"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

SONOさんの『新・淳子ヒストリー』


  SONO.34  新シリーズ K
荒の時代

SONO - 書き下ろし


 [二通目のラブレター]
 私と姉ちゃんは中学、高校へと進級しましたが、その間、私に数回の反抗期が訪れました。
 特に私が中2の頃から、高1の頃は、荒れては、更生し、又荒れては、更生するという、悪循環を繰り返していました。
 いつまでも、性根の入らない、はぶれもんでした。
 私の悪たれぶりに、手を焼く、私の両親のかわりに、姉ちゃんは私が荒れるたびに、更生させようと、必死でした。
 
 私が、中2の頃でしたか、第1回目の反抗期の時でした。
 荒れる私に、姉ちゃんは日々、立ち直りの道へと導いてくれるのですが、逆に、私は姉ちゃんから説教されればされるほど、何故か素直になれず、不良という汚道の階段を駆け下がるばかりで、私は家にも帰らずに、友達の家を泊まり歩きました。

 ある日、友達の家で、仲間と数人集まり、良からぬ相談をしていますと、私の居場所を聞きつけてきた姉ちゃんに無理やり連れ戻されました。
 家では両親が心配そうに私を見つめていました。

 「あんた、ちゃんと謝りなさい」
 と私は両親の前に無理やり姉ちゃんから正座させられました。
 私の父親から、かなり長い、お説教を受けましたが私はいっこうに反省の色がありません。
 
 やがて、父親も堪忍できずに私を殴ろうとしました。
 私はとっさに、身をかわして、避けたのですが、私は顔の左側にかなりの衝撃を感じ、ゴーンと私の頭の中で除夜の鐘が数回、鳴りました。
 確かに、父親の鉄拳は避けたはずなのに、私は一瞬、なにが起こったのか分からず、周りを見渡し、ようやく、事の次第を理解できました。
 姉ちゃんは右手に、調理用のフライパンを握り締めていて、その、右手がぶるぶると震えていました。
 
 いつの間にか、姉ちゃんが台所からフライパンを持ち出してきていて、なな、なんと、そのフライパンで私は顔を姉ちゃんから、おもいっきり叩かれたのでした。
 人はそれを、姉ちゃんの烈、歩来版拳≠ニ呼び、私には激、羽生檸檬拳≠ニいう返し技がありましたが、封印中で、歩来藩拳には手も足も出ませんでした。
 ついに、私の悪行に、姉ちゃんの堪忍袋の緒が切れたのであります。
 姉ちゃんは息を切らしながら、目には涙をためて、私を睨みました。
 
 あまりの姉ちゃんの凄い形相と迫力に私だけでなく両親も後退りしましたが、すかさず、続けて、バイオレンス姉ちゃんの第2波、歩来藩拳≠ェ私にやってくる、雰囲気だったので、
 「あ、あんた、○ちゃん(姉ちゃん)に、謝りなさい。
 あんたの事を心配して、あんたが、家に帰って来ないから、○ちゃんは、皆に尋ねてまわって、やっとあんたの居場所を突き止めて、ここまで連れて帰ってきてくれたんよ。
 はよ、○ちゃんに謝りなさい」
 と母親が私にあわてて、言いました。
 
 「ね、ね、姉ちゃん、ごめんなさい、許してや、俺が悪かったけん、カンベンしてや」
 と私が姉ちゃんに謝ると同時に両親が姉ちゃんの体を抱いて止めにはいってくれまして、ようやく、姉ちゃんの怒りが収まり、右手に握り締めていた、フライパンが畳の上に転がりました。
 姉ちゃんは、私に静かに近寄り、抱きしめてくれました。
 強く、私を抱きしめてくれました。
 
 「あんた」
 と言って、姉ちゃんは私を抱きしめてくれました。
 姉ちゃんは泣いていました。
 
 「痛くなかった?」
 と姉ちゃんの嗚咽する声が身近に私に聞こえてきました。
 そして、私を抱きしめる姉ちゃんの左側の首と白い服の胸元がみるみる赤く染まってきました。
 姉ちゃんからフライパンで顔を殴られた衝撃で私の左耳は半分ほど切れていまして、私の耳からの出血が私を抱きしめる姉ちゃんの首と服を赤く染めていたのです。
 
 「姉ちゃん、耳が痛て〜よ。」

 ようやく、我に返った私の耳が痛み出しました。

 それから、姉ちゃんは、私を病院に連れて行ってくれました。
 父親の運転する車で病院に向かう途中、姉ちゃんは後部座席で私を抱きしめていてくれました。
 私の左耳にはタオルをかぶせて、止血を施しましたが、私の耳からの出血がいやおうなしに、姉ちゃんと姉ちゃんの着ていた白い服を染めていきます。
 姉ちゃんの頬から首そして胸元へ私の血が入り込んできます。
 
