"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

sonoさんの『淳子ヒストリー』


  sono.11  番外編U
〜母の19の青春&メ〜


 私、盆明けから、剣道の合宿に参加してまして、会社と道場の往復の生活でした。
 本日、帰還しました。

 ○○子に、掲示板を毎日観てもらって、携帯で、連絡をとりあっていました。
 NT様の思いもよらぬ、展開にびっくりしましたが、現在、以前と変わらぬ状態なので、安心しました。

 私は、淳子さん以外知りませんし、業界関係の知識もありません。  ごめんなさい。

 今回の分は、『淳子ヒストリー』の8回目に予定してた分なのですが、母のことを想うと、書き込みできず、パソコンに保留してた分に加筆して、『淳子ヒストリー 番外編U』としてお送りします。

 私が30代後半のころ、父から、
 「母さんが○型肝炎症だ」
と知らされました。
 早速、入院となり、投薬で、何とか、命はとりとめました。

 昭和30年代後半、母は、私を産むときに、大量の出血をしたそうです。
 昭和30年代の田舎は、輸血事情も、今ほど確立しておらず、あちこちから血液を集め、何とか、私は生まれたそうです。
 担当医の話では、母の当時の私の出産の輸血が、○型肝炎の原因かもしれない(これは、あくまでも推測です)とのこのことですが、本当の原因は判っていません。

 母の入院中、私は見舞いに通いましたが、病室が個室だったせいか、母は、私に昔話をしてくれました。
 実は、私に、兄か、姉が、居たそうです。

 母は、10代のころ、女優を目指したことがあります。
 当時、津○雅○さんの大ファンで、会いたい一心で、東京で、ある映画会社のオーディションを受け、スカウトされ、デビュー寸前でした。
 母の両親(私の祖父母)は賛成してくれ、おらが町のスター≠ニ、近所も期待したそうですが、母としては、津○さんに会いたいだけの、軽い気持ちで受けたオーデションが、思いがけなく大きく膨らみすぎて、怖くなったそうです。
 しかも、当時、好きな人がいて、両親の反対を無視して、なんと、駆け落ちしたそうです。

 当時、契約した映画会社とは、我が家の管理不足ということでと、かなり揉めたそうです。
 そのうち、母は、妊娠したらしいのですが、19才という時期で、さみしさや、不安などが入り混じり、駆け落ち先から、両親に手紙を書いたそうです。
 その手紙で、居場所が判り、九州に、連れ戻されました。
 駆け落ちの生活がどんなものだったかは、母は、深くは語りません。
 しかし、流産という、最悪の結果となれば、大体の想像はできます。
 そして、私の兄か、姉は、天国です。

 やがて、今の父と見合いをし、結婚したそうです。
 母の、19才の青春でした。


 私が、小6の時、明星が買いたくても、こづかいが足りず、母に告げると、
 「あんた、淳子ちゃんが好きなんねー」
と、やさしい笑顔で、500円をくれた母です。

 母に買ってもらった『三色すみれ』のレコードは、今でも、私の宝物です。
 ときどき、兄か、姉がいたらと思いますが、私には、他界した姉ちゃん(おばさん)≠ェ居ますし、姉ちゃん≠フ娘の○○子も一人っ子ですが、私のことを、
 「兄ちゃん」
と呼んでくれます。

 管理人様はHPの主役、RYO様はHPの柱、長老様は文字通り私の大先輩の御長老、にこら様は知恵袋、あきたこまち様の時折のやさしい文章にやすらぎを感じ、George 様には伊藤さんへの想いに感動します。
 私、どこで勘違いしたのか、NT様は、2、3才年上の「兄ちゃん」だと思ってました。
 たぶん大先輩でしょう。

 もう一人、HP内で、「兄ちゃん」と呼ばせてもらってる方がいて、二人目の「兄ちゃん」ができてうれしいです。
 母が、残念ながら果たせなかった、私の兄貴が、今は存在します。

 NT兄ちゃん、これからもよろしく、そしてお帰りなさい。


(つづく)




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