"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

SONOさんの『新・淳子ヒストリー』


  SONO.34  新シリーズ K
起の時代

SONO - 書き下ろし


 [一通目のラブレター]
 昭和30年代に、九州の田舎町に女の子の赤ちゃんが誕生しました。
 それから、3年後、私が生まれました。
 女の子は私の母親と姉妹なので、女の子と私は、叔母と甥っ子の関係なのですが、歳が3才しか離れていませんので、2人は姉弟のように、育てられました。
 私は叔母を姉ちゃん≠ニ呼び、遊ぶ時はいつも一緒でした。

 やがて、私は小学6年生の時に、桜田淳子さんを知ります。
 私は淳子さんに夢中になります。私の淳子命人生が始まりました。
 そして、淳子さん似の姉ちゃんがまぶしい存在として映るようになりました。
 私が淳子さんを大好きなのを、姉ちゃんは知り、淳子さんの物まねでよく歌ってくれました。
 その物まねは姉ちゃんが桜田淳子さんに似ているせいもありますが、時として淳子さん自身を見ている様でした。
 「姉ちゃんは、むぜーバイ(かわいいという意味の方言)」
と思っていたのは、私だけではなく、姉ちゃんのエンターテーメントぶりは近所でも評判になり、私にとっては自慢の叔母さんでした。
 夕方から予告なしに、催される、玄関前での、姉ちゃん演ずる桜田淳子ショー≠ノは、近所の老若男女が集まり、私はその観衆の一番前に陣取り「淳子〜」と声援を送ったものです。
 ビデオとゆう、録画環境が各家庭に普及しておらず、繰り返し見ることの出来ない時代、再放送も無い時代、テレビも各家庭に1台のころ、淳子さんの出演する番 組は、当日を見逃すと見られなくなるので、淳子さんの出演番組を新聞のテレビ欄で毎朝確認し、テレビでリアルタイムに放送される30分前には、テレビの前で待機し、淳子さんが登場すると、画面の前で、歌と振り付けを必死で覚えていた、姉ちゃんでした。

 「姉ちゃん、テレビの前に立つと、淳子ちゃんが見えんバイ。どいてよ」

 もとより、私も淳子さんの出演番組は、毎回、楽しみにしていたので、テレビの前で淳子さんの歌まね、振りまねを、覚えようと、奮闘中の姉ちゃんに言いました。

 「あんたは、うるさいわね〜。黙れっ」
 と姉ちゃんに一喝されたものです。

 淳子さんが、出演する日のテレビの、チャンネル権は、祖父母でもなく、両親でもなく、もちろん、子分の私でもありません。
 プロレス大好きの祖父(姉ちゃんから見れば、父親)は、プロレスのテレビ中継を楽しみしていたのですが、姉ちゃんには、勝てません。空手チョップも32文ロケット砲もコブラツイストでも、淳子さんには、勝てなかったのであります。(笑)。
 テレビに映る淳子さんを家族で、穴が空くまで、仰視しておりましたので、さぞかし、画面のむこうの淳子さんも恥ずかしかったと思います。(笑)。
 研究熱心な姉ちゃんの淳子さんの物まねは、新曲が出るたびに、進化し
 「こりゃ〜、淳子ちゃんより、似ているバイ」(←意味不明、笑)
 と淳子命の私を唸らせました。
 私は姉ちゃんの物まねが大好きで、楽しみにしていました。
 淳子さんの出演の番組が無い日は、よく、姉ちゃんにリクエストしたものです。

 「姉ちゃん、淳子ちゃんの物まねをやってんか」

 「あたし、淳子ちゃんに似ているでしょう。
 友達に言われるよ。
 今、『黄色いリボン』を覚えているから、今度やってあげる。
 そのかわり、あんた、漢字のドリルを毎日 1ページと算数を頑張りなさい。約束よ。
 あんたも、もうすぐ、中学生に進級なのよ。
 中学生になったら、英語もあるのよ」


 「ほう、英語か、ジス、イズ、ア、ペンか。
 んじゃ、姉ちゃん、チヨットだけよ、あんたも好きね〜は、英語でなんて言うんかいね?」


 「・・・・。もう、あんたは、うるさいわね〜。
 と、とにかく、英語の前に漢字のドリルと算数を頑張りなさい。
 ちゃんと勉強したら、淳子ちゃんの物まねをやってあげるから」


 3才年上の姉ちゃんは、勉強嫌いの私に言いました。

 「うん、わかった。
 漢字のドリルと算数、頑張るから、淳子ちゃんの物まね、絶対やってな。約束やど」


 姉ちゃんと私が生まれて、寝起きするのも同じ部屋、勉強するのも同じ部屋、遊ぶのも同じ部屋、八畳の部屋は私たちのある意味、秘密基地でした。
 その秘密基地でそんな会話が、よく2人の間でかわされました。

 ある日のことです。

 「あんた、淳子ちゃんがそんなに好きなら、ラブレター書いたら」
 という姉ちゃんの提案に、私は想いを込めて、淳子さん宛てに手紙を書きました。
 はがきの宛先は淳子ちゃんの家≠ナ宛名は淳子ちゃんへ≠ナした。
 少年の想いを込めた、精一杯のラブレターでした。
 私はさっそく、郵便ポストに投函しましたが、後日、宛先不明で返還されてきました。

 「あんたさ、宛先が淳子ちゃんの家じゃ届かないでしょう。
 あたしが書き直してあげるから・・」


 大笑いする姉ちゃんに私は照れながら、はがきを手渡しました。
 はぶれもん、起の時代。私が、小学6年生の時でした。
  

   背中が遠くに見える日

    背中が近くに見える日

    幼いころは時間より少し遅めに

    季節が過ぎていくのです 
  
    

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