"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

SONOさんの『新・淳子ヒストリー』


  SONO.34  新シリーズ K
元の時代

SONO - 書き下ろし


  [三通目のラブレター]
 私は、高校卒業すると、県外へ就職をしました。
 私には、幼馴染で同級生の、小学校から高校まで同じだった、相棒Tがいます。
 彼とは、家も近所でしたので、幼い時からよく、遊んだものです。
 私は、幼いころは、『仮面ライダー』が好きで、『仮面ライダー』ごっこでは、私が仮面ライダーで、Tが怪人役でした。
 悪友と言えば、それまでですが、根っからの、はぶれもんの私と違い、Tは頭も切れ、時にみせる、物静かな仕草と頑固一徹の両方を兼ね備えた、九州男児の見本みたいな奴です。
 物知り友人と私が称するように、多方面にわたる知識は、いたる所で発揮され、私を救ってくれました。
 彼が頭脳なら、私はその下の4肢を動かす体、まさしく、相棒と呼ぶに値する奴です。

 Tと私は、高校を卒業すると、県外の同じ企業に就職を決め、2人で、トラックを借りて、引越しをしました。
 トラックの中で、交わす会話は、花の都への憧れの話ばかりでした。
 2人で、共同生活を決めた、アパートに着くと、早速、部屋に荷物を持ち込みましたが、身軽な2人です、引越しが完了するまで、2時間とかかりませんでした。
 
 「今日から、ここで、共同生活バイ、宜しく頼むぜ」
 
 「おう」
 
 私たちは、生まれて初めて、故郷を離れ、花の都での生活に期待が先行し、不安はありませんでした。
 朝、6時に起きて、バスで会社に通勤し夕方7時過ぎには、アパートに帰宅する日常が、過ぎていきました。
 県外の生活にも慣れたころ、Tと私は、外食も兼ねて、よく夜の街に繰り出したものです。
 
 「飯も食ったし、歌でも、歌うか」
   
 「よし、行こうぜ」
 
 当時、カラオケは無く、エイト・トラック方式、通称ハチトラ≠ナす。
 カセットテープの大型盤を音響設備にセットして、曲を選択し、スピーカーから流れる曲を、歌詞カードを見ながら、マイクで歌うという、今では、考えられないことですが、当時はナウい(笑)、流行りだったのであります。
 
 「俺は、淳子ちゃんの『黄色いリボン』を歌うバイ」
   
 「じゃ、俺も、一緒に」
 
 Tと私は、1本のマイクを交互に使い、時には、顔を見合し、時には、肩を組み、歌ったものです。

 共同生活も2年ほど過ぎ、会社にも慣れ、やや、余裕という充実感の中、私達に、甘えが出たのでしょう、些細なことが、原因で、口論となりました。
 何でも、言い合える仲が、裏目に出たのです。
 九州男児同士の口論は、お互いに意地の張り合いで、仲直りという結果を見ず、アパートは引き払い、Tは会社の寮に住み、私はTと顔を合わすのが、気まずくなり、会社を辞めてしまいました。

 それから、私は、アルバイトでいろんな仕事をし、なんとか、寝る場所は確保しながら、最終的に夜の街、繁華街のキャバレーのボーイ生活が始まりました。
 バイト先の関連のアパートに私は住み込みました。とにかく、住む処が欲しかったのです。
 Tのことは、日々、忘れたことはなかったのですが、夜のバイトで昼間寝るという生活の中、お互いに生活環境が変わり、連絡は、途絶えたままでした。
 相棒Tを失った私が、得たものは、アルバイトで疲れた体を休めるだけのアパート、そのアパートで冬は薄い毛布に包まって、体をまるめて寝る、夏は寝苦しさに寝返りを繰り返す、生活でした。
 私の生活ぶりを心配して、姉ちゃんが、泊りがけで、時々訪ねて来てくれるのが、心の支えとなっていました。

 2年後、その日も、夜のバイトを終え、アパートで寝ておりますと、電話が鳴りました。
 県外に就職し近県に住む、高校の同級生からの電話でした。
 
 「お前、知っているか。Tが田舎に帰るらしいぞ」 
 と切り出し
 「帰るって、そりゃー、あいつも、たまには、田舎に帰るバイ」
 と私は、寝起きの頭がさえない状態で答えました。
 
 「違う、違う、Tが、そこ(県外)を引き払って、田舎に戻って、生活をするって事バイ。田舎で、暮らすって事バイ。寝ぼけているんか、お前」
 
 私はようやく、同級生の言う意味が分かりました。
 
 「えっ、Tが田舎に戻る?。突然、何故?」
 と私があわてて、聞き返すと
 「あいつ、田舎の親父さんの仕事を、手伝うために、近いうちに、田舎に戻るぞ。もう、そっち(県外)の仕事も辞めて、家財道具は、もう田舎に送ったそうだ。あいつ、本気バイ。お前には連絡はきたんか?」
   と数日前にTから連絡を受けた、同級生が私に説明を続けました。
 
