"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館 管理人室
SONOさんの『新・淳子ヒストリー』
SONO.34 新シリーズ K 幸の時代
SONO - 書き下ろし
[四通目のラブレター]
私が、高校を卒業し県外に就職し、職を辞し、アルバイトの生活を続けた20代前半を過ぎ、20代後半を迎えた頃です。
このころの私は、長く勤めた、バイトを辞めて、途中入社ではありますが、就職を決めた頃ですね。
県外が第2の故郷になりつつある頃です。
試行錯誤の繰り返しの末に、私が定職を持ち、心配をかけた、両親や姉ちゃんも、安心というところでしょうか。
相棒Tとも、復縁を果たし、長らく、帰省してなかった、田舎にも足が向くようになりました。
田舎に住む、両親、姉ちゃん、友人たちとの再会は、心が躍ります。
お盆休みを利用して、田舎に帰省中の私に、母親から話し掛けられました。
「あんた、○ちゃん(姉ちゃん)の事だけど・・」
母親の話しを聞いてみますと、当時、結婚した姉ちゃんが妊娠したらしく
「お〜、やったね。ついに、姉ちゃんも、おかあさんかよ。めでたいの〜」
と私が、姉ちゃんが赤ちゃんを抱いて、微笑む姿を想像しながら、小躍りしていますと
「それが・・・」
と母親がめでたい話に関わらず、浮かない様子に
「なにか、心配事?」
と更に、母親の話しを聞きますと、どうやら、結婚した姉ちゃんでしたが、妊娠後、間もなく、離婚の話も同時に進行しているゆう複雑な状態で、姉ちゃんは離婚しても、子供は生んで育てる意思が強く
「離婚?。 最悪そうなったとしてもさ、姉ちゃんが、子供を生んで、育てるって言うなら、俺たちが、口出す筋じゃないバイ。 かあちゃんも妹(私の母親と姉ちゃんは姉妹です)のことが心配じゃろが、姉ちゃんだったら、ちゃんと立派に生活できるよ。 心配すんなって」
と気丈な姉ちゃんの性格をある意味、良く知っている、私が母親を励ましますと
「それが・・・」
と更に、母親の浮かない様子に
「ま、まだ、あるんかい?」
と私が聞きますと、妊娠中の姉ちゃんではありますが、姉ちゃんは、元々、体が弱く、出産に耐えられる母体ではないことを、医師から助言を受けており、母体をとるか、赤ちゃんをとるかの切迫した状態であることを、母親から告げられました。
8人兄弟の私の母親が長女で、姉ちゃんは末妹なのですが、兄弟の中でも、私の母親と姉ちゃんは実によく似ております。
痩せた体、顔、どれを取っても、母親の分身と見間違うほど、姉ちゃんは似ております。
その実、我が母親も、私を出産する時に、出産に耐えられないと医師から告げられた末に命を懸けて私を生んでくれた経緯があり、私の母親は御産時に大量の出血をし、命は取り止めたものの、母親の体が回復するまで、約1年あまり、私は母親と離れて暮らし、祖母に育てられていた事があります。
姉妹とはいえ、私と歳が3才 しか違わない、姉ちゃんは、母親から見れば、妹でもあり、娘でもあり、私を出産する時の苦悩と苦労を、自分の命と引き換えに子供を産もうする現実を妹が繰 り返す、その不安と心配は、計り知れないものがあったと思います。
それに加えて、離婚も進行中とは、母親が私に相談するのも無理のないことです。
(姉ちゃん、俺をフライパンで殴ってくれた、あの根性で、赤ちゃんを産んでくれ、そして、姉ちゃんも生きてくれ。離婚の問題はその後だ。とにかく、母子共に無事で・・)
私はそう願わずにはいられませんでした。
私は、帰省中に姉ちゃんの家を訪ねました。
「お〜、姉ちゃん、相変わらず、美しいバイな〜。惚れ直したバイ」
「そうなのよ、この、美貌は罪だわね〜」
「相変わらず、口も達者バイ」
「うるさい、黙れ」
私は意外と元気そうな、姉ちゃんをみて、安心しました。
「姉ちゃん、元気そうバイね」
「元気よ、お腹の中の赤ちゃんも元気よ」
「そうか、それは、めでたしバイ。良かった、良かった。姉ちゃん、この調子で、可愛い、元気な赤ちゃんを産んでや。吉報を楽しみに、待つとるバイ」
