜひまじめな人間を。あこがれだった森田健作さんなんておすすめですよ」

     (『週刊平凡』S60/06/22「橋幸夫・凡子の占い二人三脚」第10回より)

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中村克史(NHK『澪つくし』チーフプロデューサー)「ここ1、2年で大人にそれも上手に大人になったと思います」
「桜田淳子さんはここ1,2年で大人に、それも上手に大人になったと思います。

『細雪』のセリフの切れもよく、とても歌の方から出てきたとは思えない。いい意味で苦労をしたんだと思います。

 14歳から大人(しかも男)の社会でたたき込まれてきたことが蓄積して、ここで開花したという感じです。

 女優さんというのは今が旬という時期が何回かあると思うんです。デビューの時が第一の旬、女優の入り口にたって大胆な役がやれるようになる第二の旬、そして子供を産んだ後が第三の旬、そんな風に分けてみると、桜田さんはまさに第2の旬のまっ只中。

 いつかは一緒に仕事をやってみたい、そしてやる時には相手を愚弄するような大胆な役がいいと、以前から思っていて、今回の役をお願いしたのですが、見事に期待通り、150%の出来といってもいいですね。

 今は女優のおもしろさがわかってきた頃だと思いますが、今後は頭で考えすぎずに、恋愛でも何でもやって、自分を深めていって欲しいものです。(談)」

     (『婦人画報』S60/08月号より)

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中村克史(NHKチーフプロデューサー)「宝石箱を思い切りぶちまけた真ん中で、ひときわ輝く真紅のルビー 」
「宝石箱を思い切りぶちまけた真ん中で、ひときわ輝く真紅のルビー。

 宝石劇場、いえ宝塚劇場で、山田五十鈴、八千草薫ら大女優ときらびやかに並び、100年前の鹿鳴館の女を演じる貴女を見て、そう思いました。

 ローブデコルデから着物、すべて基調を赤にした貴女の衣装のせいだけではない。

 たたきつけるようなはずんだ台詞、さそいこむ瞳、のちの女優第一号、マダム貞奴の若き日の姿が、大粒のルビーとして、華やかにそこにありました。」

     (『週刊テレビジョン』S61/02/15-21号「劇情中継」より)

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小田切成明(演出家)「感情的にフワッと役に入ってしまう、その辺の強さはすごい」
「昨年末にテレビドラマで彼女と初めて仕事をしてみて、感情的にフワッと役に入ってしまう、その辺の強さはすごいと思いました。

 考えてみれば、どらまだったら2時間分くらいを、歌い手さんは3分なら3分の間に人生を歌うわけで、彼女に限らず元歌い手といわれる人の芝居は、感情導入がすごく速いですね。

 数年前までのアイドル歌手として生きてきた部分と、これから芝居の中で生きていくのとは違いますから,余計な夾雑物がどんどんとれると、最終的にすごくいい女になっていくと思います。

 この1,2年の間にどんどん大きくなって、心の振幅というものが完全に演じられるようになるんじゃないでしょうか。

 いい女を一言では巧く言えませんが、ふれなぱ落ちん風情あり≠ナ、立っているだけ、存在しているだけで、何となく気になる、ふれてみたくなるというようなものが、これから出てくるんじゃないかと思います。

 そのためにはいろいろ経験をして、喜びも悲しみも体の中で知っていって、そして世間の目にさらされる一人の女として、自然に対応できるようになるのが理想的ですね。(談)」

     (『婦人画報』S61/04月号より)

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森田健作(元の所属事務所の先輩)「ウチの事務所で一番の努力家でしっかり者」
「すごいと思う女性は桜田淳子。事務所の後輩なんだけどウチの事務所で一番の努力家でしっかり者。

 10年くらい前に一緒に舞台やったんだ。僕は最終日までカンニングペーパー使ってたけど、淳子は初日から完全に覚え込んでてね。いやあ、面目なかった。

 それに潔癖なところがあって、彼女がまだ百恵ちゃんや昌子ちゃんたちと花の中3トリオで活躍してたころなんだけど、ほら、僕とは年も離れているし話題が合わないじゃない。ダカラ、オカマの話をえんえんとしたんだ。会うたび、その話ばかりなもんで、淳子に『オカマの話はやめて下さい。なんでそんなにオカマが好きなんですか』とビシッと言われてね。すいませんって黙っちゃった。

 いい奥さんになると思うけど、彼女以上にしっかりとした男なんてそうそういないから、ムコ探しには苦労するんじゃないかな」

     (『報知新聞』H01/04/07「悪友・親友こう言う録」より)

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篠山紀信(カメラマン)「色が白くて、清純で一途な人でした。」

ストイックな秋田美人

 「これは真冬の寒い時に、彼女の生まれ故郷てある秋田で撮った一枚です。初めて会った時、白いベレー帽をどうしても脱いでくれない。

 この帽子姿でクック、クック≠ニ「わたしの青い烏」を歌うのが私の持ち味だから、事務所の許可かないと脱げないというんです。

 色が白くて、清純で一途な人でした。いまは信仰生活にいそしんでいるようですが、それも彼女の一途さというか、純な気持ちがそうさせているのかなと、僕には思えるんです。 」

     (『週刊文春』H11.04/29・05/06号「篠山紀信蔵出しベストショット集」より)

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中村孝(ベルスタジオ・フォトグラファー)「撮影現場では決して疲れているそぶりを見せない子でした。」

カメラマン泣かせの髪型

一九七〇年代、マルベル堂でプロマイド売上げナンバーワンの人気を誇ったのは桜田淳子だった。デビュー以来、淳子を撮り続けたカメラマンが明かす笑顔の背景。

 

「マルベル堂には淳子さんのモノクロプロマイドが二百三十九枚あります。

 一枚目は昭和四十八年に「天使も夢みる」でレコードデビューした直後のカットです。花の中三トリオとして売り出す直前に当たります。

 淳子さんはまだ中学二年生で、表情もポーズの作り方もぎこちないですね。

 デビューから十年以上撮影に行きましたが、最初の頃は撮りづらい被写体でしたよ。

 緊張のせいか身体が動いてしまうんです。今まで撮った中では一番動くアイドルでしたね。

 もうひとつ淳子さんがプロマイド屋泣かせだったのは、たびたび髪型を変える癖があったことです。

普通、プロマイドの撮影は新曲発表や季節の変わり目ごとに行うんですが、淳子さんクラスのアイドルだと一年先までスケジュールが埋まっていることもあります。

 そこで撮影のチャンスには出来るだけ撮り溜めしました。夏のうちに秋や冬の衣装も撮影し、シーズンを先取りしておくわけですよ。

 ところが、その頃にはもう髪型が変わっている。不思議なことに、髪が変わると前のブロマイドはパタリと売れなくなるんで、慌てて撮り直したことが何度もありました。

 でも大スターになって殺人的なスケジュールをこなしているときでも、撮影現場では決して疲れているそぶりを見せない子でした。

 彼女はマルベル堂の歴史上最も遅い時間に撮影されたプロマイドの記録を持っているんです。昼の十二に呼ばれてフジテレビのスタジオに待機していたんですが、正月番組の収録が遅れに遅れ、やっと撮影できたのは翌日の午前二時半。

 そのとぎのカットが百八十枚目なんですが、他のプロマイドとまったく変わらない穏やかないい笑顔なんですよ。」

     (『週刊文春』H11.04/29・05/06号「アイドルお宝エピソード大全集」より)

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