"My Pure Lady" Junko Sakurada |
sonoさんの『淳子ヒストリー』
sono. 4 sono20代 後 編
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sono - 03/07/05 01:56:06 連載4回目の淳子ヒストリー(前回消えた回です)、今回は、「バイト編」です。 私は、21才当時、友人Tとの固執もあり、会社も辞め、とりあえず、バイトをしました。 最初のバイトは、魚市場のバイトで、港に船が着いて、船内の魚を吊り上げて、下ろした魚を、大体ですが、種分けする仕事です。 当時、真冬でして、なんぼ九州でも、真冬の港は寒く、しかも氷漬の魚の中でやる仕事ですから、あまりの寒さに、私のsonが・・。 失礼しました。 あの時、頼みもしないのに、毎日、魚をタダでくれた主任さん、ありがとう。 おかげで、私のアパートの中、魚だらけで、冷蔵庫が、いっぱいになり、風呂桶の中で、数匹泳いでました。 それで、魚が怖くなり、辞めました。 で、次のバイトは、キャバレーのボーイです。 その店は、かなり大きくて、当時、HMさんも、歌謡ショーに出演されてました。 その歌謡ショーに、中国(たぶん?)の女性歌手(無名)の方が、1週間ほど出演され、歌謡ショーのあと、客席を回り、色紙と自分の歌を吹き込んだテープを、お客さんに買ってもらうというのが大体の流れでした。 ある日、控え室を掃除してますと、その子が入って来まして、近くで見ると、結構若く、21、2ぐらいです。 ショーの時は、30才ぐらいだと思ってました。 私は、その時、当時画期的発明の、ウォークマンを、ボーイ仲間から借り、淳子さんのテープを聞いてました。 で、その子がこちらを指差すので、私は、テープのことかと思い、 「ジュンコ」 と答えて、聴かせると、あまりに喜ぶので、ウオークマン(借り物)と淳子さんのテープ、あげちゃいました(私って、いい奴? 悪い奴?)。 ショーの中日(なかび)ぐらいに、異国でつらい事でもあったのか、泣いてまして、話掛けようと思いましたが、止めました。 言葉が分からないし、タレントさんとバイトは、仕事以外は、会話は厳禁でした。 その子のショーも、最終日無事に終わりまして、私もバイトが終わり、帰ろうとすると、その子が、例の色紙と自分の歌を吹き込んだテープを、私にくれました。 私のあげたウォークマン(借り物)と淳子さんのテープのお礼だったのか、色紙に、ZUNKOさんへ≠ニ書いてありました。 あの時、ジュンコ≠ニ答えたのを、私の名前だと思ったみたいで、しかも、JUNKO≠ナはなくて、ZUNKO≠ナした。 言葉は、ぜんぜん分かりませんでしたが、 「さよなら」 と言ってるみたいだったので、私も、 「ありがとう」 と日本語で言って、別れました。 あれから20年、あの子はどうしているのかな、今でも、歌っているのかな、淳子さんのテープ、今でも聴いてるのかなと、思ったりします。 淳子さんみたいに、大舞台で活躍する人もいますし、地道に頑張っている人もいます。 彼女は、演歌歌手として、メジャーにはなれなかったかもしれないけれど、今でも歌っているのなら、 「そのうち、いいことあるさ」 とエールを送りたいですね。 今回は、国際交流に貢献したsonoのお話でした。 ちなみに、あの子のくれたテープは、1曲だけ聴いて止めました。 だって、何んて歌ってるか、分かんないだもーん。ジャンジャン。 次回、ついに20代編最終章 sonoの「淳子の次に大切な女性(ひと)」です。 幻の第4話はこちら (つづく) |