"My Pure Lady" Junko Sakurada
桜田淳子資料館

管理人室

SONOさんの『新・淳子ヒストリー』


  SONO.34  新シリーズ K
承の時代 

SONO - 書き下ろし


 [五通目のラブレター]
 私は高校を卒業と同時に県外に就職しましたが、姉ちゃんは地元に残り、就職、結婚をし、女子(○○子)を出産しました。
 私の母親と姉ちゃんが姉妹ですので、母親の子供の私と姉ちゃんの子供の○○子とは、従兄妹の関係となるわけです。
 姉ちゃんの娘は、最初は、お猿さんみたいでしたが、だんだんと姉ちゃんに似ていく様子が、私の県外のアパートに送られてくる、写真で確認できました。
 姉ちゃんの幼いころと、そっくりの姉ちゃんの娘(○○子)の写真を見るたびに、私と姉弟の様に育てられた幼いころの姉ちゃんを思い出し、また、当時の姉ちゃんの幸せぶりを、想像し、それが、私の県外での生活の楽しみでもありました。

 姉ちゃんは、私の県外、知らぬ土地での生活ぶりを心配しまして、結婚する前、結婚出産後も年に数回、私のアパートを○○子と2人で訪ねてくれまして、2、3泊して帰る間、姉ちゃんの手料理を堪能し、私を[兄いたん]と呼んでくれる、○○子とのふれあいの中で、故郷を離れ、県外に住む異邦人としての辛さを忘れさせてくれました。
 街を姉ちゃんと○○子と3人で歩きますと、すれちがい、行き交う人(特に男性)が姉ちゃんを見て振り返るのが私にはうれしくもあり、自慢でもありました。
 当時、姉ちゃんは結婚してから、いろいろあり、結果的に○○子と姉ちゃんは故郷で2人暮しを続けていましたが、姉ちゃんと○○子が顔を見合わし、交わす、宝石の様な笑顔と「♪クッククック〜♪」と歌う姉ちゃんと○○子の様子に、私は安堵感を覚えたのです。
 私の母親と姉ちゃんは姉妹です。

 私の県外での生活も10年を超えた、30才前のころ、突然、田舎の母親から、夜にアパートに電話がありました。
 電話の先から、聞こえる、母親の声は、かなり、動揺しており、聞き取れないほどでした。

 「○ちゃん(姉ちゃん)が、危篤なんよ。
 あんた、はやく、帰ってきて」
 
 私は姉ちゃんと危篤いう言葉が結びつかず、母親が何を言っているのかわかりませんでしたが、電話口の母親の声が今まで聞いたことのない、あわてぶりに事の切迫をようやく理解しました。
 
 事情と聞いてみますと、姉ちゃんは白○病で、体の弱かったのも影響して、治療のかいもなく、明日をも知れない状態でした。
 そういえば、最近は私のアパートに訪ねてくることが、なくなったので、気にはしていたのですが、電話はよく、くれましたので、まさか、そんな、状態だったとは。
 
 (じゃ、姉ちゃんの最近の電話は、入院先の病院からの電話だったのだ)
 私は、姉ちゃんが自分の病を知り、心細くなって、前にも増して、私のアパートに電話をくれていたことを知りました。
 そして、私に白○血だということを知られないために、心配をかけないために、わざと明るく電話口で振舞っていたのでした。
 私は、立って歩くのも、困難なほど、衰弱した体で、手に百円玉を握り締め、病室から、赤い公衆電話の所まで歩いて行き、受話器を取り、百円玉を入れ、電話番号を回し、薄暗い夜の病院の廊下で、私に、病を隠し、いつもと、変わらない様子で、電話をくれた姉ちゃんの姿が浮かびました。
 
 突然の姉ちゃんが危篤の連絡に、困惑しながら私は、理路整然としない、母親の電話口の言葉を途中で打ち切り

 「か あちゃん、なんでや、こんな、急に。
 姉ちゃんが、白○病なんて聞いてないぞ。
 俺は全然、知らんぞ。
 嘘や、絶対、嘘や、1週間前も姉ちゃんと電話で話した ばっかりなんや、絶対、間違いや・・・・。
 いつからや、いつから、病気だったんや。
 なんで、こんなんなるまで、知らせてくれんかったんや」

 姉ちゃんは、数ヶ月ほど前に発病し、姉ちゃん自身も病気の原因は知っておりましたが、母親が姉ちゃんの白○病の件を私に伝える旨を言いましたところ、姉ちゃんは、私には知らせるなと母親に口止めをしたそうです。
 
 私には、姉ちゃんの気持ちがわかりました。
 白○病のことを、姉ちゃんが、私に知らせなかったのは、私に心配をかけないためでもありますが、私に知らせないことで、自らの病に打ち勝とうと思ったのです。
 私に知らせないことで、病が治癒すると自分自身を励ましていたのです。
 白○病を克服し、もう一度、○○子と2人で、私のアパートを訪ね、楽しい時を過すことを夢に描いていたのです。
 しかし、懸命の治療に耐え、白○病という病の克服にかけた、姉ちゃんの気持ちとは、反比例して、体は衰弱していったのです。
 そして、突然の母親からの危篤の連絡となったのです。

