"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

sonoさんの『淳子ヒストリー』

sono. 4  sono20代 後 編
〜幻のアルバイト&メ〜



 連載4回目の『淳子ヒストリー』です。
 今回は、バイト編です。

 私は、県外に就職しましたが、友人Tとのエピソードがあり、会社も辞めとりあえず、金が無いのでバイトを始めました。
 最初は、魚市場の仕事です。
 港に船が付いて魚を、吊り上げて、下ろした魚をだいたいですが種分けする、仕事です。
 夜の9時から明け方の3時まででしたね。
 当時、真冬でなんぼ、九州でも屋外の港は、寒くしかも、氷漬けの魚の中でやる仕事ですから、寒いったら寒いです。
 で、あまりの寒さに私のサンも・・失礼しました。
 当時、頼みもしないのに魚をタダでくれた、主任さんありがとう。
 おかげで、私のアパート、魚だらけで冷蔵庫がいっぱいになり、風呂桶の中で数匹泳いでました。
 それで、魚が怖くなってやめました。

 で次のバイトはキャバレーのボーイです。
 その店かなり大きくて当時HMさんもショーに出演されてました。
 そのショーに中国人?の女性歌手の方が、1週間ほど出演してまして、歌謡ショーのあと、色紙と御自分の歌を吹き込んだテープを、客に買ってもらう流れでしたね。
 ある日私が、控え室の掃除をしてますと、その子が、入ってきまして、近くで見るとけっこう若くて、20才前後かな、ステージの時は、30ぐらいと思ってました。
 私は、その時、当時としては画期的な発明のウオークマンを、ボーイ仲間から借りて、淳子さんのカセットを聞いてまして、その子が、こちらを指差すので、カセットテープのことかと思い、日本語で「ジュンコ」と答え、その子に聞かせると、あまりに喜ぶので、そのウオークマン(借り物)と淳子さんのテープをあげちゃいました。

 ショーが始まって3日目ぐらいですかね、異国でつらいことでもあったのか、その子が泣いてる(?)様子を見かけたので、話しかけようと思いましたが、言葉は、わからないし、タレントさんとバイトは、仕事以外の会話は厳禁でしたので、止めました。
 で、その子の歌謡ショーも、1週間後、無事に終わりました。
 私が、バイトが終わり、帰り仕度をしていると、その子がやってきて、例の色紙とテープを私にくれまして、色紙に、ZUNKOさんへ≠ニ書いてありました。

 私の名前が、ジュンコ≠セと思ってたみたいで、しかもJUNKO≠カぁなくて、ZUNKO≠ナ・・。
 私があげたウオークマンと淳子さんのテープのお返しのつもりだったのかも知れません。
 言葉はぜんぜん分かりませんでしたが、なんか、「さよなら」と言ってるようでしたので、私も、手を振って、別れました。

 あれから20年、今でも、あの子は歌っているのかな。
 淳子さんのテープを、今でも聞いているのかな。
 淳子さんみたいに、大舞台で活躍する人もいれば、地道にがんばってる人もいる。
 あの子は、演歌歌手≠ニしては、メジャーになれなかったけれど、今でも歌っているのなら、
 「そのうちいい事あるさ」
とエールを送りたいですね。

 今回は、国際交流に貢献した、Sonoの『淳子ヒストリー』でした。(笑い)
 次回、ついに20代編完結で、初の女性登場、『Sonoの大切な人の巻』です。

 追伸 あの子がくれたテープ、当時1曲だ聴いて止めました。
 だって、何歌ってるか、ワカンナイだもーん(笑)



(つづく)




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