 「Tから俺には連絡は、無い」
   と私はTの顔を思い浮かべながら答えました。
 
 「そうか、やっぱり」
   と友人は、Tと私が口論の末、絶縁中の経緯を知っており、納得した様子でした。
 
 「で、いつ、あいつは、田舎に帰るんか?」
   とあわてて、聞きますと
 「明後日の○時の汽車だ。俺たちも、駅に見送りに行くから、お前も来いよ。お前たち、幼馴染の親友じゃろ。なんぼ、喧嘩中でも、お前の親友バイ。Tも本当は、お前に来てほしいに決まっとるバイ。明後日の、○時に、○駅に来い、絶対に来いよ」 
 私は、友人から、念を押され、電話を切りました。
 
 それから、数日後、Tは田舎へと帰っていきました。
 私は、友人の熱心な誘いにもかかわらず、Tを見送りには行かず、バイト先で時計を見ました。
 (今ごろ、あいつは、汽車の中か)
 私はつまらない、意地のために、親友の新しい出発を見送りにも行かない、自分自身を恥じました。本当は、Tに逢いたくてたまらないのに、忘れたことなどないのに・・・
 (まったく、俺って、つまんねー奴。ばぶれもんバイ)
 とキャバレーの店内に光る、ミラーボールの照明の中、私は嘆きました。

 その後も私は、バイトを続けました。
 毎年、年末に同窓会の案内の通知が届きましたが、私は田舎へは、帰らずに、キャバレーのバイトとアパートの往復を続けました。
 田舎に帰って来ない私を両親は心配し、電話や便りをよこしますが、私の返答は
 「バイトが忙しいんだよ、そのうちな・・・」 
 と毎回、同じでした。
 逆に姉ちゃんが、私のアパートを訪ねる機会が増えました。
 田舎でのTの様子を姉ちゃんから聞くたびに、私の胸はちぎれそうなくらい、痛むのですが、沈黙するしかない、はぶれもんでした。
 
 「あんたら、いい加減、仲直りすれば、お互いに、意地ばっかり張ってさ・・・」
 
 姉ちゃんも、Tと私の幼いころからの事を思い出し、言ったものです。

 私とTが県外に就職して7年目、Tと仲違いして、5年くらい過ぎたころです。
 キャバレーのバイトも数年目を迎え、その年の正月の2日でした。
 私の田舎は県外への進学、就職が多いので、田舎の同窓会は、皆が揃う、正月に催されます。
 前の年に、同窓会の案内状が届きましたが、年末から年始は、バイトも忙しく、私は田舎へは帰らず、同窓会にも出席せず、県外の圏外で、その日は、キャバレーのバイトが早上がりでしたのでバイトを終え、アパートに帰りました。
 部屋で寝る支度をしていますと、深夜の1時ぐらいだと思います。
 突然、部屋の電話が鳴りました。
 受話器を取りますと、相棒Tの懐かしい声が聞こえてきました。
 5年ぶりに聞く、相棒Tの声でした。
 
 「おう、俺バイ。お前、元気か?。
 何回か電話したけど、留守でヨ。今年も田舎に帰ってないのか。
 お前の親父さんたち、心配しとるぞ。たまには、帰ってこいよ。
 今、俺ら、同窓会の2次会でよ、街のカラオケ屋に繰り出して、カラオケを歌いに来とるんバイ。
 今、あいつら、淳子の歌を歌っているぞ、聞こえるか・・・」
   と5年前に聞いたきりのTの声でした。
 
 ガチャ、ガチャと私の耳に受話器を通して、Tが公衆電話に百円玉や十円玉を何回も入れる音が聞こえました。
 と同時にビユーと冷たい風の音が、私の耳に受話器を通して聞こえました。
 Tは途中で、同窓会を抜け出して、私に電話をくれたのです。
 私がバイト中で留守の間も、何回も同窓会と寒い屋外の電話BOXを往復しながら、私と話すまで電話をくれたのです。
 外の公衆電話は、かなり、寒いのでしょう。Tの声は凍えながら、途切れ途切れに聞こえてきます。
 
 「今、あいつら、カラオケで、淳子の歌を歌っているぞ、聞こえるか。
 お前、来年は田舎に帰ってこいよ、待っているぞ。
 そんで、19のころ、お前と俺で歌った、『黄色いリボン』を歌おうぜ・・・・・」
 とTは震える声で話しました。
 
 私は突然のTの電話に何も言えずに、一言も喋れずに、Tの声を聞いていました。
 そして、私には、高校を卒業して、Tと県外に就職して、夜の街で、歌った、黄色いリボンが、5年振りの相棒Tの声の便りと一緒に聞こえて来ました。
 相棒Tの声の便りというラブレターに包まれて、『黄色いリボン』が私に届けられました。
 はぶれもん、元の時代。私、25才の時でした。
  

   寒い冬

    やさしさと思いやりが

    身も心も暖めてくれるのです 
  
  

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