 「あんた、シッカリせんね。
 もうすぐ、病院よ、あんた、私の弟なら、気張らんね」

 「うん、わかった、もうすぐ、病院やね」

 姉ちゃんは、痛がる私を励ましてくれましたが、上目がちに、姉ちゃんを見上げますと、時折、目を閉じる様子が見えました。
 気丈な人ではありますが、姉ちゃんもやはり、当時、10代の少女です。
 この状況下で、姉ちゃんもまた、意識を失いそうな、自分自身と戦っていたのです。

 やがて、病院に着き、治療をしましたが、出血量ほど、傷口は、切れてはおらず、病院の先生の開口一番の声に私は、緊張しました。
 
 「お前が、悪さばかりするけん、○ちゃん(姉ちゃん)が、腹かく(怒るという意味の方言)んやど。
 反省せんか。
 少し、縫うバッテンが、この、悪そ坊主が、痛がって、暴れるけん、○ちゃん、しっかり、捕まえときないよ」

 と病院の先生が私と姉ちゃんに言いました。
 姉ちゃんは、ベッドに寝ている私の上に、体を全て、あずけて、私が暴れないように、しがみ付きました。
 手と足は看護士さんがしっかりと握ってくれていました。
 診察室に医者とケガ人と看護士さん以外に姉ちゃんがいること自体、不思議な光景ですが、私が姉ちゃんを必要としているのを、病院の先生が感じ取ってくれたのでしょう。
 そして、一緒に来た、両親も同じ気持ちだったと思います。

 耳のゲガは数針、縫って大事にはいたりませんでした。
 入院はせず、通院となりましたが、さすがに帰宅してのその夜は、左耳が、かなり腫れまして、寝ていても、数時間ごとに痛みで、目が覚める状態でしたが、おぼろげな私の意識の中で、私の寝ている横には、姉ちゃんが心配そうな顔で寄り添ってくれているのが、私の目に映りました。
 私は姉ちゃんに何度も
「ごめんね」
と言った記憶があります。
 怒ると手加減を知らない姉ちゃんですが、やさしさも手抜きなしの姉ちゃんでした。

 その後も、私は懲りずに、何度か荒れて、尖(とが)りました。
 今度は、高校1年生の時、授業もサボり、昼間から、街を徘徊する、不良でしたが、その朝も、登校はするものの、校門を素通りし、喫茶店で暇を潰そうと、先生に見つからない様に裏通りを行きますと、街で唯一の映画館○×○座の前で、『若い人』の看板を見つけ、さっそく映画館で、淳子さんの映画『若い人』を観ました。

 私は映画に見入り、やがて、映画は終わりましたが、席を立つことができません。
 淳子さん演ずる江波恵子から受けた衝撃に、無地のスクリーンを見つめたまま、動けません。
 (俺は何をしているのだ、何が不満なのだ、江波恵子と俺は何が違うのだ、同じ世代なのに何故、江波恵子が大人に見えるのだ・・・・)
 私には、おぼろげながら、解かった気がしました。
 
 選択肢はたくさん、あるけれど、ひとつの歯車が逆回転を始めると、それに、連動して不良という、ひとつの選択しか出来ない自分自身。
 逆に、江波恵子は自分の哀しい将来が見えていても、選択肢はひとつしかなくても、それを否定する意思表示があったではないか、じゃ、俺の意思表示とは、悪いことをやっている自分、人に迷惑をかけている自分、そして、それが、分かっているのに、人から否定されると反発し逆行し凄んでみせる。
 これが、私の意思表示だったのです。
 
 これまでの私は、目の前にあるものを、歪曲して、見ていたことに気がつきました。
 近くを見ずに、遠くをぼんやりと眺めていたのです。
 裕福と幸福の意味を履き違え、ただ、その上に寝そべっていただけだったのです。
 私の乱雑に並んだ、気持ちが淘汰されていきました。
 映画館を出るころには、私の乱暴に並んだもの、もがいていたものが、心の本棚に順序良く整理整頓され、並べ替えてありました。
 その日から、私はまた、高校に通い始めました。

 私は、淳子さん演ずる、ヒロインの生きかたに、自分の悪行が、あがきが消え失せるほどの感動を受け、立ち直りの機会をみつけました。
 荒れた頃、脇道に反れそうな、私を、姉ちゃんと淳子さんが救ってくれた。
 この時期、私は、姉ちゃんと淳子さんから、道標≠ニいう、ラブレターを受け取っていたのだと思います。
 はぶれもん、荒の時代。私が、中学2年生、高校1年生の時でした。
  
   涙をこらえて、無理に笑わないで

    瞳からこぼれた、涙の分だけ

    本当の笑顔が待っているのです 
  
    

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