"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

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管理人の迷酊放談

〜よい酔い余韻の良い好い宵〜

No.0008 「同性愛コール性同一性障害」は本当か

 

 こちらはジェンダー、心の問題に関するお話です。

 前に述べたような理由によって、性染色体の性とは違う性の肉体を有する方々は、成長とともに、自分の生物学的性と、ジェンダー(戸籍上の性、養育上の性、社会的な役割としての性)との間に違和感を持つようになります。
 それを無理矢理押さえつけ、自分自身に納得させて生きようとする方もおられるようですが、それが無理なことと判断し、あるいはそんな必要を認めない皆さんは、これまでとは異なる性で生きる事を希望するようになります。

 そうした心の性と肉体の性が一致しないケースを、「性同一性障害」(「トランスジェンダー/transgender→TG」)と呼び、日本にも80万人程の「性同一性障害」がいるとされています。

 その中には、その肉体を手術によって換えたいとまで希望する人(「トランスセクシュアル/ transsexual→TS」)もいれば、そこまでは希望せず、ホルモン注射だけでいいという人もいます。


 私は、『片思い』を読むまで、恥ずかしながら、同性愛イコール「性同一性障害」だとばかり思い込んでいました。

 なぜなら、マスコミはそうした実態を全く我々に伝えて来ませんでしたし、テレビに出てくる「オネエ」キャラを売り物にしている皆さんのほとんどどすべてが、オネエ言葉を使い、本来女性として生まれるべきだったのに男性として生まれてきてしまったということしか、我々にアピールして来なかったからだと思います。

 彼らが殊更自分を笑いものにしようとしたり、殊更女を演じようとすることに不自然さや違和感を感じていた私でしたが、それが差別につながるといけないので、そうしたことを表立って発言したことはありませんでした。
 しかし、『片思い』を読んだときに、カミングアウトしていて、他の人たちより強い筈の彼らですら、そうした仮面をかぶってでしか、出て来ることの出来ない社会の厳しい現実について、私が全く理解できていなかったということを痛感し、勉強不足であったことを恥じ入った次第です。


 同性愛という言葉は、もともと病気のごとく扱われた悲しい歴史があるようですので、ここでは以後、ホモセクシュアルと呼ぶことにします。
 ホモセクシュアルとは、性欲、恋愛の対象となる相手が、同性に向うという「性的指向性」をもった人々のことであり、自分の肉体的な性と、社会的・文化的な性とで悩む「性同一性障害」の人々とは必ずしも重なりあってはいないということに私は気づいていませんでした。
 『片思い』を読み、これまで漠然としてあったデータと情報が初めてつながり、それが知識となったような気がします。

 そして、自分が肉体的にも、精神的にも男性(女性)であることを自覚(「性自認」)し、誇りを持ち、なおかつ恋愛の対象(「性的指向性」)として、同性を選択する男性をゲイ、女性をレズビアンと呼び、男女を愛せる人たちをバイセクシュアルと呼ぶことを理解することが出来ました。

 このように、「性的指向性」「性自認」とでは、次元の異なる概念であることを我々は理解しておかなければなりません。

 その上で、「性同一性障害」の皆さんの「性的指向性」も、自分の性に対して何の疑問もなく生きている人間と同様、様々なのだということなのです。
 すなわち、肉体と心の性が一致している人間がいて、その中に、異性を好きになる人、同性を好きになる人、両性を好きな人がいるわけです。
 同様に、「性同一性障害」の人たちの中にも、異性を好きになる人、同性を好きになる人、両性を好きな人がいるというわけです。
 彼らの場合の異性が、心の性の異性ということなのでしょうが、そこに肉体的な問題や、生活上の問題が絡み、複雑になるということなのだろうと思います。

 彼らは、性的な少数派に属するというだけで、人に迷惑をかけたわけでもなければ、犯罪を犯したわけでもなければ、社会になんら害をなしたわけでもないのです。

 それにも関わらず、  自分が性的少数派であること、「性同一性障害」であること、ホモセクシュアルであることをひた隠しにして隠さなければいけない社会。
 時には、レズビアンの人とゲイの人が偽装結婚してまで、それを隠さなければならない社会。
 親・兄弟・親戚から縁を切られてしまう社会。

 その無理解な社会の一員が私だったわけです。

 どうして、そんな社会になったのか、次項で考えたいと思います。(04.09/23)


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