 私は「今すぐ、帰る」と母親の電話を切り、気持ちの整理がつかないまま、片道4時間の道を車で田舎へと走らせました。
 私は、車中、考えました。
 (姉ちゃん、俺が帰るまで・・・・)
 (姉ちゃん、○○子は、まだ、小さいんだぞ。あいつはどうなるんだよ・・・)
 私の頭の中には、幼いころより、姉弟として育てられたころの姉ちゃん、セーラー服のまぶしい姉ちゃん、○○子と笑っていた頃の姉ちゃん、いろんな、姉ちゃんが浮かんできました。

 ようやく、地元の病院についたのが、深夜も12時過ぎぐらいでした。
 私は車を病院の前に乗り付けて、病院の裏口から中に足早に入りました。
 深夜の病院の独特の雰囲気が私の気持ちをより、複雑なものにしました。
 非常口の表示の緑の発光色だけが、鈍く光る暗い廊下を行くと少しだけ灯りがドアからもれる部屋がありました。私は何故か、そこに、姉ちゃんがいると思いました。
 その部屋の前まで行くと、親戚の人が、数人立っていました。

 「姉ちゃんは?」

 私が、尋ねると
 「もう・・」
 と答えてくれました。
 
 私はドアを開けて、姉ちゃんの病室にはいりました。
 室中には、祖父母(母親と姉ちゃんの両親)、私の両親と数名の親戚、主治医、看護士さんがいて、かなり狭く感じました。
 姉ちゃんは、ベッドの上で昏睡状態を続けており、
 「姉ちゃん、俺バイ」
 と話し掛けても、返事はなく、眠ったままでした。
 寝顔は痩せて、頬はこけているものの、綺麗でやさしかった、姉ちゃんでした。
 私は、紫の点滴の跡だらけの姉ちゃんの細い腕を、痩せて、しぼんだ、青白い血管が浮き出る、姉ちゃんの腕を握り締めました。
 姉ちゃんの微かではありますが、体温が私に伝わってきました。

 「こんなに、痩せてから、どうしたんか、姉ちゃん」
 と、もう一度、話しかけましたが、返事はありませんでした。

 「姉ちゃんは自分が白○病だと、知っていたんやな」

 私は母親に尋ねました。
 「痩せていくのが、本人にも判るし、入院中は、かなり苦しんだし・・」

 この、病室で、姉ちゃんは、毎日、不安で寂しくて辛い日々を入院以来続けてきたのです。
 かすかな、希望を持ちながら、しかし、確実に痩せていく、自分自身を見て、無邪気に笑う、自分の娘の○○子を見て、不安で寂しくて辛い入院生活を続けてきたのです。
 自身の病気を嘆き、病魔と戦い、残り少ない命であることの無念さ、そして、まだ、幼い、自分の娘である、○○子の行く末を案じ、眠れない夜を重ねてきたのです。

 「○○子は?」
 と私が誰ともなく聞くと
 「待合室の長椅子で寝とるよ」

 私は待合室に行きました。
 親戚の叔母さんに抱かれて、毛布を着て寝ている○○子がいました。

 「○○子、久しぶりやな」
 と私は問いかけましたが、○○子は、まさに、天使も夢見る様に寝ていました。

 翌日、姉ちゃんは天国へ旅立ちました。
 通夜、葬式と続き、火葬場で最後のお別れとなりました。
 お別れの時、母親の他界を幼心に感じたのでしょう。私には、○○子が、唇を噛み締め、涙をこらえているのが、わかりました。

 その後、姉ちゃんの遺品を整理していますと、姉ちゃんの机の引き出しの中から、はがきを母親が見つけました。

 「これ、あんたのじゃないの?」
 と母親が私に手渡した、はがきは私が子供のころ、淳子さんに宛てたラブレターでした。
 やや、変色していましたが、まぎれも無く、私が子供のころ書いた、淳子さんへのラブレターでした。
 宛先を淳子ちゃんの家と書いて、ポストに投函し宛先不明で返還された、思い出のはがきでした。
 姉ちゃんが、宛先をちゃんと淳子さんの事務所の住所に書き直してくれていました。
 はがきを姉ちゃんは、机の中に保存してくれていたのです。
 
 はがきの裏をめくると
 大好きな淳子ちゃんへ。ぼくは・・・≠ニ
 今でも変わらない、淳子さんへの想いが幼い字でならべてありました。
 私はそのはがきを見て、思いました。
 (この、ラブレター、本当は俺が姉ちゃんに宛てたものかもしれないな)
 はぶれもん、承の時代。私、30才。○○子、4才の時でした。
  

   近いのに、遠くにいる人

    歩きはじめる時、空を見上げれば

    今も優しく、微笑かけてくれるのです 
  
  
  
    

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