「ありがとうね」
「姉ちゃん、盆休みも、もう、終わりやから、明日、帰るけん」
「そうか、あんたも、元気でね」
実は、私は、母親から、姉ちゃんの今回の出産は断念し、体調を取り戻してから、出産する旨を伝え、説得するように、言われていたのですが、おそらく、赤ちゃんを産めるのは今回が最初で最後の予感が姉ちゃんにはあったのでしょう。姉ちゃんの笑顔の下の決意をそして、生まれた故郷を愛し、その故郷で、自分の子供と2人で暮らしていく覚悟を知り
「姉ちゃん、体を大事にして、可愛い赤ちゃんを産んでや。またな」
としか言えませんでした。
私はまた、県外の生活に戻りました。仕事に追われる毎日の中、やはり、気がかりなのは、姉ちゃんのことでした。
それからも私は、姉ちゃんと時々、電話で話し、ますます、強くなる、姉ちゃんの決意と生まれてくる我が子へのいたわりを聞き、頼もしさを感じる反面、体のことが、気がかりでした。
年末も田舎に帰り、姉ちゃんの目立ってきたお腹を擦ると確かに、力強い生命の肌音が私にも伝わってきました。
翌年の初夏のころ、仕事中の私に母親から連絡がありました。
私は、姉ちゃんの件だと思い、受話器を取ると
「さっき、陣痛が始まって、病院に運ばれたけん、とりあえず、私も病院に行んよ。 また後で連絡するわ」
とあわてた、母親の様子に、いよいよ、来たかと私も緊張しました。
その後、会社に在社中は、連絡がなく、私はやきもきしました。その間、私は家に電話しましたが、留守中で、私は段々と不安になってきました。
夕方、私が、アパートに帰宅するなり、電話機が鳴りました。
私があわてて受話器を取りますと
「い、今、生まれたよ、女の子よ、○ちゃん(姉ちゃん)も元気よ、母子共に、元気よ〜。よかった〜」
と母親の涙声が聞こえてきました。
「女か、姉ちゃんも元気か、万歳バイ」
と私は叫びました。
姉ちゃんの決意が、姉ちゃんの娘の生命力が、母子共に、健康だという、奇跡をまさに、生んだのです。
姉ちゃんが贈った、絆というラブレターが母体のヘソの緒を通じて、赤ちゃんに、娘に届いたのです。
そして、その絆というラブレターを、今度は、娘が母親に見事に返信したのです。
私は、早速、休暇をとり田舎に帰省して、姉ちゃんとその娘を、お見舞いに行きました。
病院のベッドの上に姉ちゃんと赤ちゃんは寝ていました。
姉ちゃんの幸せそうな、笑顔が、私を迎えてくれました。
「姉ちゃん、やったね、どれ、赤ん坊の顔を見せてくれよ」
私は、姉ちゃんの隣に寝ている、小さな生命を覗き込みました。
「どう、かわいいでしょう」
と姉ちゃんが自慢げに言いました。
「ね、姉ちゃん、こ、これは、猿バイ」
「あんた、女の子になんてこと言うの」
「ごめん、ごめん、」
私はしばらく、姉ちゃんと雑談を交わしました。
「でさ、名前はもう、決めたんか?。 あのさ、まだ、決めてないなら、お願いがあるんよね」
と私が哀願すると
「あんたの、考えていることぐらい、私には御見通しよ。 娘の名前を淳子ちゃんにしたいのでしょう」
と姉ちゃんが笑いました。
「さすが、で、どうかな?」
と重ねて私が、哀願すると
「私も最初は考えたんよ。名前を淳子ってね。 でも、いろいろ考えて、この子の名前は、私の名前の1文字を取って、○○子に決めたんよ」
と姉ちゃんは紙に○○子と書きながら、答えました。
「○○子か〜、いい名前バイね。 うん、うん、淳子ちゃんもいいけど、○○子も最高バイ」
私は頷きながら答えました。
「そう、○○子。 私はこの地元で○○子と生きていくのよ」
と姉ちゃんは隣で、健やかに寝ている、娘をやさしい眼差しで見つめながら、言いました。
「姉ちゃん、○○子って名前は、かわいいけど、やっぱり、どう見ても、顔は猿バイ」
「おだまりっ」
と私は姉ちゃんから、笑顔のお叱りを受けました。
その、瞬間、姉ちゃんの隣で寝ていた、天使が笑ったような気がしました。
はぶれもん、幸の時代。○○子、0才の時でした。
偶然以上の確率で
出会った、必然
それを、絆と書くのです
(次へ)
| |
|